王昭君 | |
中唐・白居易 |
漢使卻囘憑寄語,
黄金何日贖蛾眉。
君王若問妾顏色,
莫道不如宮裏時。
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王昭君
漢使卻囘 憑 って語を寄 す,
黄金 何 れの日にか蛾眉 を贖 はん。
君王 若 し妾 が顏色 を問 はば,
道 ふ莫 かれ宮裏 の時に如 かずと。
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◎ 私感註釈
※白居易:中唐の詩人。772年(大暦七年)〜846年(會昌六年)。字は楽天。号して香山居士。官は武宗の時、刑部尚書に至る。左拾遺になるが、江州の司馬に左遷され、後、杭州刺史に任ぜらる。やがて刑部侍郎、太子少傅、刑部尚書を歴任する。その詩風は、平易通俗な語彙表現を好み、新楽府、竹枝詞、楊柳枝等に挑戦し、諷諭詩や感傷詩でも活躍し、仏教に帰依した。
※王昭君:〔わうせうくん;WangZhao1jun1〕前漢の元帝の宮女。竟寧元年(紀元前33年)、匈奴との和親のため、呼韓邪単于に嫁し、「寧胡閼氏」としてその地で没した。名は檣。ともするが、『漢書・元帝紀』では前者「檣」。昭君は字。明君、明妃は、「昭」字をさけたための晋以降の称。蛇足になるが、「竟寧」(辺境がやっと平和になった)という年号は、とても分かりよい。元帝の慶びが伝わってくる。そのような状況下での通婚である。この時代背景から推察するに、元帝がその美貌を惜しんだという話は後世のものになるのではないか。『漢書・本紀・元帝紀』に「竟寧元年春正月,匈奴 呼韓邪單于來朝。詔曰:「匈奴呼韓邪單于不忘恩コ,ク慕禮義,復修朝賀之禮,願保塞傳之無窮,邊垂長無兵革之事。其改元爲竟寧,賜單于待詔掖庭王檣爲閼氏。」とある「王檣」が王昭君のこと。「閼氏」とは、單于の正妻の称≒皇后。『漢書・匈奴傳・下』「王昭君號寧胡閼氏,生一男伊屠智牙師,爲右日逐王。」この外、多くの子供をもうけ、夫の没後は、匈奴の習慣に従った再婚をし、父子二代の妻となり、更に子供を儲けている。子供達の名も記録されている。当の本人の願望はともかく、漢・匈奴友好使節の役を果たしたとも謂え、辺疆安寧のための犠牲になったとも謂える。なお、王昭君の七十余年前に、烏孫公主の故事がある。烏孫公主は漢の皇室の一族、江都王・劉建の娘で、武帝の従孫になる劉細君のこと。彼女は、西域の伊犂地方に住んでいたトルコ系民族の国家・烏孫国に嫁した。ともに漢王朝の対西域政策と軍略を物語るものである。
※漢使却回憑寄語:漢の使者が、引き返すにあたり、(王昭君は)よりかかって言伝(ことづて)をした。 ・漢使:漢の使者。 ・却回:引き返す。 ・憑:よる。よりかかる。もたれる。たのむ。 ・寄語:言伝(ことづて)をする。=寄言。
※黄金何日贖蛾眉:漢の皇帝は、いつになったら黄金で女性の美しい眉ととりかえてくれるのやら。 ・何日:いつ。 ・贖:〔しょく;shu2●〕物と物とを交換する。とりかえる。あがなう。 ・蛾眉:女性の美しい眉。
※君王若問妾顔色:帝(みかど)が、もしも、わたくしめの容色をお尋ねになられたら。 ・君王:君主。 ・若問…:もし(も)問うのならば…。 ・若:もし(も)。 ・妾:わたくしめ。せふ(しょう)。女性の一人称。
※莫道〔不如宮裏時〕:〔宮中に居た時に及ばなくなった〕とは、言わないでほしい。 ・莫道…:言うなかれ(…と)。 ・不如…:(…に)及ばない。 ・宮裏:宮殿の中。後宮の中。
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◎ 構成について
この作品の平仄は、次の通り。韻式は、「AA」。韻脚は「眉時」で、平水韻上平四支。
●●●○○●●,
○○○●●○○。(韻)
○○●●●○●,
●●●○○●○。(韻)
2021.8.29 8.30 |
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