NHKラジオ「ビジネス英会話」 二月 19 日(月)、20 日(火)放送分で、 杉田敏先生がスキットの 「They don't feel there's a crisis that could cost them the loss of their jobs.」 について、 「この文章、実は文法的にちょっとおかしいんですね」 「こういう風に、非文法的な表現を」 と説明していた。
実際には、cost them their jobs でよいはず、ということ。 おかしいことはおかしいが、「文法的に」ではないような気がする。 「論理的に」かな? やや通俗的な意味で「論理的」を使うことになるが。
2007-09-13 (4) 02:05:50 +0900
先週の「まるまるちびまる子ちゃん」の、
歌詞の空欄を正しく埋めて歌いきることを競うコーナー。
『「いちご白書」をもう一度』の一番の最後の
「二人だけの(メモリー)どこかでもう一度
」
に、ハリセンボンの春菜が「あいびき」を入れてしまってアウトになった。
ウケ狙いだと思ったのだが、あとで考えてみて、 歌われている内容が若い人に理解されていないのでは、と気になった。 あのころは、DVD なんてなかったし、 家庭用ビデオデッキはあったかも知れないが超・高価だったから、 映画というものは映画館にやってきたときしか見られないものだった。
いまは別れてしまった学生時代の恋人と見にいったあの映画がまたやってくる、 すなわち、思い出の映画がまたくるということそのものが、 感情をかき乱すできごとなのである。 二人はもう決して一緒に映画を見ることはないのだが、 彼女ももしかしたらこの映画を見るのかも……、 という歌だと思っていたのだが、 映画はいつでもレンタルで見られるといういまの時代の人は、 映画がまたくるということが重大事であると理解できず、 “もしかしてまた一緒にこの映画を見られるかもしれない” というような歌に思えるのかも知れない。
2007-09-12 (3) 21:28:50 +0900
今回は、だいぶ横を向かれた。茶色がよく似合っておられる。
「ジェニファーと発音してみよう」と、正しく字幕が出た。
中級コーナー。イスとスカートと、柄が似てるな。
ジェニファーさんが発音した 「Qu'est-ce que tu penses de ce manteau?」の de がどうしても聞き取れないや。
今週は en の数を数えるのだが、全然わからなかったー。
来週のフレーズはいつもの決めポーズ。横ずわり+ひじかけ。
最後は三人でワインを飲むのだと思ったが、 開けもしなかった。あれ、ジェニファーさんが持って帰ったのかな?
2007-09-12 (3) 21:25:54 +0900
気づいたときは放送開始時刻の13時半だったので人にも頼めず。 (もっとも、頼める人もいないのだが。)
前の晩にテープを巻き戻し、 あとはあす、新聞を見てGコードで録画予約するだけだ、 と思ってすっかり忘れていた。ぼけている。
同番組のホームページであらすじは読めたが。
前に「まるまるちびまる子ちゃん」の録画を忘れたことがあった。 もしも「フランス語会話」を忘れることがあったら、オレ、生きるのやめよう。
2007-09-12 (3) 03:32:52 +0900
今年の夏はいろいろあって、自殺関連のページをいろいろ見ていた。 そしたら、とある掲示板に、「諦めて生きろ」と書いてあって、 いい意味で力が抜け、少し元気が出てきた。
普通は「諦めないで生きろ」だろうが、 あきらめて生きろ、 すなわち、生きることはそもそもあきらめであるという考えが新鮮……、 と思いつつよく見たら、やっぱり「諦めないで生きろ」と書いてあるのだった。 単なる見間違い。でも元気が出たから、ま、いいか。
2007-09-12 (3) 03:24:00 +0900
11日づけ大阪本社版アジア面の「食在遠近」に
《ハフハフほおばる
》とあり。
《マクドナルドのCMの「ハフハフの冬」が「ほうほうの体」の旧カナに見えた》
参照。
2007-09-12 (3) 03:11:08 +0900
後者は、原監督のカラーをチームに浸透させる、というような状況で使う語。
2007-09-12 (3) 03:05:57 +0900
本文ナシ
2007-09-12 (3) 03:04:05 +0900
八女は地名だが、人名にもあるか?
2007-09-12 (3) 03:02:15 +0900
本文ナシ
2007-09-12 (3) 03:01:36 +0900
それだと、 かなづかいを間違えただけで同じ名前を名乗ったとみなされる可能性があったのでは、 とも考えてみた。
2007-09-12 (3) 02:59:33 +0900
「三百六十五歩のマーチ」。 スターウォーズ エピソード III の「Not from a Jedi.」と似ているかも。
2007-09-12 (3) 02:55:43 +0900
そして、「死にたくない」はそうでない。
2007-09-12 (3) 02:54:14 +0900
「前を向けてとめろ」なのか、 「前向きにはいってとめろ」なのか。 というのをネタにしようと、少しまえから思っていた。
前者だとばかり思っていたが、 いま Google で調べて最初の十件ほどを検索結果の画面で読んだところ、 後者のようだ。 ただ、後者と解釈していると思われるページもあった。
ちなみに、私は自動車の運転免許は持っていない。
2007-09-12 (3) 02:46:34 +0900
……してしまった。
8日づけ朝日新聞 be on Saturday の b1 面はボーズの社長。 手に BOSE の、あのスピーカーを持っている。 二十数年前に SONY の CD プレーヤー D-50 を買ったとき、 BOSE のアンプ・スピーカーと組み合わせたセットもカタログに載っていたが、 確か十数万円するもので、 プレーヤーの約五万円も大金だった私にはとても手が出せなかった。 いまなら、まあ、なんとか買えるだろう。 というわけで、「俺もそろそろ部屋に BOSE を……」と口から出かかったのだが、 「BOSE」から同音の「坊主」が思い浮かび、 自分が死んでふとんに寝かされ、 坊主がきて読経している様を想像してしまったのだった。
2007-09-12 (3) 02:40:50 +0900
2007-09-11 (2) 02:42:38 +0900
とりあえず2×2で考えてみる。 B に逆行列があったとしよう。 すると B-1AB = -A となる。 A の固有値 λ に属する固有ベクトルは B-1AB の固有値 -λ に属する固有ベクトルとなり、 そんなことあるのか?! と思ったが、 A が固有値 1 と -1 を持ち、B がそれらに属する固有ベクトルを入れ換えればよい。
1 0 0 1 A = ( ), B = ( ) 0 -1 -1 0とか。簡単だった。
2007-09-10 (1) 20:25:17 +0900
