ヨーダ、オビ=ワン、それにあの双子を、 みなオーガナ議員がオルデラーンにかくまって、 ごく小さいときからフォースの修業をさせていたら。
そうしたら IV につながらないんだけど。
2009-12-08 (2) 20:33:53 +0900
冒頭の議長救出作戦でもわかるように、あの二人は絶妙のコンビである。 ついてゆかせれば、そのあとはあの映画とは違う経過になっていただろう。
2009-12-08 (2) 20:30:45 +0900
戦闘が始まってから、オビ=ワンが発砲して事実上決着が着くまで約1分。 グリーバスの絶命まではもう少しかかるが。
2009-12-08 (2) 20:27:14 +0900
ウータパウに向かうオビ=ワンがクローン兵たちと語り合うシーン。 クローン兵たちの刈り上げ頭の伸び具合がまちまちなほうが自然では?
本当にテムエラ・モリソンが頭を刈り上げて撮影したなら、 少しずつ刈りながら何回かに分けて撮ったほうが自然だったと思う。
クローン兵の髪も普通の人間と同じように伸びるなら、の話だが。
(さらに仮定があって、クローン兵たちも髪が伸び、 適当な時期になると理髪店へ行って頭を刈る、 という設定の場合、である。理髪店の忙しさが均等になるためには、 まちまちのタイミングで散髪に行く必要がある。 よって、髪の伸び具合がまちまちになるのである。)
2009-12-08 (2) 20:16:17 +0900
本文ナシ
2009-12-08 (2) 03:14:47 +0900
2009-12-08 (2) 03:12:45 +0900
以前は、立ちあがるときは(いわゆる)日本語モードだが DOS 時代のプログラムやバッチファイルを動かすと(いわゆる)欧文モードになって、 戻し方がわからない、という状態だった。 それはそれでそれなりに使えていたのだが、 この「いろいろ」を書く際、 同時に動かしている(いわゆる)日本語モードのままのほうと区別しようと、 背景色を赤にしてみた。 そうしたら、毎回、(いわゆる)欧文モードで起動するようになってしまった。 困った! これでは、(いわゆる)日本語をエディットしたあと、 fc による一つ前の版との比較ができないのである。
ヘルプで「コマンド プロンプト」を見たら、 「よく寄せられる質問」の中に 「コマンド プロンプト ウィンドウを変更するにはどうすればいいですか」 があった。 「クリックして、コマンド プロンプトを開きます」 とあるところをクリックしてみたら、従来のように開く! しかし、 そこに書いてあるようにして「現在のコード ページ」を (いわゆる)日本語にしても、スタートボタンを押し、スタートメニューにある 「コマンド プロンプト」をクリックすると、 依然として(いわゆる)欧文モードで立ちあがる。
「コマンド プロンプト」の実体は C:\Windows\System32\cmd.exe である。 こちらをクリックすれば OK なので、 いろいろ調べた結果、それへのショートカットを C:\Users\sunomono\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\Startup あたりにおけばいいことがわかった。 ここを選んだのは、ログイン後、自動的に一つ開くと便利だから。 「[スタート]メニューにアイコンを追加」もしておいた。
注)実際のユーザ名は sunomono ではない。
2009-12-08 (2) 02:17:09 +0900
10月31日土曜日づけ大阪本社版 be on Saturday の e4 面 「食べテツの女スペシャル」。 ざっと見たところ、見出しのほかに五回「食べテツ」が現れるが、 すべて「べ」はひらがなである。 b10 面の「編集部から」にも「食べテツの女」とあるが、これもひらがな。
2009-12-08 (2) 01:29:45 +0900
10月29日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の、
「転覆漁船3人救助」の記事。
《潜水士6人が離れて陣取り、
3人に自分たちの潜水具の呼吸器を順番にくわせさせながら移動させる。
こんなリレー方式で海面まで導いた
》とある。
なるほど! そうやるのか!
付)いま引用しながら思ったのだが、 私だと、ここで「陣取る」という語を使うことを思いつかないだろう。 うまいなと思った。
2009-12-08 (2) 01:15:20 +0900
10月29日木曜日づけ大阪本社版第一面の、「転覆漁船3人救助」の記事に、
3人がいた居住区について、
《転覆の際、洗面器を湯船でひっくり返した時のように中に空気がたまっていた
》
とある。
確かに、洗面器を湯船に入れてひっくり返せばそうなるだろうが、
普通、洗面器は湯船には入れないだろう。
これを書いた記者には、 一緒にお風呂にはいって遊ぶぐらいのお子さんがいるのだろうか、 と考えるとほほえましいが。
2009-12-08 (2) 01:09:31 +0900
7日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面
「常用漢字試案 意見を募集中」。
《また、現行の常用漢字では、
「描(か)く」という訓が追加されるので、
「書く」との使い分けができるようになる
》。
使い分けができると言えば聞こえがいいが、
日本語の「かく」そのものが豊かになるわけではないし、
どちらで書くか考えつつ書かねばならないと考えると、
負担が増えるだけ、ということは前に別の例で書いたと思う。
それはさておき、 現行の訓である「描(えが)く」と、 どうやって読み分けさせるつもりなのだろうか? 読み方が決まらない訓読みは、 当用漢字のころはなかったのではあるまいか? と思ったら、「後(のち)」と「後(あと)」があったか。 しかし、これは前後関係で読み分け可能な場合が多いような気がする。 「描く」を「えがく」「かく」と読み分けるのは、ふりがながなければ無理では。 どちらも四段活用なので、活用形もみな同じとなる。
2009-12-08 (2) 00:27:17 +0900
一年365日で固定したカレンダーを考える。 それだと、四年で約1日、暦が季節とずれる。 例えば、日本のある地方で四月上旬にサクラが咲いていたのが、 約四十年で中旬となり、さらに四十年で下旬となる。 「そういえば、 私が子どものころと比べて季節とカレンダーがずれてきているなあ」 と思う程度であろう。 人生長くて百年として、25日程度のずれだから、 旧暦と季節とのずれの最大よりは少ない。 しかも、徐々にずれてゆくのだから、それほど困らないのではあるまいか。 昔の本を読むと、 「へえー、昔は七月八月が夏だったの」なんてことは起こるかもしれないが。
