huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye
与蘇武詩



                     
與蘇武詩
          
其一
                         
         前漢 李陵

良時不再至,
離別在須臾。
屏營衢路側,
執手野踟
仰視浮雲馳,
奄忽互相踰。
風波一失所,
各在天一隅。
長當從此別,
且復立斯須。
欲因晨風發,
送子以賤躯。


    **********************
        蘇武に與ふる詩 其の一
   
良時  再びは 至らず,
離別  須臾
(しゅゆ)に 在り。
衢路
(くろ)の側に  屏營(へいえい)し,
手を執
(と)りて  野に 踟(ちちう)す。
浮雲の馳
(は)するを  仰(あふ)ぎ 視(み)るに,
奄忽
(えんこつ)として  互(たが)ひに 相(あ)ひ 踰(こ)ゆ。
風波に  一たび所を失へば,
各ゝ
(おのおの)  天の一隅に 在り。
長く 當
(まさ)に  此(こ)れ從(よ)り 別るるべくも,
(しば)し 復(ま)た  立ちて 斯須(ししゅ)す。
晨風の發するに 因
(よ)って,
子を送るに  賤躯を 以てせんと 欲
(ほっ)す。


             ******************

◎ 私感訳註:


※與蘇武詩:『文選』第二十九巻に李少卿(李陵)として『与蘇武詩三首』の其一として載っている。(『與蘇武詩』其二はこちら。)『古詩源』卷二「漢詩」の中にもある。詩文は全く異同がない。古来、この作品は後人の偽作といわれる。節奏や押韻からみて、同じ李陵にものとして前のページにある『別歌』があるが、それは、先秦、漢詩の特徴の一である「□ ・ □□兮 □□」(□□□兮 □□□。)という騒体になっている。それに対して、この『與蘇武詩』は「□□ □□□, □□ □□。」という六朝古詩のものである。この『與蘇武詩』は、女性が旅立つ男性を見送るものだったのではなかろうか。これを表にすると、次のようになる。

       『別歌』   『與蘇武詩』
構成 □□□兮□□
□□□兮□□
□□□□□,
□□□□
節奏 「□・□□兮 □□□」 「□□・□□□」

※李陵:(この部分は前ページに同じ)前漢の名将。字は少卿。騎都尉として、匈奴の征討をし、五千で以て八万の単于軍とよく奮戦した。簡潔に「以少撃衆,歩兵五千人渉單于庭」と表されている。孤軍の歩兵のため、武運が尽き、匈奴に降りた。単于は、李陵を壮として、単于の女(むすめ)を妻として与え、右校王に取り立てた。(『漢書・…・李陵列傳』) 彼はその地で二十余年を過ごし、そこで歿した。蘇武とともにこの時代を彩る人物。李陵、蘇武は、ともに漢の武帝の対匈奴積極攻略策で犠牲となったと謂える人物。二人は、漢の地、胡の地双方を通じての知己で、古来、両者を比して論じられる。一方の蘇武は、匈奴に使いしたが拘留されて十九年匈奴の地にさまよった。しかしながら節を持して、屈服しなかった。その節義は後世にまで永く讃えられ、豪放詞にしばしば取り上げられている。また、文天祥『正気歌』でも「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。…於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。…時窮節乃見,一一垂丹。…在秦張良椎,在漢蘇武節。」と歌われている。それに反して、李陵は『漢書・…・李陵列傳』での武帝の怒りの通りで、「投降派」「裏切り者」となった。なぜ玉と砕けなかったのか、なのである。しかし『文選』第四十一巻に遺された李少卿(李陵)の『答蘇武書』は、胸に迫るものがある。『漢書・李陵列傳〜蘇武列傳』でも、その間の事情と心の動きが描写されている。前出『漢書・…・蘇武列傳』では、武帝が亡くなった後、昭帝が立ち、匈奴との宥和外交が展開され、蘇武が匈奴の地に生きていることが判り、中国に凱旋することとなった。李陵は、蘇武の帰国を祝い、置酒して餞別の宴を張った。そこで李陵は、苦悩の胸の内を打ち明けて、起って、舞いながらこの歌を歌った。李陵の頬には涙が流れた…。原文では:「數月,昭帝即位。數年,匈奴和親。等,匈奴詭言死。後使復至匈奴常惠請其守者與倶,得夜見使,具自陳道。教使者謂單于,言天子射上林中,得雁,足有係帛書,言等在某澤中。使者大喜,如語以讓單于。單于視左右而驚,謝使曰:『等實在。』於是陵置酒賀曰:『今足下還歸,揚名於匈奴,功顯於漢室,雖古竹帛所載,丹青所畫,何以過子卿雖駑怯,令且貰罪,全其老母,使得奮大辱之積志,庶幾乎曹柯之盟,此宿昔之所不忘也。收族家,爲世大戮,尚復何顧乎?已矣!令子卿知吾心耳。異域之人,壹別長絶!』起舞,歌曰:『
徑萬里兮度沙幕,……,雖欲報恩將安歸!』泣下數行,因與決。」と二人の別離の場面と、この詩の由来を伝えている。また、『漢書・…・李陵列傳」では、「立政隨謂陵曰:『亦有意乎?』陵曰:『丈夫不能再辱。』」と端的にその心を述べている。余談になるが、中島敦の『李陵』は、この『漢書・李廣蘇建傳』の詳しい訳と謂える優れたものである。李陵の心の動きが活写されている。
※良時不再至:すばらしい時は、もう二度とはやってこない。 ・良時:すばらしい時。この作が李陵のものとすれば、蘇武と共に過ごす時、この餞別の宴のことになる。もしも李陵の作ではなく、後世に李陵のもとされたものの、本来別のものだったとすれば、夫婦や家族の団欒の時の意になる。 ・不再:二度とは…ない。一度目はあったが、二度目はないこと。 ・至:来る。いたる。
※離別在須臾:別れはまもなくやってくる。 ・離別:別離。 ・在:…にある。 ・須臾:〔しゅゆ、すゆ;xu1yu2〕しばらく。しばし。ゆるゆる。ここでは、短時間で、まもなく、の意になる。
※屏營衢路側:四つ辻のかたわらを不安に思ってさまよい。 ・屏營:不安に思ってさまようさま。彷徨する。おそれる。ためらう。 ・衢路:分かれ道。岐路。実際の場所としての四つ辻の意の外に、李陵と蘇武の人生の分かれ道という意味がある。 ・側:かたわら。そば。わき。
※執手野踟:手を取って、郊野に悩みためらう。 ・執手:手をとる。「携手」は男女間の情愛を形で表すときに使うが、『与蘇武詩三首』の其三には「
攜手上河梁,遊子暮何之?…行人難久留,各言長相思。」とあり、女性との別れの詩にふさわしい。 ・野:町はずれ。郊野。前出「衢路」は、大路であって、「野」は町はずれ、また、町外れにある野道。蛇足になるが、現代でも日本や中国では客人が帰るとき、部屋の中で別れるのではなく、門口に立って見送ったり、場合によっては駅まで見送る。このように以前では、送る側が送られる側と共になって見送りの旅路をとった。この詩の場面はそのように動いている場面である。 ・踟:〔ちちゅう(ちちう);chi2chu2〕ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。物が連なるさま。漢・樂府の『蒿里曲』に「蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促,人命不得少踟。」 とあり、漢魏の蔡文姫『悲憤詩』「邊荒與華異…」 にもある。

