千歳恩讐兩不存, 風雲長爲弔忠魂。 客窗一夜聽松籟, 月暗楠公墓畔村。
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千歳 恩讐 兩(ふた)つながら 存せず,
風雲 長(とこし)へに 爲に 忠魂 を弔(とむら)ふ。
客窗 一夜 松籟(しょうらい)を 聽く,
月は暗し 楠公 墓畔の村。
◎ 私感註釈 *****************
※菅茶山:延享五年(1748)〜文政十年(1827)。江戸時代後期の儒者。備後神辺(かんなべ)の人。私塾「黄葉夕陽村舎」(後の廉塾)(写真:真下)を開いて、 姓は菅波、名は晉師(ときのり)、字は礼卿、通称は太仲。茶山は号になる。備後の人。詩集に『黄葉夕陽村舎詩集』などがある。塾名や、詩集名は、菅茶山が好んで朝夕眺めていた山(写真:下)の名に因り、廉塾の南1キロメートルほどのところにある。なお、本ページの菅茶山に関しては、伊勢丘人先生より、数多くの資料や写真を賜り、ここにその一部を記している次第です。
※宿生田:兵庫の生田に泊まる。楠公自刃の地、湊川の最寄りの町。生田は、その東北1キロメートルのところになる。現在は、神戸市中央区。嘗ては生田区という名称があったが、昭和55年に葺合区と合併して、中央区となった。神戸の中心地。この作品のすばらしさは、天と人との自然な感じでの対比の妙に尽きる。一般に中国詩では、明確な語彙を用いて、明瞭に天人を対比させて詠うが、この作品では、直截な語彙での対句は避け、うたいあげた内容で対比の妙を出している。いわば、隠し味の雰囲気を伴う、奥深い作品になっている。なお、この作品に基づいて、後世、磯部草丘が『屋島懷古』「千年一夢一恩讎,恩往事茫茫春復秋。前浦堪看嗚咽水,落花紅白與同流。」を作っている。
廉塾・菅茶山旧宅の門(伊勢丘人先生:撮影、提供) 廉塾講堂横の硯を洗った水路。
頼山陽の詩にも詠われている。(伊勢丘人先生:撮影、提供)菅茶山が愛した黄葉山。私塾名や詩集名の元になった。
廉塾の真南に見える。(伊勢丘人先生:撮影、提供)菅茶山の号の由来の一である茶臼山。
廉塾のすぐ西北にある。(伊勢丘人先生:撮影、提供)『國史略』楠公の自刃 「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑のある生田・湊川神社
(伊勢丘人先生:撮影、提供)大楠公 大楠公首塚のある河内・観心寺 『前賢故實』 楠木正成 楠木氏の家紋
※千歳恩讐兩不存:千年もの長い時間が経過すれば。(人間社会では)敵味方に分かれて戦ったことの恩讐といった感情は存在しなくなっている。 ・千歳:千年。千年もの長い時間の経過。 ・恩讐:情けとあだ。 ・兩:両方とも。「恩」と「讐」と、ふたつながら。敵味方に分かれて(戦ったことの)。南朝側、北朝側と分かれて(争ったこと)。 ・不存:存在しない。
※風雲長爲弔忠魂:(しかしながら、天は忘れることなく、天の)風と雲は、いつまでも忠義の魂を弔い続けている。 ・風雲:ここでは、風と雲の意。 ・長:ずっと。とこしえに。蛇足だが、中国詩では、「いつも」の意の場合も多く、「長爲」で、「ずっと…となる」の意が圧倒的である。「爲」は動詞なす、するの意で○の用例になる。 ・爲:ために。ここでは●となるべきところで、伝統的に「ために」と読んでいるが、動詞とみてはいけないのか。平仄上での問題は生じるが、動詞と「(ずっと)し続けている」の方が転句、結句への意味上の繋がりも良く、語法上もよいのではないか。作者自身もその意味で作っているのではなかろうか。李白の『寄崔侍御』「宛溪霜夜聽猿愁,去國長爲不繋舟」や、杜甫『中夜』「長爲萬里客,有愧百年身。」、『冬至』「年年至日長爲客」など、みな動詞の用例である。特に李白の「去國長爲不繋舟」は、「不繋」という動詞の前でも使われておりこの作品と同例になる。なお、上掲の書き下しは、伝統的な見方に拠ったもの。 ・弔:とむらう。いたむ。 ・忠魂:忠義の魂。忠烈な魂。ここでは、南朝と後醍醐天皇のために戦って、兵庫の湊川で自刃した楠木正成とその郎党で、田横の麾下にも比すべき霊魂を指す。
※客窗一夜聽松籟:旅館の部屋の窓辺で、ある夜。松に吹く風の音が聞こえてきた。(これは、天の風が英霊を弔うことを まだ忘れていない証拠なのだ)。 ・客窗:旅館の部屋の窓辺で。旅館の部屋で。 ・一夜:ある夜。 ・聽:「聞こえてくる。」ここは○となるべきところなので、「聞き耳を立てる」という●の意味の方にはならない。 ・松籟:〔しょうらい;song1lai4〕松に吹く風の音。松風。ここでは、前出「風雲長爲弔忠魂」の「風」が、忠魂を弔うための行為としての、松に吹く風(の音)になる。
※月暗楠公墓畔村:月に雲がかかってきて、墓所附近の村では暗くなる。(これは、天の雲が英霊を弔うことを まだ忘れることなく活動している証拠なのだ)。 ・月暗:月に雲がかかって暗くなる(する)。 ここでは、前出「風雲長爲弔忠魂」の「雲」が、忠魂を弔うための行為として、月に雲がかかって暗くしたことをいう。 ・暗:「K」ともする。 ・楠公:楠木正成。大楠公。後醍醐天皇が笠置山で夢を見、「アノ樹ノ陰ニ南ヘ向ヘル座席アリ。……木ニ南ト書タルハ楠也」(『太平記』卷三)と、楠木正成を召したことに因る。古代よりの伝統として、日本人の姓を主要な一字のみとし、漢風の姓として変えて使うことが多い。例:楠木正成:楠公(「公」は敬称であって、「菅公」に同じで、他の例とは、異なる)、菅原道眞⇒菅公。また、菅波晉帥⇒菅茶山(この詩の作者)、朝野鹿取⇒朝鹿取、勇山文繼⇒勇文繼、小野岑守⇒野岑守、藤原冬嗣⇒藤冬嗣、以上のようなのもその一。 ・墓畔村:墓の傍にある村。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「存魂村」で、平水韻上平十三元。次の平仄はこの作品のもの。
○●○○●●○,(韻)
○○○●●○○。(韻)
●○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成16.3.14 3.15 3.16 3.17 3.18完 3.23補 3.24 4.25 7. 2照 |
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