ただし、春分の日、秋分の日の日付がずれてゆき、 秋分の日が体育の日と重なったりすることが起こるのは問題であろう。 キリスト教圏ではクリスマスとイースターが重なると問題か。
本気で主張しているわけではない。念のため。
2009-12-07 (1) 19:03:35 +0900
実際には、乳幼児の死亡率を下げよう、というキャンペーンのようだ。
しかし、現行暦では、2月29日生まれの子どもには一歳の誕生日がない。 生まれた翌年の2月末日、すなわち28日に一歳になるが。 本当に全ての子どもに一歳の誕生日がくるためには、 各月の日数を毎年一定にしなければならない。 その場合、一年を365日にすることになろう。
以下、次項。
2009-12-07 (1) 18:50:32 +0900
ライトセーバーの技術がある程度以上のレベルに達している者どうしの間では、 一人が振り下ろした剣をもう一人が下から自分の剣で受け止める場合、 刃と刃が当たるようである。 しかし、アナキンがウィンドゥの剣を受け止めようとした時は、 彼の腕を切ってしまった。
《スター・ウォーズ>アナキンはなぜウィンドゥだけは腕を切り落とせたのか?》 以来、 なぜだろうと考えていたのだが、 議長がフォースでウィンドゥかアナキンのどちらか、 あるいは両方の腕・剣の軌跡をコントロールしていたのでは、と気づいた。 あの直前まで、議長は胸から上のアップばかりで、議長の動きはよくわからない。 アナキンがウィンドゥの腕を切るところでは、 議長は前に突き出した両手を少しひく動作をする。 これは、電撃を出したままの手の位置から、アナキンの剣に当たらないよう、 手をひいただけとも考えられる。 動作からフォースを使っていたと判断することはできないか。 しかし、 シディアスぐらいのフォースの使い手なら、 動作なしでフォースを使うことも可能だろう。 (VI のルークは、わなにひっかかり、網につつまれた状態で、 動作なしにフォースを使って C-3PO を宙に浮かせたような記憶があるが、 いま手元に DVD がないので確認できない。)
アナキンはウィンドゥの刃を受け止めるだけのつもりだったが、 シディアスのフォースのため、間違って腕を切り落としてしまった、 と仮定してみよう。 これは、シディアスにとって都合がよい。 アナキンに“取り返しのつかないことをしてしまった、 もう暗黒面から引き返せない” と思い込ませることができるからである。
2009-12-07 (1) 18:00:07 +0900
きょうは有給休暇をとった。 散歩の帰り、とある寺の前を通ったら、 あちこち痛いのは生きている証拠だから感謝しろ、 というようなことが書かれた紙がはってあった。
いわゆる地獄があって、死後そこへ落ち、責め苦を受けるのだとしたら、 あちこちどころか全身が痛いと思う。 だから、この宗派は地獄を認めないのか、と思ったが、聞くのも面倒なので。
2009-12-07 (1) 17:42:29 +0900
2009-12-07 (1) 02:19:21 +0900
たぶん初めて、インターネット上で朝日新聞の「天声人語」を読んだ。 段落の区切りの代わりに用いられるあの「▼」マークが、 原文の縦書きが横書きに変えられているにも関わらず、 そのまま使われている。それはおかしい。 横書きなのに縦書きの長音符を使うようなものではないか?
2009-12-07 (1) 02:09:10 +0900
バッハの無伴奏チェロ組曲第六番は五弦のチェロ用に書かれている。 一番上に E 線があったと聞く。 だったら、ビオラでも同じことができないか? そうすれば、 バイオリン曲も弾くことができるはず。
2009-12-07 (1) 02:06:09 +0900
私は二声のインヴェンションまでしかやっていないのでわからないが、 四声のフーガを弾く際には、力の強い親指・人差し指で内声を弾くことになり、 内声のほうが音が大きくなってまずい場合がある、と読んだことがある。
だったら、右手の親指側がソプラノ、小指側がアルト、 左手の小指側がテノール、 親指側がバスを担当するような配列の鍵盤にしたらどうだろう? 前項に書いたような、左へゆくほど音が高くなるピアノを作り、 常に左右の手を交差して弾けばよいが、それでは疲れるだろう。 鍵盤を二段にし、同じ位置で弾くと片方が四オクターブぐらい高い音が出る、 というようにしてはどうか。右手を高い音が出るほうの鍵盤に、 左手を低い音が出るほうの鍵盤に置いて、 左右の手を、普通のピアノでいうところの二オクターブ分ぐらい離して弾けば、 右手のほうが二オクターブ高い音が出る。 四オクターブ分だけ離せば、左右の手でユニゾンも可能。
左手がソプラノとアルトを担当するのでよいなら、 いまのピアノと同じく、右へゆくほど音が高くなるようにしたまま、 二段鍵盤にすればよい。
2009-12-07 (1) 01:51:59 +0900
つまり、左へゆくほど音が高くなる鍵盤を持つピアノである。 Wikipedia でグールドの項目を見ていたら、彼が左利きであることが云々とあり、 だったら、 右利きの人が弾くピアノは現行のものより左右反対のもののほうが望ましいのでは、 と考えてみたもの。
でも、そういうのがもしできたら、そっちに乗り換えるかどうか迷うだろうな。 両方を弾き分けるのは不可能に近いような気がするから。
2009-12-07 (1) 01:49:27 +0900
せっかく、あの道の下を通っているのに。
2009-12-07 (1) 01:48:42 +0900
"垂れ流し端末" は Google で 19 件。 私と同じ意味で使っていると思われる人は、その中でも少ない。
「下へ下へと書いてゆくだけの端末」とは、 普通の文字のほかには改行とタブぐらいしか受け付けず、 一番下まで書いたら画面全体が上にスクロールするだけの端末を指す。
2009-12-07 (1) 01:42:16 +0900
ベイダーは、オビ=ワンをしとめたと思っただろうが、その死体は残らなかった。 その報告を受けた皇帝は、20年前にヨーダと戦ったときと同様に、 「Double your search.」と命じたのだろうか?
しかし、あのでかいデス・スター内をくまなく探すのは大変だろうな。
2009-12-07 (1) 01:39:30 +0900
戦闘機で。
2009-12-07 (1) 01:37:45 +0900
二三日前、これで「ラジオ英会話」を録音し逃すところだった。
2009-12-07 (1) 00:47:31 +0900
この回も、録音を開始したら音量を絞ってまた眠ったが、 次の番組が始まって数分で止めている。不思議だ。
冒頭のごあいさつはきのうと同じ。ということは、やはり、 接続法を扱ったあの二回だけが例外?
