19日水曜日放送のNHKラジオ「実践ビジネス英語」の、 Daily Quiz で、 It's very human to ... の human を natural で言い換える問題を見て。
2010-05-20 (4) 23:56:50 +0900
19日水曜日放送分。
マタイ 7,7 の全文であった。
英文は欽定訳。
和訳は、文語訳(を現代かなづかいにしたもの)が元のようであるが、
「門を叩け
」が「叩けよ
」になっている。
ここはギリシア語原文では一語だが、
「(ドアを)叩く」という意味の動詞らしい。
誰のことばとして紹介されたかは、
書きとめないで上からきょうの分を録音してしまったのでいまはわからない。
福音書の中ではイエスのことばであるが、そうはおっしゃらなかったような。
テキストでは、ふだんは、
著者名とそのあとにカッコに入れて職業などと生没年がはいるところが、
「The Bible (New Testament, Matthew 7:7)
」となっている。
2010-05-20 (4) 23:40:30 +0900
けさ10時30分からの再放送を床の中で聞き、この部分だけを録音した。
「きょうは、新約聖書のマタイ伝にある、有名なことばです
」
と紹介されている。イエスのことばである、という説明はなかったわけだ。
2010-05-23 (0) 19:44:29 +0900
ずっと聞いている、NHKのラジオ講座の話である。
先週の金曜日、14日の Listening Challenge は
「2人の会話を聞いて、
正しい道順を示している地図をA〜Cの中から選んでください
」
というものだった。
会話の冒頭で、交差点で迷っているほうの人が、
いまいる位置を二つの通りの名前で言った。
そのとき、その二つの通りが交わっている地図はどれとどれか、
とさがしてしまったが、
よく見たら、通りの名前、目印となる建物は三枚ともすべて同じで、
目的地である Office の位置だけが違うのだった。
だったら、大きな地図一枚だけにして、三つの地点にA、B、Cと書き、 オフィスはそのうちのどこですか、と聞いてくれればよかったような……。 地図が共通であることもリスニングしながら読み取れ、 という課題なのかな?
付) タイトル行は本文とちょっと違うことを言っているような気もするが、 自分に課している文字数制限ぎりぎりでうまくおさまったのでこのままにしておく。
2010-05-20 (4) 22:24:44 +0900
第3課は、 四月28日水曜日、29日木曜日、30日金曜日が一回め、二回め、三回め、 五月5日水曜日、6日木曜日、7日金曜日がそれらの再放送、 12日水曜日、13日木曜日、14日金曜日が三回め、四回め、六回めだった。 すべてカセットテープに録音して聞いているが、 14日の放送はさっき聞き終えた。 この金曜日はかなり飲み過ぎて、寝床の中で録音しながら聞いていたが、 そのときも、さっきも、 “いま、ビニエット全体を通して聞いているこの課の、 最初の部分を聞いたのはずいぶん昔のことだったような気がする” と思ったのだった。
それはともかく、一回めのビニエットに出てきた a much bigger menace の menace を minus と聞き間違えたのを思い出した。
私はいちおう江戸っ子なので、マイナスがメーナスになることがある、 ってのはウソ。 普通にしゃべっていて /ai/ が /e:/ になることはない。 それに、menace の最初の母音は長くない。
付)スター・ウォーズ エピソード I の副題「ファントム・メナス」 のメナスなのに、気づかなかったとは情けない。
2010-05-20 (4) 22:10:59 +0900
大学ではほとんど使わないことばだが、 学生がよく使うので大学受験業界用語かと思っていたら、こんなところに載っていた。 索引によれば、対応する英語は criterion of convergence estimated from both sides となっている。 う〜ん。これを「はさみうちの原理」と訳した人、えらいっ!
2010-05-18 (2) 20:16:16 +0900
先日、金沢の某デパートで、ふと、そんなことを考えた。
もちろん、実際には売り物のタオルで手を拭いたりはしなかった。
2010-05-18 (2) 02:21:46 +0900
「見習」は「見習い」の送りがなを略したもの、 「けんしゅう」は「研修」で、全く別ものだが。
「見習」という表記は、先日、 某レストランのウェイトレスの名札で見かけたもの。
2010-05-18 (2) 02:19:19 +0900
ただ、「億円」に「くえん」という音の並びが含まれていることは確かである。
2010-05-18 (2) 02:17:47 +0900
前々項に関連。「イー・エッチ・エリック」と言われていたような気がするが、 Wikipedia は読み方を載せていない。 フランス生まれで、欧文の芸名としては「Eric H. Eric」とあるが。
2010-05-18 (2) 02:11:49 +0900
本文ナシ
2010-05-18 (2) 02:09:47 +0900
15日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版掲載の、しりあがり寿氏の漫画 「地球防衛家のヒトビト」。 夕刊のある地域では前日の夕刊に載ったものと思われる。
その内容は、この家のお父さんが、おそらくは会社の後輩との飲み会の席で、
若ぶって「AKB48」の名前を知っているところを見せようとして
「AKBしじゅうはち」と言ってしまい、
若い人たちが「しじゅうはちはムゴすぎる…
」と顔色を変えている、
というものだったが、
私も読み方を知らないので、Wikipedia を見たところ
「エーケービー フォーティーエイト」とあった。
日本語としては「48」は「しじゅうはち」または「よんじゅうはち」だから、 (おそらく)英語式に「フォーティーエイト」と読むことは、 知らなければわからない。 Wikipedia の記述を読む限りでは、 英語で活動している団体ではなさそうだ。
