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それでもあなたはサラリーマン記者になりたいのか
 「日本の雇用慣習のもっとも驚くべき特徴の1つは、職を求めている若者に、自分の入ろうとする会社の経営状態をたしかめる手段がほとんどないことだ」(カレル・ヴァン・ウォルフレン「怒れ!日本の中流階級」)というのはかなり的を得ている。これは日経のごとき日本的な企業ほどひどい。「入ってみたら驚いた」というような被害を最小限に抑えるためにも、広い意味での経営情報がもっとオープンにされて然るべきである。


情報化と無縁の世界

 『これはいけない、何とかしなくては』と思ったのは、ある若者が、ネット関係のビジネスをやりたくて、ベンチャー企業と並行して日経も受けていると聞いた時だ。結局、彼は、日経を先進的な情報産業だと勘違いして、大手コンサルティング会社を蹴って入社してしまった。もちろん実態は典型的なオールドメディアで、何と記者の多くが電子メールアドレスさえ持っていない有り様なのであるが…。(その後、結局、半年程で辞めてしまったそうだ)

 99年1月現在、社内の電子メールアドレス数は約2300で、これは全社員(約4000人)の6割にも満たない。そもそも、それ以前に、記者端末が社内システム内部で完結していて外部と電子メールの送受信ができないため、取材で電子メールを使うことができないのが実態だ。「社内メール」も、文字数が限られており同報機能もなく、不便この上ない。送受信できるのは何と文字だけで、「エクセル」等のファイルのやりとりもできない。容量が極めて少なく、半年もすればデータを消す必要まで出てくる。社内における情報の共有化は全く行われておらず、グループウェアも存在しない。情報は全て、個人の頭の中にのみ存在し、共有して活用するナレッジマネジメントの発想はゼロ。2001年を迎えた現在でも状況に変化はなく、何と、4年前に与えられた重たいパソコンを、全員で使っているそうだ。こうした効率性を無視した経営は、『規制産業』でしかあり得ない。

 社長は「2010年ごろには、電子メディア収入が、総収入の15%ないし20%くらいになってほしい」(99年1月社内報)などと希望的観測を述べているが、ドッグイヤーと言われる情報通信に関して10年以上も先のことを述べている時点で、程度がわかるだろう。確かにNIKEI NETのアクセス数は他社よりは多いらしいが、「現状では電子メディア局の事業別収支はかなりの赤字」(99年6月社内報)と専務も説明している通りで、所詮はオールドメディア的発想から抜けられない体質を持った会社なのである。


遅れる人権意識

 この会社には、組織的な女性差別が確かに存在する。セクハラが日常的であることは容易に想像できるだろうから敢えて述べない。これは業界共通の常識だ。それ以外に、日経固有の問題として、採用時の差別がある。例えば99年入社の場合でいうと、新卒(中途採用はしていない)35人のうち、女性は2人だけだ。これは全体の5%程度に過ぎず、例年、大差はない。本音では、男だけ、それも(毎年必ず最大数を採用する)早稲田卒ばかりを採用したいのが見え見えなのだが、さすがに世間体があるから、アリバイ程度に2人とるか、といったところである。差別意識丸出しだ。

 常識的に考えれば、バランスのとれた紙面を作るには当然、女性の視点というのは不可欠である。世の中の半分は女性なのだ。男ばかり、それも早稲田卒ばかりを集めて、いったいどうやって社是でうたっている「中正公平」を保てるというのか。

 確かに、合併や社長人事といったカネになる情報をとってくるには、寝技が得意で使い減りしない早稲田の男が一番都合が良いのだろう。軍隊的な規律を乱す女はいないほうがいい、と言いそうなデスクは沢山いる。しかし、それでは、公の役割を無視してカネ儲けに走るという新聞社としては全く望ましくない姿を、自ら浮き彫りにさせているだけだ。

 人権という点で言えば、この会社では生存権が保証されない。睡眠3時間を挟んで丸2日間働くスケジュールが当然のように組まれているし、嫌煙権や禁煙、分煙という概念も存在しない。毎日、タバコの煙に巻かれて仕事をしなければならないので、肺は真っ黒である。異義を唱えようものなら、「タバコを吸ったほうが能率が上がる先輩記者が多いんだから仕方ないじゃないか」と部長が真顔で言う会社であることだけは、体験者である私が保証する。


勿論、休む暇はない

 実際に消化された休日は、1人年間平均98.2日(97年11月〜98年10月の東京編集局)しかない。完全週休2日制だと119日だから、一般企業よりも実に丸1カ月分多くも働いていることになる。隔週2日制をベースにした休日さえ消化できない状態で、驚くべきことに前の年度より休日消化率が落ちている有り様だ。そもそも、このカウントされている休日にしても、前夜に午前3時過ぎまで働かねばならない場合も多いので、休日と言えるか微妙である。