「第 20 課」を「だいにじっか」と読まれた。
ディアローグの内容が深刻な割には、 聞き終わったあとのミカエルさんが明るいな。 それと対照的に、先生のお声はどこか沈んだような感じである。
意味の確認。 「J'en ai eu le cœur brisé.」の en について 「en は『そのせいで』という、原因・理由を表します」の 「原因」が、また、「鯨飲」にも聞こえる。
ミカエルさんの発音で、 「Je le pense vraiment」の pense の最後の音が [z] に聞こえる。 このパターンは何回かあった。次が有声音なので、それにひきずられるのであろう。
表現練習。 「『avoir peur du vide』で『高いところが怖い』、 『高所恐怖症である』という意味になります」と説明されたが、 高所恐怖症は単に高いところが怖いのではなく、病気であるらしい。 俗にいう高所恐怖症、と考えればいいのだろう。
最後の音楽が始まってからの終わりのごあいさつ。 今回の文法事項が単純未来形だったから、 ミカエルさんは単純未来形を使って何か言うかなと思ったが、はずれ。
単純未来形が接続法よりあとに出てきたのが意外だった。 接続法をむずかしいと思わせないための配慮? 一方、 近接未来形と単純未来形の使い分けを甘くみてはいけないようだ。
付) 普通、第 1 課から始まってどこかで終わるから、 出てくる数詞は 1 からいくつかまで、となる。 今回は第 24 課で終わりだ。 課の番号は単調増加してゆきさえすればよいので、 覚えにくい数だけを選んで番号をつければ練習になる、 と考えるのは私のようなひねくれた数学屋だけか?
2009-12-06 (0) 23:31:34 +0900
日曜日に、ストリーミングでまた聞いた。
表現練習に 「私は彼らが双子の兄弟だと思っていました」とあったが、 これは彼らが双子の兄弟ではなかった場合? それとも、 双子だと思っていたのが実は一人の人物だったという場合?
「1000 ピースのジグソーパズル」と聞いたとき、 100×10 の異様に細長いもの? そんなのある? と思ってしまったが、 実在するようである。 よく考えたら、25×40 も 1000 なのであった。
先生は、暗い内容の文章の内容を日本語でおっしゃるときは暗い口調になる。 日本全国には、 実際に失恋したばかりでこの放送を聞いている人もいるだろうから、 あまり明るい口調で話すわけにもいかないんだろうな。
2009-12-15 (2) 01:29:05 +0900
表現練習に、「双子の兄弟」が出ており、 「双子の姉妹」の言い方は先生が説明された。 では、「双子の姉弟」、「双子の兄妹」は?
最後。 「さて、ディアローグに、 『Le ciel m'est tombé sur la tête.』 という表現が出てきましたが、ミカエルさん、 どういう場合に使うとぴったりな表現なんでしょうか?」 と尋ねておられた。 撮影中にホリゾントが頭の上に落ちてきたときも使えるのかな、 とつまらないことを考えてしまった。
2011-06-20 (1) 01:33:21 +0900
屋外で。ふだんは、夏休みの八月か九月に咲くのに。 しかも、そのあと、業者が草刈りにはいったので、 全部刈られてしまったはずなのだが。
2009-12-06 (0) 23:27:24 +0900
フグ田サザエの旧名だと郵便配達人が知っていれば届けるだろうな。
2009-12-06 (0) 22:30:36 +0900
先日、年賀状印刷を注文に行った店は印鑑も扱っており、 「印鑑供養」とかいうのを受けつけていた。 それは印鑑が古くなった場合ではないかと思う。 そうではなく、結婚改姓で使わなくなった印鑑は、 どうなるのだろう? 弟や妹やいればゆずればいいだろうが。
2009-12-06 (0) 22:27:03 +0900
上で弟や妹と書いたが,兄や姉でももちろん構わない(はず)。
2019-11-19 (2) 20:52:57 +0900
前に 《結婚改姓>両者の姓のいずれとも違う第三の姓を強制するようにしたら?》 を書いた。 いまでも、いい案だと考えているが、その理由として、もう一つ、思いついた。 現行制度では、夫婦のどちらかしか改姓しないので、 印鑑や名刺を作り直すのはどちらか片方だった。 それが両方になれば、その業界はもうかる。 めぐりめぐって、景気全体が刺激されるのではあるまいか。
2009-12-06 (0) 22:24:52 +0900
本文ナシ
2009-12-06 (0) 22:23:28 +0900
前に 《結婚改姓>両者の姓のいずれとも違う第三の姓を強制するようにしたら?》 を書いた。 いまでも、いい案だと考えているが、 「結婚相手の姓に変わるなら、希望した姓に変わったと言えるが、 これではそうはならない。希望しない姓を名乗らされるのは憲法違反」 というような主張がありそうだ、と気がついた。 しかし、元来は、姓は天皇から“賜る”もので、 好きだ嫌いだと言ってはいけない性質のものだったはずである。
2009-12-06 (0) 22:16:04 +0900
……言う方法があったのではあるまいか。 ウィンドゥが殺したと思われればそれまでだが、 そう思われなければ、議長がライトセーバーで殺したとわかってもらえるだろう。 それでも議長を助けようとアナキンが考えるなら、 あの映画の通りになってもしかたあるまい。
三人のジェダイの死体は、議長の机とは別の、奥まった部屋に残っているはず。 だから、アナキンは見ていないものと思われる。 すると、あのあと、ベイダーをジェダイ寺院へ送りだした議長は、 そのあと三人の死体を気づかれないように始末したのかも知れない。
2009-12-06 (0) 21:32:56 +0900
ウィンドゥたちが議長逮捕に向かったあと、 しばらくして後を追うが、ああいう場合だから、 本来の降りる場所でなく、もっと奥まで、具体的に言えば、 あの柱の建っている間をも戦闘機に乗ったまま抜けて、 戦闘機ではいれるぎりぎりのところまで行くのが普通ではないだろうか?
そんなことしたらあとで怒られるだろうけどな。
2009-12-06 (0) 21:21:44 +0900
ドゥークーを倒したあと、アナキンが駆け寄ると、 すぐそばに剣が落ちていたことからわかる。 えらいもんだ。 (ドゥークーがフォースで飛ばした際、都合で一緒に飛んだだけ、 とも考えられるが。)
しかも、そのとき、刃をひっこめている。 ああなったら、刃を出していても意味がない。 自分を傷つけるだけだ。だからひっこめたのだろう。
2009-12-06 (0) 21:20:18 +0900
アナキンは自らスピンして二機のミサイルをだまし、 互いに衝突させたが、あれが可能なら、操縦席はそのままで、 後部だけを回転させても、 ミサイルをだますことができるのではあるまいか? そういう装置をつけたらどうだろう?
