易水送別
駱賓王
此地別燕丹,
壯士髮衝冠。
昔時人已沒,
今日水猶寒。
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。
易水にて 送別す
此の地 燕丹と 別れんとして,
壯士 髮 冠を 衝く。
昔時 人 已
(すで)
に 沒すれど,
今日 水 猶ほ 寒し。
******************
◎ 私感訳註:
※駱賓王:(らくひんなう;luo4bin1wang2)初唐の詩人。
640年?〜?。王勃、楊炯、盧照鄰とともに初唐の四傑と称される。
州義烏(現・浙江省義烏)の人。初唐の四傑の一人。七歳にして能く文を書き、詩
を作った。しかし、早くから身を持ち崩していた。 徐敬業の乱で、則天武后(武則天)を排斥する檄を作ったが、武后はその中の「一抔之土未乾,六尺之孤何托(安在)。」とあるのを読み、才人を失ったことを惜しんだという。
※易水送別:荊軻と燕の昭王の太子丹、高漸離たちと易水の畔での別れのことを指す。
『史記』(卷八十六・刺客列傳第二十六
には、その場面を次のように記している:「
太子
及賓客知其事者,
皆白衣冠以送之。至
易水
之上
,既祖,取道,高漸離
撃筑
,荊軻和而歌,爲變徴之聲,士皆垂涙涕。又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲偵゚慷慨,士皆瞑目,髮盡上指冠。於是荊軻就車而去,終已不顧。」
と悲壮な別れで有名な荊軻の易水の別れの場面
に基づいている。なお、前記『易水歌』
ページには、荊軻関聯の詩を集めている。この詩題は『於易水送人』ともする。同義だが、『易水送別』の方は、「易水の別れ」という風に「送別」等を名詞と取れるのに対して、『於易水送人』では場所を表し、「送人」は動詞となり、「易水に於いて人を送る」となる。この作品は、則天武后(武則天)が唐の帝位を簒奪したことについて、荊軻の義挙(暗殺)に托して詠ったという。
※此地別燕丹:この地で(荊軻は)燕の太子・丹らと別れた。 ・此地:燕。現・河北省、北京附近の南方になる。 ・別:別れる。「皆白衣冠」で送別された(ところ)。 ・燕丹:燕の国の太子である丹。荊軻による(戦国)秦王・政(後の(統一王朝)秦の始皇(帝))暗殺の依頼主。前出の青字の「太子」のこと。
※壯士髮衝冠:壮士の怒髮は冠を衝いた。 ・壯士:勇壮な男子。気力さかんな男。血気さかんな男。 ・髮衝冠:前出『史記・刺客列傳』「又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲偵゚慷慨,士皆瞑目,
髮盡上指冠
。」を指す。
※昔時人已沒:(義挙(=暗殺)を図った)荊軻や燕の太子丹、高漸離たちも(全て)すでになくなって(しまったものの)。 ・已沒:すでに死歿している。「沒」=「歿」。 ・已:とっくに。すでに。
※今日水猶寒:今もなお、(覇王の秦王・政を暗殺して、正気を顕そうとした荊軻の時のように易水の)流れは、冷たいものだ。 *則天武后(武則天)の周(武周)も、そのように斃そうと狙っているのだ。 ・今日:燕の時代と作者の詩を作った当時の政治情況を比較しての言葉。 ・水:易水の流れ。河北省易県(易州)の附近から発し、東流して大清河に合流して、現・天津市を通って勃海に注ぎ込む川。 ・猶:なお。やはり。それでも。また。なお…ごとし。なおも。 ・寒:「風蕭蕭兮
易水
寒
,壯士一去兮不復還!」を踏まえているわけでもあり、実際に冬の季節にこの詩を作ったのであろ。
◎ 構成について
五言絶句。仄起式。粘法を失しているのではなく、採用していない。韻式は「AAA」。韻脚は「丹冠寒」で、平水韻上平十四寒。次の平仄はこの作品のもの。
●●●○○,(韻)
●●●○
○。(韻)
●○○●●,
○●●○○。
(韻)
2003.1.24完
2005.5.10補
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