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無題 | ||
夏目漱石 |
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兩鬢衰來白幾莖, 年華始識一朝傾。 薰蕕臭裡求何物, 蝴蝶夢中寄此生。 下履空階凄露散, 移牀廢砌亂蟬驚。 淸風滿地芭蕉影, 搖曳午眠葉葉輕。 |
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兩鬢 衰へ來 りて 白きこと幾莖,
年華 始めて識る一朝 傾くを。
薰蕕 臭裡 何物をか求めん,
蝴蝶 夢中此 の生を寄す。
履 を下せば空階 に凄露 散じ,
牀 を移せば廢砌 に亂蟬 驚く。
淸風 滿地芭蕉 の影,
午眠 を搖曳 して葉葉 輕 し。
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◎ 私感註釈
※夏目漱石:明治期の小説家。慶応三年(1867年)~大正五年(1916年)東京出身。名は金之助。東大英文科卒。松山中学教諭、五高教授を経て、イギリスに留学し、帰国後一高教授。『明暗』では、自我を越えた所謂「則天去私」の世界を志向した。
※無題:この作品は、作者晩年の連作の一。大正八年の夏の作。
※両鬢衰来白幾茎:左右の耳際の髪の毛が衰えて来て、白くなったのは何本だろうか。 ・鬢:〔びん(ひん);bin4●〕耳際の髪の毛。 ・衰来:衰えて来た、意。 清・王士禛の『悼亡詩』に「藥爐經卷送生涯,禪榻春風兩鬢華。一語寄君君聽取,不敎兒女衣蘆花。」とある。 ・白:白髪を指す。 ・幾茎:何本。
※年華始識一朝傾:年齢(について、)ある日から衰え(てきたこと)が、やっと分かった。 ・年華:年月。歳月。また、年齢。 ・始識: はじめて知った。やっと分かった。 ・一朝:ある日。ある朝。
※薰蕕臭裏求何物:かおりのよい草の香りと、くさいにおいのする草のにおいの中で、(善悪入り混じった中で)いったい何をもとめようと迷っているのか。 ・薰蕕:〔くんいう;xun1you2○○〕薰はかおりのよい草。蕕はくさいにおいのする草。善と悪の喩え。『左傳・僖公』に「專之渝,攘公之羭。一薰一蕕,十年尚猶有臭。」とある。
※蝴蝶夢中寄此生:荘周の胡蝶の夢(夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか)と、迷いながらもこの人生を悟った。 ・蝴蝶夢:荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷ったこと。『莊子・齊物論』に「昔者莊周夢爲胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喩適志與!不知周也。俄然覺,則籧籧然周也。不知周之夢爲胡蝶與,胡蝶之夢爲周與?周與胡蝶,則必有分矣。此之謂物化。」(昔者(むかし)、莊周、夢に蝴蝶と爲り,栩栩然(くくぜん)として蝴蝶なり。 自ら喩(=愉(たの))しみて志に適(=敵(かな))へるかな!周たるを知らざる也。俄然として覺(さ)むれば,則(すなは)ち籧籧然(きょきょぜん)として周也。知らず周の夢に蝴蝶と爲れるか,蝴蝶の夢に周と爲れるかを? 周と蝴蝶とは,則ち必ず分有らん。 此(こ)れを之(こ)れ物化と謂ふ。)とある。晩唐・李商隱の『錦瑟』に「錦瑟無端五十弦,一弦一柱思華年。莊生曉夢迷蝴蝶,望帝春心托杜鵑。滄海月明珠有涙,藍田日暖玉生煙。此情可待成追憶,只是當時已惘然。」とある。
※下履空階凄露散:ひっそりとした階(きざはし)にはきものを履(は)いて降りると、すさまじい露が散って。 ・履:〔り;lǚ●〕はきもの。くつ。 ・空-:人気が無く、ひっそりとした。 ・階:きざはし。
※移床廃砌乱蝉驚:ねどこを移せば、(軒下の)廃れた石畳に乱れ鳴くセミが驚く(ばかりである)。 ・床:ねどこ。ベッド。 ・砌:〔せい;qi4〕石段。軒下の石畳。 ・乱蝉:乱れ鳴くセミ。
※清風満地芭蕉影:すがすがしい涼しい風が辺り一面に満ちれば、芭蕉の樹(が)。 ・清風:すがすがしい風。涼しい風。
※揺曳午眠葉葉軽:(芭蕉の葉が)昼寝の中でひるがえって、どの葉っぱも軽やかである。 ・揺曳:ひるがえる。ぶらぶら歩くさま。 ・午眠:昼寝。 ・葉葉:どの葉っぱも。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAAA」。韻脚は「茎傾生驚軽」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○●○○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
○○●●○○●,
●●●○●●○。(韻)
●●○○○●●,
○○●●●○○。(韻)
○○●●●○●,
○●●○●●○。(韻)
平成31.1.24 1.26 1.29 2. 1 2. 3 2. 4 |
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