麥秀歌
殷末周初・箕子
麥秀漸漸兮,
禾黍油油。
彼狡僮兮,
不與我好兮。
**********************
。
麥秀歌
麥 秀でで 漸漸たり,
禾黍 油油たり。
彼の狡僮,
我と 好からざりき。
******************
◎ 私感訳註:
※
麥秀歌
:昔の帝都だったところの荒廃を嘆き悲しむ歌。殷の最後の王、紂王の庶兄である
箕子の作った歌。殷が滅んだ後、周に仕えた箕子が、殷の都跡(殷墟)を通りかかり、宮殿跡が破壊されて荒廃し、そこには禾(イネ)や黍(キビ)がうるわしく盛んに生え茂っているのを見て、泣きそうなったが、こらえて歌に作った。殷の民がこれを聞き、みな、涙を流した。『史記・宋微子世家第八』に、歌とともに載っている。「其後箕子朝周,過故殷虚(墟),感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣爲其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。…
殷民聞之,皆爲流涕。」となっている。最古の歌の一。なお、これと同じモチーフのものに、『詩經』王風『黍離』がある。「
彼黍離離
,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」
『黍離』は、西周の武王の都であった鎬京〔かうけい;hao4jing1〕が、廃墟となってキビが生い茂るさまを見て、亡国の悲嘆に耽っている詩。こちらは有名で、豪放詞でしばしば引用されている。なお、この第三句に似た詩が『詩經・鄭風』の『狡童』に「
彼狡
童
兮,不與我
言
兮
。維子之故,使我不能餐兮。
彼狡
童
兮,不與我
食
兮
。維子之故,使我不能息兮。」
とある。『麥秀歌』は、確かに『史記・宋微子世家第八』の終わりの部分に載っており、『詩經・鄭風』の『狡童』も確かにある。わたしは、どちらも原典を開けて確かめた。どちらの成立が古いのか…。『史記・宋微子世家第八』は、殷末(西)周初の時代のことで、前漢の司馬遷が著したものなので、その時には、『詩經』の『國風』は、恐らく東周には成立していたのだろうし…。そうすれば、もしや、司馬遷が『史記』を編輯する際の資料の一つとして採取したのか……。万古は尚も悠遠にして、きわむべからざるもののようだ。
※箕子:殷の紂王の同母の庶兄になる。殷が滅んだ後、周の武王に赦されて、周に仕えた。
※麥秀漸漸兮:麦の穂がしだいに生えそろって。 *なお、ここの「
麥
秀
漸漸
兮」は、『詩經・黍離』では「彼
黍
離離
」となっている。 ・麥秀:麦の穂。麦の穂がみのる。普通、後者にとるが、後の句との続き具合から見ると、前者の意ではないのか。 ・秀:動詞:しげる。(花やイネが)咲く。名詞:穂。 ・漸漸:麦ののぎのさま。麦の秀でるさま。 ・兮:〔けい;xi1〕語調を整える虚辞。取り立てた意味はない。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。上代詩によく見られる。
※禾黍油油:禾(イネ)や黍(キビ)がうるわしく盛んに生え茂っている。 ・禾黍:イネとキビ。イネやキビ。ここは後者。 ・油油:うるわしく盛んに生えてる。つやつやした。生き生きした。蛇足だが、現代語でも、草木が青々としているさまを表現する単語は、“獄油”“碧油油”という。殷王朝が倒された牧野の戦いは紀元前1023年だから、この「油油」という語は、三千年以上も変化していないということになる。
※彼狡僮兮:あの悪童よ。 ・彼:あの。かの。 ・狡僮:悪童。ずるがしこいやつ。殷の紂王のことをいう。『史記・宋微子世家第八』本文の記述で「所謂狡童者,紂也。」とある。 ・狡:わるがしこい。ずるい。はしこい。 ・僮:こども。わらは。
※不與我好兮:わたしとは折りが合わなかった。(しかしながら、今はもういないのか……。)。 ・不與:…と。…と…いっしょに…する。 ・我:わたし(と)。 ・好:よい。 *蛇足だが、「不與我好兮」を「與我不好兮」といえるとした場合、後者も似た意味になるが、敢えて違いをいえば、前者の「不與我好」は、「わたしと(の関係では、)良好な関係は持てなかった」「関係が保てなかった」となり、後者の「與我不好」は、「わたしとは、仲が悪かった」「わたしとの関係では、『好ましくない』という関係だった」となる。ここでは、前者の意。
◎ 構成について
押韻不明。上代詩一般の見方では、兮字脚は虚字脚
ゆえ、除外した場合、「油」と「好」がその位置にあるが、果たして三千年前のこの地方では同一韻部と見なしていたのかどうか。なお、類似の『詩經・鄭風』の『狡童』
の場合は押韻をしており、下段の通りになる。上段は『麥秀歌』の押韻。
●●●●
○
,
○●○
○
。
●●○
○
,
●●●
●
○
。
『詩經・鄭風』『狡童』(赤字と赤字、紫字と紫字の換韻の押韻)の場合、
基本句形がはっきりしており、
「□□□兮,□□□
兮。 □□□□,□□□□
兮。」となり、その後、換韻をしている。
「彼狡童
兮
,不與我
言
兮
。維子之故,使我不能
餐
兮
。 彼狡童
兮
,不與我
食
兮
。維子之故,使我不能
息
兮
。」
2003.11. 7完
11.10補
2004. 3. 7
漢詩 唐詩 漢詩 宋詞
次の詩へ
前の詩へ
先秦漢魏六朝詩メニューへ戻る
**********
辛棄疾詞
陸游詩詞
李U詞
李清照詞
花間集
婉約詞
歴代抒情詩集
秋瑾詩詞
天安門革命詩抄
毛主席詩詞
碇豊長自作詩詞
豪放詞 民族呼称
詩詞概説
唐詩格律 之一
宋詞格律
詞牌・詞譜
詞韻
詩韻
参考文献(宋詞・詞譜)
参考文献(詩詞格律)
参考文献(唐詩・宋詞)
わたしの主張
メール
トップ