 これは勿論、「休みは悪」という考えがまかり通っているためで、経営側べったりの御用労組は何のために存在しているのかさっぱりわからない。仕事以外のことを考える余裕はどんどんなくなっている。出勤日でも、不平不満も言わずに少しでも遅くまで残っている奴が「あいつはいつも元気で使い減りしない」と評価の対象になっているから末期的だ。勿論、連続した休みもとれないように運用されている。以下、長期休暇(年に1度)についての所属部長との議論である。

「どうして年に一度、一週間しか休みをとれないのか、わからないんですが」

「どこの部でもそうやっているからだ」

「そんな訳のわからないこと言ってるから、年間20日の有給休暇を誰一人として消化できないんですよ。消化できない休みなんてあっても意味がない。社内規定で休みの取り方まで決まっているんですか」

「そんなもんないよ!『運用』だ。運用に決まっているだろう。誰だって、みんな一週間しか休まないようにしてるんだ。従えないんなら、やめちまえ!」

「また暴言ですか。どうして休むのに許可を得なければならないのか合理的に説明して欲しいと言っているんですよ。規定では休めることになっている。休むのは労働者の権利であって、本来、届け出制のはずですが。部長の許可制では、恣意的になってしまう」

「二週間も休んだら、仕事放棄じゃないか。一週間しか、絶対に認めない」

「一定期間、完全に仕事を休むから休みというんですよ。放棄じゃない。休んだって、私以外の人が十分にカバーできるから業務に支障はない。私でないとできない仕事はそもそもないんですから」

「とにかく一週間しか認めないことにしてるんだから、出てこい。休むならその後でまた考えればいいだろう」

 …結局、官僚の行政指導と同じなのだ。規定とは別の見えない決まりが存在し、人事権を盾にされ、従わざるを得ない仕組みになっている。何か意見を言うと、すぐに「やめちまえ」とくる。これは全くの事実であり、何と、社員のなかでも、「それが嫌ならやめれば」と言う洗脳された人間が多いのだ。

 対外的には「年間休日108日」などと発表していながら実態は有給休暇を消化するどころではない。虚偽報道も甚だしいのである。


気が付けば後の祭り

 「日経の記者は、農家に嫁いだ嫁みたいなものだね。朝4時に起きて米を磨いでさぁ…、」。これは同期の記者が言っていたことだが、笑い話では済まない。かなり的を得ている。

 深夜早朝の業務が多く、馬車馬のように働かなければならない。ほとんど奴隷状態で、自分の時間はない。それなのに、いくら働いても、グローバルに通用するキャリアが身につかないどころか、一歩業界の外に出ると何の役にも立たないため、転職が極めて難しい。規制の弊害で新規参入がなく、業界全体がジリ貧で、さらに既存労働者の保護ばかりに熱心な労組が強いこともあって、業界内に転職者向け労働市場が存在しない。従って、上司の理不尽な命令にもイエスマンに徹するしかない。

 あなたは、ものわかりのいい、極めて日本的な意味での「大人」であることが望まれる。個人的な主張は全く必要なく、イエスマンであることが一番重要だ。また、理想家であってはならず、世のため人のため日本のために何かをしようなどという志を持っては絶対にダメ。つまり、「個」や「公」は捨て去り、「私」(日経とあなたの独善的な経済的利益)のみに集中しないと、日経でメインストリームを歩むことはできない。

 保護が手厚く、市場原理が働いていない業界であるため、誰が求めているのかもはっきりしない目的のために3K労働をする毎日で、やりがいを実感できない。システムやメソッドは、すべて旧式。合理化を訴えても、ぬるま湯に長く浸かってきた弊害で上司は全く洗練されておらず、無視されるだけ。

 しかし、入社してみないと(嫁いでみないと)実態を知ることは難しい。気がついた時は、あとの祭りだ。労働市場での価値を高めるために、何か専門的な知識やスキルを身につけたいと考えても、休職して留学することさえ絶対に許されない。規制業種のために、紙面の質で競争する必要がないので、記者の専門性などそもそも必要とされないのだ。取材先からは「不勉強」といつも思われているが、向こうも記者にPR記事を書かせるためには、無知な記者のほうが都合がいい。こうして気付かないうちに、バカにされながら体制に操られる。

 ただ、規制業種の常として収入はいいので、何とか我慢しているうちに、新人が入ってきて(嫁が嫁いできて)自分は体力的には、楽な余生を送れる。他人任せの煮え切らない人生だったが、「これで良かったのだ」と自分を欺いて、納得させるしかなくなる。あとは精神面で、社会全体がビッグバンやリストラで厳しいのに、この程度の仕事でこんな給料もらっていいのかな、という罪悪感を感じなくなるほどに、倫理観がマヒしてしまえればいい。

