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鴻臚館に 北客に 餞するの序
前途 程 遠し。 思ひを 鴈山の暮(ゆふべ)の雲に 馳す。
後會 期 遥かなり。 纓を 鴻臚の曉の涙に 霑す。
(『本朝文粹』、『和漢朗詠集』、『平家物語』「忠度の都落ち」)
◎ 私感註釈 *****************
※『本朝文粹』では、勃海の使節の帰国を餞別するため、鴻臚館で催された宴での詩になる。これは、『本朝文粹』から『和漢朗詠集』「餞別」に抜粋採録され、それが『平家物語』「忠度の都落ち」に出てくる。ここは、『和漢朗詠集』『平家物語』に拠る。『和漢朗詠集・餞別』では「於鴻臚館餞北客序』・江相公(=大江朝綱)「前途程遠 馳思於鴈山之暮雲。 後會期遥 霑纓於鴻臚之曉涙。」となっており、『本朝文粹』では「夏夜於鴻臚館餞北客』・後江相公(=大江朝綱)となって、全文が載っている。「……。嗟呼,前途程遠。馳思於鴈山之暮雲。後會期遥。霑纓於鴻臚之曉涙。……。」前に「嗟呼」が附いている。
『和漢朗詠集』 餞別
個人的な話柄で恐縮だが、ずっと昔、わたしが高校生のとき、古文の教科書で『平家物語』「忠度の都落ち」の段を読み、非常な感動を覚えて何度も読みかえした。その部分が諳誦できるほどに読んだものだった…。
『平家物語』のその場面とは、「平家一門が源氏に追われ西国に落ちのびてゆくおり、薩摩守忠度は、ひとり都へ引き返し、俊成卿の屋敷を尋ねて、忠度自作の歌を俊成卿に託し、『世静まり候ひなば、勅撰の御沙汰候はんずらん。これに候ふ巻物のうちに、さりぬべきもの候はば、一首なりとも御恩を蒙りて、草の陰にてもうれしと存じ候はば、遠き御守りでこそ候はんずれ』と言うと、俊成卿はこのような貴重な忘れ形見を疎略にすることは絶対にないと答えれば、薩摩守は喜んで『もうこれで、西海の底に沈んでもかまわない』と別れを告げ、馬に乗って、西の方に向かって行った。俊成卿がずっと見送っていると、忠度とおぼしい声で、『前途程遠し、思ひを雁山の夕べの雲に馳す』と高らかに口ずさんでいるのが、聞こえてきたので、俊成卿は涙を押さへて、屋敷へ入っていった。
その後、『千載集』が撰じられたおり、身は朝敵となったので、読人知らずとして入れられた。それは、
さざ波や 志賀のキは 荒れにしを 昔ながらの 山櫻かな
である。」。以上がその概要である。
※前途程遠馳思於鴈山之暮雲:これから先の道程は遠いが、(はやくも)思いは(故郷である北の方にある)雁山にかかる夕方の雲に、馳せていることでしょう。 ・前途:これから先の道のり。 ・程:みちのり。距離。道程。 ・遠:とおい。 ・馳:はせる。心をその方向に向かせる。 ・思:雁山といった故郷の方である北の方に思いをはせることをいう。 ・於:…に。 ・鴈山:山西省太原の北方100キロメートルのところにある山の名。この辺りは長城が東西に走っており、正州最北端の山であり、謂はば、地の果てというイメージが漂う地名でもある。陳子昂の『雁門山送魏大從軍』「匈奴猶未滅,魏絳復從戎。悵別三河道,言追六郡雄。雁山代北,狐塞接雲中。勿使燕然上,惟留漢將功」がある。しかし、ここでは、「鴻臚」を導くためにも出した。 ・之: ・暮雲:夕方の雲。ゆうべの雲。『平家物語』「忠度の都落ち」では「思ひを雁山の夕べの雲に馳す」「ゆう(夕)べの雲」と読んでいる。
※後會期遥霑纓於鴻臚之曉涙:のちにまた出会うことは、遙かな先のことになるでしょう(もう会えないことになると思います)から、(迎賓館である)鴻臚館での朝まで(飲み明かした)餞別の宴で、纓を別れの悲しみの涙でぬらしてしまいました。 ・後會:のちに会うこと。次回の出会い。蛇足になるが、現代語で「また、そのうちに お会い致しましょう。」という表現は“後會有期”となる。 ・期:巡り会う時。 ・遥:はるかに先である。 ・霑:うるおす。ぬらす。 *別れの涙で纓をぬらす。惜別の情をいう。 ・纓:冠のひも。 ・鴻臚:迎賓館の名称。ここでは、勃海の使節をもてなした鴻臚館のこと。その名称は唐朝の朝貢事務取扱所の「鴻臚寺」(寺:役所)に由来しよう。 ・曉涙:朝方に流す涙。夜を徹しての宴会が果てる時。最後の別れの時をいう。
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◎ 構成について
次の平仄は、この作品のもの。
○○○● ○○○●○○●○,
●●○○ ●○○○○○●●。
平成16.3. 7 3. 8 3. 9 3.10 3.11 3.12完 3.17補 |
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