だからフンディングに殺された、ってだけの話にしてしまう。
お金とか持ってればそれ取って生きたまま帰すこともあるんだけど。
あるいは、 ノートゥングを抜くことができる勇者を求めて奥さんにそういうことをさせており、 という演出。
2007-09-10 (1) 20:22:34 +0900
それによって、相手が武器をもっているかどうかが変わってくる。 戦法も違ってくるはず。
2007-09-10 (1) 20:14:42 +0900
2007-09-10 (1) 02:54:03 +0900
久しぶりに本なるものを買って読んだ。 半日ぐらいで読めてしまった。ざっとだけど。
62 ページに、 エスペラントの esti が人称変化しないことと比べるため、 フランス語の être の人称変化が載っているのだが、 そこに je sui, tu et という誤りがある。
2007-09-10 (1) 02:47:17 +0900
いつもの、「見開き1週間 日-土」にした。 ビニール袋にはいっており、表紙に 「See reverse for diary layout」と書いてあるが、 裏側を見ると日本の代理店が入れた日本の休日シールがはいっていて、 レイアウトが印刷されているらしきところは見えない。 店員に中を開けてもらい、確認してから購入した。
この代理店の人は英語が読めないのだろうか。
2007-09-10 (1) 02:38:09 +0900
先週後半の分を見て気づいたこと。
旦那は死んで幽霊になったという設定で登場するが、ガラスなどに姿が映っている。 (幽霊は鏡に映らないという設定もときどきあるが。)
左ききである斉藤由貴が調理などのシーンでどちらの手を使うかに興味があるのだが、 右ききの人と完全に左右が入れ替わっているわけではない。 つまり、右ききが右手ですることを左手でする場合もあるし、 右手でしている場合もある。 右手用にできている器具などを使う場合、 どうしても右手で使わざるを得ないこともあるのだろう。 そのため、左右の手でものを持ち替える回数が、 右ききよりも多いような気がする。
2007-09-10 (1) 02:34:12 +0900
私は自称「面食い」なのだが、猫に対しては人間に対するよりも基準が厳しい。 私が猫好きであることを知っている人から 「この猫かわいいよ」と猫そのものや猫の写真を見せられることがあるが、 たいていは「たいしたことない」と答えてしまう。
ところが、きのうの日曜日、いつものコースを散歩していたら、 猫が集団で住んでいるところを発見。 寄っていってみたら、その中に一匹、ものすごい美猫がいた。 小顔で、目が大きい。 かなり警戒心が強いようで、なでてやることはできなかった。
帰り、いつものコースを変更して、また寄ってみた。 これじゃまるでストーカーだ。
2007-09-10 (1) 01:58:49 +0900
原点を保つ平面の等長変換は線形変換に限るということの証明の中で使いたいので、 この三点が (0, 0), (1, 0), (0, 1) だとした場合の証明を述べる。 (そう仮定して一般性を失わない、と言っているわけではない。)
(a, b) を (x, y) に写すとすると、
これだけのことだった。
ちょっと前に考えたのは次のような証明である。 x > 1 とする。 (x, 0) は (0, 0) から x の距離、(1, 0) から x-1 の距離の点に写るが、 (0, 0) を中心とした半径 x の円、(1, 0) を中心とした半径 x-1 の円を書いてみれば、 それは (x, 0) しかないことがわかる。 x がほかの範囲にあっても同様。 (0, y) についても同様。 これで、x 軸、y 軸上では id であることがわかった。 このことから、 一般の点 (x, y) については、 写ったあとの点と y 軸との距離が x, x 軸との距離が y であることがわかる。 そういう点は高々四つしかなくて、(以下略)。
初等幾何学だけでできるのがメリット(かも)。
最初の証明を初等幾何でいうのが一番簡単か。 (0, 0), (1, 0) との距離を考えると、 三角形の合同条件から (x, y) = (a, ±b) となる。 (0, 0), (0, 1) との距離からは (x, y) = (±a, b) が出て、ということを図で示す。
2007-09-08 (6) 03:36:16 +0900
某掲示板で見かけたのだが、 二元集合 {0, 1} に具体的に加法と乗法を定義してみせられても体になることを納得しない人がいた。 どうも、 「1 が含まれるのだからその(加法に関する)逆元 -1 も含まれるはず」 と考えてしまうらしい。 すると、 {0, 1} には一見したところ -1 は含まれていないので、 体でないように見えてしまっている、と私は推測した。
そこから、個々の整数についている名前、すなわち ..., -3, -2, -1, 0, 1, 2, 3, ... は果たして適切なのだろうか、 とふと思った。 「-2」という名称は「2 の(加法に関する)逆元です」という名前なのだ。
これを見慣れていて、かつ加法群の公理の一つ 「任意の元 a に対し -a と呼ばれる元が存在して a + (-a) = (-a) + a = 0 を満たす」 を見ると、任意の加法群でも a の逆元には -a という名前がついていないといけない、 と思い込むかもしれない。
付)2 は -2 の逆元だけど、そういう名前のつけ方じゃないだろ? という指摘はきわめてもっともである。 ただ、-(-2) が 2 に等しいということは中学校以来なじんでいるから、 同じように納得しまうのかも。
付) だから、上に引用した公理は 「任意の元 a に対し元 a' が存在して a + a' = a' + a = 0 を満たす」 としたほうがよいのかもしれない。
付) 「-2」は「2」に「-」がついたものではなく、これで一つの記号である、 と考えることもできよう。その場合は、 「-」は三つの意味を持つことになる。 この意味と、加法に関する逆元の意味と、引き算の意味。
2007-09-08 (6) 03:24:49 +0900
あの「ゲルニカ」ではなく、「ゲルニ」+「力(ちから)」である。 「ゲルニりょく」と読む。逃げる力。 「ゲルニ」は「逃げる」の隠語だが、おそらく倒置によるものだろう。
2007-09-07 (5) 01:57:12 +0900
5日づけ大阪本社版社会面によれば
《7月30日、英オックスフォードで死去、91歳
》。
つい先日、同氏の「新版 リヒャルト・ワーグナーの芸術」を久しぶりに手にとり、
どうしておられるのかと思ったばかりだった。
(たぶん、それは八月のことだった。)
2007-09-07 (5) 01:45:33 +0900
オープニングでは、 後半の音楽コーナーで紹介されるアーティストの一人の名前を TéTé と書いていたが、 このように二文字目が小文字で三文字目が大文字という表記は、 あとでは見られなかった。
