以前、ファイルシステムがおかしくなったのか、 一部がバイナリファイルと置き換わってしまったファイルがあった。 前項、前々項を書いてみて、またそういうことが起きたのかと心配になったので、 いま、この「いろいろ」のファイル 190 個を、 Vz エディタで、ざっとスクロールしてながめてみた。 異常は発見されず。
2009-03-20 (5) 00:35:50 +0900
これも、前項同様、書いたと思っていたのに書いていなかったようだ。
全部で五つの楽章からなる。第四楽章は短く、第五楽章へ切れ目なく続くので、 それを第五楽章への序と見ることにすると、 第一、第二、第三、第五楽章が、 古典的な楽章の配置から中間楽章の順序を入れ換えたものになっている。 これが一つの解釈である。
もう一つの解釈は、前項に書いたように、 聞き手にじっくり聞くことを要求する楽章を「重い」と、 そうでない楽章を「軽い」と表現すると、 全五楽章は「重−軽−重−軽−重」とシンメトリーをなす。
2009-03-19 (4) 23:46:20 +0900
書いたと思ったのだが、見つからないので、最初から書く。
全部で七楽章あり、切れ目なく演奏されるが、 主要な楽章は第一、第二、第四、第五、第七の五つである。 第三楽章は単なる間奏、第六楽章は第七楽章への序である。 (フィナーレのアレグロの前にゆっくりした序奏がつく例はある。)
第一楽章はそれなりの大きさをもった緩やかなフーガ、 第四楽章はこの曲の中心をなすといってもよい変奏曲形式による緩徐楽章、 第七楽章はソナタ形式によるフィナーレである。 この三つは、聞き手にじっくりと聞くことを要求する楽章である。 うまいことばが思いつかないので、これを「重い」楽章と仮に呼ぶ。 それに対し、第二楽章は軽いロンド、第五楽章はコミカルなスケルツォで、 聞き手は比較的容易に理解することができる。 これらは「軽い」楽章である。 すると、主要な楽章は順に「重−軽−重−軽−重」と、シンメトリーをなす。
ここまでを前に書いたと思っていたのだが、見当たらない。
新しく気がついたのは、残りの第三、第六楽章の位置である。 これらは、 「軽い」楽章から「重い」楽章へ切り換わるところに置かれているのである。
2009-03-19 (4) 23:32:09 +0900
タイトル行は、職場で実際に回ってきたメールからの引用である。 内容は、そこからサービスで果物をいただいたので、 各自、適宜食べてください、というもの。 この「○○楼」というのは、 “私たちがそこに”お弁当を注文しているところの○○楼の意味であることが、 われわれにはわかっている。
(名前からわかるように立派な料理屋さんだが、 昼食の弁当は一人前につき千円と比較的廉価である。 なお、その代金は職場から出るのではなく、 われわれがその都度支払うことになっている。念のため。)
しかし、 「いつも昼食会のお弁当を注文している○○楼」 という構文だけを見ると、われわれがお弁当屋さんで、 “われわれに”お弁当の注文をしているところの“○○楼”、とも取れる。
日本語って、よくこれで通じるなあ。
付)本当に後者の意味なら、 「いつも昼食会のお弁当を注文してくる×××」となるだろう。 真に両方の意味に取れる文章を考えるなら 「いつも昼食会のお弁当を注文する○○楼」 ぐらいだろうか。
2009-03-19 (4) 19:44:21 +0900
金曜日に家に帰りつくのが18時、 月曜日に家を出るのが8時としても62時間で、約 37 % である。 週末の休みは週の三分の一以上、四割近くなんだ。 思っていたよりも長い。
前項で書いた表を見ながら、勤務時間を時計の文字盤上に示すとどうなるかな、 と考えてみて気づいたこと。
2009-03-18 (3) 20:53:10 +0900
等速度で、一週間かかって文字盤を一周する「曜針」があったとする。その 《曜針は12時位置が「日曜日0時」なら3時位置は「月曜日18時」》 なのだが、ほかの位置ではどうであろうか。 表にしてみよう。
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これだけで、オチはない。
小学生のころだったら、画用紙にコンパスで円を書き、 分度器を使ってその回りに目盛りを振っていったであろうに、 いまはその気力が出ない。
2009-03-18 (3) 20:28:39 +0900
職場の各教室に電波時計がついたが、 デジタル表示部の「時」の十位の幅が狭く、 20時以降を表示させたら不格好だろうな、 というものが結構ある。 20時以降に教室を使うことはまずないから、問題ないのだが、 そんなところでスペースを節約してもしかたがないでしょう? と言いたくなる。
2009-03-18 (3) 20:19:25 +0900
《20時以降は12時制表示になるデジタル時計があったっていいわけだよな》 の補いの部分に書いたことを、 「簡易24時制デジタル表示」 という言葉をタイトル行に出して再提示したものである。
内容を要約すれば、 12時制用に設計された液晶パネルでは「時」の十位に「2」が表示できないが、 「0時」、「1時」、……、「12時」、「13時」、……、 「19時」までは24時制で、そのあとの「8時」「9時」「10時」「11時」 は12時制と「午後」マークで表示すれば、 20時の直前までは24時制表示できる、というもの。 一日のうち 5/6 は24時制表示となる。
宣伝に書くとしたら 「アポイントメントがはいる可能性の高い19時台までは24時制表示になる 『簡易24時制表示』対応」などと。
付) 関係ないけど、これも前に書いたことをついでに。 同じ12時制でも、 NHKのように12時を「0時」と表示するモードもつけてほしいと思う。 こちらは実に簡単なことのはずなのだが。
2009-03-18 (3) 20:04:55 +0900
2月10日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「熊野古道の石垣壊す / JR西 レール敷設からみ」に 写真が載っている。 工事用の機材や伐採した材木などを運ぶための簡易モノレールである。
前に、職場へのバス道に沿った遊歩道を歩いていて、このレールを見たことがある。 まさかこんな人のいないところにモノレールを走らせるわけはないよな、 と思ったのと、しばらくしてまた行ったらなくなっていたのとで、 夢でも見たのかと思ったが、実在するのだ。
