普通は二室や三室で倒れていることはないだろう。 私の実家は部屋と部屋とがくっついているので、三室で倒れることも可能だが。 2008年12月25日づけ大阪本社版社会面。
2009-01-05 (1) 02:16:45 +0900
ここでいう「一室」とは、 集合住宅の「603号室」という場合の「室」なのかも。 その場合、いわゆるワンルームマンションでない限り、 「一室」でも部屋が一つというわけではない。
2009-01-06 (2) 01:26:42 +0900
火葬して残った骨を埋めて、苗木を植えるというもの。 「火葬」「水葬」「土葬」と、 「密葬」では熟語の構成法が違うと思うのだが、 「樹木葬」はそれにさらに別の構成法を与えてしまうと思う。 このように、勝手にどんどん「〜葬」なる語を作っていって混乱しないのだろうか。 これに対して普通の墓に遺骨を納めるのは「墓石葬」となろうか。
また、「樹木葬」が「火葬」「水葬」「土葬」と同じ造語法だと仮定すると、 遺体に苗木を植えて、だんだんに苗木が遺体から養分を吸収してゆき、 最後は樹木だけが残る、というようなものが想像される。 (そういう植物が存在するかどうかは知らないが。)
《「密葬」の意味をカン違いしていた話》 も参照。
2009-01-05 (1) 02:08:12 +0900
2008年12月25日づけ朝日新聞に掲載された、 新潮社の塩野七生「ローマ亡き後の地中海世界 上」の広告。 「ローマによる平和」に「パクス・ロマーナ」とふりがなが振ってある。 これはラテン語の pax romana からきているのだろうが、 この母音の長短は何語で読んだ場合だろう? ラテン語なら 「パークス・ローマーナ」となると思うのだが。 (英語なら「パクス・ロウメイナ」。)
《「デウス・エクス・マキーナ」は何語? ラテン語なら「〜・マーキナー」》 参照。
2009-01-05 (1) 01:58:57 +0900
1958年の開業で、当時は現天皇は皇太子だった。しかし、 皇太子の誕生日に開業しておけば、普通にゆけば、 いつかは天皇誕生日で休日になるわけで、 この日を狙って開業したということも考えられるなあ、と。
2009-01-05 (1) 01:55:07 +0900
2008年12月24日づけ朝日新聞大阪本社版国際面、
「特派員メモ」はプリシュティナから、関本誠特派員。
コソボは《ほとんどがイスラム教徒のはず
》なのに
《クリスマスで盛り上がる
》、という話。
《コソボでも、宗教に関係なく、
キリストの誕生日はやはりお祝い気分になるらしい。
なんとなく日本と似ているなあと思うと、急に親しみがわいてきた
》
というのだが、イエスはコーランでは預言者の一人として扱われている。
そのため、という説明も考えられるのだが、たぶんそうではないと思う。
ただ、そこが書いてないだけに、気になる。
2009-01-05 (1) 01:46:44 +0900
以前、 《「Uターンラッシュ」と言うけれどUターンする車で混んでいるわけではない》 というところまでは考えたが、 それなのになぜ「Uターンラッシュ」と呼ぶかというと、 「帰省」の反対語、すなわち、 故郷から現住所へ戻ることを意味する単語がないからでは、 と気がついた。
付) 海外旅行から戻るのも「Uターンラッシュ」と呼んでいるようだが、 これの「行き」はなんて呼ぶんだっけ?
2009-01-05 (1) 00:26:09 +0900
本文ナシ
2017-12-30 (6) 19:17:36 +0900
2008年12月26日づけ大阪本社版国際面 「フランス地域語 復権」。
「ボンデョールヌ」(こんにちは)
「ティリングラーヅィウ」(ありがとう)
と、(前後関係から判断するとおそらく)コルシカ語の例があがっているが、 この「ヅィ」はどういう音を表しているのだろうか。
ツィに対応する濁音ならズィであろう。 ツィほど日本語に定着しているとは言いがたいが、 いちおう、どういう音かはわかる。 それは、発音記号で [dzi] となると思われるが、 外国語だということを意識して発音すると、 [dzi] ではなく [zi] と発音されるときがあるのではあるまいか。 そのとき、[dzi] が「ヅィ」、 [zi] が「ズィ」と区別して書かれるのではと想像してみたが、 もしそうなら、これはもはや日本語のオトを写しているのではなくなっている。 つづり字からの翻字に近くなろう。 (《朝日新聞>中国語の za は「ザ」と翻字する規則なのだろうか?》 参照。)
記事中では、単に例としてあがっているだけで、どうでもよいのだが。
《飯竹恒一
》と署名あり。
付) 「ボンデョールヌ」の「デョ」は /djo/ であり、 特殊音ではあるけれど、日本語の音韻体系の中の音である。 「デューク」の /dju/ と同じこと。
2009-01-05 (1) 00:16:00 +0900
瀬田は人名。
2009-01-05 (1) 00:11:04 +0900
こちらが古い住所を書いたため、 戻ってきてしまった年賀状が二通あった。 「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません」 というスタンプが押してある。
確か、 以前は「あて所に尋ねあたりません」のような文面だったと記憶している。 それに対し、 「一月一日にこれが返ってくるということは、 間違って年内に配達しようとしてしまったのではないか」 との投書を、どこかで読んだ記憶がある。 年賀状は、前もって局内で分ける作業が行なわれる。 その際に判明したのであろう。 そのことをはっきりと伝えるため、このような文面になったものと思われる。
いやあ、しかし、 一通のほうは万年筆で書いたあて先がかなり派手ににじんで戻ってきた。 私が出した年賀状はこういう状態で届いているのだろうか? そうでないことを希望するが。
2009-01-02 (5) 02:32:10 +0900
「おみくじ」を、「み」だけを高く発音していた。
「六十五」の「ご」を鼻濁音で発音していた。
どっちも変。最後に、ツカモトと名乗っていた。
2009-01-02 (5) 02:22:09 +0900
本文ナシ