ふと思ったのだが、フランス語メディアでは、 どう呼んでいるのだろう? 「アーカーベー quarante-huit」 という可能性も……。
2010-05-18 (2) 01:55:54 +0900
2009年11月16日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版掲載の「天声人語」 から一つの段落を引用する
2年前には茨城県で、 1千万円の当たり宝くじを置き忘れた人がいた。 報道されると19人が名乗り出た。 警察が吟味して持ち主を確定したが、 人の世は基本的には、せち辛いものらしい
名乗り出た19人全員が 「自分は一千万円の当たりくじを落とした」 と主張したなら“せち辛い”と思うが、 「宝くじを落とした。 一千万円が当たったそのくじが、私が落としたものかもしれない」 と名乗り出たのなら、そうは言えないのではあるまいか。
2010-05-18 (2) 00:34:45 +0900
「世界」2009年2月号、 荒このみ「三千年期の新しい夜明け --- オバマ大統領を生んだ黒人研究と教育」から、 一つの段落を引用する。
マルコムXの母親は西インド諸島出身だったが、 その父親が白人だったために、白人として「パッシング」するほど、 肌の色が薄かった。その血を強く受け継いだマルコムXは、 兄弟の仲で一番肌の色が薄く、 母親は「外に行って肌を焼いてきなさいよ」 とマルコム少年に向かってよく怒鳴っていたという。 白人の血が流れているということは、 白人農園主による黒人女の性の搾取を意味していた。 身体の中にその事実を抱え込むマルコムXの母親にとり、 肌の色がおぞましい歴史を記憶させ、 解決不可能な苦悩の源になっていた。
こういう人は、 「ご先祖様たちがいて、今の自分がいる。ありがたい」 とは考えないだろう。 日本では、ときどき、そう考えなさいという人がいるが。
2010-05-17 (1) 23:49:30 +0900
ここから先はこれからアップロードする。
2010-05-24 (1) 23:24:05 +0900
15日土曜日づけ大阪本社版文化面、
山泉進・明治大学教授の「100年 あせぬ秋水イズム」。
《幸徳の『廿世紀之怪物 帝国主義』は
》の
「廿世紀」に、「にじゅっせいき」ではなく
「にじっせいき」とふりがなが振ってある。
2010-05-17 (1) 01:19:31 +0900
前項参照。
2010-05-17 (1) 01:02:31 +0900
「本文ナシ」だったのを「前項参照」に改めた。
2010-05-23 (0) 22:46:31 +0900
15日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版アジア面「新風景 変わるひと・くらし」。
「キルギス」「封印解かれ回帰」「モスク満杯 信仰ブーム」という見出しが見える。
《ピシケク=副島英樹
》と署名あり。
イスラム教徒が増えているという内容である。 見出しに「ブーム」とあるが、本文を読むと、 一時的な流行ではないように思える。 「ブーム」の語は、本文中では次の箇所に出るのみ。
かつて共産党員だった医師のバシットさん(60)はソ連時代、 家で隠れて礼拝をしていた。 「ペレストロイカが始まって宗教は自由になった。 それが今のブームにつながっている」。 ソ連末期のコルバチョフ政権下で宗教の封印が解かれ、 その結果が今につながっているとみる。
この発言中にも、「ブーム」ということばの持つ、 “一時的な”というニュアンスは感じられない。
私の、「ブーム」
という語に対する感覚がおかしいのだろうか? 岩波国語辞典第三版は
「にわか景気。にわかにはやり出すこと
」と説明。
広辞苑第六版は、景気に関してと、それ以外とで分けて説明しているが、
どちらも「にわか」ということばを使っている。
私が「にわか」という語を知ったのは、
子どものころ、家族が「にわか雨だからすぐやむだろう」
などと言うのを聞いたときだと思う。
「にわか」を広辞苑第六版、岩波国語辞典第三版でひいてみたが、
「急に」に「不意に」という意味なのであって、“一時的な”の意味はない。
そういえば、「にわかめくら」という語があるのだった。
「めくら」が差別的ということでこの語もほとんど使われないが、
岩波国語辞典第三版には載っている。
生まれつきの盲目ではなく、けがや病気で視力を失ったこと・人をいう。
この場合、すぐに視力を回復するかどうかはわからないわけだ。
結論。「にわか雨」は急に降ってきてすぐにやむ雨だが、 「にわか」に「すぐにやむ」の意味はない。
原語 boom を COD でひいたが、そこの説明も同様だった。
付) 辞書の「にわか雨」の説明のあとに、 「『にわか』に“すぐにやむ”の意味はないので注意」 とあったら親切だろうな。
2010-05-17 (1) 00:36:56 +0900
……、ということはないかな? アクセントが違うから、 無理かな。「何年製?」ならアクセントも一致する。
2010-05-17 (1) 00:30:31 +0900
ほかの信仰をもったまま、キリスト教徒たることはできない。 その意味で、キリスト教は、排他的な教義を持つ。 キリスト教は、 「檀家になっているお寺、お参りしている神社、それらはそのままでいいんです。 うちの信者にもなりなさい」という宗教ではないのである。
しかし、そのことは、信徒またはその集団が排他的性格を持つことを意味しない。 信じる宗教が違うから交際しない、あるいは物の売り買いをしない、 というようなことは、現在ではありえない。
「排他的」は悪い意味をもつことばのように聞こえるかもしれないが、 「排他的な教義」を持つことは、決して悪いことではない。 しかし、そうでない宗教を、私はさげすむことはしない。その意味では、 排他的ではないのである。
《「信仰は非科学的か?」と聞かれたら「そうです」と答えればいいだけのこと》 にならうなら、 「ええ、私の信ずる教えは排他的です。 しかし、それを信ずる私の他宗教に対する態度は、排他的ではありません」 と答えればよいのだろう。
2010-05-17 (1) 00:05:48 +0900
2010-05-16 (0) 03:04:05 +0900
人間は刺激にすぐ飽きてしまう」の例として、これ、正しい?