検索すればネット上にメーカーのサイトが見つかる。
2009-03-18 (3) 02:41:44 +0900
2月8日づけ大阪本社版スポーツ面の、
西武の「中島、必死に守備練習」という記事。
《「守備がうまくなりたい。まだ、僕は内野手になりきれていないから」
》、
などとあるが、それまでどこを守っていた選手なのか書かれていない。
あと、年齢も。
シーズンが始まると、 試合の結果が主になるのでそこまで書くスペースがないこともあろうが。
2009-03-18 (3) 02:35:58 +0900
2月8日づけ大阪本社版スポーツ面。「米国で巨人―阪神戦」と見出しがあるが、
中を読むと《阪神―巨人戦を米国で開催したい構想を明かした
》。
2009-03-18 (3) 02:33:39 +0900
2月11日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「サメに襲われた ウミガメに愛の脚」「義肢開発へ募金開始」。 サメに脚を食べられたのなら、義肢をつけて海に帰せば、 サメがその義肢を食べないとも限らない。 サメが食べても悪影響のない材質で作るのだろうか。
2009-03-18 (3) 02:28:52 +0900
2月11日づけ大阪本社版「ニッポン人・脈・記」は「愛 タカラヅカ」の9回目。
《…は肺結核にかかり、1年足らずで去った宝塚時代の写真を
「ゼロからやり直そう」とすべて焼いた
》。
おそらく焼却処分したの意味だと思うが、
だったら「焼き捨てた」としたほうが紛れがない。
《佐藤千晴
》と署名あり。
「焼き増し」などという語はもう使われないということか。
2009-03-18 (3) 02:24:03 +0900
2月11日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《小欄で漢字を「固形スープのもと」に例えたことがある。
一粒一粒の中に、ひとしきり語れるだけの深い味が潜むと
》。
漢字一字ずつの意味を調べて理解している人はどのくらいいるのだろう? その漢字を使った熟語の意味から類推している人がほとんどだと思うのだが。
2009-03-18 (3) 02:20:17 +0900
2月12日づけ朝日新聞大阪本社版は、 前日の「建国記念の日」に開かれたと思われる集会について全く記事にしていない。 石川面には「「建国記念の日」金沢で集会」「海自派遣に賛否」 「安全保障の議論 奉祝の会」「戦争への動きと警鐘 市民団体」 という見出しの記事が載った。 この祝日の本来の趣旨からはずれているような気がするのだが、 朝日新聞がそういう方面だけを記事にしているのか。
2009-03-18 (3) 02:14:52 +0900
日本との時差は17時間》と
2月12日づけ大阪本社版スポーツ面、 「バンクーバー冬季五輪 開幕まで1年」の、五輪スケジュール表の下に。
UTC から 8 時間後れのタイムゾーンに属するようだが、
《朝日新聞>「日本との時差はマイナス5時間
」》
ではついていた「マイナス」がここにはない。
2009-03-18 (3) 02:05:48 +0900
「カストラート」は「castrato」、 「カストリ」は「粕取り」、 人名の「カストロ」は「Castro」。
2009-03-18 (3) 01:59:59 +0900
「漢字検定」の略である。(いずれも正式名称がどうなっているかは調べていない。)
2009-03-18 (3) 01:57:37 +0900
ガリ通はガリの通。全体では意味不明。
2009-03-18 (3) 01:56:48 +0900
意味不明。
2009-03-18 (3) 01:55:44 +0900
この「露天派」は「露天風呂派」の意味である。 みんなで露天風呂に入ればテロを起こそうなんて気持ちにはならない、 ということかどうかは考えていない。
前に 《回文>「露店は反テロ」(ろてんははんてろ)》 を書いた。
2009-03-18 (3) 01:52:10 +0900
意味不明。
2009-03-18 (3) 01:50:02 +0900
二つの食べ物の名前を連ねたもの。
2009-03-18 (3) 01:49:01 +0900
「3」を「さ」、「1」を「い」、「4」を「し」と読む。
大学2年生のときの専門科目の試験はこの日にかかっていたような記憶が。
2009-03-18 (3) 01:44:09 +0900
一辺が数十センチメートルぐらいの大きな豆腐があったとする。 水の中に入れておく分には大丈夫だと思うが、 水から出すと自らの重みで崩れてしまうだろう。 これを手で持ち上げて水槽から別の水槽へ移せと言われたら、むずかしい。
では、フォースを使ったら、 豆腐の各部分に均等に力を加えることはできるのだろうか。 できるなら、持ち上げて移すことができるだろう。
2009-03-16 (1) 00:33:50 +0900
都井睦雄(といむつお)はいわゆる津山事件の犯人とされる人物。 事件直後に自殺している。 最初はカナ単位で並べ替えてアナグラム名をと考えてみたがうまくゆかず、 漢字単位で並べ替えたもの。
書いてみて思ったのは、ぱっと見ると区別がつきにくいな、ということ。 なお、いまのところ、Google では 1 件もひっかからない。 また、「都雄」の読み方は考えていない。
前に 《「真利藤子さん」って実在するようだ / 「藤真利子」のアナグラムね》 で、この二つの名前がうっかりすると区別がつきにくいと書いたが、 これよりも区別がつきにくいような気がする。
2009-03-15 (0) 23:41:37 +0900
冒頭の議長救出作戦。 アナキンがライトセーバーでドゥークーの両手首を切断した時点で、 (表面上は)敵の大将を降伏させたわけだから、 彼を人質にグリーバスと交渉することができたかも。 ただし、 彼の両手首を切断してしまったので、 手錠で拘束するわけにはゆかない。どうするか。
あの世界では、手足をライトセーバーで切られた場合、 すぐに生命の危機にはならないが、戦闘する気力はほとんど失われるようである。 だから、拘束せずにそのまま連れてゆけばよかったのか? もしも普通にエレベーターが使えてグリーバスの元まで連れてゆけた場合。
2009-03-15 (0) 20:03:30 +0900
