別武昌 | |
揭傒斯 |
欲歸常恨遲,
將行反愁遽。
殘年念骨肉,
久客多親故。
佇立望江波,
江波正東注。
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武昌 に別 る
歸 らんと欲 して常 に遲 きを恨 み,
將 に行 かんとすれば反 って愁 ひ遽 かなり。
殘年 骨肉 を念 へば,
久客 親故 多 し。
佇立 して江波 を望 めば,
江波 正 に 東に注 ぐ。
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◎ 私感註釈
※掲傒斯:(けいけいし;Jie1 Xi1si1)元の文学者。1274年(南宋・咸淳十年/元・至元十一年)~1344年(元・至正四年)。字は曼碩。竜興富州(現・江西省豊城)の人。貧家に育った。仁宗の延祐元年(1314年)、翰林国史院編修に任ぜられて『功臣列伝』を編纂した。官は翰林侍講学士、同知経筵事に至り、三度翰林に入った。恵宗の至正三年(1343年)、勅命により遼・金・宋三史編纂の総修官となり、翌年(=至正四年:1344年)、『遼史』の編纂が成ったところで死んだ。書をよくし、文学面では虞集・楊載・范梈とともに文章の四大家と呼ばれ、また、虞集・柳貫・黄潽とともに儒林四傑とも呼ばれた。(中国歴史文化事典)
※別武昌:武昌に別れ(を告げ)る。 *作者が故郷の江西の豊城を離れて、武昌に長期滞在していたが、帰郷のため武昌の街と武昌の友人たちに別れを告げることとなった時の詩で、武昌に対する名残惜しさをうたいあげたもの。この詩は1304年(大德八年)の作で、作者が満三十歳ちょうどの時の作品。そのため、詩中の「残年」の意は「生きながらえている残りの命。余命。」の意ではなくなってくる。但し、自然に見れば、日本・良寛の『還鄕作』「出家離國訪知識,一衣一鉢凡幾春。今日還鄕問舊侶,多是北邙山下人。」のような雰囲気のものと感じる。 ・武昌:都市名で、現・湖北省武漢市。長江沿いにある大都市で、武漢三鎮の一。長江中流の軍事上の要衝にあり、三国・呉・孫権が夏口城を築いてより武昌府の中心都市で、ここでは、作者が故郷を離れて長期滞在していたところ。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)63-64ページ「南宋 荊湖南路 荊湖北路 京西南路」にある。
※欲歸常恨遲:郷里へ帰りたいのに、いつもぐずぐずとしてしまって、情けないことだ。 ・欲歸:帰郷しようとする。 ・歸:(郷里、自宅、死(墓所)等、本来の憩う所へ)かえる。南齊・謝朓の『王孫遊』に「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」とある。モチーフは、『楚辭』の招辞の一種である『招隱士』に「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」に由来する。 ・常恨遲:いつもぐずぐずしてしまって、申し訳ない。 ・常:つねに。いつも。 ・恨:なさけない。うらめしい。また、うらむ。ここは、前者の意。 ・遲:のろい。ぐずぐずする。(ぐずぐずとして)おそくなる。
※將行反愁遽:行こうとすると、反対に愁える心(=この地・武昌を離れるのを愁える心)が急に(湧き上がってくる)。 ・將行:行こうとする。 ・反:反対に。かえって。 ・遽:〔きょ;ju4●〕急に。にわか(に)。いそいで。すみやか。あわただしい。あわてる。うろたえる。
※殘年念骨肉:余命幾許(いくばく)もない(わたしは)、近親に思いを致せば。(ただし、作者が満三十歳なのだが…。) 『元明詩選』喬万民主編 天津人民出版社 2001年天津』25ページ)。 ・殘年:ここでの使われ方は「歳末、年の暮れ、一年がまさに尽きようとしている時」の意としてか。本来の意味は、生きながらえている残りの命。余命。 ・念:深く心に思う。 ・骨肉:親子・兄弟など、近親。肉親。また、骨と肉。からだ。形体。ここは、前者の意。
※久客多親故:(しかしながら、)長期に亘って故郷を離れている者(=作者)は、(この地武昌で)多くの親しい友人が出来た。 ・親故:親類の者とむかしなじみの者。親戚と故旧(=旧知)。 *作者は、武昌に多くの友人ができたことを謂うか。 ・久客:長期に亘って故郷を離れている者。ここでは、作者を指す。 ・親故:武昌での友人たちを指す。また、親類の者とむかしなじみの者。親戚と故旧(=旧知)。ここは、前者の意。「親故」の意を日本語での「親友」の意(=親しい友)と同じとすれば、武昌での友人のことになる。
※佇立望江波:たたずんで、長江の波を眺めれば。 ・佇立:〔ちょりつ;zhu4li4●●〕たちどまる。たたずむ。
※江波正東注:長江の波は、ちょうど(わたしの郷里の方である)東に向かって流れている。 *中国の大河は、基本的に東に向かって流れている。それが恰も天然の理であるかのように。 ・正:ちょうど。 ・東注:(作者の故郷の方である)東に向かって(当然のように)注いでいる。作者の帰郷の行程は、武昌→(長江を東へ下る)→九江→(鄱陽湖を南下する)→(灨江沿いに南下する)→豊城、と辿った(であろう)ことを謂い、「わたしも東に向かって帰るが、河の水も東に向かっていることだなあ」という感懐をこめたところ。用例に、盛唐・岑參の『西過渭州見渭水思秦川』に「渭水東流去,何時到雍州。憑添兩行涙,寄向故園流。」とある。
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◎ 構成について
韻式は、「aaa」。韻脚は「遽故注」で、平水韻去声七遇。この作品の平仄は、次の通り。
●○○●○,
○○●○●,(韻)
○○●●●,
●●○○●。(韻)
●●◎○○,
○○●○●。(韻)
2011.1.27 1.28 1.29 1.30完 2017.8. 7補 |
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