 とはいえ、油断は禁物だ。経営基盤が磐石かといえば、それは20世紀までの話だ。規制が撤廃されたらおしまい。日本の新聞は、人口一人あたりの部数は世界一だが、これは再販制度の維持を前提とした宅配制度によって、惰性で読んでいる定期購読者が、必要以上に多いからだ。誰の目にも明らかな“バブル購読者”たちが、「こんな汚い紙クズを買うくらいならトイレットペーパーのほうがましだ」と気が付き始める日はそう遠くないだろう。また、権力と結託して読者を欺きながら密かに守ってきた再販制と記者クラブ制が緩和・撤廃され、競争原理が導入されたら、コストのかかる宅配制度は維持できなくなり、当然、販売部数は減る。大リストラの始まりだ。その時、転職先がない、と後悔しても、後の祭り。あなたは路頭に迷うことになる。


冷戦時代の経営感覚

 日経の経営上の課題は、他の日本の製造業と何ら変わらない。日経自身が典型的な日本企業だからだ。人的資源でいえば、バブル期には100人以上も新卒を採用していたが、今は30人強。採用抑制による自然減を進め、55社もある子会社・関連会社に年寄りを天下らせているが、新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金なので高齢化は進み、活力は加速度的に低下している。一般企業の場合は人的リストラを断行せざるを得ないが、今のところは“護送船団”に守られているため、しないで済んでいる。しかし、これは問題を先送りしているに過ぎない。

 さらに危険なのは、過剰設備に悩む製造業が多いなか、新聞業界は猛烈な設備投資競争に突入していることだ。日経は、ただでさえ読み切れないページ数を8ページも増やし、2001年1月から48ページにする。「朝日、読売が首都圏、近畿圏で40ページ印刷体制と12ページのカラー体制を整え、追い付いてきた」ので、日経は先行投資でライバルを引き離すのだそうだ。年間約100億円の設備投資で新工場を相次いで立ち上げ、印刷拠点は24にもなる。もちろん減価償却費は増え、98、99年度と2期連続減益決算だ。

 この莫大な先行投資が生きるかどうかは、はなはだ疑問である。経営陣のマインドが、高度成長時代の延長線上にあり、「作れば売れる」「書いたから読め」という供給者の論理でやっているようにしか見えないのである。読者が何を求めているかも調査しないでページ増だ、カラーだ、とやっているのだ。そもそも、21世紀のデジタル社会にアナログの紙情報のニーズがどれだけ増えるのか。既に明治以来の産業化が終わり高度情報化の時代が始まりつつある、という歴史認識も欠落している。“バブル購読者”によって成立している日本の新聞業界が、バブルがはじけ、規制が撤廃され、消費者が覚醒した時、どうなるか。考えるまでもないだろう。


狂ったミッション

 日経の記者をやるのに、正義感のようなものは、全く必要ない。社会を、より良いものにしようとか、日本のために、公共のために、などと少しでも考えている人は、絶対に入社試験を受けてはダメだ。絶対に後悔する。何と言っても、二代前の社長が八千万円以上の賄賂を取材先の社長から受け取り、それを「社内規定にないから問題ない」と考え、外の世界から見たら立派な「汚職」が発覚してもなお、役員会がこの立派な「犯罪者」を顧問に推薦した会社なのである。

 私の最大の誤算は、それが一部の悪人の個人的な問題ではないかと甘く考えていたことだ。深く反省し、今では厳しく戒めているのかと思っていた。しかし、そんなことは全くなかった。似たようなことを会社ぐるみで展開している日経にとって、あの事件はまさに「臭いものに蓋」扱いだ。あの汚職事件は氷山の一角に過ぎず、たまたま一人見つかっただけで、今後は見つからないように権力とうまく癒着しよう、というだけの話だった。変わったのは、株の売買に気をつけよう、という内容のごく当り前の社内規定が1つできただけ。社内体質は何も変わっていなかったのである。ジャーナリストを目指す者にとって、権力の監視を最大の使命と考える者にとって、日経が最悪の環境であることは間違いない。これは何度繰り替えしても言い過ぎることはないくらいだ。 


……学生の皆さんへ。

 最近、同期がまた一人辞めた。何もないところを無理矢理埋めねばならない作業に順応できず、吐き気をもよおすのだという。「10年後、自分もああなっちゃうのかと思うとね…」とも話してくれた。同感である。この会社は、3〜5年で一通りの仕事を覚えると、スキルレベルの成長は止まる。その後は、たまたま東京に長く居られれば多少の人脈ができる程度だ。40歳近くになってデスクになるか、運良く編集委員になるまで、人格破壊的な「ライティングマシーン」と化さねばならない。担当領域が1、2年で変わっていくので、専門知識は身に付かない。とにかく埋めるのが仕事。日刊だから毎日、ノルマに追われるし、今後も人員削減とページ増によりノルマは増える。実態は、ジャーナリズムとは無縁の“情報処理業”である。 

 それでもあなたは、日経のサラリーマン記者になりたいのか。“裸の王様”の行進に加わりたいのか。タイタニック号に乗り込みたいのか。他のページも読んで、よく考えてみて欲しい。“アンシャンレジーム”の世界に自ら飛び込むリスクは、図り知れないことがよくわかるだろう。

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