「STAR WARS」のロゴはそのまま後ろに遠ざかり、画面中央に消えるが、 オープニングのあの文字列 --- 透明な板の上に書かれていて遠ざかってゆくように見えるあれ --- の消えて行く先は、画面中央の上の端あたりである。
いままでずっと、同じ点に消えて行くように思っていた。
付) タイトル行で「無限遠点」という射影幾何学のことばを使ってみたが、 正しかったかな、この用法。
2009-03-15 (0) 19:58:48 +0900
2009-03-14 (6) 02:49:11 +0900
2月1日づけ朝日新聞大阪本社版読書面の、 「上坂昇〔著〕『神の国アメリカの論理」。
ヘイギー師がこのような運動を起こしたのは、 聖書が「神はイスラエルを愛する人を愛し、 イスラエルを呪う人は神に呪われる」と告げていると信じているからである。 概して宗教右派は、 イエスの再臨の条件として、 イスラエルの民であるユダヤ人が聖地イスラエルに帰還しなければならないと信じている。 彼らは、キリストの再臨がある日突然起こり、 千年王国が始まるとする(前千年王国論)。 そしてイスラエルの復活は、その前提とみなされている。
このカギカッコの中の文章が聖書のどこにあるのか、書評にはないのでわからない。 評者は東京大学教授の久保文明氏。
付)
キリスト教徒が聖書の中で「イスラエル」とある箇所を読む場合、
創世記の人物としてのイスラエルでも、
二つの王国に分かれたユダとイスラエルの片方でも、
現代のイスラエル国でもない、神の民と理解する場合がある。
たとえば、詩篇第 131 篇の
「イスラエルよ、今からとこしえに主によって望みをいだけ
」
を日本人のキリスト教徒が読んだ場合、
このイスラエルには自分も含まれていると理解するのが普通だと思う。
結婚式の際に牧師が読み上げる文章を見せていただいたことがあるが、 聖書の一節の「イスラエル」を、一般の参列者の誤解を招かぬよう、 (確か)「神の民」と手書きで修正してあったのを覚えている。
付) タイトル行内の引用は、字数の関係で、一部を省略しました。
2009-03-14 (6) 02:27:33 +0900
日本との時差はマイナス5時間」
2月1日づけ大阪本社版トップ記事「ドバイ熱 冷める」にそうある。 いつもこの書き方なので、気になる。 「日本から見た時差はマイナス5時間」ならまだわかるのだが。
2009-03-14 (6) 02:24:45 +0900
《少子化だからといって、いまに電車がガラガラになるとは思えない》 で取り上げた、 1月24日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b3 面、 「丹羽宇一郎の負けてたまるか!」は 「大学生き残り 本丸の教育で勝負せよ」。
《少子化の時代こそ、大学は意識してエリートを育てる必要がある。
入る門は広くても、出る門は狭く。
真剣に勉強しないと卒業できないようにする
》。
エリート教育を行なうにはもう一つの方法がある。
それは、きびしい入学試験で真のエリートだけを選び、入学させることだ。
しかし、それは少子化でできないからと、こちらの方法を提案されたのであろう。
(それを理解するまでにだいぶかかってしまった。)
だが、いまの日本の学校はその制度に慣れていない。 仮に、A大学だと中退の可能性のある受験生が、 B大学なら卒業までできそうだ、ということが、受験前にわかったとする。 A大学に入学し、中退したら、B大学に編入できるような制度を作るのか。 作らないとしたら、社会では「A大学中退」と「B大学卒業」 のどちらを上に見てくれるのか。
また、実際に授業で教えた学生は、よほどやる気がない者を除けば、 なんとか卒業させてやりたい、 と思うのがいまの大学の教員の多くが持っている考えだと思う。 「この者はレベルに満たないから中退させる」との決心にはつらいものがあるだろう。 当然、答案は学生の氏名を隠して採点することになろうが、 文字の癖、解き方の癖まで、覚えてしまうこともある。
学生定員を減らし、結果として入試を“狭き門”にするが、 教員の定員は減らさない、というのが最も適切なエリート教育の方法だと私は思う。
2009-03-14 (6) 01:59:37 +0900
日本式ローマ字という可能性もあるが、 それよりはカナ式ローマ字の影響だと思われる。
2009-03-14 (6) 01:57:14 +0900
2月4日づけ大阪本社版芸能面、「米朝 口まかせ」に、
《わかりずらい言葉
》という表記が見える。
普通は「わかりづらい」だろう。
《談、題字も
》とあるので、
米朝が語ったのを記者が文字にしたものだろう。
2009-03-14 (6) 01:53:14 +0900
「受け取らない」という選択肢もあるが、受け取ったものとして、 どういうお店で使ったら、最も経済を活性化させられるのだろうか。
また、「お金に困っていないからもらわない」という人にも、 一応もらって、本当に困っている人に(ただで)あげる、 という選択肢がまだ残されているように思うのだが。
2009-03-14 (6) 01:47:40 +0900
河邨文一郎さん(1917〜04)》という書き方は珍しい
2月7日づけ大阪本社版 be on Saturday の e1 面、「うたの旅人」 はトワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」。
作詞者の紹介が、タイトル行に引用したようになっている。 まさか、「紀元前」が省略されているわけではないから --- もしそうなら 13 歳ぐらいで没したことになる ---、 「1917 〜 2004」の意味であろう。
2009-03-14 (6) 01:42:34 +0900
2月7日づけ大阪本社版 be on Saturday の e1 面、「うたの旅人」 はトワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」。
第1の注文は、 前回のグルノーブル五輪(68年)の「『白い恋人たち』のように、 永(なが)く歌い続けられる歌を」。 第2に「オリンピックを憧(あこが)れ、 待ち焦がれる雪国の人々の生活感情を歌いこめて欲しい」。 そして「更に第三の注文が難題だった」と振り返る。
どうして、「第1」「第2」ときて、
「第3」でなく「第三」なのだろう? 作詞者の
《河邨さん自身が書き残している
》に続くから、
「第三」は原文どおりとした?