2009-01-02 (5) 02:21:39 +0900
本文ナシ
2009-01-02 (5) 02:12:27 +0900
意味なし。
2009-01-02 (5) 02:11:31 +0900
本文ナシ
2009-01-02 (5) 02:10:40 +0900
生活リズムが年末のNHK−FM「バイロイト音楽祭」モードになっているため、 昨夜は1時台に床にはいったもののなかなか眠れなかった。
にもかかわらず、8時50分台に目が覚めた。 ラジオでNHK第一放送を受信。 8時55分、セイコーの電波時計 SQ640S が鳴って、本格的に目を覚ます。 ラジオを聞きながら電波時計を見ていると、8時59分57秒ではなく、 8時59分58秒にNHKの時報の第一音が聞こえてきた。 9時の時報が鳴ったとき、時計は9時00分01秒を表示。 ラジオからはニュースだが、特に何も言っていなかった。 電波時計の受信マークをみていると、 秒の末尾が 0 のときに受信マークの長さが最小になっているようだ。 この電波時計は普段は末尾が 9 でそうなるので、1秒進んでいることになる。 数分後、同じ時刻が2秒間表示され、受信完了。時刻が合った。
お昼のニュースでは、うるう秒について伝えていた。 うるう秒の瞬間、どこだったか忘れたが、 日本の時刻を管理しているところに数百人が集まり、 59 分 60 秒と表示された瞬間を写真に撮ったりした、と言っていた。
それで思い出して、日本標準時プロジェクトのページ http://jjy.nict.go.jp/ を見てみたら、うるう秒実施前の一カ月間は「一カ月以内に正のうるう秒あり」 の情報が載ってくるため、毎分、54 秒、55 秒のビットが 0 でなく 1 なのだった。 見てみればよかった。
前回の話については 《うるう秒前後の、電波時計観察記》 参照。 今回も、本項のタイムスタンプは作ったもの。
2009-01-01 (4) 08:59:60 +0900
2008-12-31 (3) 23:52:03 +0900
それできのうは疲れて床の中で聞いた。 きょうはファイル整理の続きをと思ったら、 なぜかきょうだけパソコンをつけるとラジオに雑音がはいるのでやめ。
2008-12-31 (3) 02:16:27 +0900
藤村実穂子のクンドリー、 しっかり聞けたのは第3幕だけだったが、よかった。 (二言しか歌わないが。)
2008-12-31 (3) 23:39:13 +0900
美術館で特別展をやっている場合、 「常設展もご覧になれます」となっていると、 特別展がおもしろくなくても、 常設展のほうを見てくればいいや、という感じではいりやすい、 という人もいるだろう。
いまのバイロイト音楽祭は演出が注目されるが、 それが気に入らなかったら、目をつぶって音楽だけ聞いてくればいいや、 と考えて行っている人もいるだろうな、と思ったら、 上で述べた展覧会との類似に気がついた。
2008-12-31 (3) 02:12:23 +0900
「パルジファル」でなく。
2008-12-31 (3) 02:06:01 +0900
2008-12-29 (1) 02:26:15 +0900
きょうは 2009 年の第一週の第一日目。 翌年の第一週に最も早くはいるのは十二月 29 日が月曜日の場合で、 この年末年始はその例に当たっている。
2008-12-29 (1) 02:02:38 +0900
昨日だったか。 ここの「飯島さん」は先日亡くなっているのが発見された飯島愛を指すことが明らか。 その飯島さんが渋谷署を訪れたということは!? と驚いたが、 生前、そういうことがあった、という記事だった。
2008-12-28 (0) 23:25:54 +0900
とある知人の住所を Google マップで調べてみたらストリートビューが載っている。 見方を教えてあげようと思い、
結局、そのメールを送るのはとりやめ。
2008-12-28 (0) 23:17:27 +0900
「えごた」「えこだ」両方の読みがあるが、「えこた」は珍しい。
2002 年三月上旬のメモによる。 「"江古田大橋" "えこた"」 で検索すると同じ内容のことを書いているページが見つかる。 私は、記憶によれば、橋に書いてある文字を写してきたのだと思う。
2008-12-28 (0) 23:11:15 +0900
α = ルート2 とおくと、これは無理数である。 αα が有理数であれば、これが例になっている。 そうでなければ、これは無理数である。その場合、 (αα)α を考える。 これは α(αα) = α2 = 2 に等しいから有理数であり、 これが例を与えている。
Wikipedia の「排中律」の項目に載っていたもの。 αα が有理数か無理数かは簡単にはわからないそうで、 それでもこれが証明になっているのか、という再考を促すものだが、 昨夜読んであまりに感動したので、夢に見てしまった。 (これはよく知られた例であるらしい。)
2008-12-28 (0) 22:57:57 +0900
2002 年三月 08 日(金曜日)のメモによる。
2008-12-28 (0) 22:38:56 +0900
2002 年三月 07 日(木曜日)のメモによる。
2008-12-28 (0) 22:37:42 +0900
JR越後湯沢駅で在来線から新幹線に乗り換える際、確か、 乗り換え通路が「2階」、新幹線乗り場は「3階」とアナウンスされる。 乗り換え通路の2階は普通の在来線の乗り換え通路の高さであるからそれほど高くはないが、 新幹線ホームの3階は普通の3階と比べてはるかに高いと思う。
2002 年三月 07 日(木曜日)のメモによる。
2008-12-28 (0) 22:29:28 +0900
平面状のものが移動していると考えているなら、そうは言わないのではないか。
2002 年三月 07 日(木曜日)のメモによる。
2008-12-28 (0) 22:20:38 +0900
いつでもすばやくメモがとれるから。 (左腕と書いたのは私が右利きだからで、 左利きの人のためには右腕用が必要である。)
2002 年三月 07 日のメモから。
2008-12-28 (0) 22:15:22 +0900
