Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




                    
                   
      石壕吏
              
                  杜甫 
暮投石壕邨,
有吏夜捉人。
老翁逾墻走,
老婦出門看。
吏呼一何怒,
婦啼一何苦。
聽婦前致詞,
三男鄴城戍。
一男附書至,
二男新戰死。
存者且偸生,
死者長已矣。
室中更無人,
惟有乳下孫。
有孫母未去,
出入無完裙。
老嫗力雖衰,
請從吏夜歸。
急應河陽役,
猶得備晨炊。
夜久語聲絶,
如聞泣幽咽。
天明登前途,
獨與老翁別。


******

石壕の吏       
                       
(くれ)に 石壕村(せきがうそん)に 投ず,
吏 有りて  夜 人を捉
(とら)ふ。
老翁  墻
(かき)を逾(こ)えて 走(に)げ,
老婦  門を出
(い)でて 看る。
吏の呼ぶこと  一
(いつ)に何(なん)ぞ 怒(いか)れる,
婦の啼くこと  一
(いつ)に何(なん)ぞ 苦(はなはだ)しき。
婦の前
(すす)みて 詞を致すを 聽くに:
「三男
(さんだん)  鄴城(げふじゃう)に戍(まも)る。
一男
(いちだん)  書を附して 至るに:
『二男
(にだん)は  新たに戰死す』と。
存する者は  且
(しばら)く 生を偸(ぬす)むも,
死者は  長
(とこしな)へに 已矣(やんぬ)
室中  更に 人 無く,
(た)だ  乳下の孫 有るのみ。
孫 有れば  母 未だ去らざるも,
出入に  完裙 無し。
老嫗  力 衰
(おとろ)ふと 雖(いへど)も,
(こ)ふ  吏に從ひて 夜歸せんことを。
急に  河陽
(かやう)の役(えき)に 應ぜば,
(な)ほ  晨炊(しんすゐ)に 備ふるを 得ん。」と
夜 久しくして  語聲 絶え,
泣きて 幽咽
(いうえつ)するを 聞くが 如し。
天明  前途に登らんとして,
(ひと)り  老翁と別る。

*****************


◎ 私感註釈

※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)〜770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の生涯を送った。そのため、詩風は時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。

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※石壕吏:石壕の役人。徴兵の様子を詠う。この詩の詠われた時代は安禄山の乱(755年〜763年)のうち、乾元元年(758年)〜乾元二年(759年)のできごとになる。人民の生活は、疲弊しきっていたことを記録した詩。後出『舊唐書・本紀・肅宗李亨』「乾元元年(758年)乾元二年(759年)」参照。『中国軍事史略』(軍事科学出版社)中巻「第八節 唐朝平定安史之亂的戰爭・平亂經過・二、肅宗平反・圍之戰/河陽、山之戰」(75〜83ページ)では詳しい。 ・石壕〔せきがう;Shi2hao2●○〕:洛陽と潼關の間にある陜県にある村の名。河南省の三門峡ダムのある近くの陜県(東南の)東観音堂鎮(の西北の)山間で、現・現・甘壕村。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)18−19ページ「北宋 永興軍路」にある。陝州東南部、陝州、陝県(現・三門峡市)の東南40キロメートルに石壕鎮として載っている。なお、『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)44−45ページ「唐 キ畿道 河南道」の「洛陽附近」には、洛陽の西80キロメートルの陝州には陝州、陝県、峡石があり、峽石のすぐ南。 ・吏:〔り;li4●〕下級役人。ここでは、徴兵の係官のことになる。徴兵の様子を詠ったものには杜甫『兵車行』「車,馬蕭蕭,行人弓箭各在腰。耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。牽衣頓足闌道哭,哭聲直上干雲霄。道旁過者問行人,行人但云點行頻。或從十五北防河,便至四十西營田。去時里正與裹頭,歸來頭白還戍邊。邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。君不聞漢家山東二百州,千邨萬落生荊杞。縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與鷄。長者雖有問,役夫敢申恨。且如今年冬,未休關西卒。縣官急索租,租税從何出。信知生男惡,反是生女好。生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」や、白居易の『新豐折臂翁』「新豐老翁八十八,頭鬢眉鬚皆似雪。玄孫扶向店前行,左臂憑肩右臂折。問翁臂折來幾年,兼問致折何因縁。翁云貫屬新豐縣,生逢聖代無征戰。慣聽梨園歌管聲,不識旗槍與弓箭。無何天寶大徴兵,戸有三丁點一丁。點得驅將何處去,五月萬里雲南行。聞道雲南有瀘水,椒花落時瘴煙起。大軍徒渉水如湯,未過十人二三死。村南村北哭聲哀,兒別爺孃夫別妻。皆云前後征蠻者,千萬人行無一廻。是時翁年二十四,兵部牒中有名字。夜深不敢使人知,偸將大石槌折臂。張弓簸旗倶不堪,從茲始免征雲南。骨碎筋傷非不苦,且圖揀退歸ク土。此臂折來六十年,一肢雖廢一身全。至今風雨陰寒夜,直到天明痛不眠。痛不眠,終不悔,且喜老身今獨在。不然當時瀘水頭,身死魂孤骨不收。應作雲南望ク鬼,萬人冢上哭。老人言,君聽取,君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。」 がある。また、この作品が写実であって、事実女性の従軍があったろうことは、北魏の『木蘭詩』「喞喞復喞喞,木蘭當戸織。不聞機杼聲,惟聞女歎息。問女何所思,問女何所憶。女亦無所思,女亦無所憶。昨夜見軍帖,可汗大點兵。軍書十二卷,卷卷有爺名。阿爺無大兒,木蘭無長兄。願爲市鞍馬,從此替爺征。」からでも分かる。