2009-03-14 (6) 01:33:12 +0900
2月7日づけ朝日新聞大阪本社版第一面
『「超ミニ」新潟スタイル』。
《女子高校生の制服のスカート丈が全国一短い
》んだそうで、
《一斉に生徒指導に乗り出した
》。
《指導の中心となった新潟市立高志高校の内川洋校長は
「足が冷えると体によくない。『こんな格好を許していいのか』
という電話や投書も多かった」という
》とあるのだが、
小学生のころ、
冬でも長ズボンでなく半ズボンをはいていると体が強くなる、
と言われたことがある。
どっちが正しいのだろうか? (小学生のころの私は病弱で、
冬は長ズボンをはいて通学していた。)
2009-03-14 (6) 01:26:41 +0900
辞書などで二十四節気を引くと、だいたいの日付が載っていることがあるが、 それはいつごろの平均的日付を載せているのだろう?
1901 年から 2099 年までは四年ごとにうるう年を入れるので、 四年につき 365.2422 * 4 - (365 * 3 + 366) = -0.0312 日ずつ、 日付がずれる。 200 年の間には約 1.5 日の差になって現われる。 20世紀初頭を基準にした日付を載せていると、 21世紀末にはそれだけずれが生じるわけだ。
《グレゴリウス暦改定案>「2000 の倍数の年がうるう年かどうかはその都度」》 の後半の表や、前項の表によれば、 400 年間には最大で 2 日以上のずれがある。
グレゴリウス暦をきちんと理解せず、 「いまの暦では二十四節気の日付は毎年ほぼ一定だから」 と過去数年のデータだけから書いたものはあぶない、 ということになる。
2009-03-14 (6) 01:10:23 +0900
グレゴリウス暦は、一年の長さを 365.2425 日とする。 本当にそのとおりだったとしよう。 小数点以下を分数で書けば 97/400 である。 2000 年の春分の日時が、あるタイムゾーンで 0 だったとしよう。 2400 年までの春分の日時は、次のようになる。
年 | 日時 | -1----+----0----+----1----+----2- |
---|---|---|
2000 | 0.0000 | .|.........*.........|.........|. |
2001 | 0.2425 | .|.........|.*.......|.........|. |
2002 | 0.4850 | .|.........|....*....|.........|. |
2003 | 0.7275 | .|.........|......*..|.........|. |
2004 | -0.0300 | .|.........*.........|.........|. |
2005 | 0.2125 | .|.........|.*.......|.........|. |
2006 | 0.4550 | .|.........|....*....|.........|. |
2007 | 0.6975 | .|.........|......*..|.........|. |
2008 | -0.0600 | .|........*|.........|.........|. |
... | ||
2096 | -0.7200 | .|..*......|.........|.........|. |
2097 | -0.4775 | .|....*....|.........|.........|. |
2098 | -0.2350 | .|.......*.|.........|.........|. |
2099 | 0.0075 | .|.........*.........|.........|. |
2100 | 0.2500 | .|.........|.*.......|.........|. |
2101 | 0.4925 | .|.........|....*....|.........|. |
2102 | 0.7350 | .|.........|......*..|.........|. |
2103 | 0.9775 | .|.........|.........*.........|. |
2104 | 0.2200 | .|.........|.*.......|.........|. |
2105 | 0.4625 | .|.........|....*....|.........|. |
2106 | 0.7050 | .|.........|......*..|.........|. |
2107 | 0.9475 | .|.........|........*|.........|. |
2108 | 0.1900 | .|.........|.*.......|.........|. |
... | ||
2196 | -0.4700 | .|....*....|.........|.........|. |
2197 | -0.2275 | .|.......*.|.........|.........|. |
2198 | 0.0150 | .|.........*.........|.........|. |
2199 | 0.2575 | .|.........|..*......|.........|. |
2200 | 0.5000 | .|.........|....*....|.........|. |
2201 | 0.7425 | .|.........|......*..|.........|. |
2202 | 0.9850 | .|.........|.........*.........|. |
2203 | 1.2275 | .|.........|.........|.*.......|. |
2204 | 0.4700 | .|.........|....*....|.........|. |
... | ||
2296 | -0.2200 | .|.......*.|.........|.........|. |
2297 | 0.0225 | .|.........*.........|.........|. |