2002 年三月 07 日のメモから。
2008-12-28 (0) 21:46:56 +0900
学校で習ったものは、古典でも現代のつづり字に直してあって、 その断り書きがないのではないか。 ワーグナー (1813-1883) のスコアでも、 古いもののリプリント版はつづり字が違っている。 だから、ゲーテは最近のつづり方とは違うつづり方で書いていたはずである。 (ここで「最近」と書いたのは、つい最近の正書法の変更が行なわれる前を指す。)
一部に、歴史的かなづかいから現代かなづかいへの変更を、 世界でも珍しいできごとのように思っている人がいるような気がする。 そういう誤解を防ぐためにも。
2002 年三月 07 日のメモから。
2008-12-28 (0) 21:44:20 +0900
後者は数学で共通集合を表す記号である。 後者のほうが、行って、行った先で曲がって帰ってくる、 という感じがはっきり出ると思う。
ボートをこぐ場合は、こぎ手から見ると後ろへ進んでゆくので 「Uターン」のほうが適切か。
もちろん、冗談である。
2002 年三月 07 日のメモより。
2008-12-28 (0) 21:36:22 +0900
きのうの「神々のたそがれ」も、 きょうの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も、 21時から翌日2時までの5時間放送だ。 全部ききもらすまいと思うと、トイレに行く時間がない。 実際の上演時には、バイロイトでは幕と幕との間はかなり時間があると聞く。 ニュースなどを間にはさんでもよいのではあるまいか。
2008-12-28 (0) 21:32:37 +0900
2002 年二月下旬のメモより。
2008-12-28 (0) 21:15:54 +0900
「空きが有る」の意であろう。
2002 年二月 22 日(金曜日)のメモより。
2008-12-28 (0) 21:11:31 +0900
本文ナシ
2008-12-28 (0) 20:15:37 +0900
金沢市の中心、香林坊にある大和百貨店の8階にはいっているうどんを食べさせる店、 大阪川福の入り口に、タイトル行にあるような掲示があるのを見た。
「致して」と「戴いて」が読めない、あるいは区別できないのではあるまいか。
2008-12-28 (0) 20:09:42 +0900
新三部作ではアナキン、旧三部作のダースベイダーが、 第三者に振り下ろされる相手のライトセーバーを自分のライトセーバーで受け止めようとするシーンが、 全六部作のうちで、記憶しているだけで三回ある。
2008-12-28 (0) 20:03:37 +0900
世間に広まった事実だとすると、グンターとグートルーネも知っているはず。 「ジークフリート」で、ファフナーの洞窟からブリュンヒルデの岩山まで、 アルベリヒがついていったのか。
2008-12-28 (0) 19:49:51 +0900
ルークがベイダーとのライトセーバー戦に勝ったこと、 そしてベイダーが皇帝を倒したことを観客は見て知るわけだが、 登場人物たちから見たらどうであろうか。 ハン・ソロたちがエンドアで発電所を破壊したので新デス・スターのシールドが破れ、 そしてランドたちが新デス・スターを破壊したので反乱軍側が勝利した、 と思うのが普通だろう。 ルークは途中で投降したが、どこで何をしてきたと思われたのだろう? 新デス・スターに連れてゆかれたことはどうやって反乱軍に伝わったのだろう? (爆発する新デス・スターを見てハン・ソロがレイアに 「ルークは死んだのだろうか」とつぶやくシーンがある。)
IV の終わり近くで、 帰還したルークが熱狂的に迎えられるシーンがあるが、 VI にはなかったな、と思って考えてみたら。
2008-12-28 (0) 19:38:17 +0900
本文ナシ
2008-12-26 (5) 23:50:05 +0900
「掃いていた」でも「履いていた」でもよい。
2008-12-26 (5) 23:48:37 +0900
「ふらと」は「ふらっと」の軽い形。
2008-12-26 (5) 23:47:14 +0900
本文ナシ
2008-12-26 (5) 23:42:53 +0900
本文ナシ
2008-12-26 (5) 23:41:58 +0900
飯島那美は架空の人名。 ヘボン式で「Iijima Nami jii」としても回文になっている。
2008-12-26 (5) 23:38:52 +0900
たとえば読売ジャイアンツでは長嶋茂雄の背番号「3」は永久欠番だから、 今後、彼以外の読売ジャイアンツの選手が背番号「3」をつけることはありえない。 では、「長嶋茂雄」という同姓同名の選手が入団してきたらどうする? その場合はそのまま「長嶋茂雄」でプレーさせるしかないか。
長嶋茂雄は有名だからそういう名前をつける親はまずないと思うが、 永久欠番になっている選手の中には、 いまではそれほど有名でない選手もいるだろう。
2008-12-26 (5) 23:26:25 +0900
用事があって、帰ってきたらさすらい人とミーメの問答の最中だった。 間に合った。 毎年恒例の、ジークフリートの「鍛冶の歌」のハンマーの採点。 ことしは、音符が細かくなるところでややもたつきがあったが、 それ以外は完璧だった。
2008-12-26 (5) 23:24:51 +0900
「負かって」は「負かる」の -te form。 それを疑問文に使っているのである。
2008-12-26 (5) 23:19:52 +0900
うっかり気づかずにいて、あわててラジオをつけたら、 アルベリヒが指環に呪いをかけているところだった。
2008-12-25 (4) 02:12:50 +0900
2008-12-25 (4) 02:05:20 +0900
23日づけ大阪本社版社会面。
《明治安田生命保険が22日、
08年に生まれた赤ちゃんの名前のランキングを発表した。
調査は12月、同社の保険契約者を対象に実施。
男の子4621人、女の子4275人の名前から集計した
》。
《朝日新聞>人気の名前の調査はベネッセになり、
約4万人を調べたらしい》との関係は?