文法事項の説明はみごとに正面を向かれたまま。 まったく横を向かれない。
中級コーナー。 「先ほどやった、代名動詞の一つです」。 この言い方は古風だ。 「やる」という語を粗野だとして避けるのは最近の傾向である。
ジェニファーさんフランツさんの会話に単純未来形が何回使われたか数える練習の直後。 三人が映るようにカメラが切り換わった瞬間、 あわてて両の手をいつもの位置にまで引き上げておられる(らしい)のがわかる。 今回は何度聞き返しても数が合わないや。
ところで、この「数える」際にはどうやって数えるのが正しいのだろうか? 私は、 指を日本式に使って数えている。つまり、 最初は手を開いた状態で構え、親指から順に曲げてゆくのである。 フランス式に指を使う人、 un, deux, trois とフランス語の数詞で数える人、さまざまであろう。
今回の中級コーナーは高いイスだったので、 ひじかけはなし。横ずわりもなし。
中級コーナーでもほとんど正面を向かれたまま。
2007-09-05 (3) 22:00:50 +0900
「いる」を「おられる」に修正した。
2007-09-10 (1) 02:30:11 +0900
4日づけ朝日新聞のテレビ面「試写室」のスチール写真をなにげなく見て、 「もしかして斉藤由貴ちゃんでは!?」と思ったらそうだった。 ちらっと見ただけでもオーラが出てるよな。
そのスチールからもある程度わかるのだが、 横を向くと二の腕がそれなりにふくよかである。 彼女のように若いころかわいらしかった人のふくよかな二の腕には魅力を感じる。
その日から見始めたので、第一回は見逃した。 昨日の第二回では、ミカンを右手でむくシーンがあった。 きょうの第三回では、バナナをむくシーンがあったが、 最初の“一撃”だけは右手でむき、そのあとは左手でむいていた。 そのバナナは子にやってしまい、 そのあと自分も食べていたが、そのときは左手で持って食べ、 右手でむき足していた。 (i.e. 半分ぐらいむいた状態のを左手に持って食べているところが映って、 それから残りを右手でむくところが映った。)
2007-09-05 (3) 21:56:43 +0900
2007-09-05 (3) 03:38:11 +0900
「台台」の最初の台は「自動車が五万台」というようなときの台。
2007-09-05 (3) 03:36:39 +0900
ベルツは人名。
2007-09-03 (1) 01:35:44 +0900
新しい携帯電話の「フルブラウザ」を見て。
2007-09-03 (1) 01:34:18 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:33:21 +0900
もめないほうがいいと思うが。
2007-09-03 (1) 01:31:47 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:30:27 +0900
「葛城・和久ご両家のみなさん、まことにおめでとうございます」 といっておじぎしたとたんにかつらが落ちたりして。
(実際には「葛城」の「ぎ」は鼻濁音になるのに対し、 「かつら疑惑」の「ぎ」はそうならないから、全く同じ音というわけではない。)
2007-09-03 (1) 01:27:01 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:25:58 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:22:03 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:20:29 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:17:55 +0900
九州地方の方言のつもり。
2007-09-03 (1) 01:16:03 +0900
意味不明。
2007-09-03 (1) 01:12:00 +0900
本文ナシ
2007-09-03 (1) 01:11:11 +0900
カナで書けば「だからあるいていくんだねねだんくいているあらかだ」。 前項と合わせて、「三百六十五歩のマーチ」の歌詞冒頭(に似ている)。 正確な歌詞がどうだったのかは調べていない。 もしも「行くんだよ」だったら「余談悔いている」とすればよい。 「行くんだよ」が「ゆくんだよ」だったときは困るが、 別に歌詞と一致しなくても回文は回文ということで。
2007-09-03 (1) 01:05:07 +0900
カナで書けば「しあわせはあるいてこないいなこているあはせわあし」。 「あは」は感動詞。 後半はほとんどこじつけだ。
2007-09-03 (1) 01:01:22 +0900
そうしておけば、サングラスを落としても怪しまれずにすむ可能性が高まる。 まばたきしないと疑われると思うなら、 見る方向によって絵が変わるシール --- 子どものころ、お菓子のおまけについていた --- にすればよい。
まぶたに目の絵を描くというギャグは当時はなかった?
2007-09-03 (1) 00:57:13 +0900
某掲示板で結合法則 の成り立たない演算が話題になりかかっていた。 八元数の積がそうであると聞いたことがあるが、聞いただけであり、 説明できるほど知ってはいない。 簡単な例は作れないものだろうか。
念のため書いておけば、 「任意の三元 a, b, c について (ab)c = a(bc) が成り立つ」 が結合法則である。
一元集合 {a} の上の演算は aa = a しかないから、 (aa)a = aa = a = aa = a(aa) となり、結合法則を満たしてしまう。 (計算しなくても、演算結果は必ず a になるんだから明らかだよな。)
二元集合 {a, b} 上の演算を、 たとえば (aa)b と a(ab) が等しくないように決めてみよう。 もしも aa = a ならば前者は ab に等しく、 もしも ab = b ならば後者は ab に等しい。 よって、もしもその両方の仮定が成り立てば (aa)b = a(ab) である。 そこで、このどちらかを否定すればいいのだが、 ついでに両方とも否定することにして、 aa = b, ab = a と決めてみよう。 そうすれば (aa)b = bb, a(ab) = aa となる。 あとは aa と bb とが等しくならないように決めればよいから、 bb = a である。残った ba はどうでもよい。
a | b | |
---|---|---|
a | b | a |
b | ? | a |
これで、一つの三つ組に対し結合法則を満たさない例ができたが、 では、任意の三元 a, b, c に対し (ab)c != a(bc) を満たす例は存在するであろうか?