2298 | 0.2650 | .|.........|..*......|.........|. |
2299 | 0.5075 | .|.........|....*....|.........|. |
2300 | 0.7500 | .|.........|.......*.|.........|. |
2301 | 0.9925 | .|.........|.........*.........|. |
2302 | 1.2350 | .|.........|.........|.*.......|. |
2303 | 1.4775 | .|.........|.........|....*....|. |
2304 | 0.7200 | .|.........|......*..|.........|. |
... | ||
2396 | 0.0300 | .|.........*.........|.........|. |
2397 | 0.2725 | .|.........|..*......|.........|. |
2398 | 0.5150 | .|.........|....*....|.........|. |
2399 | 0.7575 | .|.........|.......*.|.........|. |
2400 | 0.0000 | .|.........*.........|.........|. |
この中では 2096 年の -0.7200 が最も早く、 2303 年の 1.4775 が最も遅い。 その差は 2.1975 である。
(うるう年に限れば、2096 年の -0.7200 が最も早く、 2304 年の 0.7200 が最も遅い。 これは、2000 年、2400 年の 0.0000 を中心として対称だ。)
すなわち、ある二十四節気はグレゴリウス暦で、3 〜 4 日間の間を動く可能性がある。 たとえば、 最も早いのが 19.1 日とすると、最も遅いのは 19.1 + 2.1975 = 21.2975 で、 19 日、20 日、21 日の可能性がある。 最も早いのが 19.9 日とすると、最も遅いのは 19.9 + 2.1975 = 22.0975 で、 19 日、20 日、21 日、22 日の可能性があるわけだ。
付) 《グレゴリウス暦改定案>「2000 の倍数の年がうるう年かどうかはその都度」》 には、一年をより正確に 365.2422 日として計算した表を載せたが、 結論はほぼ同じである。
2009-03-13 (5) 20:45:05 +0900
武蔵関は西武新宿線の駅名。武蔵は宮本武蔵とか。
2009-03-13 (5) 20:25:08 +0900
《力学の前に習う運動学で、相対速度は相対性理論が関係してこないのか?》 に関連するのだが、 小学校の算数で習った旅人算や通過算は、 アインシュタインの相対性原理ではなく、 ニュートン流の世界観で解けばいいんだよな?
2009-03-13 (5) 20:20:39 +0900
ほかのジェダイはもっと大勢で倒している。 たとえば、あの見張り台ごと大砲で吹き飛ばすとかしないと。
2009-03-13 (5) 20:08:44 +0900
《ベートーベン>弦楽四重奏曲第16番は交響曲第8番みたいなものでは?》
に引用したように、弦楽四重奏曲第16番は
「何となく生命の衰えにも似たものが感じられる
」とも言われるが、
その後に、本当に最後に書いた楽章であるところの、
第13番の新しいフィナーレは活気に満ちているように思われる。
付)先日、その冒頭を着メロに打ち込んだ。
2009-03-13 (5) 20:01:11 +0900
元々のいろは歌でも「ハ」と「ト」(実は「ド」)は助詞だが、 「ニ」「ヘ」は偶然。
2009-03-13 (5) 19:53:51 +0900
新明解国語辞典第五版では見出し語「まろうど」の「う」の脇に 「オ」と発音を示すカナが書いてある。 よって、marôdo と発音するのが正しい。
ウドは子どものころから食べていたので、 勝手に「まろ+うど」と分解して理解していたのかも。
2009-03-13 (5) 19:50:39 +0900
ランプの魔王が三匹、 あるいは二匹でも同時に仲間になればどれだけ強いだろうと考え、 かなりの数のランプの魔王を無駄に倒していた。 デスコッドの村で誰かが 「ランプの魔王は同時には一匹しか仲間にならないよ」 と教えてくれたらよかったのに。 ランプの魔王は、主人公たちと同じ大きさの絵も用意されていたわけで、 ランプの魔王そのものが教えてくれるようにもできたはず。
2009-03-13 (5) 19:45:12 +0900
親子の情がいつ忠誠心に勝つかわからないわけで、 皇帝としては、アナキンの子が生きていたとわかった時点で、 ベイダーかルークのどちらかを殺すしかなかったのでは。
2009-03-13 (5) 19:42:27 +0900
本文ナシ
2009-03-11 (3) 19:14:47 +0900
2009-03-10 (2) 23:39:53 +0900
「カチカチ」「カチコチ」とも言うが、そっちのほうが日本語らしい感じがする。
2009-03-10 (2) 22:27:44 +0900
DVD のうち、いつも飛ばしている静かなシーンだけを、 音量を上げて観賞していて気がついた。
2009-03-09 (1) 22:54:27 +0900
簡単のため、1900 年三月 01 日から 2100 年二月 28 日までの範囲で考えよう。 この期間は、うるう年が規則的に四年ごとにはいる。 また、二月 29 日生まれの人は 50 歳の誕生日がないので、除外する。
生まれた日の翌日から、50 歳の誕生日までの期間を考える。 その 50 年の間には、12 回ないし 13 回のうるう日(=二月 29 日)がはいる。
うるう年の二年後の四月 02 日からその翌年の四月 01 日までの学年に限り、 すべての人が後者に含まれる。
付) 1900 年のような例外的な平年をはさむと、 上の mod 7 の計算の結果が 5 か 6 となり、 この現象は起きなくなる。 タイトル行に「いまは」と入れたのはそのため。
