白夜行
[紹介]
一九七三年十月。大阪のとある廃ビルの中で、質屋『きりはら』の店主・桐原洋介が刺殺された。被害者の身辺を探った大阪府警の笹垣らは、桐原が銀行で百万円をおろした後、『きりはら』の客である未亡人・西本文代のもとを訪ねたことを突き止める。だが、文代には被害者の死亡時刻のアリバイがあり、疑惑の対象は彼女の交際相手へと移るものの、物証も見つからないままその男が事故死してしまったことで、事件はそのまま迷宮入りしてしまった……。
……それから十九年。退職してからもなお事件を追い続けていた笹垣は、事件の鍵を握る“二人”に迫っていくが……。
[感想]
TBS系列でドラマ化もされた、東野圭吾の話題作。謎解きの要素はほとんどなく、どちらかといえば犯罪小説に近いように思われますが、物語の中心となるのは犯罪ではなく主要登場人物“二人”の人生であり、(作中の年月で)十九年間にわたって数々のエピソードを積み重ねていくことで、背景となるオイルショック以降の“昭和史”とともにそれを浮かび上がらせるた、非常に意欲的な作品です。
それぞれのエピソードは、いずれも周辺にいる第三者的な人物の視点から描かれています。“二人”の心情が直接示されることはほとんどありませんが、その行動の積み重ねによって少しずつ読者の頭に浮かび上がってくる構図は、直接的な描写よりもむしろ強い印象をもたらします。しかも、語られる“パズルのピース”には第三者視点ゆえの明らかな欠落があり、読者はそれを(想像で)補いながら物語を組み上げていくことを要求され、結果として“二人”の人生により深く入り込むことになります。松尾芭蕉の“言ひおほせて何かある”
という言葉を思い起こさせる、すべてを語らないことで伝えるという手法が実に効果的です。
また、第三者視点のフィルターを通すことで、暴力も含めた犯罪が扱われているにもかかわらず、物語にある種の静けさが加わっているところも見逃せません。“二人”が心に抱く“闇”は深く静かに横たわり、その悪事は19年もの長きにわたって密やかに進行していきます。その意味で、本書は“静かなノワール”と形容すべきかもしれません。そして、その中で少しずつ浮き彫りにされていく“二人”の“闇”は、ある種の抗いがたい魅力さえ備えています。
終盤まで伏せられている冒頭の桐原洋介殺しの真相は(動機も含めて)ほぼ予想できますし、結末もおそらくこれしかないだろうというところへ落ち着くなど、驚きはほとんどありませんが、それは決して瑕疵とはいえないでしょう。個人的な好みからはやや外れますが、やはり傑作であることは間違いないと思います。
宇宙の小石 Pebble in the Sky
[紹介]
仕立屋のご隠居ジョゼフ・シュヴァルツは散歩の最中に、20世紀から数万年の時を超えて銀河紀元827年へとタイムスリップしてしまった――惑星トランターを中心とする銀河帝国が全銀河系を支配するこの時代、地球は人類発祥の地であることも忘れ去られ、放射能に汚染された辺境の一惑星にすぎず、人々は独自の因習にとらわれたまま帝国の統治への反発を抱えていた。そこへ現れたシュヴァルツは、全銀河系を揺るがす恐るべき陰謀に巻き込まれていくが……。
[感想]
巨匠アイザック・アシモフの長編第一作。異邦人である主人公が対立する陣営の間に放り込まれ、争奪戦と陰謀が展開されるという基本的なプロットは、後の『宇宙気流』に酷似していますが、本書の方がよりシンプルでストレートなサスペンスSFとなっています。
主人公のシュヴァルツ老人が現代人であるため、その視線を通して、数万年の間にすっかり変貌してしまった世界の様子が読者に伝わりやすくなっているところがよくできています。また、作中の世界からみれば“古代人”となるシュヴァルツに対して、帝国からやってきた考古学者アーヴァーダンが用意されているなど、登場人物の配置も絶妙です。
画期的な新発明によってシュヴァルツが新たな能力を獲得するあたりは、今となってはさすがに単純すぎて陳腐に感じられなくもないですが、そのシュヴァルツがヒーローとして前面に出るのではなく、一歩引いたトリックスター的な立場に回るというのがなかなか面白いと思います。
それぞれに思惑を抱えた登場人物たちが互いの腹を探り合うミステリ的な展開も魅力ですが、いよいよ明るみに出た陰謀をめぐる終盤はタイムリミットサスペンスそのままで、非常にスリリングです。そして、これ以上ないほど鮮やかで爽快な結末は、実に見事。アシモフの長編の中ではあまり目立たない部類に入ると思いますが、個人的にはかなり気に入っている作品です。
殺意の集う夜
[紹介]
七つの死体が転がる別荘で、六人部万理は途方に暮れていた――友人の園子とともに和徳先生の別荘を訪れた万理だったが、肝心の和徳先生は別荘には不在で、留守番役を頼まれたという学生だけ。ちょうど接近中の台風による崖崩れのため、行き場を失った人々が次々と別荘に集い、総勢八名の男女が一夜を過ごすことになったのだが……万理はふとしたはずみから、立て続けに六人を殺害してしまう。慌てて部屋に戻ってみると、今度は園子が何者かに殺されていたのだ。犯人は、万理が殺した六人の中の一人に違いない。そこで万理は、園子を殺した犯人にすべての罪を押しつけることを思いつき、懸命に推理を始めるが……。
[感想]
作者お得意のSFミステリではないものの、奇天烈な状況設定が目を引く怪作です。まず冒頭に示される、はずみで六連続殺人(!)を犯してしまった主人公が、起死回生の策として七人目を殺した真犯人を推理する、つまり犯人が探偵役となる趣向が面白いと思います。
