(な…なんか今、殺意を感じたさ……)

 本当に師匠の云う通り、やばい人かもしれない。引きつった笑顔の裏で、天化は

本能的にそう感じた。

 「望ちゃん、この人どうしたの?」

 そんな彼の動揺を見透かしているのか、表面上はひどく穏やかに──猫なで声で、

普賢は優しく尋ねる。

 「…………ひろった。」

 「ふーん。でもね望ちゃん、この頃は仙人界も物騒だから、むやみやたらと変なものを

拾ってきちゃ駄目だよ。」

 心底心配そうに──『変なもの』の所に微妙に力をいれて、普賢は呂望をたしなめる。

天化から見れば似非くさい態度も、呂望には効果抜群らしく

 「………すまぬ。」

 と、彼は本当に申し訳なさそうに謝った。

 「謝らなくていいよ。そこが望ちゃんの良いところでもあるもの。」

 天使もかくやというような顔で、普賢は笑った。呂望の両手をしっかりと握り締め、

その甲に優しく接吻する仕草はじつに優雅で、洗練されきった感がある。

 逆立ちしたって真似出来ない普賢の高等テクニックの連発に、天化の心理的衝撃の

ボルテージは青天井のごとく跳ね上がった。

(ちぇっ…──)

 すっかり出来上がった『二人の世界』をこれでもかと見せつけられ、天化は面白くない。

はっきりいって、大いに不愉快だ。

 文字通り部外者の彼にとって、いまの此処は針のムシロに近かった。

(………外に、出てみるかな)

 なにげなく考えた思いつきだったが、悪くないかもしれない。呂望を普賢と二人きりにするのは

癪だったが、目の前でいちゃつかれるよりは、はるかにマシだ。

 「……あの…さ…」

 話に花を咲かせている──と云うよりも、一方的に普賢が喋っている──二人に、

怖々と声をかける。

 「その…体もだいぶ良くなったし、俺っち外に出てみたいんだけどさ…駄目…かな……?」

 「良いんじゃないの、望ちゃん。」

呂望が制止の言葉を云うより先に、普賢が同意する。

 「道府に籠もりっきりじゃ、リハビリにならないでしょ。順調に回復しているなら、少しぐらい

身体を動かさないと、かえって体に悪いよ。」

 そこまで彼に云われたら、呂望も反対できない。

道府の回りだけという条件付でお許しを貰った。

 「気をつけてね。」

 言外に『早く出てけ』という普賢の毒電波を浴びせられ、そそくさと道府を後にする。

 「うわぁ………」

 出て来た天化を迎えたのは、雲一つない晴れやかな初秋の青空と素晴らしい景観だった。

 「良い天気さ」

 此処は比較的高い山にも関わらず、濃い緑の木々が深々と森を形成して道府周辺を囲んでいる。

 清浄な空気は崑崙山とよく似ていたが、肌を刺すような厳しさは感じない。もっと口当たりの

良い、まろやかな雰囲気を醸し出していた。

 立地条件だけ見るなら、空き道府にしておくのがもったいないくらい素晴らしいお買い得物件だ。

 こんな良い場所を捨てるなんて、前の住人はなんと贅沢なのだろう。

 「んっ………?」

 木々の間にひょこひょこ蠢く物体を見つけ、天化はじっと目をこらす。

 「あれは………」

 その愉快な造形には見覚えがあった。

 「白鶴童子しゃないさっ!」

 「はいっ〜?」

 いきなり名前を呼ばれ、愉快な造形──もとい、白鶴童子はくるりと振り向く。

 「どちら様ですか?」

 「ヘっっ?」

思いっきり不審がられて、天化は言葉に詰まる。

(あ、そっか。ここは過去だから、俺っちの顔知らないさね…)

 「あ…─、俺っちは呂望の世話になってるモンで、天化っつーんだ。」

 「ああ、呂望師叔のお客様ですか」

 「まぁ、そうなるさね。」

 「私は師叔と同じ崑崙山の者で、白鶴といいます。今日は普賢師叔のお供でこちらに

参ったんです。」

 ばさばさと羽音をはためかせ、白鶴は実に礼儀正しく挨拶をかわす。

 しばらくは彼との他愛ないお喋りで時間を潰していたが、ふとかねてからの疑問が

天化の口をついた。

 「しっかし、なんでスー…呂望は、こんな辺鄙なとこで修行してるさ?」

 なにげなく口にした言葉に、白鶴の瞳がキラリと意味ありげに輝く。

 「知りたいですか?じゃあ、仕方がないですね。」

 言葉とは裏腹に、白鶴は喜々として楽しそうにしている。どこから取り出したのか、

天化の前には二組の座布団と飲茶セットが出現していた。

 「ささ、どうぞ。」

 「あっ……どうも………。」

(よっぽど話したかったさ……)

 薦めらられるままに座布団に座りながら天化は思ったが、あえて口にしなかった。


 

 『白鶴童子の回想シーン』

 