付)1900 年三月 01 日から 2100 年二月 28 日までの範囲では 《28 年でカレンダーが元に戻る》 ことは知っていた。
2009-03-09 (1) 20:31:28 +0900
2009-03-09 (1) 02:49:58 +0900
……のではあるまいか。 昔は、日食の際、理科の観察として、 すすを塗ったガラスを通して太陽をながめさせることがあったが、 ガラスが割れて太陽を直視すると失明の可能性があるので、 いまはやらせないと聞いたことがある。
まねすると危険だからと歌の歌詞が変わったり、 歌が歌われなくなったりしたら変だが、 ほんとうに危険ならやむを得ないか、とも思う。 それ以前に、手のひらが割れることはまずないから、大丈夫か。
付) 「シスの復讐」に登場したグリーバス将軍はあぶないな。
2009-03-09 (1) 02:43:17 +0900
これは私のカン違いのようだ。 そのやり方で日食を観察しようというページがいくつも見つかった。 どうやら、望遠鏡に光量を減らす何かを入れ、のぞいて太陽を観察するのは危険、 という話と混同したようだ。 こちらは、もしもそれが割れると、 明るさが何十倍にもなっているから危険なのだろう。
2009-03-09 (1) 20:17:30 +0900
議長と書いたが、I の冒頭ではまだ議長ではない、パルパティーンのことである。 観客はすべてがシスであるパルパティーンの計画のもとに行われたと知るが、 登場人物たちには通商連合や分離主義者たちと議長との関係がなかなかわからない。 オビ=ワンは終盤でパドメを訪ねたときに “議長はシスで、ドゥークー伯爵の死後、アナキンを新たな弟子にした”と言うが、 アナキン自身は、 ドゥークーと議長、 ダース・モールと議長の関係を理解していたのだろうか? 理解していたのだとすると、かつてパドメの命を狙った議長に、 彼女の命を死から救う術を教わろうとすることになるわけで、 複雑な心理なのではないかと思われる。
2009-03-09 (1) 02:36:40 +0900
イエス12歳の、過越の祭の際のエピソードである。 イエスの生誕は紀元前4年と聞いたことがある。 そうだとすると満12歳は紀元9年のとき。 今年はそれからちょうど2000年ということになる。
その前後の 40 節、52 節と合わせて、私の好きな箇所である。
2009-03-09 (1) 02:30:31 +0900
……のように言うのを二度ほど聞いた。 問い合わせ先の電話番号を言うからメモを用意しろ、という予告だろう。 なるほど。
2009-03-09 (1) 02:28:12 +0900
米国と欧州のみ、載るように記憶している。
2009-03-09 (1) 02:24:34 +0900
ハイフンの有無はここでは問題でなく、 me: と読まれないためにつけた「¨」の話である。
2009-03-09 (1) 02:00:45 +0900
元々のタイトル行は someï-yoshino とヘボン式になっていた。 どうしてそう書いたのかはわからない。
2009-03-13 (5) 20:09:29 +0900
《「ソメイヨシノ」を「ソメーヨシノ」と発音しているアナウンサーがあるが》、 それは、「メイ」が普通は「メー」と発音されるからである。 たとえば「命名」のふりがなは「メイメイ」だが、発音は「メーメー」となるように。
フランス語だと、こういう場合、文字の上に「¨」をつける。 égoïste は「エゴイスト」のように発音され、エゴイストの意味だが、 もしも「¨」なしで égoiste と書くと、 フランス語では -oi- のつづり字は [wa] と発音するから、 「エグワスト」のような発音になってしまう。 “o と i が並んでいるけれど、ひとまとめだと思ってはいけませんよ” というのが「¨」の意味するところである。 こういう記号を、カナにもとり入れられないだろうか? そのまままねて
.. ソメイヨシノとする、というのは冗談だが。
付) 染井吉野と漢字で書けばいいじゃないか、という意見もあろうが、 ここでは植物名はカタカナ書きというルールの元で考えているのである。
2009-03-09 (1) 01:49:44 +0900
「暇はなき」は、非常に忙しいさまを言う。 「沖縄舞」というのは、そう呼ばれる舞が仮にあったとして、の話である。
2009-03-09 (1) 01:45:24 +0900
「暇はなき翁は舞ひ」(ひまはなきおきなはまひ)のほうが自然だったか。
2009-03-23 (1) 02:26:20 +0900
過去のできごとを回想しているのである。 死人が「かんかんのう」を踊っているのではない。
2009-03-09 (1) 01:43:35 +0900
守備位置の番号は、 投手が1、捕手が2、一塁手が3、二塁手が4、三塁手が5、 遊撃手が6、左翼手が7、中堅手が8、右翼手が9である。 打順は、特にプロの場合、投手が9番、捕手が8番ということが多いだろう。
では、打順が完全に守備位置番号の逆順、つまり、 右翼手が1番、中堅手が2番、左翼手が3番、遊撃手が4番、三塁手が5番、 二塁手が6番、一塁手が7番、捕手が8番、投手が9番、 という打順になった例はあるのかな。
一塁手は打撃に集中できるポジションなので、 それが七番打者というのは、打撃力において物足りない気はする。 つまり、一塁を守れる人でもっと上の打順を打てる人がたいていいるので、 一塁手はもっと上の打順のことが多いように思う。
2009-03-09 (1) 01:30:12 +0900
7回・8回・9回あたりになって、 「これはもしかして完全試合になるか!?」と観客が注目する中、 打球が外野でバウンドしたら「ああ、だめか!」とため息をつくだろう。 それがライトゴロでアウトになったら、かなり劇的だと思うのだが。
付) ノーヒット・ノーランだと、四球などで出た走者がレフトゴロでフォースアウト、 ってこともありえるのかな。
2009-03-09 (1) 01:23:12 +0900
Google でその大学のサイトをさがしてから、 そのサイト上の入学試験の合否発表を見よう、という人が続出するためだろう。