とはいえ、実際に主人公が推理を始めるのはだいぶ後になってからで、まずは事件に至る顛末が描かれていくのですが、くせのある登場人物たちが揃った物語は、かなり好みが分かれるところでしょう。特に、いきなり始まる万理と園子のやり取りからうかがえる身も蓋もない考え方には、読んでいて少々辟易とさせられます。次々と別荘に集まってくる人々もどこか怪しげで、いかにも事件が起こりそうな雰囲気ともいえますが、やがて開幕するドミノ倒しのような事件は(不謹慎かもしれませんが)あまりに馬鹿馬鹿しく、苦笑を誘います。
本筋ともいえるこの“嵐の山荘”の事件と並行する形で、「もうひとつの殺人舞台」と題された、ホステス殺害事件を追いかける刑事の物語も展開されていきます。二つのパートがいずれ合流することは予測できますが、それがどのような形になるのかはなかなか見えてくることなく、大いに興味をそそります。
最終章になると少しずつ意外な真相が明らかになっていき、さらにラストには“最後の一撃”が用意されています。それなりに伏線は配置されているのですが、何も考えずに読んでいるとよくも悪くも唖然とさせられることは間違いないでしょう。『死者は黄泉が得る』ほどわかりにくくはないものの、伏線とミスディレクションのバランスがあまりよくないせいで、必ずしもうまくいっていないように感じられてしまうのが残念です。が、完成度やリアリティなど度外視したかのように、ひたすら趣向に徹した愛すべきバカミスとして、一読の価値はあるのではないでしょうか。
赤い霧 Le brouillard rouge
[紹介]
一八八七年英国、ブラックフィールド村。ロンドンからやってきたデイリー・テレグラフ紙の記者シドニー・マイルズは、当地で十年前に起きた密室殺人の謎に挑む。娘の誕生日に手品を披露しようとしていたリチャード・モースタンが、部屋を仕切るカーテンの向こう側で、何者かに背中を刺されて死んだのだ。マイルズは、当時現場にいた宿屋の娘コーラと、被害者の兄であるモースタン少佐の協力を得て調査を進めるが、その矢先に新たな殺人が……。
[注意]
本書を十分に楽しむためには、本編を読み終わるまで巻末のあとがきや解説、さらにあらすじの書かれた裏表紙にも目を通さないことをおすすめします。
[感想]
“フランスのディクスン・カー”ことポール・アルテの第二長編で、フランス冒険小説大賞受賞作。シリーズ探偵のツイスト博士が登場しない異色作でもあります。
本書は、ブラックフィールド村での過去と現在の殺人事件の顛末を描いた第一部と、ロンドンに舞台を移した第二部とから構成されています。実のところ、本書で最も面白いのはこの第一部から第二部への異様な展開でしょう。動機(の背景)などを除けばほぼ古典ミステリそのものといってもいい、どこかのどかにさえ感じられる第一部と、終わりのない悪夢のような物語が紡ぎ出される第二部との落差は、強烈な印象を残します。
他の作品を読んだ時にも感じたことですが、アルテはどちらかといえばプロット作りに長けた作家であって、決して優れたトリックメーカーではないのではないかと思います(その意味で、“フランスのディクスン・カー”というフレーズには違和感を覚えます)。本書では特にそれが顕著で、作中に登場する密室/消失トリックにはほとんど見るべきところがなく(一応フォローされてはいますが)、トリックに期待して読むのはおすすめできません。また、真相の一部がかなり見え見えになっているのも残念。
というわけで、本格ミステリとしてはいささか難がある作品ではありますが、やはりプロット、特に中盤以降の展開の魅力は捨てがたいものがあります。狙っているのか天然なのかは判然としませんが、何とも奇妙な味わいの残る作品です。
ハッカーと蟻 The Hacker and the Ants
[紹介]
シリコンバレーの企業でパーソナルロボット用のプログラムを開発中のジャージー・ラグビーは、ある日サイバースペースで一匹の蟻を目撃した。会社が研究中の人工生命プログラムが、彼のマシンに迷い込んだらしい。やがて、なぜか突然会社から首を切られ、別の会社に移ることを余儀なくされたジャージーだったが、さらなる災難が彼を襲う。自力で進化して増殖した人工蟻が、ジャージーの試作品であるパーソナルロボットを操り、ネットワークに侵入してデジタルTV網を選挙してしまったのだ。事件の責任を押しつけられ、逮捕されることになったジャージーは……。
[感想]
一時プログラマーとしても働いていたらしいルーディ・ラッカーが、その体験を生かして書いた半ば自伝的な近未来SF。コンピュータ関係の用語が多く登場しますが、特に現在ではそれほど難しいところはないのではないでしょうか。奇しくもほぼ同時期に書かれた井上夢人『パワー・オフ』と同様のテーマが扱われていますが、両者のアプローチの違いがなかなか面白いと思います。
というわけで本書は、いかにもラッカーの作品らしいというべきか、主人公周辺の限られた範囲のみがクローズアップされる結果、大事件が起きる割にユーモラスなドタバタ劇という印象です。もちろんそれは、主人公をはじめとしたどこか脳天気でイカれたキャラクターによるところが大きいでしょう。時おり社会問題などにも言及されますが、あくまでも過度にシリアスになることなく、楽しく読める作品だと思います。
しかしながら、ラッカーの作品としては物足りなさが残るのもまた事実。独特の奇想に基づいた“マッド”で“パンク”な作品世界がラッカーの持ち味ではないかと思うのですが、本書の重要な要素であるサイバースペースにはそれがはまりすぎて、他の作品のように際立つことなく若干ありきたりに感じられてしまうところが問題なのでしょう。逆にいえば、かなりくせのある他の作品に比べて読みやすく、ラッカーの入門書としては最適なのかもしれませんが……。