15日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b9 面、
「勝間和代の人生を変える『法則』」。
今回の法則は、タイトル行にカギカッコに入れて引用した。
「ゴッセンの第1法則
」「限界効用逓減の法則
」
と言われているらしい。
この法則は、漢字ばかり並んで難しく感じますが、 要は私たちは、 「新しい刺激に対して飽きっぽい」ということです。
身近な例でいうと、 お腹(なか)がぺこぺこのとき、最初に食べるおにぎりはおいしいのですが、 2個目、3個目になると、1個目ほどはおいしく感じません。
二個め、三個めを食べるときは、空腹度が違う。 同じ状態での比較でないので、例にならないのではあるまいか。 そのあとにあげられている、 同じものを毎日食べていると飽きてくるとか、 結婚すると恋愛の最初のころのわくわく感がなくなってくるとかは、 例になっていると思うが。
2010-05-16 (0) 01:09:29 +0900
首長のリコールの場合、とにかくリコール賛成派が多数を占めれば (おそらく)リコールのための投票が行なわれ、 リコールが成立するであろう。 そうなると新たに選挙となり、そこで最も多くの票を得た人が新しい首長となる。 (最低得票数に制限がある場合もあるかもしれないが、過半数ではない。)
それに対し、憲法改正の場合は、 “とにかく改憲”派が多数を占めても改正はできない。 改正案を示した上で、それについて、国会議員の三分の二以上、 国民投票の過半数の賛成が必要となるからである。
だから、どのような方向に改正するのかは示さずに、 「改憲に賛成ですか」のように質問するのは無意味だと思うのだ。
2010-05-16 (0) 00:59:26 +0900
旧三部作の多くの場面は、ルークの視点から描かれている。 たとえば、V の冒頭の時点で、 ベイダーはルークと自分との関係を知っていたと思われるが、 観客がその関係を知るのは、ルークがそれをベイダーから告げられたときである。 (そのときになって、ベイダーと皇帝との会話のある部分の意味がわかってくる。)
ダゴバで修行中だったルークが、 ヨーダやオビ=ワンの制止をふりきってベスピンに向かったあと、 ヨーダとオビ=ワンの間に、その時点では観客に意味がわからない会話がなされる。 それは、ベイダーと皇帝との会話と同様に、伏線をはった、というわけだ。
新三部作を見てしまうと、 旧三部作におけるヨーダとオビ=ワンは、 ルークにはクワイ=ガンの存在を隠そうとしていたように思える。 だが、ルークがダゴバを去ったあとのヨーダとオビ=ワンとの会話では、 隠す必要はなくなる。 クワイ=ガンを含め、三人が会話してもおかしくないように思う。
何が言いたいのかよくわからなくなってきたので、この辺で。
2010-05-16 (0) 00:44:49 +0900
私は出身高等学校でさせていただいたので、問題なかったが。
ある大学生のブログを読んでいたら、 教員免許取得の科目はとっていなかったが、 同級生が教育実習に行く時期になり、自分も行きたかったな、 と書いてあった。だったら、 行きたくない友人の代わりに行くってのは不可能かな、と思い、考えてみたもの。 (もしに実際にやれば、当然、犯罪にあたると思う。考えてみただけ。)
2010-05-16 (0) 00:33:06 +0900
「okara to tarako」(おからとタラコ)でもよい。
2010-05-16 (0) 00:32:16 +0900
本文ナシ
2010-05-16 (0) 00:31:07 +0900
本文ナシ
2010-05-16 (0) 00:30:09 +0900
本文ナシ
2010-05-16 (0) 00:29:32 +0900
ソナタ形式の再現部の開始を、展開部のクライマックスにもってくることで、 提示部の初めと違うようにみせること。 これは第一楽章、第二楽章のスケルツォ部分に見られるが、 交響曲第七番、第八番の第一楽章ですでに使われている。
執拗低音。第一楽章コーダに見られるが、 交響曲第七番の第一楽章コーダにも見られる。
同じ旋律を、音量・楽器編成を増しながら四回くり返すこと。 第四楽章の主題導入部に見られるが、 交響曲第七番の第二楽章にも見られる。 対旋律があることも共通。
以上は前から気がついていたのだが、 楽章の最後を、和音の連打ではなく、主題の一部で終えること、 に気がついた。 第一楽章の終わりがそうだが、 交響曲第八番の第一楽章の終わりもそうだ。 見落としていたのは音量が違うため、のような気がする。 (モーツァルトの交響曲第三十九番フィナーレの最後もそうだから、 ベートーベンが考え出した手法とは言えないのだと思うが。)
2010-05-16 (0) 00:12:53 +0900
菱又は姓という設定。この回文は歴史的かなづかいによる。
2010-05-16 (0) 00:11:08 +0900
石又は姓という設定。
2010-05-16 (0) 00:10:12 +0900
Wikipedia で読んだ。 「指環」には神々が登場するから、当然使われているが、 キリスト教でいうところの「神」とは異なる。 「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「パルジファル」 にはキリスト教でいうところの「神」を意味する “神”の語が使われていることは容易に想像でき、 さがせばすぐ見つかりそうだ。 では「マイスタージンガー」は、と思ったが、夜警の歌に出てきたな。
2010-05-15 (6) 23:52:00 +0900
ZF 集合論では空集合を 0 と書く。 一点集合 {0} は 1 に等しく、 その位相は {0, 1} のみである。これは 2 に等しいから、 集合 1 とその位相 2 の順序対は (1, 2) となる。
2010-05-15 (6) 23:46:22 +0900
ZF 集合論では空集合を 0 と書く。 空集合を位相空間とみる場合、位相の入れ方は一通りである。 すなわち、{0} が唯一の位相である。 正式には、位相空間は集合とその位相の順序対だから、 空集合を位相空間とみたものは (0, {0}) = (0, 1) となる。 順序対 (a, b) は {{a, a}, {a, b}} であるから、 これは {{0, 0}, {0, 1} = {{0}, {0, 1}} であって、 {1, 2} に等しい。
2010-05-15 (6) 23:33:37 +0900
…って考えてる人、とっくにいるだろうな。
その宇宙人は、はるか昔にも地球にきており、 そのときの地球と比べて、人類が地球の生態系を損ねていると判断し、 また、当時いた人類の祖先とは別物に見えるからよそから入り込んだ外来生物だろう、 と誤解するのである。
2010-05-15 (6) 23:22:40 +0900
2010-05-14 (5) 02:06:09 +0900
見かけた子どもを 「小学校四年生ぐらいの男の子(あるいは女の子)だった」 などと証言することがある。 どの時点でも、「小学四年生」には、丸一年の年齢差があるが、 目撃したのが一年のいつか、によって、さらに丸一年の差があるから、 合わせて丸二年の年齢差があるわけだ。 よって、どこまで正確に言い当てているかはわからない。
