先ほどまでとは打って変わった真摯な態度太乙に、天化は我知らずたじろぐ。
「なっ…なにって………」
「キミはこの時代の人間じゃないだろう。」
違うかい?
いきなり核心を突かれ、天化は声も出ない。
ただ呆然と太乙を凝視するばかりだ。
「細かくは解らないけど…キミの放つ波動はこの世界のどれとも合致しない。たぶん、此処より
後の時代から迷い込んだのだね。」
太乙の的確な指摘に、無意識のうちに天化は頷く。
ふと、希望が脳裏に閃いた。
この人なら、自分が元の時間に戻れる方法を知ってるかもしれない。そう思うと堪らず、天化は今までの
顛末を矢継ぎ早に喋り始めた。
「…ふーん、それは大変だったね。」
「元には戻れないさ…?」
天化の質問に、太乙はうーんと唸って腕を組む。
「確約は出来ないけど…たぶん帰ることは出来ると思うよ。」
「ほっ、本当かいっ…?」
「確約は出来ないけどね。」
浮足立つ天化に、太乙はしっかりと釘を刺す。
「通常、世界には『自浄作用』っいいうものがあるんだ。生き物と同じで、異物が侵入したとき、それを
体の外に出してしまおうとするはたらきがね。」
「自浄作用…………?」
「キミが、封神計画に関わっていると云うのなら…」
そこで言葉を切り、彼はじっと天化を見据える。
「この世界は未来から来たキミを追い出そうとするし、キミがいた未来の世界は、キミを取り戻そうとする。
そのタイミングが上手く合致すれは…」
「俺っち、帰れるさっ…!」
「そういうコト。」
唇に指を当てて、太乙はぱちんとウインクした。もちろん、カメラ目線仕様である。
「ありがとうっ、太乙真人サマっ!」
「いやぁ〜それほどでも…って、私はまだ何もしてないってば。」
「うをっ!」
絶妙のタイミングで、太乙の右手が裏手突っ込みを繰り出す。それは見事に天化の鳩尾に決まった。
「あぁ、そうそう、キミに云っておく事がある。」
帰りかけていた太乙の脚が、はたと止まる。なにか思い出したのか顔だけ天化に向けると、
面倒くさげに忠告した。
「この世界に――呂望に、あまり干渉するんじゃないよ。それは時間の流れに逆らうことだから。」
「…?どういうことさ…?」
「いいかい?私たちはともかく、キミにとって此処は『過去』の世界なんだ。『既に定まってしまった
過去』を変えることは、キミのいた時代へと至る歴史の流れを歪めることになる。それは人間が絶対に
侵してはならない『禁忌』の領域だ。もし…」
歌うように告げる太乙の言葉は淡々としていて、容易に耳を擦り抜ける。
けれど、その言葉は今の天化には非常に重かった。
「もし、それを侵してしまったら――――――」
キミは、『世界』から抹殺されることになるよ。
衝撃的な宣告に、天化は息を呑む。
思わず覗き込んだ玻璃の目は、それが真実だと彼に教えていた。
「じゃ、私は退散するよ。」
それだけ云うと、太乙はひらひらと手を振って黄巾力士へ乗り込む。
見送る天化の額を、汗が一滴流れ落ちた。
太乙の云ったことに、偽りはなかった。
何故なら、彼が帰ったすぐ後に、天化は身を持って体験したのだ。
(…………?あれ?)
おかしな違和感に、天化は目を擦った。
何も変わらない。そう思って、ほっとしたその瞬間。ぐにゃりと音をたてて、視界が歪んだ。
「なっ―――――」
体を二つに引き裂かれるような、そんな奇妙な感覚に全身を捉えられる。
一瞬、世界が真っ白に霞んだかと思うと、見覚えのある場所へ変化した。
そう、此処はあの場所だ。
足元に倒れているのは自分と……――――太公望だ。
《天化にーさまