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新聞は定期購読しない あなたにできること@
 例えば米国の全国紙「USA TODAY」は、全部数の約8割が即売。一方、日本の新聞は月極宅配が主体で、即売はせいぜい5%。比較的多い日経でも約8%に過ぎず、圧倒的に定期購読の宅配契約者が新聞社を支えている。既得権構造の維持に貢献している。しかし一体、何のために毎月、4千円前後もする新聞代などを納めているのか。よーく、考えてみて欲しい。それが本当に価値のあるものなのか、妥当な値段なのか…。


そもそも、読まれなくなっている

 若年層の単身者のうち、約6割が新聞に見向きもしない生活を送っているという。「盛年層と新聞」(新聞協会が96年末に実施したアンケート調査のまとめ)によると、18〜35才単身者の40.1%は一度も新聞を「購読したことがない」と答え、5年以上前から新聞を取っていない人も19.5%いた。

 さらに、新聞協会は隠しているが、読者がどの面を熱心に読んでいるかを聞いた「面別閲読量」調査では、ほとんどの人がテレビ欄以外はまともに読んでいない、という結果が出たという。(SAPIO,98/5/27号)

 これらの結果は、若い世代にとって実感通りの結果だろう。我々は、新聞など読まなくても生活に必要な情報は支障なく得られることを体験的に知っている。唯一、まともに読まれているテレビ欄も、現在ではインターネットの方がはるかに便利だ。「インターネットTVガイド」や「Yahoo!TV」などにアクセスすれば、ジャンル別一覧から視聴率までわかる。自分の興味に合わせて、スポーツが好きならスポーツだけの週間予定表を表示させることも可能だ。こうなると、新聞などゴミに見えてくる。

 テレビ欄以外では、何が読まれているか。主婦の間での第2位は、間違いなくチラシだ。バーゲンのチラシを見て1円でも安い店に買いに行こうとする人は多い。この機能は、いずれネットに置き換わるだろうが、現在のところは新聞を購読する理由の重要な一つだ。しかし、あまりチラシを読まない若者にとってはやはり意味がない。


ネットで代替する

 それでは、肝心の新聞本体に価値はあるのか。ニュースは、テレビやインターネットのほうが断然、速い。真夜中にネットで情報を得た人にとって、翌日の新聞を読んでもdejavu(既視感)を覚えるだけである。朝刊を読んで、それだけを材料に午前9時に開くマーケットで勝負をしようなどと考えたら、敗北は決まったようなものだ。新聞には午前三時ごろまでに起こったことしか載らない。午前3時から9時までに起こった出来事はテレビやネットでしか流れないし、新聞がスクープ(「山一自主廃業」や「3行合併」の類い)しても、それが重要なものなら、午前5時には速報が YAHOO! NEWS などのネット上を流れている。NIKKEI NETを見ればタダで概略を知ることができる。常時購読する理由には全くならない。気になるなら、コンビニかキオスクに買いに行けば良い。せいぜい、年に数回程度のことに過ぎない。ちなみに田中康夫知事はYAHOO-NEWS-headlineをホームに設定しているというし、昨今ではオン・デマンドのニュース映像まで取得できるようになってきた。

 ネットで情報を得たら、それはデジタル化されているのでコピーして容易に保存や加工ができる。しかし、新聞は場所をとり、ゴミが増え、廃棄コストがかかる。後から必要になっても、検索さえできない。新聞紙の古紙混s入率は五割程度なので、自然林を進んで切り倒すようなものだ。環境主義の時流に反する。

 ネット上のニュースで気になるもの(そんなに多くないはず)があったら、すぐさまコピーし、キーワード検索すれば関連情報は山のように出てくる。最近は省庁も発表資料をホームページに公開しているので、原文でも確認できる。国際問題ならなおさら原文が重要である。新聞社が加工したものは変に脚色されたものが多いので、信じないほうが賢明だ。記者クラブの配付資料をそのまま載せているか、権力と癒着してニュースを貰うために権力のPR記事ばかり載せているので、知らず知らずのうちに権力に都合の良い情報で洗脳されてしまうリスクがある。また、数が少ない外信記事は特に偏向度が高いので(米国議会での対日圧力は常に大袈裟に見出しを立てる傾向にある)、事態を見誤る。ネットで速報を得たら、原文で確認するほうが良い。特に米国の情報公開は進んでいる。