2009-12-06 (0) 21:01:51 +0900
あの映画の最初のセリフのあるあたりで、 オビ=ワン機、アナキン機のすぐそばに敵の宇宙ステーションが見える。 あれは、何もしてこないのだろうか?
2009-12-06 (0) 21:01:13 +0900
冒頭の議長救出作戦の中で、 オビ=ワンはドゥークーにフォースで首をつかまれる。 その直前に、議長が「Get」と声をかけるが、 あそこでフォースを使ってドゥークーに加勢していないだろうか、と考えた。 オビ=ワンもアナキンも、懸命に戦っている最中だ。 その間になら、フォースを使っても二人に気づかれる心配はないから、 ああやって、目的のアナキンを残すため、オビ=ワンを気絶させた、 と考えたのだが、そうではなさそうだな。
2009-12-06 (0) 19:55:03 +0900
ぼんやりしていて気づかなかったが、 十一月 30 日の月曜日から第 49 週にはいっていた。 「一年は 52 週」が頭にあると、 「もう第 49 週、今年はあと 3 週しか残っていないのか!」という感じである。 もちろん、年末までの日数は日付で決まるから、あせる必要はない。 今年は第 53 週がある。 第 53 週は今月の 28 日に始まり、来年一月 3 日で終わる。 《(international) week number で第 53 週まである年はどのように分布する?》 参照。
2009-12-06 (0) 19:55:03 +0900
コピーや移動の際、同じ名前のファイルがすでにあると警告を出すが、 その際、二つのファイルに関して教えてくれることは、 ファイルサイズの大きい・小さいと、 タイムスタンプの古い・新しいだけだ。 画像ファイルの場合、両方の縮小画像も表示されるが、 バイト列として完全に同一かどうかの判定はしてくれない。 簡単なことだと思うのだがなー。
2009-12-06 (0) 19:27:00 +0900
何らかの方法で画像ファイルをアップロードすると、 類似の画像が検索できる、というものである。
たとえば、 鎌倉の大仏を自分で撮った写真をアップロードすると鎌倉大仏の写真が検索できる、 というのは難しいかもしれないが、 元が同一の写真であったものだけを探すなら、不可能ではないような気がする。 トリミングや縮小などを経ていても。
ダウンロードして手元にある画像で、 何だったのか、あるいは誰だったのか、わからない場合には役に立つと思う。
2009-12-06 (0) 19:25:15 +0900
寝ぼけていたのか、 7時28分に携帯電話のアラームが鳴ってもしばらく意味がわからず。 かろうじて、間に合った。頭から録音できた。 音を完全に絞ったので、また眠ってしまったが、 なぜか、次の番組が始まって二三分のところで目が覚め、とめた。
今回は、最初のごあいさつに 「きょうも楽しく学んでいきましょう。お相手してくださるのは」 があった。やっぱり先週は時間の都合?
ミカエルさんの「penser à lui」で、 penser と à がリエゾンしているように聞こえる。 していいんだっけ? 「chaque fois que je passe devant」の passe の ss が、 [z] に聞こえる。後者は、発音練習の際の発音では [s] に聞こえる。
témoignage という語がでてきた。 ×témoinage という語があったような気がしたが、 辞書に載っていない。 témoin という語があるのでカン違いしたか。
先生の、日本語としての「コリンヌ」の発音が「コリーヌ」に聞こえる。 特に二度め。 次が [nu] だから、「ン」は舌先をつけて発音すると思うのだが、 ついていないのかな?
文法チェック。 間接目的語が人で、それを代名詞にして言う場合、 普通は間接目的語の代名詞の形を使うが、 ある動詞・動詞句の場合は à + 代名詞強勢形を使う、とのことだった。 後者の例文は、すべて、日本語では「を」あるいは「のことを」と訳される場合だ。
「彼女が僕に」の「僕に」を「低高高」のアクセントで発音された。 私は「高低低」で発音する。 三省堂「明解日本語アクセント辞典第二版」によると、両方ある。 後ろが上がるほうに「新」マークがついている。 新しいアクセントであることを意味するが、どのくらい新しいかはまちまちらしい。
表現練習の「バーゲンの誘惑」が、一瞬、「ハーゲンの誘惑」に見えた。 もうじき、「バイロイト音楽祭」が放送される年末だ。
2009-12-04 (5) 01:11:26 +0900
ここから先はこれからアップロードする。
2009-12-06 (0) 19:29:43 +0900
ディアローグの人の発音でも、 「chaque fois que je passe devant」の passe の最後の子音は [z] に聞こえる。
témoinage は、Google で 55,400 件ヒットする。 どれもフランス語のようである。
2009-12-13 (0) 02:48:50 +0900
「ラファエル」を「ファ」にアクセントをおいて発音しておられる。 ディアローグを聞く前と、意味を確認する中で、合わせて二回。
「文の最初に置かれた Résultat は、 名詞ですが、『その結果』、という、副詞のような使いかたです」。 日本語の「結果」も、最近はそんな風に使われるな。
「pour のあとは faire 何々 de 丸々、丸々を何々にする、 という構文で」。 テキストの単語メモでは 「faire 〜 de ... …を〜にする」となっている。 「丸々」には、アクセントは違うが、 「まるまるとしている」という用法があるから、ちょっと変な感じ。 私なら「丸々」の代わりに「点々々」と言うかも。 (三回くり返すのは、実際に点が三つあるからである。)
「『j'ai mal au cœur.』は心臓が痛い、ではなくて、 気持が悪い、という意味です」。 では、本当に心臓が痛いときはどう言う? (心筋梗塞などの場合。)
2011-06-20 (1) 00:51:56 +0900
2009-12-02 (3) 23:42:53 +0900
『すのものの「変わり玉 .gif ファイル」』 の最後に追加した。
2009-12-02 (3) 23:42:53 +0900
「ば」は方言の助詞、「砂越」は地名・駅名。 単に、ときどき看板で見かける前半を、逆から読んでこじつけたもの。 「サゴシ」という、出世魚サワラの“幼名”もあるらしい。それでもいいか。
2009-12-02 (3) 23:07:26 +0900
MS-Windows では、どうなったら仕事を始めてよいのですかと聞かれると、 ちょっと困るのでは。 「ログインが完了しました。さあどうぞ」 みたいなウィンドウを出す方法ってあるのかな?