すごくむずかしい問題であるような気がして、 元の数の少ない有限集合上の演算を片っぱしから調べるプログラムを書いてみようと思ったのだが、 散歩の途中、 正の整数上で演算 xy := 2x + y を考えればよいことがわかった。 (ab)c = (2a + b)c = 4a + 2b + c, a(bc) = a(2b + c) = 2a + 2b + c となり、a != 0 だから両者は異なる。 (げ、こんな簡単な計算なのに暗算間違えてた。^^;)
帰納的に次のように定義する、みたいな構成法を想像していたので、 気が抜けた。
では、有限集合上ではどうだろうか? と考えてみたら、 上の二元集合上の「~y」でよかったのである。 (ab)c = (~b)c = ~c, a(bc) = a(~c) = c より。 (シェファーの棒記号ではだめである。 (aa)a = ba = a = ab = a(aa) だから。)
一般に、 任意の元 x に対し r(x) != r²(x) を満たす写像 r があれば ab = r(b) でよい。 (ab)c = r(b)c = r(c), a(bc) = a(r(c)) = r²(c) となるからである。
このような写像 r は、 与えられた集合が(二つ以上の元からなる)有限集合なら、 丸く並べておいて右隣の元を対応させればよい。
無限集合の場合、 r(x) ≠ x, r²(x) = x を満たす写像を構成する。
可算集合のときは明らか。 (自然数だと思い、奇数には 1 を足し、偶数からは 1 を引く。)
そうでない場合、まず可算集合を取りのけておき、 残りの部分集合でこのような写像があるものを考える。 そのようなもののペアに対し、 片方が他方の拡大になっているとき、前者は後者より大きいと定義する。 ここで Zorn の補題を使うと極大元があることがわかる。 残りが二元以上あれば矛盾する。 一元だったときは取り除いておいた可算集合のほうに入れてしまえばよい。
付) 「一般化された結合法則」というのがあった。 それもすべて成り立たない演算はあるだろうか? 上の xy = 2x + y だと (aa)(aa) = (3a)(3a) = 9a, a((aa)a) = a((3a)a) = a(7a) = 9a だからこの二つは同じ値になる。 任意個の任意の元に対し、 その積を任意の順番でとるとすべて異なる元になるような演算はあるだろうか? xy = 3x + 2y と定義してみると (aa)(aa) = (5a)(5a) = 25a, a((aa)a) = a((5a)a) = a(17a) = 37a となる。
付) 上の 2x + y は 2x でもよい。 (ab)c = (2a)c = 4a, a(bc) = a(2b) = 2a だから。 これは、そのあとで述べた例に含まれる。
付) 上の 2x + y は x と x + y の和である。 xy = x と定義してみると (ab)c = ac = a, a(bc) = ab = a で両者は等しくなり、結合法則を満たす。 xy = x + y は普通の加法だからもちろん結合法則を満たす。 しかし、それらの和である 2x + y だと満たさない。 不思議……じゃないか。
付) xy = 2x + y と定義することはいっこうに構わないわけだが、 数学に不慣れな人が見ると可換でないからおかしいとか言い出すかも知れない。 可換な演算で任意の三元に対し結合法則が成り立たない例はない。 交換法則によって (aa)a = a(aa) だからである。
2007-09-02 (0) 20:59:56 +0900
上では「任意の元 x に対し r(x) ≠ x, r²(x) = x を満たす写像 r」 を構成したが、 ほしかったのは「任意の元 x に対し r(x) != r²(x) を満たす写像 r」だった。
次のようにすれば、簡単に後者を直接作ることができる。 二元 a, b を選び、r(a) = b, r(b) = a とする。 それ以外の元 x に対しては r(x) = a または b とする。 元ごとに行き先が異なってもよい。
r の像に含まれる x だけについて r(x) ≠ x, r²(x) = x が成り立てばよい、という発想である。
(プールで泳いでいて気がついた ^^;。)
2007-09-11 (2) 02:32:27 +0900
気温は 26 ℃を割っているが、それでも暑く感じる。 汗が出るので窓を開けて、と。
そのせいか、十月ごろまで薄着でいることが多い。
2007-08-31 (5) 03:23:29 +0900
特に何かを飲み食いしたいという気もないのだが、 仕事の帰り、いつものようにサイゼリヤに寄った。
うちの学生でもある働き者のウェイトレスさんがいて、 きょうもたくさんの皿を一度に持って下げていったが、 その際、さすがの彼女も、スプーンだかフォークだかを落としてしまい、 チャリーンという音がした。 彼女が通っていったのは私の席の脇の通路の次の通路だったが、 目で追うと、それは私のほうに向かってころがってきて、 隣のテーブルの下で止まった。 いったん厨房に皿を下げてから彼女はそれを探しにきたが、 彼女がそれを落とした通路には落ちていないので、見つからない。 身振りで彼女に“そこだよ”と示したら、 拾ったあと会釈されてちょっとうれしかった。
どんな小さなことでも、人の役に立てたってのはうれしいものだ。
その後、ふと気づいたら、 男子学生と思われる二人組が私のほうを見ていた。 うらやましいのかな? :-)
2007-08-31 (5) 03:14:47 +0900
これ以降はこれからアップロードします。
2007-09-05 (3) 03:12:28 +0900
《足の親指のささくれがじゅうたんにひっかかって血が出たー。》 と同じことが起きそう。 この季節は、プールで泳ぐため皮膚がかさかさになりやすいのでは、 と想像した。
2007-08-30 (4) 01:45:45 +0900
HTML ファイルに <img src="" width="100" height="100" alt="すのもの"> と書くと、 IE では 100 ドット× 100 ドットの四角が表示され、 中にこの画像ファイルが見つからなかったことを示すバツ印入りの小さな四角と、 「すのもの」という文字列とが表示される。
実際に置いてみた。→
width と height を小さくし <img src="" width="10" height="10" alt="すのもの"> とするとこうなる。→
小さすぎて、IE ではもはや中に何も表示されないが、 マウスカーソルを合わせると「すのもの」という文字列が現れる。
これを並べて とかって作ると、読むほうは大変。 マウスカーソルを合わせながら一マスずつ読まなくてはならないから。
2007-08-30 (4) 01:30:33 +0900
田島リカは架空かもしれない人名。
2007-08-30 (4) 01:28:37 +0900
次のように考えてしまった。 X に同値関係 〜 が定義されているとする。
その1. X の空でない部分集合 A にその同値関係を制限したものを考えるとやはり同値関係である。 そのうちで、商集合が存在するものを考える。 A が B の部分集合であるとき A < B と定義し、 これに Zorn の補題を適用する。 極大元が X でないと矛盾する。
