重登滕王閣 | |
李渉 |
滕王閣上唱伊州,
二十年前向此遊。
半是半非君莫問,
好山長在水長流。
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重ねて滕王閣に登る
滕王閣上 伊州を唱ひ,
二十年前 此こに遊ぶ。
半ばは是 半ばは非なるも 君 問ふこと莫れ,
好山は 長へに在りて 水は 長へに流る。
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◎ 私感註釈
※李渉:晩唐の詩人。初め、弟の李渤とともに廬山に隠棲して白鹿を飼っていたが、憲宗の時代に太子通事舍人となった。清谿子と号した。洛陽(現・河南省洛陽)の人。
※重登滕王閣:再び滕王閣(とうおうかく)に登る。 ・滕王閣:〔とうわうかく;Teng2wang2ge2○○●〕唐・太宗の弟で、のち滕王に封ぜられた李元嬰が、洪州、章江門の上に建てた建物。現・江西省南昌市の西端、江の畔にある。現在は、江の東寄りの川の中州にある。滕王閣は、歌舞の地であり、また、権勢を誇った者の夢の跡で、我が国の例では「祇園精舎の鐘の聲、ゥ行無常の響有り。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理を表す。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。傲き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」といった位置づけになろうか。唐・王勃に『滕王閣』「滕王高閣臨江渚,珮玉鳴鸞罷歌舞。畫棟朝飛南浦雲,珠簾暮捲西山雨。濶_潭影日悠悠,物換星移幾度秋。閣中帝子今何在,檻外長江空自流。」がある。王勃の時、荒れ果てた滕王閣を、時の洪州都督閻伯が修復した際の落成式でのものである。『滕王閣序』(写真上:『古文真宝』巻三)の末尾にこの作品を載せている。なお、後世、韓愈も『新修滕王閣記』(写真下:『唐宋八大家文』巻五)を遺している。 ・滕王:〔とうわう;Teng2wang2○○〕唐・高祖の第二十二子。太宗の弟で、貞観十三年六月に滕王に封ぜられた李元嬰のこと。『舊唐書・本紀・太宗下』では「貞觀十三年六月丙申,封皇弟元嬰爲滕王。」とある。また、『同・列傳・高祖二十二子・滕王元嬰』では、「滕王元嬰,高祖第二十二子也。」との記述。同項で「元嬰頗驕縱逸遊,動作失度,高宗與書誡之曰:『王地在宗枝,寄深磐石,幼聞詩、禮,夙承義訓。實冀孜孜無怠,漸以成コ;豈謂不遵軌轍,踰越典章。』」と、李元嬰はその驕慢さについて叱責を受けている。驕傲不羈、軽佻浮薄、放縦遊逸…といった人物の典型としての位置で、後世人は捉えている。
※滕王閣上唱伊州:滕王閣の上で『伊州』を唱(うた)う(などして)。 *滕王閣は歌舞の地ともなっていった。中唐・白居易の『鍾陵餞送』に「翠幕紅筵高在雲,歌鐘一曲萬家聞。路人指點滕王閣,看送忠州白使君。」とあり、その情況が詠われている。 *ここで『伊州』を唱ったのは二十年前のことなのか、それとも、再びここを訪れた二十年後の今のことなのか、どちらとも取れそうだが、それはない。中国の旧(体)詩では、(先秦詩を除き、)聯によって構成されている。それ故、旧(体)詩を改行しながら書き表す場合は次のようにする。
滕王閣上唱伊州,二十年前向此遊。 半是半非君莫問,好山長在水長流。
当然ながらこのように書くということは、書式上の問題からではなくて、表現内容の展開がそうなっているからである。つまり、「滕王閣上唱伊州,二十年前向此遊」で、ひとまとまりとなるように詩が作られているのである。当然ながらその解釈もそれに従う必要がある。聯の意は「滕王閣の上で『伊州』を唱ったあの頃、二十年前にも、ここで楽しく過ごした。」になろう。滕王閣の上で『伊州』を唱ったのは二十年前のことである。なお、蛇足になるが、日本漢詩は上述のようではなく、その構成を(中国古典詩・旧(体)詩と)比べると、起承転結が強調され、表現の単位は(中国古詩のような)聯ではなく、次のように、句で完結しているように見受けられる。
□□□□□□。
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□□□□□□□。
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日本漢詩の感覚で中国旧詩を見ると、正確な意味の把握に混乱が生ずるばあいがあろう。 ・伊州:(寂しげな)楽曲の名。「伊州楽」のことで、西域六大楽の一。 唐・玄宗の時代に持ち込まれた、悲しみを催させる寂しげな音楽という。西域の地名の伊州(現・新疆ウイグル(維吾爾)自治区東部の哈密)に基づく。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)63−64ページ「隴右道西部」にある。現・新疆ウイグル(維吾爾)自治区の東端で、現・甘肅省に近い。玉門関の北方300キロメートルの地。
※二十年前向此遊:二十年前にも、ここにやってきて楽しく(過ごした)。 ・向:…で。…に於いて。≒於。(蛇足になるが、介詞、動詞の「向かって、向かう」の意ではない。)
※半是半非君莫問:(その時のメンバーの)半分は生きているが、半分は(もう)死んでしまった(経緯(いきさつ)を)、あなたよ、尋ねてくださるな。 ・半是半非:(その時、一緒に旅行した者の)半分は生きているが、半分は(もう)死んでしまった。ここで「半是半非君莫問」と「半」字を重出させているが、これは語調を整え、強調する表現で、後に続く「好山長在水長流」にからませている。
半是半非 君莫問 好山長在 水長流
という構成である。 ・半…半…:なかばは…で、なかばは…だ。元稹の『離思』「曾經滄海難爲水,除卻巫山不是雲。取次花叢懶迴顧,半縁修道半縁君。」とある。 ・是:ここでは、生きていることを謂う。 ・非:ここでは死んだことをいう。白居易の『商山路有感』に「萬里路長在,六年身始歸。所經多舊館,大半主人非。」とある。 ・君:あなた。具体的に特定の人物がいるとは限らず、「君莫問」で、「尋ねかけてこないでくれ」といった感じになり、返答の形式で詩を詠っていることになる。 ・莫問:尋ねないでくれ。
※好山長在水長流:(人は儚(はかな)いものだが、ここの)麗しい山は永遠に存在し、川は(変わることが無く)とこしえに流れている。人の存在は儚(はかな)いものだが、自然は永遠である。 ・好山:立派で美しい山。(自然)。 ・長在:永遠に存在する。いつまでもある。 ・水:川の流れ。(自然)。 ・長流:とこしえに流れる。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「州遊流」で、平水韻下平十一尤。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●●○○●●,
●○○●●○○。(韻)
2009.5.1 5.2 5.3 5.4 |
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