2008-12-25 (4) 01:53:37 +0900
23日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の、学習指導要領改訂案の記事。 英文和訳・和文英訳は一切しないことにする、という意味なのだろうか。 英文を日本語に訳させることは、 英文を理解しているかどうかを手軽にみるよい手段の一つであると思う。 教師が英語で「次の文を日本語に訳しなさい」といい、 生徒が日本語で答え、それに対して教師が英語でコメントする、 あるいはその逆に日本語から英語に訳す、 という授業形態は「あり」なのだろうか。 それとも、 国語の授業が日本語で書かれた教科書に沿って日本語だけを使って行われるように、 すべて英語で行なうのだろうか。
もしも本当に英語だけで行なうなら、日本語を話さない教師でもいいはずだ。 この学習指導要領は、 英語の部分は英語で書かれて発表されるのだろうか?
付) 生徒は、 欠席者の欠席理由を英語で言えるようにしておかなければならないのだろうか。 病気の名前をいろいろ覚える必要がありそうだ。
2008-12-25 (4) 01:35:06 +0900
ある人と話していたら、それをいうなら「見せられる」だろう、といわれたのだが、 「見せられる」は他動詞「見せる」に「られる」がついた受け身形、 「見させられる」は自動詞「見る」に使役の助動詞「させる」がつき、 それにさらに「られる」がついた受け身形。
「見せられる」場合は見たくなければ目をつぶって見なければよいのに対し、 「見させられる」場合は見ることを強要されるので、見ないわけにはゆかない、 と思う。
2008-12-24 (3) 01:43:44 +0900
16日づけ大阪本社版文化面、大江健三郎の「定義集」。
《それを見るたび critical biography の直訳として
》
の部分。
英単語が(普通に)美しく組まれ、その前後にスペースが置かれている。
いつもの朝日新聞の組み方と違うような気がするのだが、
比較対象が手元にないので、気のせいかも。
全体は縦書きで、英語の部分だけ横組みになっている。
2008-12-24 (3) 01:23:44 +0900
24日づけ朝日新聞大阪本社版社説「高校指導要領 英語で授業…really?」
の本文中に例が見つかった。
《それにしてもreally(本当)?と、いいたくなるお達しである
》
では、really の前後にスペースが置かれていない。
2008-12-25 (4) 01:46:39 +0900
17日づけ大阪本社版の、一番最後のページではないほうのテレビ面の、
「CSアングル」。
《来年の元旦に「機動戦士ガンダム」全43話(21時間30分)を一挙放送する
》
とあるが、「元旦」は元日の朝のこと。朝がそんなに長く持続するとは思えない。
放送地域を次々と変えて、常に1月1日の朝を迎えているエリアで放送する、
ということでもなさそうだし。
「赤田康和」と署名あり。
2008-12-24 (3) 01:18:09 +0900
17日づけ大阪本社版 Do! 面、「熱血! マンガ学」は「美味しんぼ」なのだが、 ふりがながない。これでみんな読めるんだろうか。
2008-12-24 (3) 01:12:47 +0900
17日づけ朝日新聞大阪本社版に載った、高橋書店の手帳の全面広告。
「身近な人の名言・格言、今年の受賞作を発表!」というものだ。
その中で、黛まどか賞に選ばれた、
13歳の中学2年生、東海林佳奈さんの
《「努力」はたし算。「協力」はかけ算
》。
《「努力はどんどん増えていって“+(プラス)”になる。
けれども協力は、1人でも協力しない人がいると“0”になる」という意味。
この言葉は、私たちが全然協力していない時に、部活の先生が言ってくれたものです。
いまでもとても記憶に残っています
》とのことだが、
負で絶対値が大きい協力 --- つまり、協力の反対の行為 ---
をする人が偶数人いると、かけた結果は大きな正の数になり、
それでいいのかなと、ふと。
協力は0以上の値をとる、と考えればいいのか。 非協力的という態度はとれても、 反協力的という態度はとりえない、と。 でも、実際には「反協力的」といいたくなる行為もあるよなあ……。
2008-12-24 (3) 01:01:19 +0900
裏面は印刷してあるので、
でも、エアコンの壊れた部屋で、遠くに 400W の電気ストーブをつけ、 足の下に 45cm 四方の小さなホットカーペットを置いただけだから、寒い。 室温約 10 ℃。 もう一二週間前に書けば暖かいのだが、 喪中欠礼のはがきが着ききるのを待つのでこの時期になる。
2008-12-24 (3) 00:51:41 +0900
それは時代のためであって、と考えるのが適切であろう。
2008-12-24 (3) 00:45:14 +0900
20日づけ be on Saturday の e1 面「うたの旅人」は 『ベートーベン「第九交響曲・歓喜の歌」』。 “一番”の歌詞が、原語で、カタカナによる読み方つきで載っているのだが、 原語は全角アルファベットを用いている。 こうすれば、漢字と同じ扱いになって、ふりがなが振れるのであろう。
2008-12-24 (3) 00:41:50 +0900
事実上、自宅の机の上は物置と化しているので。
2008-12-23 (2) 02:29:59 +0900
19日づけ朝日新聞大阪本社版に載った全面広告によると
《カメラを向けるだけで、人の顔を自動検出
》とある。
どうして、世に言う心霊写真では霊が顔の形をしているのか、 私には理解できないが、それはともかく。
2008-12-23 (2) 02:25:11 +0900