※暮投石壕邨:夕暮れに石壕村に泊まった。 ・暮:夕暮れ。 ・投:投宿する。泊まる。とどまる。 ・邨:〔そん;cun1○〕村:〔そん;cun1○〕むら。鎮。

※有吏夜捉人:役人が夜に(壮丁となる)男をつかまえにきた。 ・捉人:〔そくじん;zhuo1ren2●○〕男をつかまえる。当時の徴兵制の一になる。 ・捉:〔そく;zhuo1●〕とらえる。からめとらえる。つかまえる。 ・人:男。ここでは、壮丁となる男のことになる。『新安吏』に「府帖昨夜下,次選中男行。中男絶短小,何以守王城。」と詳しい。

※老翁逾墻走:おじいさんは、垣根を乗り越えて逃げて。 ・老翁:〔らうをう;lao3weng1●○〕年老いた男性。おじいさん。 ・逾:〔ゆ;yu2○〕乗り越える。こす。「踰」ともする。「逾」〔ゆ;yu2○〕「踰」〔ゆ;yu2○〕は、同義。「逾」:向こうへ進み越える。「踰」:跨いで越える。 ・墻:〔しゃう;qiang2○〕かき。かきね。塀。 ・走:逃げる。

※老婦出門看:おばあさんが外に出て、応対した。 ・老婦:年老いた女性。おばあさん。 ・出門:門を出る。外に出る。

※吏呼一何怒:役人は、本当に何と大声で怒鳴ることか。 ・呼:大声でいう。怒鳴る。 ・一何:本当に何と。何とまあ。一は語気助詞で、強調を表す。 ・怒:勢い盛んな。はげしい。いかる。詩の前後の展開から見て、老婦がさっさと戸を開けなかったことへの怒りの声になろう。

※婦啼一何苦:女性は、何とつらそうなことか。 ・婦:女性。 ・啼:声をあげて悲しみなく。 ・苦:くるしい。苦しむ。なやむ。つらい。きびしい。はげしい。

※聽婦前致詞:婦人の前に進み出て言う、挨拶言葉を聴けば。 ・聽:これは、作者・杜甫が耳を欹(そばだ)てて聴いたということ。「聽」は、「聴こうとして聴く、よく聴く」こと。後出「如聞泣幽咽」の「聞」は、「耳に入る、聞こえる」の意。 ・前:前に進み出る。 ・致詞:〔ちし;zhi4ci2●○〕挨拶言葉を言う。