しかし、Google が一時的に使えないことも考えられるわけだから、 受験した大学のサイトは前もってブックマークしておくべきだろう。
いや、URL は配布書類でわかっているはずだ。 多くの人が、打ち込むのがめんどうなので Google に頼る、ということか。
2009-03-09 (1) 00:13:23 +0900
相撲では、力士が土俵に上がってから実際に組み合うまで、いろいろな儀式を行なう。 あそこで、決められた通りにやらないと、やはりまずいのだろう。 反則負けにされることがあるのではあるまいか。
だったら、問題になっている、勝ったあとのガッツポーズも、 「反則負け」としたらどうか。 取り組みに勝っても、そのあとにルール違反があったから反則負け、 というわけである。
その判定が微妙な場合には、もちろん物言いがつく。
2009-03-08 (0) 23:38:43 +0900
東京都で生まれ育ったもので。
2009-03-08 (0) 23:37:41 +0900
2009-03-08 (0) 02:14:04 +0900
生きたまま焼き殺し》って、間違ってはいないが
1月30日大阪本社版社会面「4人死刑執行」の記事中。 「焼き殺し」とある以上、「生きたまま」なのは当然ではあるまいか。
厳密に解釈すると、焼き殺したあとも生きたままでなければならないが、 それは無理というものだろう。
2009-03-08 (0) 01:52:34 +0900
「生きたまま焼いて殺し」ならいいように思う。
2009-03-09 (1) 02:26:44 +0900
1月30日づけ大阪本社版、関西スクエアスペシャルの面。
《伊勢神宮と近畿2府4県の150の寺社を結ぶ
「神仏霊場 巡拝の道」の発足を記念した「朝日21関西スクエア」
特集の特別版です
》ということで、
高野山真言宗管長の松永有慶氏、
同志社大名誉教授の廣川勝美氏、
石清水八幡宮宮司の田中恆清氏、
宗教学者の山折哲雄氏が語り合っている。
山折氏の《日本人の本来の信仰や生活のあり方とはなんだろう。
そんな反省が、ここ10年ほどの間に社会全体に広まり、
民衆のレベルで神も仏も尊んできた信仰の歴史が見直されてきました
》
という発言で始まるが、
信仰にも進歩があるから、
「古来の信仰」あるいは「本来の信仰」が最も純粋ですばらしいもの、とは限らない。
「使徒行伝」
に書かれた信仰生活が、全てキリスト教徒の模範になるとは限らないのと同じである。
(一方で、私は、新しいもの、 あとからはいってきたものが常によいものだとも思わない。 真に優れたものは古くなっても新しい。)
付)「日本人本来の信仰は
」
という見出しは、第一面のごく短いサマリーにもつけられている。
2009-03-08 (0) 01:32:59 +0900
途中、田中氏が
《日本人は二者択一の「神か仏か」ではなく、
おおらかに寛容の精神で「神も仏も」の信仰をはぐくんできたと思います
》
と発言しているが、
真の寛容とは、
「私はあなたがたの言う“神”も仏も信仰しない。ただ**のみを信仰する」
という人を隣人として受け入れるかどうか、
ではなかろうか。
2009-03-14 (6) 02:15:22 +0900
1月30日づけ大阪本社版文化面
『「一握の砂」初版本再現』の冒頭に
《3行分かち書きの短歌を1ページに2首ずつ配した
》とあるが、
これは、ローマ字書きの際などに単語ごとに区切って書く「わかちがき」とは異なる。
三行に分けて書く、というぐらいの意味である。
付)「3行分・かち書き」と呼んだ人もいるかもね。
2009-03-08 (0) 01:26:51 +0900
「住民参加のアリバイじゃないの」という言い方が
1月30日づけ大阪本社版経済面「公貧社会」の、『「自治」をめざして』の7回目。
タイトル行に書いたのは見出しそのもの。
記事中には《これって、住民参加のアリバイづくりじゃないの――
》とある。
いずれも、
ほかの場所にいたと証言してもらうことで犯罪にかかわっていないことを証明する、
という意味ではなく、
やったという名目づくり、というぐらいの意味の、新用法である。
もう定着しつつあるということか。
2009-03-08 (0) 01:21:49 +0900
1月30日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《まとめて助数詞と呼ぶそうだが、ものを勘定する言葉は奥深い。
生き物は匹で足りると思いきや、ウサギは羽(わ)、イカは杯(はい)、
チョウは頭(とう)とも数える
》
とあるのだが、「まとめて助数詞と呼ぶそうだが」はおかしくないか。
これら一つ一つが助数詞と呼ばれるのだから。
2009-03-08 (0) 01:16:44 +0900
私が「まとめて〜と呼ぶ」の適切な例だと思うのは、 バスや飛行機の「便」を「まとめて」「ダイヤ」と「呼ぶ」、 である。 この場合、一つ一つの便がダイヤと呼ばれることは決してない。
2009-03-09 (1) 01:37:54 +0900
1月31日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e5 面、 「サザエさんをさがして」に掲載された、 1949年1月の作品。 1コマ目と4コマ目でサザエが「しくだい」と言っている。 「新宿」を「しんじく」のように言うのは東京方言だと聞いたことがある。 記事によると、作者の長谷川町子は1947年に東京へ出てきたそうだ。
「聖書の誤植」に書いたように、 文語訳の新約聖書は「祝」の字音「しゅく」を誤って「しく」としている。
2009-03-08 (0) 01:06:32 +0900
2009-03-07 (6) 00:37:10 +0900
ヨーダが全力でフォースを使い、二人の頭をぶつけ合わせたら、 おそらく死んでしまうものと思われる。
《シスの復讐>ヨーダは背後から迫る兵士をフォースで止められなかったか?》 参照。それとはちょっと違うけど。
2009-03-07 (6) 00:03:01 +0900
冒頭の対ドゥークー戦の中で、 オビ=ワンがやられたのを見たアナキンは怒ってドゥークーを蹴り落とすが、 あのとき足を切られるおそれはなかったのか?