小学生を見慣れている、小学校の先生とかだと、 いまが何月かで、修正を加えることもできるだろう。
2010-05-14 (5) 01:59:52 +0900
もちろん、本気で考えているわけではない。 だが、こうすれば沖縄県の声は今よりかなり大きく国会に伝わるだろう。
2010-05-14 (5) 01:22:41 +0900
2018-03-26 (1) 19:25:00 +0900
前項に関連。
2010-05-14 (5) 00:44:36 +0900
「万国博覧会(ばんこくはくらんかい)」の略だから「万」は「ばん」、 というのはわかる。 「博」が「ぱく」になるのは、 中国での漢字の音に基くのだろうか? それとも、 日本語としての発音しやすさで決まった? あとで調べてみよう。
2010-05-14 (5) 00:41:34 +0900
あの番号はモーツァルト自身がつけたわけではないから、関係ないと思うが。
前項に関連。 モーツァルトの交響曲第 25 番と第 40 番はどちらもト短調であり、 ゴルトベルク変奏曲は主調がト長調で、 短調の変奏曲はト短調で書かれている。関係ないか。
2010-05-14 (5) 00:35:47 +0900
3, 5, 7 を掛け合わせてできる数のうち、 10 以上であり、かつ、変奏曲の総数である 30 を超えないもの、 と一致しているわけだが、バッハのことだから、 なんらかの“暗号”のようなものが隠されているような気もする。
三の倍数のときはカノンとし、 出だしの音程をユニゾンから始めて一度ずつ増やしてゆく、 という規則にそっているので、第 15 変奏と第 21 変奏は五度と七度のカノン。 第 15 変奏は、その次の第 16 変奏の華やかさとの対比のため、 短調にしたようにも思える。
2010-05-14 (5) 00:26:30 +0900
小学館文庫「フィルム・ブックス ウルトラQ」の第四巻によると
「明日の朝、晴れていたら、まず空を見上げてください。
そこに輝いているのは太陽ではなくバルンガなのかもしれません
」
というナレーションで終わる。
これは、日の出後に起きる人がほとんど、と考えての句だろう。
もしも、夜明けごろに起きる人に対して言うとしたら、
「のぼってくるのは太陽ではなく」というような、
別の言い方になると思うから。
2010-05-14 (5) 00:04:57 +0900
12日水曜日放送分のNHKラジオ「実践ビジネス英語」で、 パートナーの松下クリスさんが紹介された。 あとでデイリーコンサイス英和・和英辞典を見たが、 和英には「耳鼻」の項目に「耳鼻咽喉科」otorhinolaryngology は載っているものの、英和の部にその単語も、 -logist で終わる「〜医」にあたる単語も、載っていない。 リーダーズ英和辞典で確認したところ、 otorhinolaryngologist とわかった。
語源はすべてギリシア語とあるので、調べてみた。 oto- は οτ... をさがしてみつからなかったが、 もしかして、と ωτ で始まる単語を、 ギリシア語新約聖書付録の語彙集で探したら、みつかった。 単数主格の形は ους である。 ルカ伝でイエスの捕縛の際、 祭司長の僕(しもべ)が耳を切り落とされるところに出てくる。 (イエスが触れる耳は違う単語か?)
リーダーズ英和辞典は、 元になったギリシア語の単語の単数主格の形を載せているとわかったので、 それを頼りにギリシア語辞典を見ればよいとわかった。 rhino- は ρις だ。 この語は新約聖書付録の語彙集には載っていない。
と思ったら laryng- は元の形が載っていなかったが、 この語は長いのでギリシア語辞典で探しやすい。 λαρυγξ だ。 新約聖書付録の語彙集にも載っているが、 どこに出てくるのか思い当たらない。 口語訳聖書のコンコルダンスを見て、 ロマ書 3,13 と知った。
2010-05-13 (4) 23:06:11 +0900
うちの浴槽は細長いので、浅くお湯をはって、あお向けに寝るようにしてつかる。 けさ未明に入浴していた際、 目が疲れていたようで、なにげなく、 強く目をつぶってみたら、目の前がまっ暗になったので、 一瞬、目がおかしくなったかと驚いた。
浴室のあかりだから、あまり明るくはない。 そのくらいだと、強く目をつぶれば、目の前がまっ暗になるのだった。
2010-05-13 (4) 22:59:01 +0900
12日水曜日づけ大阪本社版スポーツ面の、
この日から始まるプロ野球交流戦の記事。
過去五年間の交流戦順位の表に、
《2006年の日、楽は同率7位
》と断り書きがあるので表を見てみたら、
そこは日本ハムが7位、楽天が8位になっている。
下の、左の表のようになっているのである。
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そうしたとしても、 どうしてそうなっているのか、との疑問が発生するから、 同様の注意書きが必要になるだろうが、 表だけを見た人にも「おや」と思わせて欄外の注を見させることができるから、 そのほうが優れていると思う。
「日楽」の二文字ならはいるが、「日・楽」と三文字になると、 実際の紙面の表の幅では入りきれないようである。 それが原因? でも、なんとかすべきだろうな。
2010-05-13 (4) 01:40:23 +0900
オビ=ワンは、IV で自分の家にルークを連れてきて話を聞かせたときから VI の最後のせりふまで、ベイダーと化したアナキンは、 倒すしかないと考えていたようである。
旧三部作ではクワイ=ガンはすでに冥界にいたわけだが、 彼だけはアナキンを最後まで信じていたような気がする。 もしそうなら、 III と IV の間でそのクワイ=ガンと交信していたオビ=ワンも、 アナキンを信じていたような気がするのだ。
この話、前にも書いたような気がするのだが。
2010-05-13 (4) 01:09:51 +0900
クワイ=ガン・ジン、オビ=ワン・ケノービ、それにダース・モールの三人が、 そろって上着を脱ぎ、それからライトセーバー戦にはいる。 ジェダイとシスの戦いは、千年ほどなかったはず。 それなのに、示し合わせたように、善と悪の両サイドに分かれた三人が、 上着を脱ぐ。 高校野球の試合開始時に、 両チームの選手が本塁と二塁を結ぶ線をはさんで向かい合い、 おじぎをするのと同じようだ。
ジェダイどうしで、 剣の力を競い合うための試合のようなものがあり、 その際は二人が向かい合って上着を脱ぎ、 それから戦いにはいる、 というような習慣があったことを思わせる。 同じことが、シスどうしでもあったのかも知れないが、 千年たつと、別々の流儀になってしまい、 ああはならないような気もする。
ジェダイはシスの復活に気づいていなかったが、 シスの側からはジェダイは当然見えていただろうから、 ダース・モールがジェダイの流儀をまねたのか、 あるいは彼も元はジェダイ、あるいはその候補者だったのか。 と、勝手にいろいろ想像してみる。
2010-05-13 (4) 00:59:05 +0900
確率は 0 以上 1 以下ってこと、知られていないのかな?