※三男鄴城戍:(おばあさんが言うには)三人の息子たちは、鄴城を守備しており。 *ここから後は老婆の言葉になる。 ・三男:三人の息子。 ・鄴城:〔げふじゃう;Ye4cheng2●○〕相州。現・河南省安陽県。殷墟の近くになる。安氏の乱を平定する戦があった。『舊唐書・肅宗李亨』乾元元年九月「大舉討安慶緒
相州王思禮破賊二萬於相州。」と、この年の暮れから翌年の春まで戦闘があった。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社) 19ページ−60ページ「安禄山之乱」にある。洛陽の東北東200キロメートルのところ。官軍、叛軍ともに取り合った記録がある。戦略上の要地。 ・戍:〔じゅ;shu4●〕(国境を敵から)まもる。まもり。

※一男附書至:(三人の息子たち)のうちの一人の息子が手紙を託(たく)して寄こして。 ・一男:「三男」(三人の息子)のうちの一人の息子。 ・附:託(たく)す。託(ことづ)ける。 ・書:手紙。 ・至:くる。

※二男新戰死:(その手紙に拠ると、そのうちの)ふたりの息子は(今回の戦役で)新たに戦死した(ということである)。 *「一男」の寄こした手紙の内容になる。 ・二男:ふたりの息子。「三男」(=三人の息子)のうちの息子二人。 ・新:あらたに。

※存者且偸生:生きている者は、しばらくはこっそりと生きのびる(こともできようが)。 ・存者:生きている者。 ・且:しばらく。しばし。 ・偸生〔とうせい;tou1sheng1○○〕こっそりと生きる。ひっそりと生きる。生をぬすむ。後世、明末〜・朱舜水は『述懷』で「九州如瓦解,忠信苟
偸生。受詔蒙塵際,晦跡到東瀛。囘天謀不就,長星夜夜明。單身寄孤島,抱節比田。已聞鼎命變,西望獨呑聲。」と使う。

※死者長已矣:死んでしまった者は、永久に終わってしまったのだ。 ・長:とこしえに。永久に。 ・已矣:おしまいだ。終わってしまった。やんぬるかな。「已矣哉」は屈原の『楚辞・離騒』「亂曰:
已矣哉!國無人莫我知兮,又何懷乎故キ? 既莫足與爲美政兮,吾將從彭咸之所居!」)、「已矣乎」は陶淵明の『帰去来兮辞』「已矣乎,寓形宇内復幾時。」にある。

※室中更無人:部屋の中には、もう(誰も壮丁となるべき)人物はいないのだ。 ・室中:部屋の中。 ・更:この上に。ましてや。さらに。 ・無人:ここでは、壮丁となるべき人物はいないの意になる。

※惟有乳下孫:ただ乳離れをしていない孫だけがいる。 ・惟有:ただ…だけがある。惟≒唯。 ・乳下孫:乳離れをしていない孫。まだお乳を飲んでいる孫。

※有孫母未去:孫はいる(ので、その孫の)母(つまり息子の嫁)はまだ、実家へ戻ってはいない。 *家族関係を表す呼称は日本語でのそれとは雰囲気が異なる。 ・有孫:孫はいる(が)。 ・母:孫の母、つまり息子の嫁。 ・未去:まだ、実家へ戻ってはいない。

※出入無完裙:家の出入りといった日常生活でも、まともな形のスカートではない。 ・出入:家を出入りして、ご近所とお付きあいをするといった日常生活。 ・完裙:ちゃんとした(当時の)スカート。完全な形をしたスカート。

※老嫗力雖衰:わたしは、おばあちゃんで、体力も衰えてはいるものの。 ・老嫗:〔らうおう(らうう);lao3yu4●●〕老女。婆。おうな。ここでは、自称になる。 ・雖:…ではあっても、…とはいうものの。…といえども。 ・衰:〔すゐ;shuai1○〕おとろえる。

※請從吏夜歸:どうか、お役人さまが夜に帰られる際、連れて行ってください。 ・請:どうぞ、お願い致します。お願いする。こう。 ・從:したがえる。 ・夜歸:夜に(本営に)戻る。主語は「吏」。

