康衢謡 康衢童謡
康衢謠
列子
立我蒸民。
莫匪爾極。
不識不知。
順帝之則。
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。
康衢謠
我が蒸民を 立つる,
爾(なんぢ)が極(きょく)に 匪(あらざ)るは 莫(な)し。
識(し)らず 知らず。
帝の則(のり)に 順ふ。
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◎ 私感訳註:
※康衢謠:街路で児童が謡っていた歌。天下の静謐を示す歌。『古詩源』巻一「古逸」にある。元は『列子』の仲尼篇に「堯乃微服游於康衢,聞兒童謠曰:「立我蒸民,莫匪爾極。不識不知,順帝之則。」堯喜問曰:「誰ヘ爾爲此言?」童兒曰:「我聞之大夫。」問大夫。大夫曰:「古詩也。」堯還宮,召舜,因禪以天下。舜不辭而受之。」にある。大意は「堯は微服のおしのびで康衢(大きな街路)に出かけると、兒童が「立我蒸民,莫匪爾極。不識不知,順帝之則。」と謡っているのを聞き、堯は喜んで、「誰がなんぢにこのような言をヘえたのか?」と聞くと、童兒は、「私はこれを大夫から聞いた。」と言った。そこで、大夫に問うと、大夫は「これは古い詩なのだ。」と言った。堯は宮殿へ還って,舜を召しだして、そのような次第なので、天下を禅譲しようとした。すると舜は辭すことなく、これを受けた。」。 ・康衢:往来の激しい街。 ・康:五つ辻。 ・衢:四つ辻。 ・謠:楽器にあわせないで謡う歌。はやり歌。ここでは町中で謡われていた童謡になる。
※立我蒸民:我々庶民を安定してなり立たせる。(『古詩源・古逸』・『列子・仲尼篇』)。或いは、我が(天下)の衆庶を安定させしっかりとなり立たせる。(『詩経・周頌・思文』)。 *「我が蒸民を立つる」と読むのは後出『詩経』周頌・「思文」での意になる。『詩経』「思文」では前に詩句があり、上記のように読める。しかし、この『古詩源』古逸(『列子』)では苦しい。無理がある。『古詩源』(『列子』)の意では、「我れ
蒸民を 立つ」(我々蒸民をなり立たせる)になる。これは『列子』の前後の文からは、こう取らざるを得ない。しかし、詩の前後の節奏から考えると、『古詩源』の読み取りは苦しい。元々、『列子』での引用に無理があるのだろう。ここでは古に従い、一応『詩経』の読みにしておく……。後の句との繋がりが大いに苦しくなるが………。 ・立:しっかりとなり立つ。すたらない。安定させる。なり立たす。立ちゆく。存立する。 ・我:ここの「我」の意味には二通りある。その一は、「立我蒸民。莫匪爾極。」は『詩経』周頌・「思文」に出てくる。そこでの意味は「我が(天下)の衆庶を安定させしっかりとなり立たせる」、つまり「わたしの蒸民」の意で、「我」は統治者のこと。もう一は、「われわれ庶民」の意で「我」は民衆のこと。ここではここは、後者の意になる。なお、前出『詩経』周頌・「思文」では、前者の意で使われる。 ・蒸民:もろもろの人民。庶民。衆庶。多くの民。大衆。=烝民。
※莫匪爾極:皆、なんぢ尭の徳の徳治にあらざるはない。 ・莫匪:皆そうである。…にあらざるはなし。 ・匪=非。 ・爾:なんぢ。ここでは、尭を指す。前出『列子』仲尼篇の堯のこと。五帝の一。 ・極:むなぎ。家の芯柱。転じて、物事の最高。天位。帝位。御稜威。徳の至るところ。中正。
※不識不知:知らず知らずのうちに。 ・不識:見分けが付かない。後漢末・孔融の『雜詩』で「遠送新行客,歳暮乃來歸。入門望愛子,妻妾向人悲。聞子不可見,日已潛光輝。孤墳在西北,常念君來遲。褰裳上墟丘,但見蒿與薇。白骨歸黄泉,肌體乘塵飛。生時不識父,死後知我誰。孤魂遊窮暮,飄颻安所依。人生圖孠息,爾死我念追。俛仰内傷心,不覺涙霑衣。人生自有命,但恨生日希。」と使う。
※順帝之則:帝王のおきてに順う。 ・順:したがう。 ・帝:帝王。 ・之:の ・則:のり。おきて。法則。手本。
◎ 構成について
韻式は「AAAAAA」。韻脚は 「極則」で平水韻部でいえば、入声十三職,。次の平仄はこの作品のもの。
●●○○,
●●●●。(韻)
●●●○,
●●○●。(韻)
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