2009-03-06 (5) 23:47:02 +0900
いろいろな書類がコンピュータ内のファイルに代わりつつある時代だが、 どうしても紙でなければできないこともある。 先日、とじた紙をめくりながら、ある作業をしたのだが、 私は紙面を目で見て判断しつつ、 右手でめくった用紙をさばきながら、 左手では次の紙をめくりかけているようだ。 回りの人を見ていると、どちらかの手は紙を押さえるだけになっていることが多い。 この点で、私はそういう人たちよりも少しだけ速く、 紙をめくりつつの作業ができるようだ。
2009-03-06 (5) 23:19:58 +0900
観客には、アナキン機が内部から通商連合の宇宙ステーションを破壊し、 バトルドロイドの電源を切ったことでナブーが勝ったことがわかるが、 作中人物にはどうなのであろうか? 幼いアナキンは理解できなくても、 宇宙ステーションを攻撃していた味方のパイロットには、 宇宙ステーションが内部から爆発し、 そこからアナキン機が出てきたことで、 アナキンが大きな貢献をしたことがわかったと思う。
その割にはエンディングのパレードであまり脚光を浴びていないとか、 《クローンの攻撃>アナキンの母親がずっと奴隷のままだったのはなぜ?》 に書いたように、 ナブーの人々がアナキンの母親を奴隷の境遇から解放しなかったとか、 “もしかしたらみんなは気づいていないのでは”という疑いも残る。
2009-03-06 (5) 20:48:16 +0900
最初に見たとき、牛尾(うしお)という姓にかけたジョークかと思った。 「鶏口となるも牛後となるなかれ」だと信じていたので。
「"鶏口となるも牛後"」は約 94400 件である。 また、手元の漢和辞典で「鶏口」を見て載っている熟語では「牛後」である。
2009-03-06 (5) 20:18:50 +0900
ちょっと前から気になっていた。 この場合の「世紀」は百年間の意味であって、 ある紀年法での下二ケタが 01 であるところのある年から百年間を指すのではないのかも。
2009-03-06 (5) 20:18:05 +0900
宇野千代は実在した小説家の氏名。 それを勝手にお借りした。 予知能は、Google で検索すると約 1150 件。 「予知能力」の一部がひっかかっていることもあるが、 「予知能」と書いているページもある。
なお、意外にも、「"宇野千代" "予知能"」は 0 件である。 つまり、この回文は気づかれていなかったらしい。
2009-03-06 (5) 20:03:36 +0900
パドメを死から救う術を知っていると偽ることで、 パルパティーンはアナキンをダークサイドに引き込んだ。 ということは、パドメが死なないほうが、 皇帝にとってそのあともアナキンを味方につけておく上で有利なのではあるまいか。 そうすれば、皇帝の(いわゆる)“自作自演”だったとしても、 パドメの死というアナキンの悪い予知夢から、パドメを救ったことになるからだ。
そう思うと、やはり皇帝はパドメを軟禁状態におくべきだったと思う。 《シスの復讐>皇帝がパドメを保護していればムスタファーの戦いはなかった》 参照。
付)前項との間で、あまり間を開けたという自覚はなかったのだが、 丸四日間、書かなかったことになる。
2009-03-06 (5) 19:56:40 +0900
…ことは可能なのだろうか。 もしも可能な場合、刃がグリーバスに刺さったりするんだろうか。 グリーバスの腕はライトセーバーで切れたから、 からだも切れるものと思われる。
冒頭の議長救出作戦の中で、 オビ=ワンはフォースを使い、 奪われた自分のライトセーバーをグリーバスのマントの裏から取り戻して戦う。 そうではなく、 フォースでライトセーバーのスイッチを入れて刃を出したらどうなったか、 というのである。
2009-03-01 (0) 20:38:11 +0900
2009-03-01 (0) 00:55:34 +0900
F = ma などの物理学の法則を習う前に、 実際にはあまり呼ばれていなかったが、 「運動学」と呼ばれる分野をまず学ぶのだった。 たとえば、 静止している物体が時刻 0 に動き出してから一定の加速度 a で時刻 t まで動くとき、 動いた距離は at²/2 になる、とかいったことを習う分野である。 これには物理の法則を全く使わない。 位置を時間で微分したら速度になり、もう一度微分すると加速度になる、 という数学的事実さえわかっていればよい。
……と思っていたのだが、 ある物体が速度 v で、他の物体が速度 v' で同一直線上を動くとき、 前者から後者を見ると速度 v' - v で動いているように見える、 ということも、運動学に含まれるのだろうか? アインシュタインの相対性理論は関係してこないのかな、という疑問である。
アインシュタインの相対性理論が物理学ではなく運動学に属している、 という可能性もあるのかな?
2009-03-01 (0) 00:44:37 +0900
一つの画面に出ていることは、ほかにもある。 I のクワイ=ガンの火葬のシーンとか、エンディングとか。 だが、二人の間で芝居が演じられるのは、 ダゴバで、R2-D2 を連れたルークがヨーダに初めて出会うシーンのほかにあったかな?
2009-02-28 (6) 23:31:25 +0900
冒頭の議長救出作戦の中で。よく見ていると、柄のデザインでわかる。 隣のアナキンのライトセーバーを取ってもいいのだろうが、 間違えずに自分の剣を取った、ということだ。
2009-02-28 (6) 23:24:54 +0900