……と思って、前から気になっていた「スタートアップ」について調べてみたら、 そこにアプリケーションへのショートカットを置いておけば、 起動時にそれが動くんだったんだ……。 しかし、それが動いたら仕事を始められるわけではない。 そのあと、毎回出てくるウィンドウがある。これじゃ意味がない。
2009-12-02 (3) 20:24:31 +0900
実際には、「∪」や「∩」の下に「λ∈Λ」のような式が書かれるもの。 岩波数学辞典第三版では、この記号が使われるのは、 Aλ たちがある一つの集合の部分集合の場合だけだ。 そして、そういう場合だけを集合族と呼ぶ。
この仮定をうっかり忘れていた。 (ほとんどの場合、この仮定が成り立つケースしか扱わないから、 忘れていてもまず困らないのだが。)
2009-12-02 (3) 20:15:01 +0900
本文ナシ
2009-12-01 (2) 23:56:33 +0900
Wikipedia の「自殺」の項はよく読むが、 米国では警官に抵抗するとすぐに銃で撃たれるので、 それを目的に抵抗する、拡大自殺があるそうだ。 これなら、自殺には当たらないと考えるのだろうか。
日本では、警官がなかなか発砲しないので、これはむずかしいと思っていたが、 信号機のついていない横断歩道、これは常時歩行者が優先なのだが、 そんなことはお構いなしに、“渡れるものなら渡ってみろ” と言わんばかりのスピードで走りぬけてゆく自動車をよく見かける。 スピードが出やすい横断歩道で待ち、 大きなトラックなどの前で横断を始めれば、 間違いなくひかれる。 スピードが出ていれば出ているほど、 激しく肉体が傷ついてすぐに死ねるだろうから、苦しみも少ないと思う。 しかも、これは、米国で警官に抵抗するのとは異なり、 合法な行為の結果であるから、死後、周囲の人が非難されることがないはずだ。
ただし、問題はある。それは、 ひいた自動車の運転手が、 「横断歩道近くの、横断歩道でないところに飛び出してきた」 と主張した場合である。 知人にビデオ撮影していてもらえば証拠になるが、 その知人が嘱託殺人の罪に問われる可能性があるのではないか。 自分でビデオカメラをセットし、自動的にどこかに投稿されるか、 家族にメールで送られるようにしておくか。
ひいた運転手は罪に問われるだろうが、 それは自分が法律に違反した当然の報いなので、 私は何とも思わないだろう。 いや、もしもこの方法で拡大自殺に成功した場合、 私は死んでいるので、何とも思いようがないのだが。 (他の人がこのやり方で拡大自殺した場合、 私は運転手に対し一切同情しないと思う。)
でも、これで確実に死ねるなら、もう流行っているはずだよな。 どこの横断歩道で、どういう自動車の前を渡ればいいか、 情報が出回っているはずだ。 きっとこのやり方には穴がある。 もう少し生きて、考えてみるか。
2009-12-01 (2) 23:37:13 +0900
「嘱託殺人」と書いたが、頼んで殺してもらうわけじゃないから、これは違った。 そう思ったとたん、今度は「自殺幇助」かなと思ったが、これも違う。 自殺じゃないんだから。 それに、死に至る過程で何らかの手伝いをしてもらうわけではない。
ついでに、説明不足だったところを補っておくと、
「死後、周囲の人が非難されることがないはずだ
」の
「周囲の人」とは、家族や知人などを指す。
ひかれて死ぬとき周囲にいた人ではない。
2009-12-02 (3) 20:40:35 +0900
先日、金沢神社そばで客待ちしているタクシーの「空車」表示を見て、 前項に書いたことを思い出し、ふと思った。
付) 正式な映画のタイトルでは「II」ではなく「Part II」らしい。 タイトル行は(自分で自分に)文字数の制限を設けているので、一部を省略した。
2009-12-01 (2) 23:30:03 +0900
この話、書いたと思っていたが、書いていなかった。
2009-12-01 (2) 23:27:56 +0900
小便器は「小便+器」であろう。
2009-12-01 (2) 23:26:44 +0900
かなで書けば「いもいそ・よしおみ」。「芋磯」って姓はないかな?
2009-12-01 (2) 23:19:15 +0900
鬼塚は姓。「悪事の誰それ」という言い方はやや苦しい。
2009-12-01 (2) 23:15:39 +0900
江崎は姓。
2009-12-01 (2) 23:14:18 +0900
江崎は姓。
2009-12-01 (2) 23:13:07 +0900
かなで書けば「おやま・まよ」さん。
2009-12-01 (2) 23:11:44 +0900
かなで書けば「あきもと・みか」さん。
2009-12-01 (2) 23:10:26 +0900
本文ナシ
2009-12-01 (2) 23:09:13 +0900
かなで書けば「いちかわ・わきち」さん。
2009-12-01 (2) 23:06:28 +0900
アリマタヤのヨセフの「アリマタヤ」、それに日本人姓の「ハヤタ」、 女性名の「マリア」を並べただけで、意味はない。
2009-12-01 (2) 23:04:35 +0900
公式はすっかり忘れていたが、球体、円板などの場合、慣性モーメントは (質量)×(半径)2 に係数をかけたもの、となるのだった。 同じ材質で相似形だと、質量が相似比の三乗に比例し、半径は相似比に比例するから、 慣性モーメントは相似比の五乗に比例することになる。 「五乗」というのは意外だった。あってるかな?
