仁流秋津嶋之外, 惠茂筑波山之陰。 淵變爲瀬之聲,寂寂閉口, 砂長爲巖之頌,洋洋滿耳。 |
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古今和歌集眞名序
仁は 流る 秋津嶋の外に,
惠は 茂(しげ)し 筑波山の陰に。
淵は 變じて 瀬と 爲るの聲, 寂寂として 口を 閉し,
砂(さざれいし)は 長じて 巖(いはほ)と 爲るの頌(しょう), 洋洋として 耳に 滿つ。
◎ 私感註釈 *****************
※古今和歌集眞名序:『古今集』の真名(漢字)による序文で、漢文の序文。ここの部分は『和漢朗詠集・帝王』にも採られている。そこでは「仁流秋津洲之外,惠茂筑波山之陰。淵變作瀬之聲,寂寂閉口,砂長爲巖之頌,洋洋滿耳。」となっており、多少異なる。
※淑望:紀淑望。(きのよしもち):?〜延喜十九年(919年)。平安中期の学者、歌人。『古今集真名序』の執筆者。
※仁流秋津嶋之外:大御心は、大和の外にまで伝わり。 ・仁:天下を安んじる君主の心。ここでは、天皇の仁徳のことになる。皇帝は、有徳の人で仁道を践み行って、天下を安んじる人のことでもある。本来は、孔子の道徳の根本原理。「仁…」は『詩經』にしばしば出てくる頌の表現でもある。皇恩無辺。帝徳無窮。 ・流:広がる。及ぼす。 ・秋津嶋:広義では、日本の古称。日本。あきつしま。あきづしま。原義は、大和の国(奈良県)で、大和国葛上郡(奈良県御所市東北部)一帯の地名。『日本書紀・神武天皇三十一年』に神武天皇が国見のとき「蜻蛉(あきつ)のとなめの如くに」といったことに由来する。「皇輿巡幸。因登腋上間丘,而廻望國状曰:…雖内木綿之眞國,猶如蜻蛉之臀焉。由是,始有秋津洲之號也。」という説話に基づく。『日本書紀』や『和漢朗詠集』では「秋津洲」とする。『古事記』にはない。右の写真(『和漢朗詠集』)では「あきつす」と読んでいる。
※惠茂筑波山之陰:皇徳は、筑波山の北側にまで及んでいる。 ・惠茂:(皇徳)が篤い。 ・筑波山:「筑波根のこのもかのもにかげはあれど君がみかげにますかげはなし」による。・陰:山の北側。右の写真では、「かげ」と読んで、「かげより茂(しげ)し」と読む。語法上は「…より」に該る語(字)は見あたらない。
※淵變爲瀬之聲,寂寂閉口:深い淵が、浅瀬になってせせらぎの音が、ひっそりとなって、音声をあげることをやめ。 ・淵變爲瀬之聲:「よのなかはなにかつねなるあすか川昨日の淵ぞけふは瀬になる」による。『和漢朗詠集』では「淵變作瀬之聲」とする。 ・寂寂:寂しげに(な)。静かに(な)。ひっそりとして(た)。 ・閉口:音声をあげることをやめる。
※砂長爲巖之頌,洋洋滿耳:砂(さざれいし)が、長い年月で大岩となるように、千代に亘るのを願うほめ歌は、行き渡って満ちあふれ、耳に満ちている。 ・砂長爲巖之頌:「わがきみはちよにましませさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで」による。「砂長爲巖」とは礫岩のこととして、二見浦に展示してあったが…何如。 ・洋洋:行き渡って満ちあふれるさま。右の『和漢朗詠集』では、「砂」を「いさご」と読んでいる。 ・滿耳:耳に満ちている。『和漢朗詠集』では「耳に滿てり」と読んでいる。
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◎ 構成について
次の平仄は、この作品のもの。「長」は動詞で●になる。
○○○○○○●,●●●○○○◎。
○●○●○○,●●●●。
○●○○○○,○○●●。
平成16.7.21 7.22 7.23完 |
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