不満げな天化をよそに、太公望は四不象を手招いて密やかに耳打ちした。

 「四不象、城に戻って楊ゼンと雷震子を連れて来い。いいか、大至急だぞ。」

 「了解っス!」

 小声で元気良く返事すると、四不象は鉄砲玉のように城へ駆け出していった。

一方、収まらないのは天化だ。

 戦士である自分がいるというのに、何故わざわざ城から応援を呼ばなければならないのか。

太公望の言葉は天化のプライドを傷つけたのと同時に、かすかな猜疑の炎を灯した。

(俺っちのこと、信頼してくれないさ…?)

 敵の発見で棚上げしていた不満と焦燥が、また天化の中で頭を擡げる。

 不満がつい口をついて出た。

 「楊ゼンさんがいなくても、俺っちが……」

 「馬鹿者っ。彼奴等の得物を見てみいっ。」

 天化の言葉を遮って、くいと太公望が顎をしゃくる。

 「あれは間違いなく宝貝だ。一人二人ならともかく、あの人数に得体の知れぬ宝貝相手では

戦力的にこちらが不利だ。」

 太公望の冷静な分析は確かに正論で、間違いはない。けれど、天化は納得出来なかった。

己の力を認めて欲しくて、なおも食い下がる。

 「あんな奴ら、俺っち一人でも平気さっ。」

 その鼻息を、太公望はぴしゃりとへし折った。

 「勇気と蛮勇は違うぞ、天化。」

天化を諭すように、太公望は静かに窘める。まるで頑是ない子供相手のその口調に、

天化は状況も忘れてかっとなり立ち上がった。

 「スースは俺っちじゃ信頼出来ないって云うさっ」

 「だれだっ!」

いきなり現れた人影に、ぎょっとした妖怪達が叫ぶ。

 「なんだ、お前たちはっ!」

 「……………………あ。」

 「!このっダァホっっ!」

 後悔したが、もう遅い。二人はなし崩しに妖怪達との戦闘へと突入した。

 「ちっ!仕方がない、ゆくぞ天化っ!」

 太公望は打神鞭を構え、いきなりの闖入者に体勢を整えられないでいる妖怪達へ風を振るう。

 天化も莫邪の宝剣を発動させ、手近な妖怪に躍りかかった。

 「疾っ、疾っ、チっ!」

 「はああぁっ────!」

 慌てふためく妖怪達を一人また一人と、迅速かつ確実に仕留めていく。

持っている武器宝貝の性能が判らない以上、相手にそれを使わせる前に倒さなければこちらが危うい。

それがわかっているからこそ、二人は懸命に宝貝を振るった。

 幾度も宝剣が煌めき、無数の風の刃が空を舞う。

その度に人ならざぬ者たちの断末魔が、木々の狭間を細く長く木霊していった。

 「疾っ────────っ!」

 掛け声とともに風刃に切り裂かれた巨躯が、地響きを立てて大地に沈む。それが、最後の一匹だった。

 「……っはぁはぁ…まったく、老い先短い年寄りを働かせおってからに………。」

 額に滲んだ汗をふき取り、太公望はふぅとため息をつく。

 いつの間にか二人は森を抜け、見晴らしの良い崖上へと出ていた。どうやら無我夢中で戦っている

うちに、このような所まで移動してしまったようだ。

 「……………ごめん。」

 気がつくと、天化はつぶやいていた。寸前まで頭に上っていた血が戦ったことで引いてゆき、

天化の中に冷静な判断力が甦る。すると、自分のとった行動が急に恥ずかしくなったのだ。

 どんな理由があるにせよ、軍師である太公望を最前線で戦わせるなどあってはならない。

彼は策を立て軍を指導する大師であって、戦士ではないのだ。戦を左右する太師を戦わせるなど、

下士官としては失格だ。

 急にしおらしくなった天化を、太公望は困ったように眺める。

だがすぐに、いつもの穏やかな笑顔を浮かべ微笑んだ。

 「まあ、終わりよけれはすべて良し、だのう。」

 さあ、もう城へ帰ろう。

手袋に包まれた小さな手が、天化にむかって差し出される。今度は、天化も逆らわなかった。

 差し出された手が嬉しくて───おそらく上気しているだろう自分の顔を見られるのが
気恥ずかしくて、天化はやや俯く。

 それが、天化の動きを一瞬遅らせた。

 「………ぅっ……………」

 天化の視界の隅で、自分が倒したはずの妖怪が立ち上がり、瀕死の力を振り絞って

手にした宝貝を作動させる。

 「…オマエらも、道連れだっ!」

 喇叭状の宝貝から紫の光線が発せられ、太公望の体を直撃した。

 「っ!くぅっ───っ!」

 「スースッ!」

 細い肢体が、ぐらりと傾く。慌てて抱き上げようとしたが、一歩遅かった。

 既に二人の体は、重力の命ずるままに崖下へと放り出されていた。

 「くっ……スースッ!」

 必死で呼びかけるが、落下していく彼からはなんの反応もない。宝貝の影響か、

完全に気を失っている。

 のっぴきならない状況に、天化はただただ茫然とした。なぜ、こうなってしまったのだ。

 こんなはずじゃ、なかったのに。

自分は、ただ嬉しかったのだ。

なにげない会話すら出来ないほど忙しい太公望と、僅かでも二人っきりでいられる。

 ほんとは、それが泣きたいくらい嬉しかった…それなのに。

くだらない意地をはって、全部ぶち壊した。

 (おまけに、今、死にかけてるし。)

腕の中の小さな体を、ぎゅっと抱き締める。

 どのくらいの高さから落ちているのか解らないが、未だ地面に到着しないところをみると、

相当高そうだ。おそらく、無事では済むまい。

 ならばせめて、少しでも落下の衝撃が太公望に伝わらぬよう、自身の体を盾にするしかなかった。

 最期に…『好きだ』くらい云っときゃよかったな…

酸欠により薄れていく意識の隅で、天化はそんなことを思った。

 

 

 そして、時間は冒頭へと戻る。

 

前章に戻る

次章に進む

 

書庫に戻る