 社説など読む価値がないことは、賢明な読者ならとっくにわかっている。特に我々若年層が社説を話題にすることは皆無に近く、電車の中で読んでいるのを見たこともない。新聞社は読者がどこを読んでいるかというマーケティングをしない(つまり、読者など無視している)が、その理由の一つは、社説が読まれていないことが日の目にさらされることを恐れているのだろう。完全な自己満足の産物である。


それでも気になるあなたに 

 それでは、新聞を読む価値は一体、どこにあるのか?第一に、紙媒体だから、少し目に優しいと言われている。だが、それはとるに足らないことだ。目が疲れるのが気になるなら、読みたいところだけプリントアウトして読めば良い。急激な技術革新で、極めて廉価なプリンターも、極めて高性能のモニターも、市場に溢れている。

 第二には、「一覧性」を挙げることができよう。政治面、経済面、産業面、社会面などの各領域ごとに、新聞社が前日に起きた多くの出来事のなかから抽出して格付けしたニュースが載っているので、一応、見ておけば安心、という訳だ。これは、受け身型の人間にとっては安心感がある。しかし、それは全く、我々が生活する上での武器にはならない。大新聞は、中立を装って権力のPRをするし、しかも記者クラブによって権力に操られる構造になっているからだ。新聞社は広告収入を増やすために紙面を増やしたいが、記者は増やしたくない。そこで、記者クラブに流される『官報』が重宝される。権力に都合の良い情報で洗脳されるくらいなら、無理して新聞を読むよりも積極的にネットで情報収集に励み、雑誌を読んでいる方が良い。新聞に載っている情報は、誰もが知っているので価値が低い。

 第三に、新聞の解説や特集に価値を感じている人もいるだろうが、これは大きな勘違いだ。確かに、外部の有識者が寄稿しているものはそれなりだが、それも癒着の五角形の一角を占める御用学者やお抱え知識人が多いので、聖域に踏み込まない無難な論評ばかりだ。最悪なのは社員が書いたもので、雑誌類よりもあらゆる点で劣る。これは、いくつか原因がある。まず新聞には雑誌のような市場メカニズムがないから、読者のニーズをつかんでいない。マーケティング調査は本当にやっていないのだ。これでは内容が独りよがりのものになるのも当然である。また、社員に専門性がないのも質が劣る原因だ。大新聞の社員は、高賃金や終身雇用と引き換えに奴隷化されているので、専門性を身につけるために途中で留学できないし、他の職業で専門性を身に付けてから転職してきた人でもない。日々の内輪のスクープ合戦に明け暮れ勉強する時間もないから、見識を磨ける環境にはない。雑誌は、週単位なので特集記事にも余裕がある。取材も緻密だ。日経の特集記事を読むくらいなら、ダイヤモンドや日経ビジネス、東洋経済でも読んだほうがよほど合理的である。

 第四に、新聞で確認したいという人がいるだろう。一応、ニュースは知っているが、文字になっているのだから嘘ではないだろう、と。確かに、テレビやネットは証拠が残らないので、信用できない面もある。しかし、そういう人は、週刊誌で後から確認すればいい。新聞も、巧妙に嘘を交えて書いていることが多い。日経の経済ニュースでは、未来の事業計画などほとんど風説の流布と紙一重の嘘ばかりだ。


『病気』の人に

 それでも長年の慣習によって「新聞で確認しないと気が済まない」という病にかかっている人や、「パブロフの犬」のように朝が来ると自動的に新聞を探してしまう人は、全ての記事の前に「権力者・体制側の見解では」との一文を意識的に入れて読むことだ。新聞は確かに、過去に起きたことについての明白な嘘は余り書いていない。訴えられたら負けるからだ。匿名性が高く、玉石混合のネットとの違いはそこにある。しかし、新聞は載せる事実の取捨選択の時点で、権力に都合の良いものになっている。実際、規制緩和の進ちょく状況や、情報公開法推進派の動き、再販制度改革の動きなど、読者にしてみれば重要と思われる多くの事実が、巧妙に消し去られている。有権者として、生活者として、消費者として重要な情報は載っていない。従って、もし新聞を読むのなら、文春、金曜日、噂の真相などの各種雑誌と見比べて、何が載っていないのかを確認する程度で良い。

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