十二月の初めごろだっただろうか、 バスの中で女子学生が「今年の冬はどのくらい雪が降るかなあ」と話していた。 この「今年の冬」は「今度の冬」の意味であり、 今年の一月・二月あたりのことは指していない。 (じゃあそれは「去年の冬」かと言えばそうではないのだが。)
2008-12-22 (1) 23:05:09 +0900
カナで書くと「がようし」となる。 もしも私が、この単語を知る前にこれを見て読んだとすると、 後半の「うし」を「牛」と解釈し、 「がよ+うし」と切って、/gajousi/ と読んだと思うのだ。 そうではなく、普通に /gajo:si/ と発音してきたので。
2008-12-22 (1) 22:54:13 +0900
「よいです」と言いたくないので「よいはずです」と言う。 別のニュアンスが加わってまずい場合は使えないが。
2008-12-22 (1) 22:52:36 +0900
パドメが自由にアナキンのあとを追ってムスタファーへ行けたために、 ムスタファーの戦いが起こり、アナキンは重傷を負った。 皇帝パルパティーン、あるいはパルパティーン議長が、 ジェダイの反乱から元老院議員を守るためと称してパドメを (事実上)軟禁していれば、ムスタファーの戦いはなかったはず。
オビ=ワンの生死が不明であったわけだから、 彼がやってくるかも知れないと考えてパドメを見張っておくのが普通だろう。 (クローン兵では何人いてもかなわないので、 droideka(s) の出番である。)
2008-12-22 (1) 22:43:57 +0900
13日づけ大阪本社版「こころ」面、
『「いのち」語り合う』『事件で娘失った父と中学生が交流』。
《4年前の6月、長崎県佐世保市の小学校で、
6年生女子がカッターナイフで同級生の命を奪う事件が起きた。
この事件で亡くなった御手洗怜実(みたらいさとみ)さん(当時12)
の父親・恭二さん(50)が先月
……》とある中の、
「御手洗」のふりがなが、「御」に「み」、「手」に「た」、「洗」に「らい」
となっている。
《朝日新聞>「御手洗」さんのふりがなが均等に振られている例》
では均等に振られていたのに。
「河原理子」と署名あり。
2008-12-19 (5) 00:43:33 +0900
13日づけ大阪本社版「天声人語」の冒頭段落。
飲食業には漢字一つの店名が結構ある。 きのう、都心の裏通りで「歓(ファン)」という料理店を見つけた。 中国語の発音ホワンと、英語のfun(楽しみ)をかけたようだ。 字の力か、看板から陽気が立ち上がっていた
私なら、ピンイン表記の huan から「不安」を連想してしまうが。
2008-12-19 (5) 00:29:36 +0900
14日づけ大阪本社版社会面の記事の見出しに
「障害=辞退 誤解です
」とあるが、
これだと「辞退=障害」にもなってしまう。
ときどき見かける、等号「=」の間違った使い方だ。
「岡本玄、石前浩之」と署名あり。
2008-12-19 (5) 00:19:33 +0900
…自殺も「したい人」が「したくない人」 に迷惑をかけずにできる方法を社会全体で考えるべきではなかろうか。 つまり、自殺しないで済むならそうできるよう手助けするが、 熟慮の末に「する」と決心した人のためには、 他人に迷惑をかけずに自殺できる方法を考えてあげるべきではなかろうか、 というのである。 (それだけならすでに考えられているようだが、 分煙とそれを結びつけたのが本項のミソである。)
2008-12-18 (4) 20:32:55 +0900
そのせいか、「メサイア」のハレルヤコーラスでは聴衆は起立する。
いや、そのせいじゃないな。 クラシックの音楽会では興奮して立ち上がる人はいないからその注意書きは書かれない。 一方、ハレルヤコーラスで起立するのは習慣だからだろう。
ところで、もしも「メサイア」のコンサートチケットに 「公演中は立ち上がらないでください」と書いてあったらどうする?
2008-12-17 (3) 22:29:51 +0900
水戸蟇六(みと・ひきろく)は架空の姓名。 南総里見八犬伝には蟇六なる名前の人物が登場する。
2008-12-17 (3) 22:24:56 +0900
…する人がいるかもしれない。 Web で調べたところ、幅は 55 センチメートルまでとなっているところがあった。
2008-12-17 (3) 22:17:52 +0900
…と思っている子どもがいそうな気がする。
2008-12-13 (6) 20:01:40 +0900
井坂岩子は架空の人名。
2008-12-13 (6) 19:58:33 +0900
本文ナシ
2008-12-13 (6) 19:57:49 +0900
カナで書けば「けがらわしい:けがわらしい=まぎらわしい:まぎわらしい」 となって、三文字目の「ら」と四文字目の「わ」が入れ替わっている、 という共通点があることがわかる。
2008-12-13 (6) 19:55:03 +0900
裏切り者のクローン兵の手にかかるよりはましだと言って。
2008-12-13 (6) 19:52:02 +0900
お墓参りにゆくと、つい、 そこに遺骨が置かれている人の霊がその近くにいるような気がしてしまうが、 よく考えると、霊は風のように自由に世界中を飛び回っているか、 あるいは、神がしっかりとつかまえていて、 生きている人間のところへは戻れないか、そのどちらかのような気がする。
2008-12-13 (6) 19:49:02 +0900
韓国では、 いたずら半分で友だちに蓮コラ画像をメールで送って逮捕されたケースがある、 と Wikipedia の「フォトモンタージュ」の項目で読んだ。 そういう事件があたると、やっぱり、その画像を見なければならないんでしょうな。