その2. 同値関係は X × X の部分集合と思えるが、 〜 の部分集合になっている同値関係のうちで商集合が存在するものについて、 包含関係で大小を定義し、Zorn の補題を適用する。
(いずれも、細部まできちんと考察したわけではないから、ウソかもしれない。)
でも、選択公理はいらなかったはずだよなあと思い、 教科書を見ておさらいしたところ、 X のベキ集合の元 A で、X のある元 a が存在して A = { x ε X | a 〜 x } となっているものだけを集めてくれば、 それが求める商集合になるのだった。 一般には商集合は無限集合だが、 ベキ集合の元を“ひとつずつ”吟味して選び出すわけだから、 選択公理は使わずに済む。
2007-08-30 (4) 01:05:36 +0900
この日は、ちょっとした事情があって、 前日から市内のホテルに一人で泊まっていた。 《NHKフランス語会話>八月 15 日(水曜日)放送分》 をいつもより早く書いたのも、そのためだった。 水曜日にはビデオを見返すことができないと、前もってわかっていたのだ。
疲れていたのでひたすら爆睡。 夕食まで寝て、夕食後また寝て、「フランス語会話」を見て、 夜中だから、当然また寝た。 ここ二回ほどは冷房のない自宅の部屋で見ていたのに対し、 冷房があるのでとっても楽だった。 なんだか先生がすごくすっきりされた感じだった……。
さて、録画したのを見返そう。
スケッチ冒頭。 あの親父さんのしぐさがいいな。 (娘がボーイフレンドを紹介するため連れてきた、という場面。 右手に持ったお酒のボトルのラベルを読むふりをしつつ、 テーブルの上を左手の(親指以外の)四本の指でアルペジオを弾くように叩き、 心を落ち着けようとしているのだ。照れ隠しなのかもしれない。)
文法の説明の際、 ここ二回ほどとは異なり、ほとんど横を向かれない。 右宗さんのほうを向かれるときもほんの少しの角度しか。
アップになって「Je t'aime.」とおっしゃったところ。 ドキッとした視聴者もいるだろうな。
三人称の直接目的語・間接目的語代名詞はテキストを見よとのことで、 発音が聞けなかった……。
今回、最も横を向かれたのは、文法事項の説明が全部終わったところであろう。
いつもは、左腕をひじかけにかけられるのは 「来週のフレーズ」になってからだが、 今回は、その前がフランツさんの持っている写真をのぞき込むシーンだったので、 そこから。 「来週のフレーズ」はもちろんその決めポーズで。 左肩がややあがっているため、 胸のペンダントがちょっと右に寄っている。
「右宗の日記」では 《「フランス語会話」のまねしてヨガをやってみたら目がよく見えてきた》 に書いたように、右宗さんとジェニファーさんがヨガをする。 手と手が背中で届かなかったらハンカチを使って、 とジェニファーさんが取り出したハンカチ。 きっといい匂いがするんだろうな……と思ったが、ここはアトリエ。 油絵の具のにおいで満ちているのであろう。 そう思うと、階下でお茶飲んだりする気にならないような……。
フランツさんのコーナーの用例で八月と二月が出てきたのは、 半年後の再放送を意識しているのであろう。 (一月 2 日は放送がないだろうから、 この回(を再構成したもの)が流れるのは二月 27 日と思われる。)
2007-08-30 (4) 00:31:01 +0900
いままで試していなかった。getch() を使っているのだが、問題なく動く。 《「エコーなし入力」と「画面制御エスケープシーケンス」》 参照。 問題は画面制御エスケープシーケンスのみか。 ラインエディタとして整備するのがいまのところ最善だな。
2007-08-26 (0) 03:11:11 +0900
数日前までは、一日中「暑い」と感じざるを得ない毎日であり、 「暑い」と感じることで、またそのことのみによって、 「生きている」と実感していたのだった。
2007-08-26 (0) 03:04:30 +0900
きのうは、ジョッキは一杯にし、あとはドリンクバーでソフトドリンクを、 と思って飲み始めたのだが、一杯飲んだら気が大きくなり、 さらに飲んでしまった。
きょうこそ一杯で踏みとどまるぞと思って飲み始め、 最後の一口を残して余韻にひたっていたら、 ウェイトレスさんが「ビールのお代わりはいかがですか」と意外な一言をかけてきた。 店によっては当然の声かけだが、サイゼリヤでこれを聞くとは。 (単に毎日二杯ずつ飲んでいるのを覚えられていただけかも。)
思わず「まだいいです」と答えてしまった。 うちの学生でもあるだけに、こう言ってしまった手前、 ドリンクバーに切り換えるのもなあ。 というわけでビールの追加注文をすることに。 ここでもまだ、ジョッキかグラスビールかとの選択の余地があったのだが、 ケチな先生と思われるのは心外ので、ジョッキを頼んでしまった。
2007-08-26 (0) 02:56:54 +0900
確か以前NHKラジオ「ビジネス英会話」で聞いたのだが、 米国のビジネス界では時刻は12時制でいうことがほとんどであるとのこと。 そして、24時制の0時台・12時台は「12:30」のように書く。 日本では、間違いがないようにするためには24時制が望ましい、 という考えになりつつあると思うが、そうではないのだ。
すると、午前も午後も、12時から始まって1時、2時、……、11時と続く。 数はいったん12から1に下がって、それから1ずつ増えてゆく。 これは考えてみればかなり不規則なものだ。 でも、日本でも、普通に時刻を言うときにはこれを採用しているのである。
江戸時代までの時刻の呼び名は「九つ、八つ、……、四つ」だったそうだが、 このほうがまだ規則的に思えるな、と。
2007-08-26 (0) 02:04:01 +0900
きょうの大発見。
職場で、ときどき、私は透明人間か何かになっていて、 学生に姿が見えていないのではと思うことがあるのだが、 その直後に別の学生におじぎされ、 「あれ? 彼(あるいは彼女)には私が見えているのかな?」 と考えてしまうことがある。 見えているなら私もおじぎを返すべきだが、 私の姿は見えておらず、 彼(あるいは彼女)は私の後ろにいる別の人におじぎしていたのだとしたら、 カン違いしておじぎをし返すのはちょっと恥ずかしい……。
そう考えていたのだが、 真に透明人間になっていれば、間違っておじぎしても相手に見えないのだった。
2007-08-26 (0) 01:43:08 +0900
最後の文に「間違って」を挿入した。 そうでないと意味が伝わりにくいと思ったので。
2007-09-10 (1) 02:53:12 +0900
この、逆さに読んでも変わらないという話はいま Yahoo! で読んだ。 スペイン語使用者なら、 「¡」が「i」に似ているということに気づいているはず。
2007-08-26 (0) 01:41:42 +0900
反例:a と b を一次独立なベクトルとするとき、 (a×b)×b は 0 でないが a×(b×b) は 0 である。
前に書いたような気もするが、見あたらない。
微分形式を定義するところで出てくる外積代数は結合的だったよな……。
2007-08-26 (0) 01:22:10 +0900