2010-05-12 (3) 23:36:01 +0900
音楽をかけながら眠りについたのに、 再生終了時のヘッドの戻る音で起きてしまうことがある。 もう、CDプレーヤーから直接音楽を聞くのは時代遅れなのかな。
2010-05-12 (3) 23:33:38 +0900
あなたのお話 お聴きします》と全角スペースを置いている
11日火曜日づけ大阪本社版「こころ」面の、
《あなたのお話 お聴きします。そう書いた紙を、
ある寺が門のところに張り出した
》という記事。
見出しには途中に空白を入れて読みやすくすることがあるが、
記事本文中に、このような漢字・かな一文字分のスペースを置くのは異例だ。
住職さんがその張り紙のわきに立つ写真が載っているが、
そこには《あなたのお話し / お聴きします
》
と二行に分けて書いてあるのが見える。
朝日新聞の用字法としては「お話し」ではなく「お話」であろう。
だから、編集の最後の段階になって、
校訂係が「し」を削り、空白が残ったのだろうか。
でも、現在の、コンピュータを使った組版なら、こういうことは起こらないはずだ。
なお、見出しは「お話お聴きします」となっている。
2010-05-12 (3) 03:09:11 +0900
11日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版国際面の、英国の総選挙で、
手違いから14歳の少年が投票してしまい、
「後に発覚、無効に
」という記事。
この少年は《自民党の候補者に印をつけた。
後日、中学校の先生に打ち明けたところ問題になり、
教頭が警察に通報して投票は無効になった
》とあるのだが、
記名式で、あとからでも誰が誰に入れたかわかるしくみなのだろうか?
そうでないが、 この少年の話を信じて自民党のその候補者の票を一だけ減らしたのだとすると、 もしもこの少年が実際には別の候補者に投票していた場合、 その候補者の票数は本来より一だけ多くなり、 自民党の候補者の票数は本来より一だけ少なくなって、 おかしいのではあるまいか。
あるいは、単に投票を無効とし、 投票総数から一を減じ、開票結果の合計は投票総数より一だけ大きいが、 これでよしとする、とでもしたのか。
2010-05-12 (3) 02:58:36 +0900
ホームぺージ」と書いている / 「ぺ」はひらがな
2009年11月15日日曜日づけ大阪本社版社会面「青鉛筆」は
《兵庫県明石市と淡路島を結ぶ「たこフェリー」が、
今月からマスコットキャラクターのタコを使った合格必勝グッズの販売を始めた
》
との記事。
その中に《同社のホームぺージから購入できる
》とあるが、
この「ぺ」はひらがなだ。
記事そのものにはほとんど興味がなく、読み流していたが、 最後に、面全体を読み終えたことを確認しようと、 さらにおおざっぱに何度か紙面を見ていて、気がついた。不思議。
2010-05-12 (3) 02:52:04 +0900
2009年11月15日日曜日づけ大阪本社版社会面の、
行方不明だった島根県立大の女子学生、
平岡都(みやこ)さんの遺体が発見され、通夜が行なわれたという記事。
《参列した平岡さんの母校、
香川県立高松商業高校の横山賢治教頭は
「残虐で許せない気持ちでいっぱいだ」と話した
》
とある。
《みつかった遺体が別人のものであることを祈ることについて》、
《発見された遺体が、自分の知っている人のものでないことを祈ることについて》
では同年同月7日づけの朝日新聞記事をとりあげたが、そこには
《平岡さんが3月に卒業した香川県立高松商業高校(高松市)の谷岡由大教頭は取材に対し
》
とあった。
一週間の間に教頭先生が変わったとは思いにくいので、 「教頭先生を複数おいている」 「谷岡先生は3月までの、横山先生はいまの教頭先生である」 などと考えてみた。
2010-05-12 (3) 02:41:32 +0900
2009年11月15日日曜日づけ大阪本社版生活面
「くらし達人 モンジロー」の中に
《思い出の写真や絵はがきを飾る感覚と一緒だね
》
とあるが、この「一緒」は明らかに“同じ”の意味である。
《天文学では数学とは違う意味で「上辺」「接する」と言うらしい》
の「付」を参照。
2010-05-12 (3) 02:36:01 +0900
2009年11月15日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版教育面「聞いて聞かせて」 の、「学校で歯磨きは」と題された、兵庫県のマナー講師の女性の投書。
小5の長男の小学校で、 不思議に思っていることがあります。 給食後に歯磨きをしないことです。
幼稚園では歯磨きをしていたので、 入学時に先生に質問すると 「必要と思われるなら、してもいいですよ」 と言われました。 が、子どもに聞くと誰も磨いていないとのこと。 誰一人していないのにうちの子だけできるはずがありません。
学校が、
《誰一人していないのにうちの子だけできるはずがありません
》
と考えさせてしまう雰囲気に包まれているなら、
それが問題だろう。
そうでなければ、一人だけ歯をみがいても構わないはずだ。
小学校1年生から3年生まで一緒のクラスだった女の子で、 歯並びの矯正をするための金具を歯につけたので食事のあとは歯みがきが必要、 とのことで、 一人だけ磨いていた子がいた。 先生からみんなに話があったのか、本人から話があったのかは忘れた。 給食のあとは、雨・雪が降っていなければ校庭で遊ぶ時間だった。 その子だけ、少し遅れて遊びに参加したのだろう。 でも、それで何も問題がなかったように思う。 数十年ぶりに思い出した。 (その子のことはときどき思い出すが。 また、歯並びの矯正のためというのは、あとになってからの私の推測である。 それまでも、そんなに変な歯並びではなかったような気がする。)
2010-05-12 (3) 02:20:25 +0900
昔の物売りの売り声は肉声だった。 お豆腐屋さんはラッパだった。 最近は、スピーカーを使うので、 自宅で知的な仕事をしようとしているとうるさくてかなわないことがある。
ラジオの特定の周波数を決め、 ちり紙交換、焼きいも売りなどはその周波数で売り声を放送する、 としたらどうだろうか。 物売りが来たら買おうと思っている人はその周波数に受信機を合わせておけばいいし、 静かに仕事をしたい人はスイッチを切っておけばいい。
出力の大きいほうが小さいほうを完全にかき消してしまうようだと、 うまく行かないな。 発信源からの距離に応じて声が大きくなったり小さくなったりするなら使えそう。
2010-05-11 (2) 02:08:35 +0900
