ミステリ&SF感想vol.98

2005.01.10
『忍法双頭の鷲』 『万物理論』 『和時計の館の殺人』 『死を招く航海』 『殺人交叉点』



忍法双頭の鷲  山田風太郎
 1969年発表 (角川文庫 緑356-22・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 四代将軍家綱の死後、徳川綱吉が五代将軍となったことで、それまで権勢を誇ってきた大老・酒井雅楽頭が失脚し、新たに堀田筑前守が大老の座に就いた。筑前守は、公儀隠密をつとめてきた伊賀組を解体し、代わりに根来衆を登用する。抜擢に勇躍する若き根来忍者・秦漣四郎吹矢城助は、主命を受けて、不穏な気配の漂う各藩の内情を探りに赴くが、その行く手には復讐に燃える伊賀者の生き残りが……。

[感想]

 『笑い陰陽師』に通じる、連作短編のような形の忍法帖です。より正確には、一話完結の各エピソードを発端と終幕で挟み込むという、後の『明治断頭台』に近い構造といえるでしょう。作者自身の評価はCランクですが、なかなか面白い作品です。

 根来vs伊賀の戦いも描かれてはいるものの、それはある種おまけのようなもので、本書の眼目はあくまでも隠密という仕事そのものです。主役である秦漣四郎と吹矢城助の二人は、それぞれに火種を抱える各藩の内情を探ることになりますが、その役目は情報収集に限定されています(裏を返せば、伊賀者との戦いは任務とは直接関係がなく、単なる“私闘”に近いものになっているのが難ともいえるのですが)。例えば『信玄忍法帖』と比べてみると顕著ではないかと思いますが、“探る側”と“探られる側”との力関係が歴然としていることで、幕府としては情報収集だけで十分であり、また主役の二人の身に迫る危険も比較的少ないものになっています。このあたりに、徳川幕府による支配体制が盤石なものになってきた時代の情勢がよく表れているのではないでしょうか。

 発端と終幕で挟み込まれた連作部分については、調査の公平を期すために漣四郎と城助が二手に分かれ、対立する二つの陣営それぞれの視点から調査を行うという面白い設定になっているのですが、これが途中から崩れてしまっているのが残念。またこれ以外にも、マンネリを嫌ったせいかと思われる当初のフォーマットからの逸脱があり、それがかえって連作としての統一感を損なっているように思えます。しかし、個々のエピソードそのものはよくできていて、各藩の様々な事情の裏にはそれぞれに意外な真相が隠されています。特に、巨摩藩世継ぎの急死事件を探る「猿姫様」などは、ミステリ的にみてもかなり興味深いものがあります。

 終幕は、史実をうまく取り入れた山田風太郎らしいものですが、漣四郎と城助がこなしてきた任務の結末が、そこに微妙に影を落としているのがよくできていると思います。そしてまた、途中あまり目立たなくなってきていた二人の忍法が、最後に重要な役割を果たしているのも印象的です。

2004.12.15読了  [山田風太郎]



万物理論 Distress  グレッグ・イーガン
 1995年発表 (山岸 真訳 創元SF文庫711-02)

[紹介]
 2055年、あらゆる自然法則を包含する統一理論である“万物理論(TOE)”が完成しようとしていた。南太平洋上の人工島〈ステートレス〉で開かれる国際理論物理学会にて、3人の学者がそれぞれ異なる理論を発表する予定なのだ。その中の一人、若き女性学者ヴァイオレット・モサラの構築する理論が、最有力候補と考えられていた。ハイテク機器を操る科学系映像ジャーナリストのアンドルー・ワースは、モサラを中心に万物理論の番組を製作することになったが、会場周辺にはカルト集団が出没し……。

[感想]

 現実に研究されている“万物理論”を中心に据えた、G.イーガンらしいSF長編です。まず冒頭、ワースが製作を続けてきた「ジャンクDNA」という科学番組の内容を通じて、“フランケンサイエンス”と呼ばれる最先端にして異端の生命科学が描写され、興味深い世界が展開されています。特にその中の一つ、殺人事件の被害者を短時間蘇生させて犯人の名前を聞き出すという“死後復活”のエピソードなどは、ミステリ的なガジェットを好んで取り入れるイーガンらしいもののように思えます。

 その後にようやく、ワースは学会の舞台となる〈ステートレス〉へと向かうことになりますが、この舞台そのものが科学/技術と政治/経済とのせめぎ合いによって生まれたもので、その成り立ちと有り様が少しずつ語られることで、背景となる世界の情勢が明らかにされていきます。そしてまた、学者・カルト集団・ジャーナリストなど、それぞれの科学に対するスタンスが描き出されるところは、なかなか興味深いものがあります。

 そしてその中で、取材を始めたワースには命の危険が迫ることになるのですが……ある意味で本書は、ミステリでいうところの“ホワイダニット”の一種ともいえます。学会に迫るテロリズムの根源となるのは、想像を絶するほどの途方もない動機。物語の終盤は、万物理論とこの動機とが両輪となって進んでいく感があります。正直なところ、作中で説明される万物理論は十分に理解できたとはいえませんし、西洋的もしくはキリスト教的ともいえる(ような気がする)動機は、別の意味で理解を超えた、個人的(感覚的)には戯言としか思えないものなのですが、それでも物語は十分面白いものになっています。そして、クライマックスの奇想は圧倒的。感慨深いエピローグもまた見事です。

2004.12.23読了  [グレッグ・イーガン]



和時計の館の殺人  芦辺 拓
 2000年発表 (カッパ・ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 一大事業家の当主でありながら事業に関わることなく、ひたすら和時計の収集に専心していた天知圭次郎。その圭次郎が病で亡くなり、残された遺言状の公開を引き受けた弁護士・森江春策は、愛知県の片田舎にある、和時計で埋めつくされた館へと向かった。顔に包帯を巻いた奇妙な男をはじめ、集まった親族6名の前で、なぜか糊付けされた頁に手こずりながらも、森江は遺言状を読み上げた。圭次郎はかなりの資産を残したものの、遺言状の内容はおおむね公平なもので、争いが起きることはないはずだった。だがその夜、殺人事件が……。

[感想]

 あまりこういうことは書きたくないのですが、作者の姿勢には疑問を禁じ得ません。まず、具体的な作品名こそ挙げられていませんが、よく似た題名の有名な先行作品を揶揄するような形で引き合いに出しているのが気になります。しかもそれが、読んでいてまったく不要としか思えない上に、(以下伏せ字)微妙にネタバレ気味(ここまで)ときては、悪意があると勘繰られてもおかしくないのではないでしょうか。それでいて、解決場面では“こうした種類の(中略)は類例がないはずで”(250頁)という自画自賛めいた記述もあり、少々鼻についてしまいます。

 さて、作品の内容はといえば、かなり微妙です。個々のネタには面白いものもあるのですが、全体としてみるとどこかちぐはぐに感じられてなりません。特に、作者が「あとがき」で述べている“探偵小説の原風景”を構築する試みが、古風な探偵小説のガジェット(極めつけは“包帯男”か)をいくつか物語に放り込んだだけにとどまり、結果として中途半端に古臭い印象を生み出してしまっているように思えます。

 前述のように、個々のネタには面白いものもあります。例えば、最後の事件のトリックなどはなかなかよくできていますし、わかりやすいかもしれませんが遺言状の糊付けなどはユニークだと思います。ただ、中心となるネタはうまく洗練されていないというか、あまり手が加えられていない生の素材をそのまま出されたような印象で、今ひとつ面白味に欠けるところがあります。

 和時計という面白そうな題材を扱っていながら、いくつかの点でかなり損をしているという、非常にもったいない作品です。

2004.12.26読了  [芦辺 拓]



死を招く航海 S.S. Murder  パトリック・クェンティン
 1933年発表 (白須清美訳 新樹社)ネタバレ感想

[紹介]
 リオ・デ・ジャネイロへ向かう汽船モデルナ号。盲腸手術後の療養も兼ねて旅行しようと、船に乗り込んだコラムニストのメアリ・ルエリンは、婚約者に向けて船上での出来事を日誌に書き記そうとしていた。ところが、船が出航したまさにその夜、喫煙室で行われていたコントラクト・ブリッジの最中に、実業家のランバート氏がストリキニーネで毒殺されてしまう。そして、被害者と同席していたロビンソンという男が、船内から忽然と姿を消してしまったのだ……。

[感想]

 船上での殺人を描いたミステリですが、全体が日誌という形で構成されているのが特徴的です。その書き手である主人公のメアリは新聞のコラムニストで、その鋭い観察眼を通じて船上での出来事が細大漏らさず生き生きと綴られており、しかも婚約者に宛てたものであるために明るい雰囲気に包まれて、殺人事件が起こるにもかかわらず“楽しい船旅”という印象を受けます。

 ミステリとしては、事件の発生よりも前(29頁)“決定的な手がかり”の所在が堂々と宣言されているのが目をひきます。やがて起こる殺人事件そのものは割と単純なようにも感じられますが、疑わしい人物が船内から完全に姿を消してしまうというのが面白いところ。その“姿なき怪人物”を追い求め、船客の一人とコンビを組んで素人探偵活動に精を出す主人公の姿は、正直なところ少々鬱陶しく感じられないでもないのですが、やがて主人公自身とその日誌に犯人の魔の手が及び、野次馬的な立場から当事者へと移ることでそのあたりは気にならなくなり、スリルが高まっていきます。

 そして最後は、古式ゆかしく一同が揃ったところで謎解きが行われることになりますが、その決め手となる前述の“決定的な手がかり”は、日誌という形態がうまく生かされた非常に巧妙なものになっています。実際のところは、決め手としてはやや弱いといわざるを得ないのですが、それでも、それを突破口にして一気に事件の様相を明らかにしていくプロセスは鮮やかです。

2005.01.02読了  [パトリック・クェンティン]



殺人交叉点 Nocturne Pour Assassin  フレッド・カサック
 1972年/1959年発表 (平岡 敦訳 創元推理文庫205-13)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 かつて『殺人交差点』(荒川浩充訳 創元推理文庫173-1・入手困難という題名で刊行されていたものを改訳・改題した作品。旧版と同様、もう一つの中編「連鎖反応」が併録されています。
 正確には単なる改訳ではなく、1957年の初刊本に基づいた旧版「殺人交差点」に対して、本書は1972年の改稿版が底本となっています。また、本書に付された「訳者あとがき」では触れられていませんが、旧版では「殺人交差点」のオチに関して問題があり、本書ではそのあたりも改善されています。
 なお、巻末の「訳者あとがき」は微妙、それぞの作品の後に付された「作者の覚え書き」は完全にネタバレなので、本書を十分に楽しむためには、途中の頁を開かずにきちんと最初から読むことをおすすめします(ちなみに私の場合は、出版社のチラシがよりによって「殺人交叉点」の最後の頁に挟み込まれていて、悲しい思いをすることになりました)

「殺人交叉点」 Nocturne Pour Assassin
 ルユール夫人の屋敷にたむろする男女6人の大学生たち。その中の一人ボブはどうしようもない女たらしで、今もまた友人セリニャンのガールフレンドであるヴィオレットに熱を上げていた。そのボブとヴィオレットが、ある日屋敷で死んでいるのが発見された。強引に関係を迫ったボブが、抵抗しようとしたヴィオレットにナイフで刺され、最期の力を振り絞ってヴィオレットを絞殺したと判断されたのだが……。
* * *
 交互に繰り返されるルユール夫人とセリニャン弁護士の独白で構成された、倒叙形式のミステリです。ボブとヴィオレットの死を描いた第一部では、犯行に至るまでの犯人の心理だけでなく、ルユール夫人のボブに対する病的なまでの溺愛ぶりを通じて、被害者であるボブのいやらしい人物像もはっきりと浮かび上がってきます。“事件以後”を描いた第二部以降では一転して、ひねりのきいたサスペンスフルな展開。鮮やかな結末に至るまで、巧妙なプロットが光る作品です。
 この作品は、“(以下、予備知識なしで読みたい方のために一応伏せ字)「最後の一撃」(ここまで)ミステリ”と紹介されてきたようですが、それはこの作品にとって不幸なことだったのではないでしょうか。もちろん、作者自身はそのつもりで書いたわけですが、残念なことに、諸般の事情により十分な効果が上がっているとはいえず、特にある程度ミステリを読み慣れた方であれば、“(前述の伏せ字部分)”を期待して読むと肩すかしを食うことになるのではないかと思います。というわけで、“(前述の伏せ字部分)”に過度の期待を抱くことなく、巧みに組み立てられたプロットの妙を味わうべき作品だと思います(その意味ではむしろ、旧版の方がより楽しめるかもしれません――あまりおすすめはしませんが)

「連鎖反応」 Carambolages
 観光協会に勤めるジルベールは、同じ職場のタイピストと婚約することになった。だがその矢先に、軽い気持ちでつきあってきた愛人が妊娠したという。何とか養育費をひねり出さなければならなくなったジルベールは、上司に昇給を願い出たものの、認められたのはほんのわずか。追いつめられたジルベールはしかし、起死回生の、そして奇想天外な解決策を思いつく。果たしてその結果は……?
* * *
 しゃれた、そしてどこかブラックなユーモアが感じられる、フランスミステリらしい(?)作品です。最大の見どころはプロットの中心となる奇想(紹介される際に、これがバラされていることが多いのが残念)で、それを成立させる設定がややご都合主義的とはいえ、それがさほど気にならないほど、いい意味で無茶苦茶です。ちなみにこのネタは、これまたあるフランスミステリを連想させるのですが……フランスの作家はこんなことばかり考えているのでしょうか?
 しかしこの作品も決してアイデア一発ものではなく、「殺人交叉点」と同様に細かいところまでしっかりしています。やはり“しゃれた”と表現せざるを得ない結末も、非常に秀逸です。

2005.01.05読了  [フレッド・カサック]


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