腐り切った労組 -時代遅れもいいところ-
 「全体的に、労組が加速度的に弱くなっている。昔は、そうだ!そうだ!とバックアップしてくれる人が回りに必ずいたが、今はゼロに近くなった。十年ぐらい前なら、あなたのような問題が毎日新聞で起きたら、労組は間違いなく黙っていない。実際に、処分させなかったことは何度もある。でも今は、(比較的労組が経営ベッタリでない)毎日新聞でも、やりにくい状況になってしまった」。『腐敗したメディア』などの著書がある元新聞労連委員長の北村肇さんがそう言っていた。「あんなの労組じゃない」(同氏)という日経労組などは論外としても、昔はまだ、業界全般で、労組がそれなりに機能していたようなのである。

 こんなことを敢えて書いたのも、読売新聞の山口正紀さんや元共同通信社の浅野健一さんらと並び『業界の最後の良心』と言われる北村さんと言えども、「サンデー毎日編集長」という立場を持ってしまった現状では、新聞業界の既得権について語ることは不可能に近いからだ。これは、現在の新聞業界に個人の言論の自由がない証拠でもある。


解散せよ

 私が新聞社の労組について言いたいのは、「まず解散しろ」ということだ。社会党が解党したように、従来型の労組は、既に役割を終えたのである。経営者(自民党)に駄々をこねて労組(社会党)が利権の分け前に預かる「一ケ二分の一」体制、つまり55年体制は、経済の右肩上がりが終わり、欧米へのキャッチアップ過程の終了とともに、とっくに役割を終えたのだ。もう全体のパイが伸びない以上、健全な労働市場における競争で勝ち残った者だけが相応の報酬を得るという、自由市場経済における本来の仕組みに転換しないと、不平等感は募るばかりだ。

 規制に守られ腐敗しきった現状では、単純労働のブルーワーカーも、(一応、付加価値が高い知的労働者とされる)編集委員でも、ボーナスや基本給は入社年次ごとに、ほぼ一律の悪平等。従って、印刷現場で輪転機を回している製造現場の社員も、40代にもなれば軽く年収1200万円にはなる。欧米など他国のブルーワーカーから見たら、これは奇跡だ。確かに配送や印刷の現場業務だって重要な仕事ではあるが、やっていることは流通業の物流センター業務と大差ない。高度なスキルも経験も必要ないし、代わりはいくらでもいる付加価値が低い業務だ。全く同じ仕事、同じ労働をしている人でも、たまたま日経という既得権に浸かっているがために1200万円、市場競争原理が働いている流通業界に勤めている人はせいぜい600万円、という具合だから、こんな不合理なことはないだろう。勿論、その財源は、欧米の三倍も高い新聞代を支定期的に納めている無知な読者だ。流通業界の社員のほうが、よほど消費者の利益に貢献しているであろうのに、である。

 解散した上で、ブルーワーカーを志向する人たちは、労組を再結成すれば良い。確かに、高度なスキルが必要とされないブルーワーカーの世界では、解雇されたら転職も難しいだろう。しかし、記者は、スキルと実力を磨いていれば、労組など本来、必要ないはずである。給料が安いと思ったり解雇されたりしたら、転職すればいい。良い条件を提示できない企業には良い人材が集まって来ないから、自然と淘汰されるだろう。既に外資系コンサルティング業界では労組など存在しない。


ジャーナリズムとコマーシャリズムは、巨大部数では両立しない

 新聞市場が飽和状態となる中で、労組が弱体化しつつあるのは、至極、当然である。右肩上がり経済のなかでは余裕があったが、もはや余裕がなくなったのだ。そもそも、ジャーナリズムと商業主義は、一国の中で三百万とか八百万部という規模では、絶対に両立し得ない。欧米高級紙のように、数十万部なら可能かも知れないが、既に現状の日本の新聞社は恐竜のように図体ばかりでかくなってしまっている。百年後には、人類の教育水準と知的レベルが上がり、百万部規模のジャーナリズム新聞が成立しているかもしれないが、とにかく現状は不可能だ。構造的に弱体化していくのは、むしろ必然だ。

 商業主義に反するジャーナリズムが少しでも存在し得たのは、全体のパイが伸びる中で、経営陣も、渋々認める余裕があったからに他ならない。そもそも本質的に機能するはずがないジャーナリズム精神を、労組の力で維持するのは無理がある。労組はやはり、雇用第一であり、とにかくカネだ。生活水準の向上が第一にならざるを得ない。世間一般の倍の年収を得ていようが、「もっともっと」「生活に潤いを」とやっているのだから、人間の欲というのは際限ないものだ、とつくづく感じる。その中では、記者クラブ批判といった、カネにならない反権力の声などは、掻き消されるのみだ。ジャーナリストとしての良心の自由など、どこにもない。雇用維持のためには、どんな悪どい利権も手放すことはできない。

 それどころか、商業主義の前では、人権を主張するのも難しい。欧州の社民党政権が実現させている労働時間短縮やワークシェアリングといった発想は、新聞社の労組には全くない。とにかく「休みよりカネ」なのだ。選択肢などはない。労働時間は全く減っていないどころか、むしろ増えている。「生活者」という視点は微塵もない。既存の労組は、単なる経済的な利権集団の域を超えられなくなっている。


横断組織が必要

 冷戦時代から全く変わるつもりがない労組などを解散したら、志の高い記者だけで横断的な組織を創るのが、最も有益だろう。経営者サイドが、個人の言論の自由を迫害したり、権力批判の記事や取材を潰そうとしたら、新組織が所属企業に関係なく、団結して戦う。一社では弱くても団結すればそれなりの影響力を持てる。とにかく、「ジャーナリズムとは権力を監視するものだ」という原則を共通認識として持つのである。

 しかし、現状では多くの新聞社では、記者が腐った労組に毎月五千円以上も払わされた上で、脱退する自由までないのが実態だ。規制でがんじがらめにして、変革の可能性まで封じ込める労組。こうなると、時代遅れどころではすまない。経営者のカネ儲けの道具だ。本当に、お先、真っ暗である。 

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