櫻花詞 | ||
無名氏 |
||
薄命能伸旬日壽, 納言姓字冒此花。 零丁借宿平忠度, 吟詠怨風源義家。 滋賀浦荒翻暖雪, 奈良都古簇紅霞。 南朝天子今何在, 欲望芳山路更賖。 |
薄命 能 く伸 ぶ旬日 の壽 ,
納言 の姓字 此 の花を冒 す。
零丁 宿 を借 る平忠度 ,
吟詠 風を怨む源義家 。
滋賀 浦は荒れて暖雪 を翻 し,
奈良 都は古 りて紅霞 を簇 む。
南朝 の天子 今何 くにか在 します,
芳山 を望まんと欲すれば路 更に賖 かなり。
*****************
◎ 私感註釈
※桜花詞:桜の花の詩。 ・詞:詩のこと。「詞」を「詩」と区別していえば、韻文での「詞」は填詞のこと。また、「辞」と同じくして言語、字句の意。ここでは、前者の意。
※薄命能伸旬日寿:(「佳人薄命」といわれるように、美しい桜の花の)命は短かくて、よく延ばせても十日間の寿命である。 ・薄命:本来は、不幸せ。不運。ここでは、命が短いこと。短命、の意。「佳人薄命」で、佳人≒美しくてすぐ散る花・桜を謂う。北宋・蘇軾『薄命佳人』「雙頬凝酥發抹漆,眼光入簾珠的皪。故將白練作仙衣,不許紅膏汚天質。呉音嬌軟帶兒痴,無限闖D總未知。自古佳人多命薄,閉門春盡楊花落。」とある。 ・旬日:十日間。
※納言姓字冒此花:中納言(の藤原成範)は、(桜を愛したので)この花の名(=桜)を冠せられて、「桜町中納言」と呼ばれた。 ・納言:中納言のことで、太政官に置かれた令外官の一つ。中納言の藤原成範は、桜を愛し、自邸に吉野の桜を移し植えたことにより、「桜町中納言」と呼ばれたことを謂う。 ・姓字:姓氏とあざな。姓名。 ・冒此花:藤原中納言(成範)が「桜町中納言」と、「桜」を被(かぶ)せて呼ばれたことを謂う。 ・冒:〔ばう;mao4●〕かぶる。かぶせる。 ・此花:この花。ここでは桜の花を指す。また、「木 の花」で桜の花のこと。神話時代の桜の花のように美しい姫に、木花 之佐久夜毘賣 (『古事記』)、(木花 開耶姫 (『日本書紀』))がいる。
※零丁借宿平忠度:ひとりぼっちで落ちぶれた(平忠度は、桜の木の下を)宿として借りた。 ・零丁:〔れいてい;ling2ding1○○〕ひとりぼっちで落ちぶれる。孤独である。志を失うさま。宋末・文天祥の『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經,干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮,身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐,零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死,留取丹心照汗。」とある。 ・借宿:宿を借りる。後出・『平家物語』の『忠度の最期』にある「箙(えびら)に結付(ゆひつ)けられたる文(ふみ)を取つて見ければ、旅宿(りよしゆく)の花と云ふ題にて、歌をぞ一首詠まれたる、『行き暮れて木 の下陰 を宿 とせば花や今宵 の主 ならまし 忠度』…」(『小さな資料室』)の歌を指す。 ・平忠度:平安末期の武将・歌人。忠盛の子、清盛の弟。正四位下薩摩守。武人として優れているとともに、藤原俊成に師事して、歌人としても有名。都落ちに際しては、後出・「さゞ浪や志賀のキはあれにしを昔ながらの山櫻かな」の歌をはじめとした和歌集を藤原俊成に託し、一ノ谷の戦いで戦死した。前出・「行き暮れて木 の下陰 を宿とせば花や今宵 の主 ならまし」の一首を身につけていた。
※吟詠怨風源義家:(桜が散るではないか。)風よ来るなと詠ったのは、源義家である。 ・怨風:風をうらめしく思う。風よ来るな(桜が散るではないか)。源義家の「吹く風を勿来 の關 と 思へども 道もせに散る 山櫻かな」の「吹く風を勿 来 そ」を謂う。 ・源義家:平安時代後期の武将で、前九年・後三年の役で活躍した。1039年(長暦三年)〜1106年(嘉承元年)。頼義の長男。通称、八幡太郎。後三年の役を鎮定後の帰途、勿来の関で、「吹く風を勿来 の關 と 思へども 道もせに散る 山櫻かな」(『千載集』) と詠じた。
※滋賀浦荒翻暖雪:志賀の都は荒れて、雪(のような桜の花)が散って。 ・滋賀浦:志賀の都。大津京などを指す。平忠度の「さゞ浪や志賀のキはあれにしを昔ながらの山櫻かな」の和歌が、『千載集』に「詠人不知 」として載せられた。『平家物語・忠度の都落』に「世靜まつて、『千載集』を撰ぜられけるに、忠度のありし有樣、云ひ置きし言の葉、今更思ひ出でて哀れなりけり。件 の卷物の中に、さりぬべき歌幾らもありけれども、其の身勅勘の人なれば、名字をば顯はされず、『故ク の花』と云ふ題にて、詠まれたりける歌一首ぞ、讀人しらずと入れられたる、「さゞ浪や 志賀のキは あれにしを 昔ながらの 山櫻かな」その身朝敵となりぬる上は、子細に及ばずと云ひながら、恨めしかりし事どもなり。」(『小さな資料室』『平家物語』忠度の都落)とある。 ・荒:あれる。本来は雑草が生えて、あれ果てた土地の表現に使う。ここでは、「さゞ浪や 志賀のキは あれにしを」の部分を謂う。 ・暖雪:木々に降り積もった雪のように、咲いた花のさまを謂う。