付)ちなみに、蓮コラは見てみたが、その項目を読んで身構えていたこともあり、 あまり衝撃はなかった。見る人によるようだ。 「蓮の実」で Google のイメージ検索をして出てくる画像を頭の中で人体と合成しようとしてみるほうが、 はるかにぞわぞわっとする。
2008-12-12 (5) 20:46:14 +0900
先日、インフルエンザの予防接種を受けた際、 「利き腕でないほうの腕を」と言われ、左腕にうってもらった。 そのあと、携帯電話を使おうとして、 うってもらったところが少々痛むのに気がついた。 私の利き腕は右だが、携帯電話は必ず左手で操作する癖がついているのである。
2008-12-12 (5) 20:32:09 +0900
いま愛用している加圧式ボールペンの一つの替え芯が、 職場の生協で安売りされていた。 あまりに安かったのと、残ってしまい生協が困っているような感じだったので、 少しまとめて買い込んだのだが、 肝心のボディーのほうが、少しだめになりかかっているようだ。 芯の入れ替えの際には先の部分をはずして行なうのだが、 そこのねじがだめになりかかっているようだ。 いまはいっている芯は最初からはいっていた芯であるが、 どのくらいインクが減ったか、何度か開けて見ていた。 その際にだんだんだめになっていっていたのだろう。
多くの人は、インクがなくなったら替え芯は買わず、 軸ごと新しいのに変えるのだろう。 その価格帯のものの芯の買いだめは賢くないのかもしれない。
2008-12-12 (5) 20:19:34 +0900
つまり、「ヒノキ」(の一つの読み方)と同じアクセントで、言っていた。 「火の気のない」というフレーズの中で。 いま、20時前のローカルニュースで。最後にカタヤマと名乗っていた。
2008-12-12 (5) 20:10:06 +0900
実際には、「反・日教組」。
11日づけ朝日新聞政治面「日教組批判の議連発足」にある
《自民党有志による「日教組問題究明議連」
》のことだろう。
2008-12-12 (5) 01:16:23 +0900
喫煙席が満席で、結果として吸えないこともあるわけだから、 「吸います」ではなく「吸いたい」のほうが正しいような気がする。
そのあと、別の客は「吸いません」でない答え方をしていて、 「きょうはおもしろい例を二つ聞けた」と思ったのだが、 メモするのを忘れてしまった。
ところで、いま、「お吸いになりますか」と書こうとしたら 「汚水になりますか」に変換されたぞ。
2008-12-12 (5) 01:11:59 +0900
9日づけ大阪本社版社会面「人気の名前 ベネッセ調査」。
《ベネッセコーポレーションが8日、
今年11月までに誕生した約4万人を調べた結果を発表した
》。
《「今年の赤ちゃん名前1位」》、 《'98 人気の名前》、 《明治生命の名前ランキング --- やはりデータ が少なすぎると思う》、 《明治生命は「翔」の字を「羽ばたく」と結びつけて理解している?》、 《朝日新聞>人名用漢字のまとまった記事が載った》、 《昨年生まれた男の子の名の2位「颯太」を「ふうた」と読むのは百姓読み》、 《朝日新聞>また明治安田生命保険の「今年の赤ちゃんの名前」の季節になった》 に書いたように、 特定の生命保険に加入した数千人のデータだったので、 それよりはよくなったといえよう。 ただ、ベネッセとどういう関係にある子どもを調べたのかは載っていない。 おそらく、なんらかの契約を結んだ子どもだと思うので、 サンプルに偏りがないとは言えないだろう。
2008-12-12 (5) 00:51:35 +0900
10日づけ大阪本社版社会面の、広島女児殺害控訴審判決の記事に付随した、
「判決に被告 激しく動揺」に
《顔は紅潮し、「ハァハァ」と速い呼吸で肩を揺らした
》とあるのだが、
この「ハァハァ」はどういう音を表しているのだろう? 小書きの「ァ」は
「ファ」「ツァ」などに使い、
前のカナと一緒になって一つの音素を表すのが本来の使い方だと思う。
ここではそうでない。
弱い「ア」のつもりだろうか? 各自が自分勝手な使い方をすると混乱すると思うのだが。
2008-12-12 (5) 00:45:26 +0900
11日づけ大阪本社版社会面『私が発掘「ナツミ」エビ』。
《小学4年、熊谷菜津美(なつみ)さん(9)が見つけた
》
化石が新種だとわかり、
《熊谷さんの名前にちなんで「ホプロパリア・ナツミアエ」
と命名された。「アエ」はラテン語で女性を示す言葉
》とあるのだが、
「女性を示す言葉」は“女性という意味の言葉”、“女性を指す言葉”ともとれる。
「女性形の語尾」だと思うのだが……。
また、1面に載ったこの記事の要約では
《学名には自分の名前が盛り込まれた
》
とあるが、「ホプロパリア」は《アカザエビ科ホプロパリア属
》
だからついた名前であろうから、
「自分の名前が盛り込まれた」というより「自分の名前がついた」
ということではあるまいか。
記事には《森本未紀
》と署名あり。
2008-12-12 (5) 00:29:16 +0900
2008-12-08 (1) 01:02:36 +0900
6日づけ朝日新聞大阪本社版「ニッポン人脈記」は「民の心を測る」の6回目、 「曲げぬ数字 漢字を救った。 戦後、GHQの依頼で柴田武氏らが国民の読み書き調査をした。
柴田らがつくった漢字テストは今の小中学生が習うレベル。 その年8月、全国で15歳から64歳の約1万7千人がテストを受けた。 結果、読み書きできないとされた人はわずか2%。 日本人は漢字がよく読めたのだ。
ここで、どういうレベルの人を「読み書きできない」 としたのかが書かれていないので、わからない。 私が思うには、このレベルなら9割5分以上の正答率がないと 「読み書きできる」とは言えないと思う。 現在、同じテストをしたら、どのくらいの人がどのくらいの成績をとるだろうか?