Phinloda 氏の 「Phinloda の裏の裏ページ」で 「2番目にお待ちの方どうぞと言われても動かない理由」 というのを読んで思いついた話である。 レジが混み合ってきたため、 もう一人のレジ係がやってきて隣のレジを開け、 「2番目にお待ちの方どうぞ」と言ったというところから始まる話なのだが、 私はこの言い方は初めて聞いた。 私がよく聞くのは「お待ちの方どうぞ」である。 こう言われた場合、 並んでいる人は各自で判断して何人かがそちらへ移るわけだが、さて。
ふと思ったのは、「2番目にお待ちの方」とはどの人を指すのか、である。 いまレジを打ってもらっている人は待っているわけではないと考えれば、 その次の人が「1番目にお待ちの方」となる。 しかし、 いまレジを打ってもらっている人も会計が済むのを待っているのだと考えれば、 その人が「1番目にお待ちの方」となる。
(付) 最初は、 「いまレジを打ってもらっている人は『0番目にお待ちの方』かな?」と、 配列の添字にひっかけて考え始めた。
2007-08-26 (0) 01:00:00 +0900
2007-08-25 (6) 03:15:39 +0900
本項は伝聞とステレオタイプの組み合わせを元にしているが、 それが主目的ではないので、ご容赦を。
私が見聞きする「外国人」 の話というのは米国人あるいは西欧人のことであることが多いと思うが、 そういう人の話として聞いた話。 たとえば身体に障害が発生した場合、 「これができなくなった」と考えるのではなく、残っている能力について 「まだこれはできるんだ」と前向きに考えるのが日本人と異なるという。
一方、日本人が病人を見舞うとき、 「あんたはまだましだよ。**さんなんか、 同じ病気だけど歩けなくなってしまって」 などとより症状の重い人の話を持ち出して励まそうとすることがある。 これはよくないんだそうで、 それを聞いた患者のほうは「自分も悪くなるとそんなふうになってしまうのか」 と不安になるそうだ。
別の話だと思って理解していたが、 ある意味では共通する部分があるのではあるまいか。
2007-08-25 (6) 02:16:03 +0900
…ように思えてきた。 たとえば、孤独というのは 「かつては家族・友人がいたのにいまはいない」というだけのことであり、 真に不幸というわけではないのである。
2007-08-25 (6) 02:14:03 +0900
先日、道にキーケースが落ちているのを見つけた。 以前、カギのかかっていない自転車を見つけてしまい、 通りかかったうちの学生と話しあった結果、 盗まれて放置されているだろうとの結論に至り、 その学生が警官を呼んでくるまで番をして遅くなってしまった経験があるので、 Good Samaritan とつぶやきながら (《2000-06-03 (6) の日記 --- ネコが歩道で死んでいた》参照) 道の反対側を通り過ぎてしまおうとしたが、思い直して手にとり、開けたみた。 知っている不動産屋のキーが見えたので、そこへ届けようと歩き始めたら、 自転車に乗った青年がやってきて、自分のだと言う。 一瞬、何らかの方法で本人であることを確認する必要があるかなと迷ったが、 そのまま渡した。
あとで考えたこと。 私が手にしているキーケースを自分のだと主張しているわけだから、 落としたことは間違いないだろう。また、私が拾わなければ、 彼自身が拾うだけのことだから、やっぱり不要。
それよりも、中を開けて、キーが全部ついているかどうか確認してもらうべきだった。 もしもキーがなくなっていた場合、 まずは落ちていたあたりをさがすべきであり、 それがどこかを知っているのは私だけなのだから。
付) 本人確認をする必要があるのは、 落とし物が集まってくるところの係の人の場合である。 悪意のある人がこういうところへやってきて 「黒の財布です。あ、それです」 などといって財布をもっていってしまうことがありえるから。 それと混同していたようだ。
2007-08-25 (6) 02:00:53 +0900
《今夜はちょっと涼しいな / 何もしなくても書斎は 30 ℃台だった》 の追加部分に関連。 年齢の「三十台」を「30台」と書くことがあるが、それとも合っている。
2007-08-25 (6) 01:57:30 +0900
《今夜はちょっと涼しいな / 何もしなくても書斎は 30 ℃台だった》 の二つめの追加部分をご覧ください。
2007-09-05 (3) 02:54:03 +0900
今週の放送分の「右宗の日記」のコーナーで、 ジェニファーさんが右宗さんに教えていたのを、思い出してやってみた。 座れる場所じゃなかったので立ったまま。 左手を下から、右手を上から後ろに回し、背中で握り合うのはできる。 問題は逆だ。昔はできたのだが、身体がかたくなってしまい、できなくなっていた。 が、少しがんばったらできた。 できてみたら、目がはっきりして、よく見えるようになってきた。
肩がかたくなっていることはあまり感じていなかったが、 マウスでなくパッドを使っているせいかも。
付) 視力が落ちる原因が目以外の部分にあることがあり、 それがヨガで取り除けることがあることは、前から体験していた。
2007-08-25 (6) 01:17:01 +0900
私の書斎の温度は、外の気温よりも数度高い。 もしも気温が40℃を越えると、体温計が壊れてしまうのではと不安。 (持っているかどうかは不明。風邪で熱っぽくてもはからないから。)
2007-08-25 (6) 00:26:53 +0900
たとえば「退屈すると話し始めた」。 「その映画には退屈すると話し始めた」なら 「『その映画には退屈する』と話し始めた」の意味。 「その映画に退屈すると話し始めた」は「その映画に退屈し、そして〜」ぐらいの意。
「〜と話す」にはあいまいさがある場合がある、ということである。
2007-08-24 (5) 22:12:11 +0900
ビジネスマンたちの休み時間における雑談である。 それがいけないというのではなく、 長年このNHKラジオ講座を聞いているのにいままで気がつかなかった、 という意味で本項を書いた。 おそらく、先生の長年の経験でこれが一番ということに落ち着いたのであろう。
2007-08-24 (5) 22:09:46 +0900
職場の生協には毎月18日に並ぶのだが、 今月は土曜日にあたり、夏休み中ということで閉店だった。 よってきょう初めて店舗に並んだはずなのだが、 昼すぎにはもう二部しか残っていなかった。 きれいなほうを手にとったが、よく見ると、右下が少し折れている。 でも、そっちに写っているのは先生じゃないからいいや、と考えて買った。
二カ月前は、 買ってカバンにいれて持ち帰ったらミカエルさんが写っているあたりが汚れてしまい、 先生じゃなくてよかった、と思ったのだった。
テキストを買う動機が不純な私。いかんな。
付) うちの大学は夏休みになると学生数がぐっと減るので、 仕入れる数を減らしたのかも、とあとで気がついた。
付) 十分にきれいなのを買い求めるためには街の書店で買う手もあるのだが、 思いつかなかった。35 円が惜しいやつ。>自分
2007-08-21 (2) 03:30:45 +0900
2007-08-21 (2) 02:33:36 +0900
いま住んでいるところには、 5メートル×3メートルぐらいの、やや広めのベランダがあるのだが、 夏の日中はそこが日光でかなり熱くなる。 水をまくと涼しくなるようだ。
しかし、特に熱くなっているときに水をまくと、海のようなにおいがする。 エビを塩焼きにし、中身を食って殻だけ捨てておいたのが腐ったようなにおい、かな?