※奈良都古簇紅霞:奈良の都は古都で(≒古(いにしえ)の奈良の都の)美しく咲き誇る花が集まっている。 ・奈良:奈良県北部の市。平城京が建設され、首都として栄えた。 ・簇:〔そう(ぞく);cu4●〕むらがる。あつまる。 ・紅霞:〔こうか;hong2xia2○○〕本来の意は、赤い夕焼け。=赤霞。なお、「霞」〔か;xia2○〕とは、夕焼け・朝焼けの「…やけ」に該当する意で、赤みを帯びた水蒸気のこと。但し、この詩の場合、伊勢大輔の「いにしへの 奈良の都の 八重櫻 けふここのへに にほひぬるかな」を踏まえているので、咲き誇る桜の花のさま。日本古謡『さくら』「さくら さくら 彌生の空は 見わたす限り 霞か雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見にゆかん」をも踏まえているか。
※南朝天子今何在:吉野朝の天皇は、今、どこにおいでなのか。 ・南朝:吉野に置かれた大覚寺統の朝廷で、後醍醐天皇側の朝廷。後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇(延元元年(1336年)〜元中九年(1392年))の四代続いた。吉野朝。 ・南朝天子:南朝側の天皇。三種の神器が北朝側に渡されるまでは皇統譜で正当な天皇とされる。九十六代:後醍醐天皇(正確には南朝のではない…)、九十七代:後村上天皇、九十八代:長慶天皇、九十九代:後亀山天皇。 ・今何在:今はどこにいるのか。 *「在」は天子のことを訊ねているので、国語(=日本語)の敬語を使い、「います」(「あり」「をり」の尊敬。「おはす」「おはします」(「あり」「をり」の尊敬語。)ともするが、動詞・「在」には尊敬の意があるのではなく、名詞・「天子」に導かれての表現。(蛇足になるが、現代(中国)語を翻訳する場合にも同様のことがあり、(現代語では動詞での敬語表現は尺牘語ほどは使われなく、代名詞の)“你”(=あなた)か“您”(=あなた)かで敬語表現を用いるか否かを判断する場合がある)。王勃に『滕王閣』「滕王高閣臨江渚,珮玉鳴鸞罷歌舞。畫棟朝飛南浦雲,珠簾暮捲西山雨。濶_潭影日悠悠,物換星移幾度秋。閣中帝子今何在,檻外長江空自流。」がある。杜甫の『哀江頭』に「少陵野老呑聲哭,春日潛行曲江曲。江頭宮殿鎖千門,細柳新蒲爲誰香B憶昔霓旌下南苑,苑中萬物生顏色。昭陽殿裏第一人,同輦隨君侍君側。輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一箭正墜雙飛翼。明眸皓齒今何在,血汚遊魂歸不得。清渭東流劍閣深,去住彼此無消息。人生有情涙霑臆,江水江花豈終極。黄昏胡騎塵滿城,欲往城南望城北。」とあり、唐・白居易の『五年秋病後獨宿香山寺三絶句』其二に「飮徒歌伴今何在,雨散雲飛盡不迴。 從此香山風月夜,祗應長是一身來。 」とあり、盛唐・李白の『襄陽歌』「落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭香C恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」とある。
※欲望芳山路更賖:(吉野朝の天皇がおられる)吉野(の桜の山)を眺めようとしても、道は一層、遥かであり(望むこともなかなか難しい)。 ・芳山:吉野山の雅称。吉野の詩は、梁川星巖の『芳野懷古』「今來古往蹟茫茫,石馬無聲抔土荒。春入櫻花滿山白,南朝天子御魂香。」、藤井竹外の『遊芳野』「古陵松柏吼天飆,山寺尋春春寂寥。眉雪老僧時輟帚,落花深處説南朝。」や、頼杏坪の『遊芳野』「萬人買醉攪芳叢,感慨誰能與我同。恨殺殘紅飛向北,延元陵上落花風。」や、河野鐵兜『芳野懷古』「山禽叫斷夜寥寥,無限春風恨未銷。露臥延元陵下月,滿身花影夢南朝。」など多い。 ・賖:〔しゃ;she1○〕遠い。延ばす。ここは、前者の意。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAAA」。韻脚は「花家霞賖」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。
●●○○○●●,
●○●●●●○。(韻)
○○●●○○●,
○●●○○●○。(韻)
○●●○○●●,
●○○●●○○。(韻)
○○○●○○●,
●◎○○●●○。(韻)
平成23.8. 8 8. 9 8.10 |
トップ |