2008-12-08 (1) 00:52:56 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版「声」に載った、 京都市北区の大学生、榮琴美さんの投書「救急車来ても歩行者は無視」。 救急車がサイレンを鳴らしてきたら、自動車はよけたが、 歩行者が青信号で横断歩道を渡っていたので救急車が待たねばならなかった、 常識で考えれば救急車が優先されることはわかるだろうに、 という趣旨で、これにはおおむね賛成なのだが、 道路交通法上はどうなっているのであろうか。
緊急自動車が接近したとき、路面電車、
自動車は道をゆずらなければならないことが第四十条に書かれている。
しかし、歩行者については何も書かれていない。
ただし、第四十一条で緊急自動車は特例を認められており、
その中に
《第三十八条第一項前段及び第三項の規定は、適用しない
》とある。
第三十八条(横断歩道等における歩行者等の優先) 車両等は、 横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。) に接近する場合には、 当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。) がないことが明らかな場合を除き、 当該横断歩道等の直前 (道路標識等による停止線が設けられているときは、 その停止線の直前。以下この項において同じ。) で停止することができるような速度で進行しなければならない。 この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、 又は横断しようとする歩行者等があるときは、 当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、 その通行を妨げないようにしなければならない。
2.車両等は、横断歩道等 (当該車両等が通過する際に信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等により当該横断歩道等による歩行者等の横断が禁止されているものを除く。 次項において同じ。)又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、 当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、 その前方に出る前に一時停止しなければならない。
3.車両等は、 横断歩道等及びその手前の側端から前に三十メートル以内の道路の部分においては、 第三十条第三号の規定に該当する場合のほか、 その前方を進行している他の車両等(軽車両を除く。) の側方を通過してその前方に出てはならない。
第三十八条第一項後段は適用されると読むべきで、 つまり、横断者があれば優先しなければならないようである。 ということは、 法律上は歩行者には緊急自動車を優先させる義務はないということだろうか?
付) ここ金沢市では、緊急自動車が近づいてきた場合、 自動車が緊急自動車をよけるために歩道を走ろうとする場合があるので、 歩行者は要注意である。
2008-12-05 (5) 23:56:59 +0900
もう一度読み直してみた。冒頭から、ほぼ全体の半分を引用する。
先日、ある交差点で救急車がサイレンを鳴らしてやってきました。 周りの車やバイクは道路の端によけました。
ところが、救急車が交差点を曲がったところの横断歩道は信号が青だったので、 多くの人が次々に渡っていました。救急車はしばらく立ち往生していました。
(冒頭の「ある交差点『で』」は座りが悪いように思うが、 引用のミスではない。)
ケース1.
第二段落にある、多くの人が渡っていたという横断歩道の周辺からは、
近づいてくる救急車が見えたのだろうか? 「交差点を曲がったところの
」
とあるので、見えない位置にあったことも想像される。
もしそうなら、横断を開始したとしてもしかたがないのではないか。
救急車がスピーカーを通して「次の交差点を左折します!」
と言いながら走っていくのを見たことがあるが、
その場合でも、どの交差点を曲がるのかは、
救急車を見ている人にしかわかるまい。
ケース2.
「次々に渡っていました
」の「次々に」からは、
救急車が視界にはいってから横断を開始した歩行者がかなりいたようにも読める。
もしそうなら、それは法律では禁止されていないようだが、
推奨される行為とは思えない。
ケース3.
この、「救急車が交差点を曲がったところの横断歩道
」というのは、
この交差点の横断歩道の一つなのだろうか? つまり、
そこまで救急車が走ってきたところの道を直進してきた歩行者が交差点を直進するしたら渡ることになる横断歩道
(の一つ)だとすると、
一部の横断者からは救急車が近づくのが見え、曲がることが予測できたかもしれない。
その場合、予測できた歩行者は周りの人、特に救急車に気づいていない人に
「救急車がここを通りますから、待ちましょう」
と呼びかけるのがよいだろう。
以上、三通りに考えてみたが、実際のところどうだったのかはわからない。 (新聞の投書は文字数の制限がきついので思った通りのことが書けない場合があり、 書いたとしても、編集部が削ることがあるので、 書いた通りの意味が伝わるとは限らない。)
そのあとの部分に
《こんなことがあって良いはずがありません
》
とあるが、ではどうせよというのかは書かれていないのでわからない。
「緊急自動車が通ることがわかったら、
横断者は横断を自粛しましょう」という主張なら、私も賛同する。
しかし、「緊急自動車の音が聞こえたら、
自分が渡ろうとしている道路をその自動車が通るかどうかにかかわらず、
横断を中止しましょう」という主張だと、
道路の込み入ったところで、頻繁に緊急自動車が通る場合、
横断せず待っていたが別の道を通っていった、ということが多く、
現実的には実行はむずかしいのではあるまいか。
現実的な解決法としては、 救急車の前に先導の緊急自動車を走らせればよいのではあるまいか。 パトカーの先導はいまでも行われているような気がする。 この投書者が目撃したケースでは、 先導の自動車は救急車がくる前に交差点を曲がって横断歩道にさしかかったところでとまり、 「いまから救急車がきますから、信号が青でも渡らないでください!」 とアナウンスすればよいだろう。
2008-12-07 (0) 18:54:08 +0900
これは、本項(の最初のバージョン)を書いた次の土曜日に、 ここ金沢で目撃した話であり、上とは何の関係もない。
片道一車線ずつの道でバスを待っていて、救急車が通るのをみかけた。 救急車の前にいた自動車二台は左端に寄って停まり、 反対車線は自動車が全く通っていなかったので、 救急車は反対車線を利用して前にいた自動車二台を追い抜き、 交差点を右折していった。