「第九番」はホルン四本だ。それを書いたあと、 「第五番」、いわゆる「運命」 もホルン四本に増強するなどの改訂はしなかったのだろうか? するとしたら、 第一楽章では C 管も使って、 再現部の第二主題導入の句をファゴットからホルンに移したかも、 と想像してみる。
2010-05-11 (2) 02:03:56 +0900
本文ナシ
2010-05-11 (2) 02:03:09 +0900
本文ナシ
2010-05-11 (2) 02:01:44 +0900
本文ナシ
2010-05-11 (2) 02:00:16 +0900
石丸は姓か。
2010-05-11 (2) 01:58:49 +0900
「嫌(や)」は「いや」の俗な形。
2010-05-11 (2) 01:56:20 +0900
10日月曜日づけ大阪本社版社会面の、 「和歌山・太地」「毛髪水銀 全国の4倍」。 「鯨食影響か」という見出しで、「鯨食」という語を知った。
ただし、本文には「鯨食」の語はあらわれない。
《長崎緑子
》と署名あり。
2010-05-11 (2) 00:53:25 +0900
10日月曜日づけ大阪本社版スポーツ面。
《好調のマートンは、熱くなる広島バッテリーと対照的に、
冷静に右打席に立った
》とあるので、
両打ちかと思いネットで調べてしまった。
間違ってことを書いているわけではないのだが、気になる。
《福角元伸
》と署名あり。
2010-05-11 (2) 00:37:46 +0900
携帯電話版広辞苑第六版には載っており、 「よ(四)」が変わったものだそうだ。
「よん」が載るべき場所は「よ」で始まる語の終わり近くであり、 「よ」は先頭付近である。 子どもは「よ」よりも先に「よん」を覚えるような気がする。 これらを考えあわせると、やはり、載せるべきなのではなかろうか。
漢字母項目の「四」をひけば、「よん」という読み方も載っている。 だから不要と考えた?
2010-05-11 (2) 00:05:55 +0900
一つは百円玉を入れると商品が出てくる、の意。 もう一つは、おつりなどが百円玉で出てくる、の意。
ネット上で見つけてメモしておいたもの。
2010-05-11 (2) 00:04:25 +0900
「ラインの黄金」の、剣の動機の初出のところで、 ファフナーが忘れていった剣をヴォータンがとり上げてかざすんだよな、
2010-05-10 (1) 23:58:44 +0900
先日、鼻歌で「ジークフリートの葬送行進曲」を歌っていて、 剣の動機のところで思わず手をあげてしまった。 実際にジークフリート役が手をあげるのは、もっとあとで剣の動機が出るときだ。 あそこでつられて手をあげてしまったら、お笑いになってしまうだろう。
2010-05-10 (1) 23:56:48 +0900
片目は障害に含まれないのかな。 ワーグナーの歌劇・楽劇の登場人物で、障害を持つのはほかに、 負傷中であるアンフォルタス。 せりふで暗示されるだけだが、クリングゾール。
「死ねない」のも障害というなら、オランダ人とクンドリーもそうだ。
2010-05-10 (1) 23:45:35 +0900
スター・ウォーズ旧三部作の主人公ルーク・スカイウォーカーが、 Wikipedia の「障害を持つ架空の人物」に載っている。 彼の障害とは、途中から右手が義手になったことしか考えられないが、 あの映画の中で、それは全く障害になっていない。 義手があまりによくできていて、本来の手と変わらないからである。 (実際、役者は自分の手を義手だということにして演技をしていた。 ただし、途中で義手に被弾し、それをカバーするため、以後、手袋をする。)
あの映画の中では、 義手・義足をつけることは障害に含まれるべきではないように思える。 現実の世界で、めがねをかけねばならない人のほうが、 ずっと不自由をしている。 運動するには邪魔だし、そのままは泳げないし、 冬に急に暖かいところへはいると曇って何も見えなくなる。
アナキン・スカイウォーカーが載っていない理由はわからない。 単にまだ載せていないだけか。
2010-05-10 (1) 23:38:49 +0900
2010-05-10 (1) 03:00:32 +0900
1番ピンを狙え」って言うけど、それが最良の作戦?
2009年11月14日土曜日づけ大阪本社版 be on Saturday の b9 面、 「勝間和代の人生を変えるコトバ」。 この回の「コトバ」はタイトル行のカギカッコの中に引用した。 第一、第二段落を引用する。
これは、私の古い友人の口癖です。 よく聞くうちに、私の考えの軸にもなりました。
1番ピンというのは、ボウリングから来た比喩(ひゆ)です。 ボウリングでは1番ピンに最初に球を当てない限り、 ストライクが取れないのはもちろんのこと、 スペアを狙うことも難しくなります。 つまり、問題解決を図るときに、 どこを狙えばその課題が連鎖的に動き始めるのか、 その最初のポイントを見極め、 仮説を立てよ、ということです。
1番ピンに当たらないならばストライクが取れないだろう、 ということは想像されるが、 1番ピンに当たればストライクが取れる、あるいはスペアが狙える、 というわけではないから、 1番ピンを狙って投げるのが最良の作戦かどうかはわからないのではあるまいか。 あるいは、こう考えてみよう。 ボールには大きさがあるから、1番ピンを狙わなくても、 1番ピンを倒すことは可能である。 真に狙うべき位置は、1番ピンから少しずれたところかもしれない。 (そのずれる方向は、右投げか左投げかで違ってくるような気がする。)
なお、第二段落で使われている「限り」はくせもので、 PとQを命題とするとき、 「Pである限りQである」は「PならばQ」なのか、 「QならばP」なのか、あるいは「PとQは同値」なのか、よくわからなくなる。 《「限り」の意味について論理学の先生と解釈が違ったことがある》 参照。 そういいながら、いま grep で調べたところ、 私もかなり「限り」「かぎり」を使っている。
2010-05-10 (1) 02:29:25 +0900
2009年11月14日土曜日づけ大阪本社版 be on Saturday の b2 面、
「be ランキング」は「いつか行きたい世界遺産」。
その中の「ペトラ」のところに、
記事中では《映画「インディー・ジョーンズ」
》、
表のほうでは《映画「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」
》とあるが、
日本で公開されたタイトルは「インディ・ジョーンズ」のようだ。
確かに、「インディー」と聞こえるし、そう読んでいる人が多いようだが。
《石塚知子
》と署名あり。
2010-05-10 (1) 02:23:04 +0900
清水の舞台から飛び降りて」〜する、と言うものかな?