  あれは三月前のことでした。

 玉虚宮で恒例の武術大会が行われ、門下の道士たちが腕を競い合いました。

 呂望師叔も出場され、戦士系以外の道士としてはただ一人決勝まで進まれました。

  決勝戦では、師叔は初戦以来の戦法──相手をある程度消耗させ、動きが鈍くなったところで

弱点を急襲して一気にかたをつけるという方法で、見事優勝されたんです。

  ところが、負けた相手が師叔の戦い方は卑怯だと猛烈に抗議しました。

はじめのうちは審判も師叔も取り合わなかったんですが、相手の道士が師叔の胸倉を

捕まえて何事か囁きました。

  その瞬間、師叔の顔色が豹変したのです。そして審判が止めるのも聞かず、再戦を始めました。

  勝負は一瞬でした。

 開始の合図の直後、相手は翻筋斗うって倒れました。師叔の左手が繰り出した一閃が、

彼の腹を直撃したのです。肋骨が数本折れ、彼は失神していました。

  その後、師叔は元始天尊さまのところへ行き自ら謹慎を申し出で崑崙と人間界の

狭間にあるこの霊山で蟄居生活に入られたのです。

 

 

 「スー…呂望が、相手を半殺し〜?」

信じられない事を聞いて、天化はおもわず叫んだ。

 白鶴の話が本当なのは確かだろうが、到底信じられなかった。

 いくら若気のいたりとはいえ、あの太公望がたかだか試合くらいで、相手を半殺しに

なるまで痛めつけるものだろうか。

 敵にさえ、情けをかけるようなあの人が。

それとも、あの呂望は天化の知る『太公望』とは別人なのだろうか。

 「信じらんねーさ…」

無意識の呟きに、白鶴童子も大きく頷いた。

 「そうなんですよね〜。そこが不思議なんです。たしかに師叔は無表情で無愛想ですし、

取っ付きにくい人ですけど、そんな暴挙をする方じゃないんですよ。」

 白鶴の口から出る言葉に、天化は更に激しく違和感を覚えた。

 『無表情で無愛想』…………?

 いや、呂望(仕様前)には確かに合っている。

合ってはいるが──それが太公望(仕様後)に、だと思うと、どうしても奇異に感じてしまう。

 だって天化の知る太公望は、一番そんな言葉と無縁の人物なのだ。

 それなのに。

 「こうして七日に一度は普賢師叔が地上に降りられて、帰省の説得をなさっているのですが…

呂望師叔も頑固ですからねー…」

 「お喋りが過ぎるよ、白鶴。」

 鋭い叱責に、白鶴の肩がびくりと竦む。

いつの間に現れたのか、二人のすぐ後ろに普賢が立っていた。

 「ふっふっ普賢師叔っ!」

 先程までの花のような優しげな笑顔は影をひそめ、狷介な雰囲気を漂わせている。

 「呂望師叔は…………?」

 「まだ暫くは此処に留まるって…。」

 どうやら、何回目かの説得は今回も不発に終わったようだ。

 ため息を一つついて、普賢はちろりと天化を意味ありげに見据える。

(こ、怖ぇ…………)

 おもわず背筋が震える。いまだ修行中の道士だという割には、普賢の眼差しは

力に溢れていて、天化を竦ませるほど迫力に満ちていた。

 「貴方は、いつまで此処に留まるの?」

 「えっ……あの、記憶が完全に戻るまでは厄介になろうかと…………」

 一応、天化は軽い『記憶喪失』ということで呂望の厄介になっていた。だから、

それが治るまでは居てよいという約束を取り付けてあった。

 彼の消え入りそうな答えに、普賢のこめかみが小さく脈打つ。

 「………り、呂望も居ていいって云ってるしさ…」

 「………………そう。」

 命の危険を感じ、天化は慌ててフォローを入れる。だが、逆効果だったらしく普賢の顔が

怒りで能面のように強ばった。

 「望ちゃんが許しているなら仕方がないね。…殺るのは延期してあげるよ。」

 ため息まじりの呟きに、恐怖で封神されかけていた天化の魂魄がよろよろと引き返してくる。

 助かった、と。

あからさまに安堵を表情をつくった天化に、普賢は冷ややかな視線を投げかける。

 「勘違いされてもらっては、困るね。僕は望ちゃんと違って、貴方の云ってること

信用してるわけじゃ無いよ。もし────」

 すうっと、普賢の瞳が険しくなる。

 「もし望ちゃんを傷つけたら、許さないよ。」

 凍えるほどの冷気を纏い、彼は静かに囁く。

云いたい事を云って気が済んだのか、普賢はくるりと踵を返した。

 「白鶴、帰るよ。」

 「はっ、はいはいっ!今行きますっ!じゃ、天化さんごきげんよ〜」

 別れの挨拶もそこそこに、白鶴はあたふたと普賢の後を負う。帰って行く二人の後ろ姿を

最後まで見送ると、天化はその場にへたり込んだ。

 (こ、こわかった……)

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