しかし、そのにおいをかぐのが快感になって毎日水をまき続けるのだった。
2007-08-21 (2) 02:28:35 +0900
職場のいつものプールだ。
先日、背泳をしていたら、「あと5メートル」の旗がなかなか見えてこない。 見逃したかと思って左右の景色を見てことなきを得たが、 なんと、学生が旗を片づけてしまったのだった。 もう一方の端の側の旗を片づけていた。 ひとが背泳しているときに片づけるなって。
2007-08-21 (2) 02:11:33 +0900
そういうのは実在しないわけだが、なぜないかというと、 文字列全体の集合の上に前後反転するという関数 r が定義されるが、 そのままでは回文になっていないということは r(s) != s であり、 逆から読むと回文になっているということは r(r(s)) = r(s) である。 よって r2(s) != s となり、 r の性質に反する、と。
2007-08-21 (2) 02:08:45 +0900
「00000...3」。
2007-08-21 (2) 02:07:37 +0900
よくわからない。
2007-08-21 (2) 02:06:02 +0900
Google で検索すると、 このあとに「ものばかりじゃない」とか「モノではなく」とかがついたもの、 すなわち、これを否定する文章もリストに含まれてしまう。 (というか、そういうページばかり見つかる。)
2007-08-19 (0) 02:22:54 +0900
あれが発せられるとジェダイを襲うよう、 クローン兵はプログラミングされていたわけだが。 アナキンは襲われない。 ジェダイではなくなり、シスになったとクローン兵にわかるのか? それとも、 そもそもアナキンは襲わないようプログラミングされていた?
そうだとすると、 クローン兵の生産が始まった II の十年前 --- それは I の時代にあたる --- にすでにアナキンが暗黒面に落ちるとシディアスは予期していた?
いや、クローンを注文に行ったのはシディアス本人ではなかったよな。
オーダー 66 が“引数”をつけて発令され、 その引数で指定された(元)ジェダイは襲わない、というのなら納得できるか。
あっ! 66 が引数だったのか? つまり、 この数に「アナキンは襲うな」という情報が含まれていた、と。 ジェダイには職員番号のようなものが付けられており、 66 はあの時点でアナキンに振られていた番号だったと考えればよい。
2007-08-19 (0) 01:51:18 +0900
太陽の動きを元に決めたことは間違いないが、 毎年、太陽の動きを観察して決めるわけではないから、 このままではやがて季節とずれてしまう。それでも「太陽暦」と呼ぶわけだ。
2007-08-19 (0) 01:49:21 +0900
いま 30.4 ℃。ここのところ、 2時すぎに窓を開けて外の風を入れてやっと 32 ℃を割るぐらいだった。
更新がとどこおっていたのはこの暑さのためです。
2007-08-19 (0) 01:46:45 +0900
“一瞬、30.0-39.9 ℃だったのかと思った”との指摘をメールでいただきました。 私には「室温は 40 ℃以上にはならないもの」との思い込みがあったようで、 だから 30.0-39.9 ℃の意味での 30 ℃台という言い方には意味がなく、 30 ℃台といえば 30.0-30.9 ℃と決めつけていたようです。 年齢に関して「三十台」と言えば 30 歳から 39 歳までですし、 気温が 40 ℃を越えたというニュースの聞かれたこの夏ですので、確かに。
(「30 ℃以上 40 ℃未満」のように書くのが正しいと思いますが、 普通気温は小数点以下第一位までしか書きませんから、ここでは 「30.0-39.9 ℃」のような書き方を採用しました。)
2007-08-25 (6) 01:33:03 +0900
同じ方から、年齢の場合は「三十代」のように「代」を使うのが普通で、 「台」を使うなら「三十歳台」では、とのご指摘をいただきました。 そのようです。 暑かったせいで(←こればっか ^^;)、辞書をひかずに書いてしまいました。 「一九六〇年代」も「代」です。
2007-09-05 (3) 02:36:38 +0900
スケッチの内容は、 ソフィーが寝過ごしたところにヴァンサンから電話がかかってくるというもの。 彼女は完璧な化粧をして、 服もきちんと着てベッドに横たわっていたのでおかしいと思ったが、 ベッドでの会話だけではスケッチが終わらず、 とってつけたように、あわてて出かける間際に リビングで叔母と母親にあいさつするシーンが付加されていることを考え合わせたら、 叔母に顔色が悪いと指摘されるのが状況の説明なのではと思い当たった。 一度起きて身じたくをしたが、気分が優れなくてそのまま床にはいり、 少しだけ休むつもりが寝過ごしてしまった、と。 (しかし、この解釈は、スケッチを見る直前のミカエルさんの、 目が覚めなかったという説明とは異なるし、 会話の中でもソフィーが目が覚めなかったと言っているので無理がある。)
本放送時にはお姿に見とれていて気づかなかったが、
「ソフィーがヴァンサンに『何時なの』と聞いていましたね。
この文は、時刻を言うときの決まった表現です」って、変。
「時刻を聞く尋ねるときの〜」だろう。
今回は先生の登場シーンは短め。
練習問題で右宗さんが「quel の活用ですね」と言っていたが、 正しいかな? 形容詞も「活用」って言うんだっけ?