こうも考えてみた。 質量を無視できる細い棒の端に質点をつけ、 反対の端のまわりに回した場合、慣性モーメントは棒の長さの二乗に比例する。 よって、球体、円板の場合でも、質量が同じであれば、半径の二乗に比例するはずだ。 実際には、さらに質量が相似比の三乗倍される。 よって、二乗×三乗で五乗。
2009-12-01 (2) 22:53:35 +0900
「攀(よ)ず」は、携帯電話版広辞苑第六版で後方一致検索をして見つけた語。 現代語の「攀(よ)じる」に対応する古語。ただし、歴史的かなづかいは「攀づ」である。 (よって、「よじる」の歴史的づかいも「よぢる」である。)
2009-12-01 (2) 22:46:20 +0900
きょうづけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
《そんな話を、しばらく前の声欄を読んで思い出した。
投書した人は、職探しに使うハローワークの相談窓口で、
小型の色紙を目にしたそうだ。
そこには
「人間関係うまくいかないのが当たり前」
「転ばない生き方より転んでも起きあがる人生がいい」と書いてあった。
仕事を失った人を励ますつもりだったのだろう。
しかし投書者は、落ち込んでいる気持ちを逆なでする、と立腹していた。
紋切り型の人生訓である
》
これを読んですぐに思い出したのが、
同紙の be on Saturday b9 面に掲載されている、
「勝間和代の人生を変えるコトバ」だ。
11月28日土曜日づけを見ると「自分ばかり損をしていると思うな
」。
私には、上の二つの例と同じぐらい紋切り型に思える。
天声人語の筆者も、当然、このコラムを読んでいるであろう。
紋切り型だと思っているのか、聞いてみたいところである。
紋切り型だが、読む人が違うからそれでよい、という考えはあろう。 ただ、私は、きょうの天声人語を読んで、 勝間和代のコラムについて、「落ち込んでいる気持ちを逆なでする」 と立腹してもおかしくないんだな、と納得した。
2009-12-01 (2) 22:32:47 +0900
Kyrie, Credo, Agnus Dei の三曲が演奏されたそうだが、 ティンパニは Kyrie がニ調、Credo, Agnus Dei が変ロ調なので、 途中の調律は一度で済む。
一度が二度になっても大した手間ではないか。 交響曲の緩徐楽章でティンパニを使うと、 その前後で二度の変更をすることが多いのだから。
2009-12-01 (2) 19:56:59 +0900
ミサ曲は、もともとは教会のミサのために書かれたものであり、 曲と曲との間に儀式が行なわれる。 その最中に、 ティンパニの調律を行なうことは可能なのだろうか? もしも不可能だとすると、 全曲を同じ調律で演奏できるよう書かねばなるまい。
ベートーベン「ミサ・ソレムニス」は、 途中で三回、ティンパニの調律を変える必要がある。 そこから、 ベートーベンが実際のミサで使用されることを考えていなかったと言えないかな、 と想像しただけ。 (曲間での変更が可能なら、本項は全く無意味となる。)
2009-12-01 (2) 19:48:31 +0900
2009-11-30 (1) 02:28:41 +0900
前項でも取り上げた、 10月18日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
新聞社はネットでも発信しているが、 そこで再会するわが文は心なしか「誠意」を割り引かれている。 特にコラムの場合、体裁の違いはそれほど大きい。 どうか小欄は、ぬくもりを添えてお届けする「縦書き」でお読み下さい。
縦書きか横書きかで本当に誠意・ぬくもりは異なるのか。 もしも人を納得させられるだけの違いがあるなら、 なぜ、縦書きで、同じ体裁でインターネット発信できるよう、 コンピュータ会社に働きかけないのか。
紙に印刷され配達される朝日新聞のページと全く同じように画面に表示される、 そういうブラウザを作ることは、今の技術なら簡単だと思う。
2009-11-30 (1) 02:20:13 +0900
10月18日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」。
「インターネットでは得られない情報が、 伝える人と届ける人の誠意の集大成として新聞になる」。 そう書いてくれたのは、東京都文京区の岩間優(ゆう)さん(14)だ。 足の悪いお年寄りが新聞を心待ちにしていると知り、 単なる「記事の集まり」を超えたぬくもりを感じたという
「インターネットでは得られない情報」とは何なのか。 書かれていないのでわからない。 それを説明しないと、日本国を敗戦に導いた、 日本は神国だから負けるはずがない、という考えと紙一重だと思う。 足が不自由でも、インターネットを使うのには影響がないだろう。 紙の新聞と異なり、ポストまで取りにゆく必要がないから、 かえって便利だと思う。 配達員と会うのが楽しみ、というなら、それはそう書かないと伝わらないし、 それは本来、新聞とは無関係なことだと思う。 毎日会いにきてくれる人がいれば、それできっとうれしいのだ。
私は、インターネットで伝えられないもので、 紙の新聞が伝えることができる可能性のあるものに気がついた。 それは「香り」「匂い」である。 雑誌広告では、 ここをこすると**の香りがします、というのを見たことがある。 新聞でも、できるのではあるまいか。 インターネットで香りが送れるという話はまだ聞いたことがない。
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。 ここの場合は、本人の投稿ではなく、天声人語の筆者が書いていることなので、 少々事情が異なるが。
2009-11-30 (1) 02:03:26 +0900
舳倉は舳倉島(へくらじま)の舳倉。
2009-11-30 (1) 02:00:03 +0900
本文ナシ
2009-11-30 (1) 01:57:06 +0900
本文ナシ
2009-11-30 (1) 01:55:42 +0900
本文ナシ
2009-11-30 (1) 01:07:43 +0900
「ひょっこりひょうたん島」は、NHKの人形劇。 オープニング曲に「水平線」が出てきた。 「宝島」は、子どものとき読んだ本だが、おそらく、 「水平線」なる語が使われていただろう。
2009-11-30 (1) 01:05:59 +0900
テキストが、この前の日の分から12月号にはいったのは、 放送回数を均等に8回ずつにするため、かもしれない。
この回をカセットテープに録音したとき、 録音ボタンを押してボリュームを最小に下げたら、すぐまた眠ってしまった。 いままで眠れなかったのは、声が聞こえていたからだったのだ。
冒頭のあいさつって、毎回録音し直しているのかな? 今回分は声が高め。 今回も、 「きょうも楽しく学んでいきましょう。お相手してくださるのは」がなかった。 12月は無しなのかな?
Julie をジュリーと音写しているが、私にはジュリに聞こえるな。
「文法チェック」。 接続法過去形というのは、主節の時や、 時の表現で示される時点からみて相対的に過去、ということを意味するのか。 直説法のときとは異なり、時制の一致はないわけだ。
ミカエルさんの fassent が [faz] に聞こえる。
「J'avais peur qu'ils se soient perdus.」を、 「主節が過去形の例です」と紹介された。 フランス語には、過去形と呼ばれる時制は直説法にはないはず。 そのあとでは「主節は avais と半過去形ですが」と説明された。 ということは、半過去形や複合過去形を合わせて、過去のことをいう時制を 「過去形」と表現された?