2009年11月7日土曜日づけ大阪本社版生活面「男のひといき」
は東京都八王子市の会社員、落畑雄久さんの「私だけの絶品スープ」。
その中に《年に数回、
清水の舞台から飛び降りて、丸ごとのズワイガニやタラバガニを買ってくる
》
とある。
私自身は、「清水の舞台から飛び降りたつもりで」と言うことが多いようだ。
携帯電話版の広辞苑第六版は
「清水の舞台から飛び降りるよう
」を熟語として載せている。
ことばは変わるものだから、 何が間違いで何が正しいということはないのだが、 最近は「飛び降りて」になったのかな、とふと。
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
付)この日の新聞を読み返した理由は前項を参照。
2010-05-09 (0) 23:20:49 +0900
2009年11月7日土曜日づけ大阪本社版スポーツ面、「消えぬ薬の傷」。 旧・東西ドイツのスポーツ選手のドーピング問題を扱っている。 この日は「5」で、最終回。
取材の最後に会ったという、カレン・ケーニッヒさん。
《「電話に出たときに『ミスター・ケーニッヒ?』と言われるのが、
すごく嫌で」。確かに低い声
》。
ベルリンで会ったようなので、
ドイツ語での電話のことを言っているように思う。
だから、「ミスター」ではなく Herr だったのでは、と考えられる。
フランス語なら「ムッシュ・誰それ」とそのまま書いたかもしれないが、
ドイツ語の Herr は通じないと思って、訳したのではなかろうか。
もしそうなら、外来語である「ミスター」を使ったことが、興味深い。
日本語に無理に訳せば「ケーニッヒさんのご主人ですか?」となろうが、
もしも一人ぐらしとわかっている場合には、「のご主人」はつけないものだから、
やっぱり変。
《酒瀬川亮介が担当しました
》と署名がある。
付) この日の新聞について書いた直後に、 《パソコン不調のため、しばらくお休みしていました》、 《修理に出していたパソコン内にあった「いろいろ」とのマージ作業を行なった》 の件が起きてしまった。 もしかして、この日の新聞について書いていたのでは、 と読み返してみて気づいたもの。
2010-05-09 (0) 23:01:32 +0900
「子泣き」は「子泣き爺(こなきじじい)」の略。
2010-05-09 (0) 03:24:10 +0900
「華麗」への連想が働くようだ。
2010-05-09 (0) 03:22:56 +0900
NHKのラジオ講座、「ラジオ英会話」も「実践ビジネス英語」も、 五月3日からの週はその前の週の再放送だった。 いわゆるゴールデンウイークのため、聞きもらす人が多いと思ったか。 後者は、一つのレッスンの前半3回が二度放送されたことになる。 後半3回は、これから放送だが、一度だけの放送になる。
テープに録音して少しあとから聞いているが、 テープのやりくりの都合で、一度目の放送を聞いた直後、 その上に二度目の放送を録音する結果となった。 二度目の録音の際は、録音の前も後も、テープの内容は変わらない。 なんだかむなしい感じもした。でも、いいのだ。
2010-05-09 (0) 03:13:07 +0900
原語は emperor である。 むかし「カーソル」と呼んでいた cursor が「カーサ」とも音写される時代である。 「エンペラ」もありそうな気がするが。
2010-05-09 (0) 02:29:28 +0900
「コンピュータ」は computer が原語で、 以前は「コンピューター」と書かれたが最近は「コンピュータ」とも書かれる。 「プロペラ」は昔から「プロペラ」だが、なぜ? 単なる慣習?
「プロペラ」と「プロペラー」ではアクセントが違ってくるように思う。 後者は「フマキラー」と同じアクセントで発音したくなる。
付)プロペラの原語のつづりは、初めて調べたような気がする。
2010-05-09 (0) 02:26:04 +0900
夢を見ない眠りが最もよい眠りだ、と聞いたことがある。 そんな眠りから覚めたあと、どんな夢を見ていましたかと聞かれた場合、 「無」あるいは「空」なる夢を見ていたと答えていいものだろうか?
夢を見ないで眠っている夢を見た、というのは別の話である。
2010-05-09 (0) 02:23:55 +0900
本文ナシ
2010-05-09 (0) 02:22:39 +0900
ガンで死ぬのは、死期が自分自身にはっきりわかるので、 それまでにやるべきことをやり終えて死ぬことができる。 だから、ほかの死に方よりもよい死に方だ、という話を聞いたことがある。 (私は賛同しないのだが。)
それなら、自殺もよい死に方ということにならないか?