※仰視浮雲馳:浮雲が速く流れていくのを仰ぎ見れば。 ・仰視:仰ぎ見る。 ・浮雲:浮かんでいる雲。あてどなく空に浮かぶ雲。あてどなく流離う旅人のことでもあり、匈奴の地に留め置かれた蘇武と李陵のことをもいう。 ・馳:はせる。かける。ゆく。雲が流れることだが、雲が別れ別れになって流れていくことであって、やがて来る別離を暗示する。
※奄忽互相踰:たちまちの内に、互いに追い越そうとしている。 ・奄忽:〔えんこつ;yan3hu1〕たちまち。にわかに。『古詩十九首之十一』に「廻車駕言邁,悠悠渉長道。四顧何茫茫,東風搖百草。所遇無故物,焉得不速老。盛衰各有時,立身苦不早。人生非金石,豈能長壽考。
奄忽隨物化,榮名以爲寶。」と使われている。 ・互相:たがいに。相互に。 ・踰:こえる。こす。すぎる。とびこす。蘇武が李陵を越えて帰国することも暗示している。
※風波一失所:風の波が寄せてきて、一たび。居る所をうしなってしまい。 ・風波:(吹き寄せる)風。(世の中の)風の動き。 ・一:ひとたび。 ・失所:居る所をうしなう。
※各在天一隅:それぞれが、天の反対側の片隅に別々にいる。 ・各在:おのおの…にある(いる)。それぞれが別々にいる。 ・天一隅:天の(反対側の)片隅。
※長當從此別:これからは、ずっと別れて過ごすこととなろうが。 ・長:ずっと。ながく。 ・當:まさに…べし。…当然………ことになるだろう。 ・從此:これより。今より。 ・別:別れる。
※且復立斯須:少し行ってまた、ゆるゆる立ち止まってしまう。 ・且:しばし。しばらくの間。短時間を指す。 ・復:また。 ・立:馬より下り立つ。立ち止まる。 ・斯須:〔ししゅ、しす:si1xu1〕前出「須臾」に同じ。しばらく。しばし。ゆるゆる。ここでは、ゆるゆる、の意になる」。
※欲因晨風發:朝風が吹いてくる(勢いに)任せて(見送りの歩を進めよう)。或いは、ハヤブサが飛び立つ(勢いに)乗じて(見送りの歩を進めよう)。 ・欲因:…によって…したい。ここでは、気後れして「屏營」「斯須」いた李陵の気持ちを促す働きをしている。後出の「晨風」を鳥のハヤブサと見た場合、「因」は「…するにまかせる」になり「欲因」は「…するにまかせよう」になる。 ・晨風:朝風。また、鳥の名で、ハヤブサ、〔せん;zhan1〕のこと。鷹の仲間。 ・晨:〔しん;chen2〕朝。 ・發:起こる。(風が)吹いてくる。
※送子以賤躯:(敵に降りた)賎しい身ではあるが、あなたを見送ろう。 ・送:見送る。送別する。おくる。 ・子:あなた。貴男。 ・以:…で。(賎しい身)で。 ・賤躯:いやしい身。ここでは、敵・匈奴の地に住み続ける李陵が、へりくだって自分のことを指していったことば。もっとも漢代の詩の『虞美人歌』には「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,
賤妾何聊生。」とあり、本来は女性の自称とも思える。

 ◆『與蘇武詩』其二はこちら



◎ 構成について

韻式は「AAAAAA」。韻脚は 「臾踰隅須躯」で平水韻部でいえば、上平七虞。次の平仄はこの作品のもの。

○○●●●,
○●●○○。(韻)
○○○●●,
●●●○○。(韻)
●●○○○,
●●●○○。(韻)
○○●●●,
●●○●○。(韻)
○○○●●,
●●●○○。(韻)
●○○○●,
●●●●○。(韻)

2004.3.30
     3.31
     4. 1完
     4. 4補

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