※急應河陽役:国家の危急存亡の河陽の役に、お応(こた)えして(お役に立ちたいと存じます)。 ・急:緊急事態。切迫した事態。にわかな変事。また、事態のさしせまったさま。いそいで。 ・應:(相手のことがこちらの心に響き)こたえる。ここでは切迫した事態に対応するということになる。 ・河陽役:〔かやう;he2yang2 yi4○○ ●〕洛陽を繞る争いで、乾元二年(759年)の河陽での戦役になる。当時作者が泊まったこの詩の石壕村の近く。前出『中国軍事史略』(軍事科学出版社)中巻「河陽、山之戰」には、「九月,史軍進入洛陽,東京再陥,但城中已空,史軍一無所得。十月,史思明攻打河陽,李光弼拠険防守,調度有方,連破史軍的水陸進攻,并誘降史軍將領,將叛軍攻撃。李光弼自乾元二年九月與史思明相持於河陽,歴時一年。肅宗爲動搖史軍的根本,制令7萬士卒直取范陽,但因宦官魚朝恩從中作梗而使計劃落空。史思明分兵攻打淮西等地。而在進攻陝州時被撃退,於是史軍退守洛陽。」と詳しい。『舊唐書・本紀・肅宗李亨』では「乾元二年(759年)三月丁卯朔。壬申,
相州行營郭子儀等與賊史思明戰,王師不利,九節度兵潰,子儀河陽橋,以餘衆保東京。」となっている。この安氏の乱の傷は深く、人民の生活は窮乏を極め、この翌年(乾元三年・上元元年)には、「人相食」という事態にまで至ったことが、同書(『舊唐書・本紀・肅宗李亨』乾元三年の條)に記録されている。この時期の杜甫の詩は、凄絶悲愴である。

※猶得備晨炊:まだ、朝ご飯の準備は、できる(でしょう)。 *ここまでが老婆の言葉になる。 ・猶:なお。 ・得:…できる。 ・備:準備をする。そなえる。 ・晨炊:〔しんすゐ;chen2chui1○○〕朝の炊事。

※夜久語聲絶:夜は長く、話し声る声も途絶えたころ。 *この出来事の後、残された村人や老翁の描写になる。 ・夜久:夜が長い。夜長。 ・語聲:話し声。語る声。 ・絶:途絶える。

※如聞泣幽咽:幽(かす)かに咽(むせ)び泣いているのが聞こえたようだった。 ・如聞:聞こえてきたようだ。 ・泣:涙を流して泣く。 ・幽咽:〔いうえつ;you1ye4○●〕秘かに咽(むせ)び泣く。喉をつまらせて泣く。

※天明登前途:翌朝、(わたしは)次の旅路に向かって出発する(ため)。 ・天明:夜が明ける。空が明るくなる。 ・登:(意識上、高い所に占める場所へ向かって)出発する。主語は作者・杜甫になる。 ・前途:目的地までの道のり。これから先の行程。作者は、洛陽を発った後、ここ陜県の石壕村を通って、潼關に向かい、更に長安東方の華州を目指していたことから、ここでは潼關、華州への旅程(河南省から陝西省への西へ向かう旅程)のことになる。

※獨與老翁別:ひとりだけで老翁と別れた。 ・獨:(作者は)ひとりだけで、(年老いた男性と)。 ・與:…と。

               ***********




◎ 構成について

 韻式は「AAAbbbcccAAADDDeee」。韻脚は「邨人看 怒苦戍 至死矣 人孫裙 衰歸炊 絶咽別」で、平水韻上平十一真等。上声七。上声四紙等。上平十一真等。上平五微。入声九屑。換韻と改の展開とが、見事に一致している。次の平仄はこの作品のもの。

●○●○○,(韻)
●●●●○。(韻)
●○○○●,
●●●○◎。(韻)

●○●○●,(韻)
●○●○●。(韻)
◎●○●○,
○○●○●。(韻)

●○●○●,(韻)
●○○●●。(韻)
○●●○○,
●●○●●。(韻)

●○●○○,(韻)
○●●●○。(韻)
○●●●●,
●●○○○。(韻)

●●●○○,(韻)
●◎●●○。(韻)
●◎○○●,
○●●○○。(韻)

●●●○●,(韻)
○◎●○●。(韻)
○○○○○,
●◎●○●。(韻)
2005. 7.27
      7.28
      7.29
      7.30完
      8. 1補
2007.11.14
2011. 6.15

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