ここまでは全く問題がない。 その救急車の後ろを、一台の小型の乗用車が追いかけていった。 救急車と同様に、反対車線を利用して前の自動車を追い抜いて。 私は、てっきり、関係者の自動車だと思っていた。 付き添いたい家族が多すぎて救急車に乗れず、 やむをえず自家用車であとを追いかけている、 というような状況を想像していたのである。 ところが、違った。救急車は交差点を曲がっていったが、 その乗用車は信号機に従って停まったのである。 反対車線に出て前の自動車を追い抜いたのは、 単なる便乗だったらしい。 ちなみに、そこは横断歩道の手前の、追い越し禁止の場所であった。
2008-12-07 (0) 19:04:21 +0900
小椋・潮田で「オグシオ」、のような愛称が流行っている。そこから考えたもの。 「お隠れ」と同音であるところがおもしろい(かも)。
2008-12-03 (3) 20:47:00 +0900
本文ナシ
2008-12-03 (3) 20:45:03 +0900
「ニト」という音(オト)を聞いて「二兎」を思い出すのは、 このことわざを知っていなければむずかしい。 「二兎」はこのことわざ専用の単語とも言える。
しかし、追いかけているのがウサギであることに特に意味はないのだから、 「二匹を追う者は一匹をも得ず」、あるいは口語化して「〜を得ない」 で十分なのではあるまいか。
2008-12-03 (3) 20:30:34 +0900
一杯目は時計ではかって 40 秒。 それをいただいたら二杯目のお湯をいれ、今度は即座につぐ。 そして、そのあとに三杯目のお湯をいれ、 それはかなり長時間そのままにしておいてもよい。---
これは、いつだったか買った、ある価格帯の日本茶に書いてあったいれかたに、 自分流をつけ加えたもの。
うんと安いお茶、うんと高いお茶は、一杯しかだせない・ださないようだ。
2008-12-03 (3) 20:21:51 +0900
きょうの正午の月齢が 5.4 なので、 さっき見えていた月は三日月よりは太っているはず。
2008-12-03 (3) 19:08:10 +0900
…しばらく考えてしまった。 この間の日曜日、金沢市中心部にある広坂の交差点で。 (この交差点は、対角線は片方の対角線しか渡れないので、 厳密にはスクランブルではないのかも。)
2008-12-02 (2) 22:30:16 +0900
一年ほど前に気づき、ときどきやっている。 火傷に注意。 また、ティーバッグが破れると金属のとめ具を吸い込んでしまうかもしれないので、 そこにも注意が必要。
2008-12-02 (2) 22:21:27 +0900
けさの朝日新聞大阪本社版を見て知った。 (ほんとうに三日月だったかどうかは知らない。かなり細くて美しかった。)
2008-12-02 (2) 21:40:39 +0900
書いたと思っていたが、書いてなかったようだ。 「ラジオ英会話」は録音せず聞いている。 「実践ビジネス英語」は録音し、ずいぶん遅れて聞いている。 いま、第一回目の放送分を聞き終えたところ。
2008-12-02 (2) 21:31:20 +0900
「実践ビジネス英語」の放送時間を 「水〜金 21:35-21:50, 日 10:30-11:15」 と書き誤っていたので訂正した。 (本当にこうだったら、「ラジオ英会話」と重なってしまう。)
2009-03-30 (1) 22:30:59 +0900
2008-12-02 (2) 21:07:15 +0900
長嶋茂雄氏が「『鯖』という字は魚偏にブルーでしたかね」 と言ったという話は笑い話・愉快な話として広まっていると思われるが、 「魚偏に青(あお)」と普通に言ったところで、 そもそも中国語を書き表す漢字「青」をそれに対応する日本語「あお」 で示しているわけで、 大した違いはないとも言える。
(もちろん、「青」を「あお」と読むことは日本で慣習になっているが、 「青」を「ブルー」と読む習慣のある地域は(たぶん)ない、 という違いはあるが。)
2008-12-02 (2) 20:54:23 +0900
以下の三項目は、いったん 「すのものの「いろいろ」(その185)」 に書いたが、私が決めている一ファイルあたりの分量 (MS-DOS のテキストファイルとして 60000 バイト) を越えていたことに気づいたので、 本ファイル(「すのものの「いろいろ」(その186)」に移動した。
付)あとから書き足す際に 60000 バイトを越えることはある。 また、初期のころは 64KB をめやすにしていたような記憶がある。
2008-12-02 (2) 20:37:17 +0900
「足を交換せよ」の意。
2008-12-02 (2) 20:27:43 +0900
「推敲」は「敲」が常用漢字にはいっていないので「推考」と書かれることもあるが、 もともとの中国語を“直訳”すれば 「おすとたたく」だろう。 これでは名詞としては使いにくいので「推したたき」としたら、と考えてみたもの。
「この文章はもう少し推したたきが必要だ」のように使う。 変な感じがするが、中国語でだって同じ変な感じがするはずだ。 僕らは「推敲」で一つの熟語として慣れてしまっているだけ。
2008-12-02 (2) 20:24:01 +0900
かなで書けば「すいめんげんちかいさんさいかちんげんめいす」。 意味はない。
2008-12-02 (2) 20:19:29 +0900
2008-11-29 (6) 00:05:03 +0900
《2007年度に視聴したNHK外国語講座》 に書いたように、 「英会話上級」「ビジネス英会話」は録音して遅れて聞いていたのだが、 いま、聞き終えた。
2008-11-28 (5) 22:24:29 +0900
2005年12月1日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」冒頭。
右の手のひらを、胸のあたりで下に向ける。 そして水平に小さく回す。 手話で、「子ども」を表す手の動きの一つだ。 頭をなでるようなしぐさからは、幼い命をいとおしむ気持ちまでが伝わってくる
私が理解しているところでは、手話は一つの動きで一つの語を表す。 動きと語との対応は、ある程度まで根拠 --- 語源のようなもの --- があろうが、 つきつめて考えれば約束事である。 だから、ちょっと考え過ぎなのではあるまいか。 あるいは、手話を、その場の思いつきで行なう身振り手振りと混同していないか、 あるいは読者にその混同をひき起こさないか、と心配になる。
別の言い方をしてみる。 「子ども」という日本語を ko-do-mo と分解し、 「どれも o で終わる音からはこれこれの気持ちまでが伝わってくる」 と言っているのと同じように思える。
付) 「**語では『子ども』のことは○○という。 語源をたどれば×××にさかのぼるという」というような導入なら、 私にはあまり抵抗がない。 だから、「身振り手振りと混同していないか?」という点が、 私にはひっかかっているのだろう。
2008-11-26 (3) 23:03:45 +0900