quel, quels, quelle, quelles は四つとも同じ発音だと先生も説明されたが、 リエゾンすると違いが出てくるときもあるわけだな。 練習問題に出てきた quelles émissions とか。
時刻の表現の練習で使った時計は、 NHK が算数の番組のために用意しているもののように思えた。 文字が小学校の算数の教科書の字体のようだったことと、 小さな文字で(おそらく)「分」が文字盤に書かれていることから。
右宗さんが比較的ゆっくり vingt と発音するところがあったので、 唇の動きをよく見てみた。 どうも、上下両方の唇を歯の間に巻き込んで [v] の音を出そうとしているようだ。 普通は下唇と上の前歯を使ってオトを出すので、上唇は動かないと思う。
ところどころ、(おそらく) フランスで現地の人にきょうのフレーズを発音してもらったのが流れるが、 「Quelle heure est-il?」の訳語を 「何時なの?」と女ことばで統一してしまったため --- それはスケッチの中で話すのがソフィーだったからだが ---、 男性が登場するとちょっと変。
中級コーナーでは近接過去形 venir de ... が使われた回数を数える練習問題があったが、 venir + inf. が混ざっていたらむずかしかっただろうな。 (先週の半過去形でいえば、 j'ai été が混ざっていたら j'étais と聞き違えたかも。)
(venir devoir という言い方はあるんだろうか? あるとしたら、 venir de voir と聞き分けられる? venir deviner と venir de viner ならありそうだ。)
「来週のフレーズ」のところの、
右宗さんの石像をあやうく売ってしまうところだった、というお芝居。
上手になられたな〜。安心して見ていられた。
御御御手(ひじから先の部分)がかなりアップになる。
フレーズはこの中で出てくるので、立ったままおっしゃった。
当然、横ずわりはなし。
きょうは「右宗の日記」でフランツさんが花瓶を叩いており、 右宗さんの描いた画がタブラを叩くフランツさんだったので、 フランツさんの「リズムにのってフランス語」のコーナーはないのかと思ったら、 (いつもの通り)直後にあった。 (「右宗の日記」でフランツさんは 「1時」「2時」と時刻の表現を言っていったが、 なぜか「10時」で終わってしまった。)
映画コーナーのアニメは絵が不気味。 と思ったが、私が日本と合衆国のアニメだけを見慣れているからかも。
番組末尾の「スケッチ出演」に叔母さん役の名前が出ないことも、 冒頭段落に書いた推理 --- 「叔母との会話部分は後からの付加」説 --- の裏付けになる。 (母親役にはセリフがない。)
付) いま室温 35.0 ℃。昼間のこの温度には耐えられるのに、 夜に 32 ℃だと何もする気が起こらない。なぜ?
付) ふと気づいたのだが、 《NHKフランス語会話>八月 28 日(月曜日)放送分》 や 《NHKフランス語会話>八月 21 日(月曜日)放送分》 に書いたような先生の“吸い込み音”が、今年度は全く聞かれない。 訓練で克服されたのであろう。すごい。見習わなければ。
2007-08-18 (6) 12:36:29 +0900
del タグ(例:削除箇所)と
ins タグ(例:挿入箇所)を使って三箇所訂正した。
「ひじから先の部分」がアップになったというのは間違いだった。
普通に半身が映っていたのだが、
私がひじから先に注目していたので、
手のアップとごっちゃになってそう思ってしまったのだった。
2007-08-21 (2) 02:18:11 +0900
スケッチは、休日に公園で絵を描くベルモンさん。 そこへ若い母親役のジェニファーさんが乳母車を押して登場し、会話になる。 ベルモンさんが赤ん坊の健康状態についてコメントするので確かですかと聞き返し、 ベルモンさんが私は医者だからと答えると、 失礼しました、画家だと思っていました、と言う。 ちょっと気になったのは、 医者のほうが画家よりも“優れた” 職業であることを前提にしているスケッチであると誤解されないかな、 という点だ。でも、 「その見解を述べることのできる専門家であることに気づいていなかったのでごめんなさい」 と理解すればいいのだった。 逆に、 医師だと思っていた人が絵画について断定的な意見を述べ、 聞き返してみたら画家が“本職”だった、 というようなシチュエーションを考えてみればよい。 (文学者であり医師という例なら、斎藤茂吉とか。)
「夜ご飯」とおっしゃったのが意外だった。 こういった今風の言い方はされないと思っていたので。
右宗さんが先生に質問され「Je viens du Japon.」と答えるところ。 何度聞き返しても du に聞こえない。de に聞こえる。
venir の変化のところで、手に持っておられた紙ばさみのようなものを開かれた。 四月からずっと見ているが、初めてのはず。
練習問題。 「Camille vient chez moi dimanche.」だが、 ミカエルさんは出題のときには「... le dimanche」と言っているように聞こえる。
また字幕が「ジェニファーと発音しよう」に戻ってしまった。 字数の関係でしかたないのかな。 essuyer の訳語として字幕に登場した「拭く」は常用漢字外。 (でも「ふく」じゃなんだかわからない。)
中級コーナーの説明の中の「時点」という日本語の発音に違和感を覚えたのだが、 これは私が間違って覚えていたようだ。 新明解国語辞典第五版によると、「辞典」と同じアクセントが正しい。 (私は「高低低低」に発音していた。)
このコーナーでアップになって気づいたのだが、 前髪をぼさぼさっと垂らして、いつもとは違う髪型にしておられる。 これもなかなかいいな。
半過去形の作り方の説明で「最後の -ons」を 「オーエヌエス」と言っておられるように聞こえる。 2004 年度のラジオ講座でも。 《NHKフランス語講座>八月 17 日(火)分》 参照。
スケッチではベルモンさんが乳母車を上からのぞき込む。 その位置から判断して、子どもは頭を前にして、すなわち、 うしろ向きに、 母親役であるジェニファーさんのほうを向いて乳母車に乗っていることがわかる。 すると、「赤ちゃん」と呼ぶのが適切な年の子どもが思い浮かぶが、 ジェニファーさんは「あまり食べない」と言っている。 食べるような年齢になったら前向きに乗るのを好むような気がする。 フランス語では乳を飲むのも manger かなと思って和仏辞典を見たが、 そうではない。 (子どもは画面には映らない。)
フランツさんジェニファーさんの会話に出てきた半過去形の回数を数える問題。 放送時には十回と正しく数えられたのだが、 テープを見返したらそれより多くカウントしてしまった。 ジェニファーさんフランツさんがそれぞれ一度いい間違いをしている(ようだ)。 そのせい(ということにしておこう)。 (ちなみに、「十回」は「じゅっかい」と発音された。「じっかい」でなく。)
来週のフレーズ。 いつものように、ここで左腕をひじかけにかけられる。 冒頭のフランツさんのセリフで、 中級コーナーの間、右宗さんはミカエルさんから授業を受けていたことがわかる。 (何の?)
後半の、パティシエの田中真理さん。 右宗さんの質問に「バラの花のように……」と説明する際、 包丁を持った右手と左手とで宙に円を描くようにして、 「わー。左手に刺さったらどうしよう!」と思ってしまった。 大丈夫なんだろうな。プロだから。
できあがったデザートがアップになるところ。 名前は日本語で出るが、影はフランス語のような気がした。 でも読み取れなかった。
ホームステイ先の人が、動詞の活用の“テスト”をしてくれた、 というのは驚き。日本人は、日本語の動詞の活用のテスト、できるかな?
付)暑いよう〜。いま室温 36 ℃。
2007-08-15 (3) 13:35:33 +0900