表現練習。 「qu'il soit devenu un acteur mondialement connu」の部分について、 「『俳優になった』だけなら、 qu'il soit devenu acteur で acteur に冠詞はつきませんが、 mondialement connu と修飾する」のあと、何が「ついていますから」 とおっしゃっておられるのか、 聞き取れない。「項」? 「語」? そのあとの結論は 「不定冠詞 un が必要になります」。
きょうも、最後の自由な会話は短かった。
付)テキストの、「接続法をとる主な動詞・表現」を見てみよう。 「il faut」があがっている。 そうしたら、これを使い、 明らかに接続法とわかる活用形の動詞を que のあとに用いて、たとえば、 「Il faut que j'aille à la banque.」のような文章を作るか探すかし、 覚えてしまえばいいのだ。 (この文章は手元の 「クラウン仏和辞典」(三省堂、1978 年)の falloir のところにでていたもの。)
録音したカセットテープが片道30分だったため、 そのあとに「まいにちイタリア語」が録音されていた。 それを聞いている間に、 もう一つだけやっておくと、「être content」は 「Je suis content que vous soyez venu.」。 (これも上述の辞書に載っていたもの。 きょうのディアローグの最初の文でもよかったのか。)
2009-11-30 (1) 00:05:42 +0900
ストリーミングでまた聞いた。
意味の確認の際、 「Elle doit avoir le sens de ...」の、 ミカエルさんの発音で、sens の最後の s が [z] に聞こえる。 (発音練習のときは [s] に聞こえた。)
表現練習。 テキストの「Je suis content(s) que ...」を、 「Je suis content, Je suis contente que と接続法過去形を使って言いましょう」 と読まれた。 (すなわち、Je suis content のあとに que を読まれなかった。 「Je suis content que, Je suis contente que と接続法過去形を……」 か 「Je suis content, contente que と接続法過去形を……」 のほうが統一がとれているような気がするが、 フランス語ではこのほうが自然なのかもしれない。)
そのあとの「J'ai été surpris(e) qu' ...」も同様。
「項」か「語」かは、やはり聞き取れず。
最後の自由な会話にはいったところで1分ちょっとあり、 最後のあいさつが終わって18秒。 やはり、それほど時間に追われていたわけではないのだ。 ただ、内容が多かったことは確かであり、 頭から録音していって、最後に直す時間がなかった、などの状況が想像される。
2009-12-07 (1) 00:27:20 +0900
「第8課」を「だいはちか」と発音された。 「だいはっか」という発音もあると思うが。
「いかがだったでしょうか?」「いかがでしたでしょうか?」と言う人が多い中、 先生は「いかがでしたか?」と言われる。これが正しい。 前の二つは助動詞が重複している。
2011-06-13 (1) 01:06:33 +0900
のが安全である。 いままでは適当な .txt ファイルをダブルクリックするなりしてメモ帳を開き、 そこへドラッグ&ドロップしていたが、うっかり指がパッドから離れると、 とんでもないところへドロップしてしまうことがあるからだ。
ただし、メモ帳が選択肢にはいっていなかったら、 「既定のプログラムの選択」に加えておかねばならない。 そのとき、「この種類のファイルを開くときは、 選択したプログラムをいつも使う」の前のチェックをはずしておくこと。
なお、.bak ファイルの場合には、Alt+F, H とすると「送る」になってしまう。
2009-11-29 (0) 23:55:03 +0900
前項の最後の結論を単独の項目に仕立てたもの。
2009-11-29 (0) 23:48:45 +0900
Alt+F4 を押すと終了用のウィンドウが出る。その中の 「保存する(S)」「保存しない(N)」の選択肢は、 そうしたあとメモ帳を終了する。 「キャンセル」とは、終了することをとりやめて編集に戻ること。 「S」「N」は、 クリックの代わりにそのキーを押しても同じことが起きる、という意味である。 キャンセルには代替となるキーが書いてないが、ESC で代用できる。
ところが、ここでまた Alt+F4 を押すと、 なぜか、「保存する」が選ばれたのと同じことが起こるのだ。
複数のウィンドウを開いていると、動作が遅くなることがある。 そういう場合、保存せずに終了したいと思って Alt+F4 を押しても、 反応がないことがあるだろう。 実際にメモ帳でそういう経験をした記憶はないが、 終わりたいソフトを終わらせることができず、いらいらすることはよくある。 もしもメモ帳でそういうことが起こり、 「もしかしてさっきの Alt+F4 はメモ帳に伝わっていないのではないか」 と思ってもう一度 Alt+F4 を押すと、悲惨なことになるわけだ。
「Ctrl+F に続いて x」のほうを使えばよいのか。 もう一度「Ctrl+F に続いて x」を押しても、何も起こらない。 でも、なぜかここでも、Alt+F4 を押すと保存して終了する。
「Alt+F4 で終了」と覚えるのは危険だ、ということか?
付)「ペイント」でも同様である。
付)二回の Alt+F4 の間に Alt キーを押し下げ続けるのをやめるかどうかは無関係である。
2009-11-29 (0) 23:31:14 +0900
職場においている XP マシンではこうはならなかった。 Alt+F4 はキャンセルと同じになる。
2009-12-02 (3) 20:45:40 +0900
2009-11-29 (0) 03:15:54 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 02:29:47 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 02:27:42 +0900
《ローマ字回文>「ureru」(売れる)(熟れる)》 なら前に書いた。
2009-11-29 (0) 02:24:12 +0900
稲倉晴香は架空かもしれない人名。
2009-11-29 (0) 02:22:24 +0900
鵜原(うばら)は千葉県の地名・駅名。
2009-11-29 (0) 02:19:59 +0900
牧村晴美は架空かもしれない人名。
2009-11-29 (0) 02:17:54 +0900
一つめの解釈は井村さんがたるんだ、ということだが、 二つめは井村さんと樽見さん。
2009-11-29 (0) 02:15:57 +0900
ウルトラマンやウルトラセブンの怪獣・宇宙人の、 劇中での設定にはそういうのはなかった。 だから、怪獣図鑑の“解剖図”を見て強い印象を受けたのだが、 “解剖図”を考えた人が思いついたことなのだろうか? それとも、 たとえば、西洋の伝統的な怪物にそういうのがあったとか、……。
2009-11-29 (0) 02:11:05 +0900
先日、確か、化け猫退治のあたりで「月水」を探していたときに、 ちらと目にはいったような気が。 ユリウス暦・グレゴリウス暦を使っていれば 365 日と考えるが、 旧暦の時代には 360 日と思われていたのだろうか。 たとえば立春から翌年の立春までの日数を数えれば 365 日か 366 日とわかるはずだが、 月の日数が 29 日か 30 日かは観測によって決まるから、 規則性がなく、実際に暦を見て足し算するしかないだろう。
2009-11-29 (0) 02:06:13 +0900