2010-05-09 (0) 02:19:23 +0900
連休の後半になると、「Uターンラッシュで何キロの渋滞」などと報道される。 実際にはUターンすることで渋滞が起きているのではなく、 「帰省」(など)の反対の方向に走る自動車が多いので渋滞が起きているのである。
そこで、本当にUターンそのもので渋滞が起きるなら、 次の図で、A、B、Cで三度左折し、Dの交差点は直進し (立体交差ならなおよい)、 E、Fで二度右折し、Gで左折させることで、 Uターン不要にすれば避けられるのでは、と考えてみた。
| B−−A | | | | C−−D−−E | | | | G−−F |EとFでは右折がスムーズに行なえるよう、 臨時の交通規制をする必要があろう。
2010-05-09 (0) 02:11:12 +0900
本文ナシ
2010-05-09 (0) 01:58:16 +0900
……になるのだった。
歴史的かなづかいのほうが、同じカナの並びになる語が少ないので便利、 という説があるが、こういう例もある。
2010-05-09 (0) 01:49:39 +0900
long stockinged で意味が通じる。 long-stockinged と書くこともあるようである。 日本語のわかち書きの参考になるかと思って。
2010-05-09 (0) 01:42:07 +0900
…読者は怒るだろうな。
2010-05-09 (0) 00:41:06 +0900
4月29日木曜日放送分の「George S. Patton」は日本語式に「パットン将軍」だった。 それに対し、 4月30日金曜日放送分の「John H. Newman」は英語式発音だった。 パットン将軍は、私はこの放送でしか知らないのだが、 日本で有名な人なんだろうか?
今週は先週の再放送なので、きょう、これから、後者は再放送がある(はず)。 ストリーミングでももう聞けるだろうが。
2010-05-07 (5) 20:28:08 +0900
4日火曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」掲載の、 福岡県みやこ町の会社員、大崎美保子さんの 「5分、10分をなぜ待てないか」。
タイトルからも想像される趣旨には賛成なのだが、 実例のあげ方がいまひとつ、という気がする。 ただし、新聞の投書欄は文字数制限がきついので、 書いていないことは、 そのあとに書かれている (がここには引用しない) この投書者の意見を支えるようなものだったのであろう、 と考えて読むべきであろう。
日本人はいつから、5分、10分が待てなくなったのだろうか。 先日、スーパーのレジに並んでいると、 隣のレジから大声でしかる声が聞こえた。 「あんた、よくそんなんでレジが務まるな。 さっさと計算せんかね」と70代ぐらいの女性。 彼女の番は次だというのに。
この目撃談はこれで終わりなので、 そのレジ係が、単に、少々もたもたしていただけなのか、 あるいは、 いつになったらその女性の番になるかがわからないような未熟な人だったのか。 それは、目撃しなかったように読める。
私は、以前、金沢の某所で、 後者のようなレジ係に当たったことがある。 税込み 210 円(本体価格 200 円)の商品が税込み 157 円に値下げされていたので、 購入しようとレジへ持っていったところ、 いつになったら処理が終わるのかわからないほど、待たされた。
最初はバーコードを読み取ったら元の価格が表示されてダメ、 適当に値引き額を打ち込んで税込価格を表示させると 157 円にならなくてダメ、 電卓を出して計算しようとしても 157 ÷ 1.05 とすることができないようでダメ、 別のレジ係を呼んできて……、といろいろあったように記憶している。 (そのレジ係が、何がわからなかったのか、はっきり思い出せないが、 本体価格をいくら値引きしたことにすれば 税込みで 157 円になるかがわからなかったような記憶がある。 税込み 210 円と 157 円を見たら、 本体価格 200 円と 150 円が浮かぶのが普通だと思うが。)
私の次に並んでいる人はおらず、仮にいても、 一列並びをするレジなので、別のレジ係が担当するだけだが、 もしも、スーパーのレジのようにすぐ後ろに待っている人がいたら、 その人は怒りたくなったかもしれない。 そうだとしても、上に引用したような言い方はすべきでないと思うが。
こんなこともあった。 現金自動出入機(ATM)に並んでいると、 私の後ろに人が並んだ。 前では、外国語で2人の女の子が話し合いながら操作をしていた。 慣れていないようだ。
すると、後ろの方が 「いつからああしているの?」と私に尋ねてきた。 私は「少し前ですけど」と答えた。
この目撃談はこれで終わりなので、 その女の子二人が何を話していたのかは、投書者にはわからなかったようである。 また、後ろに並んだ人がその外国語で話している内容を理解できたのかどうか、 もわからない。 もしも、慣れていないのではなく、 本来、ATMの前にくる前に決めておくべきこと --- いくらおろすかとか、送金先の口座番号とか --- について、いつになったら決まる・わかるのかわからないような話をしており、 かつ、 後ろに並んだ人がその会話の内容を理解できたのだとすると、 「これはいつになったら終わるのかわからない」 と思ったかも知れない。
それから、これは投書に書かれていないから、 そうではなかったのだと思うが、 ここで後ろの人との会話が終わってしまったのだとすると、 後ろの人は、 「うんと時間がかかっているなら私が手伝いましょう」、 あるいは 「あなた、手伝ってあげたら」という意味で聞いてきた可能性もある。
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
付)
二つの目撃談に二人の、日本語を話す人物が登場したが、
書かれている内容からは、その人たちが日本人かどうかはわからない。
その意味では、最初の
「日本人はいつから、5分、10分が待てなくなったのだろうか
」
と言えるかどうかはわからない。
2010-05-07 (5) 02:03:07 +0900
ここから先は、これからアップロードする。
2010-05-10 (1) 03:01:07 +0900
2010-05-04 (2) 03:10:05 +0900
本項と前項は、最初、この一つ前のファイルに入れていたが、 私が決めている、この「いろいろ」のファイルの大きさを超えていたので、 このファイルへ移動した。
2010-05-09 (0) 01:36:49 +0900
4月18日日曜日づけ大阪本社版生活面、 「暮らし達人モンジロー」。 今回はバードウオッチングで、そのうちの、双眼鏡にふれた部分。
使うにあたり、目の幅や左右の視力差などを調整する。 テレビなどでは、 双眼鏡の視界は「8」の字が横になった形に描かれることも多いが、 あれは正しくない。 調整すれば、視界はほぼ丸くなる。
『「8」の字が横になった形
』とするより、
『「∞」形』のほうが短くて済むが、
「これはなんという字ですか」などの質問がくるかも。
ところで、「左右の視力差」とあるのは正確ではないだろう。 屈折異常でなく、 視力そのものが落ちている場合は調整してもどうにもならない。 めがねの度の差、にあたると思うのだが。
2010-05-04 (2) 02:41:40 +0900