一年を13カ月にすると、13*28 = 364 だから、 残りの一日ないし二日を無曜日とすれば、 毎月はちょうど四週間となり、毎月同じカレンダーが使える。 ただし、これの欠点は13を嫌う人がかなりいることだ。
14カ月にすると、14*26 = 364 となり、一カ月は 26 日となる。 7 の倍数でないのでカレンダーは毎月同じにはならないが、 七カ月でカレンダーは元に戻るので、一年の前半と後半とは同じ曜日になり、 半年分だけ用意しておけば済む。 しかも、13と異なり、嫌う人が少ないと思われる。
無曜日を置く案は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が猛反対するので、 だめである。 自分で書いていて、自分は賛成しない案だけど、思いついたので。
2009-11-29 (0) 01:58:34 +0900
曜日は、毎年変わることにより、年月日のチェックサムの役目も果たしている。 たとえば、「2009 年 11 月 29 日の月曜日」と書いてあったら、 それはあり得ない日付だ、とわかる。(きょうの日付である。正しくは日曜日。)
暦を改めて、 毎年同じカレンダーが使えるようにする、 あるいは毎月同じカレンダーが使えるようにする、 という案があるが、それだと曜日のチェックサムとしての働きは失われる。 でも、それは曜日とは別のチェックサムを決めて使えばよいだけのことだ。 センター入試の受験番号の末尾のアルファベットのように。
2009-11-29 (0) 01:54:10 +0900
「盲(めくら)」が差別的であるとして使われないため、 この語も使われることは少ないが、 頭韻を踏んでいることが覚えやすさにつながっていたのだろうか。
2009-11-29 (0) 01:51:51 +0900
子どものとき、誰かが誰かをぶつと、 みんなで「ぶったら豚によく似てる」とはやしたてたものだ。 こう言うことで、暴力に発展することを未然に防いでいたのではと思うが、 「ぶったら」と「豚」が頭韻を踏んでいる、というか、 その次の「た」まで一致することが、豚が登場する理由だろうか。
2009-11-29 (0) 01:46:53 +0900
マルケの甥ならトリスタンか。 「マルケ」を「丸家」と解することも可。 「甥」でなく「老い」とすることも。
2009-11-29 (0) 01:43:48 +0900
「めくら」は、現在では差別的であるとして使われないことばですが、 差別的な状況での発話とみなすと全体の意味がよく通る文章になるので、 あげることにしました。
2009-11-29 (0) 01:42:00 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 01:40:05 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 01:37:56 +0900
大糠は地名にあるので姓にもあるかと思った。 大貫なら確実にある。
2009-11-29 (0) 01:35:11 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 01:21:45 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 01:21:01 +0900
「今にも二枚」のつもりで書いたが、 「居間にも二枚」でもよいことに気づいたので、タイトル行に書き加えておいた。
2009-11-30 (1) 01:01:33 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 01:20:05 +0900
歴史的かなづかいなので、「くやもう」でなく「くやまう」となっている。
2009-11-29 (0) 01:17:51 +0900
「花」は「か」、「里」は「り」であろう。
2009-11-29 (0) 01:12:57 +0900
最近起こった事件の被害者となった女子学生の名「友花里」を見て思いついたもの。
2009-12-10 (4) 23:44:35 +0900
もしもオビ=ワンが生きてオルデラーンに到着していたら、 デス・スターとの戦いでは将軍として活躍したであろう。 ルークが、自分にはオビ=ワンの声が聞こえる、と主張し、 みんながそれに納得すれば、オビ=ワンの指揮のもと、 戦うことも考えられたのではないか。
2009-11-29 (0) 01:09:58 +0900
島根県立大学の女子学生が殺害された事件だが、 ネット上の記事の見出しを見ていると、 「島根 女子大生」がくっついて「島根女子大生」になったり、 「島根大生」としたりしているものがある。 (「島根大生」と言えばおそらく、国立大学法人島根大学の学生を指す。)
2009-11-29 (0) 00:57:56 +0900
先日、ラジオの中継を聞いていたところ、 横断幕を出したり、エールを送ったりしているらしい。 力士に、他のスポーツのようにガッツポーズをとったりするな、というなら、 応援についても、誰かが何かを言ってもよさそうな気がするのだが。
2009-11-29 (0) 00:56:43 +0900
塩釜は固有名詞。地名には実在するようだ。
2009-11-29 (0) 00:54:35 +0900
かぶらずしを逆から読んだものをこじつけただけ。
2009-11-29 (0) 00:48:17 +0900
意味不明。
2009-11-29 (0) 00:45:25 +0900
携帯電話にメモしようとし、気づいた。 機種は docomo の N904i である。 確かに、現在では集落と言い換えられることが多いが……。
2009-11-29 (0) 00:40:20 +0900
/yo:suko:/ と /yo:sukou/ の違い。
2009-11-29 (0) 00:36:37 +0900
開田村は実在した村の名だが、この回文には意味はない。 ラムダに何か特別な意味があるかもしれないが、私は知らない。 (たとえばシグマといえば標準偏差のような。)
2009-11-29 (0) 00:32:47 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 00:30:10 +0900
本文ナシ
2009-11-29 (0) 00:21:30 +0900
Alt+T を押し、「フォルダオプション」を選び、 「検索」のタブからいろいろな設定ができる。 しかし、 「ファイル名と内容を常に検索する」 「ファイルの名前だけを常に検索する」 から選ばなくてはいけない。 テキストファイルなら前者だろうし、 画像ファイルなら後者だろう。 いちいち切り替えるのはめんどうだ。
表示されたファイルに、検索した字句がないことがあった。 「部分一致の検索をする」のオプションをはずしておけばいいのか。 いや、それでもだめだ。
unix なら find と grep で簡単なのだが……。
2009-11-29 (0) 00:16:56 +0900
後半は「岐路に」も考えられる。
2009-11-29 (0) 00:15:55 +0900
res と書いてレスと読むのは和製英語らしい。 serioso は、ベートーベンの弦楽四重奏曲第十一番の名称。 作曲者自身がつけたものだそうだ。 単にそれを逆から読んでこじつけただけ。
2009-11-29 (0) 00:08:59 +0900
それだけ。
2009-11-29 (0) 00:07:42 +0900
前に 《回文>「かわいいな。いい和歌」(かわいいないいわか)》 を書いていた。
2009-11-28 (6) 23:56:46 +0900
前に 《回文>「かわいいな。いい和歌」(かわいいないいわか)》 を書いていた。
2009-11-28 (6) 23:55:39 +0900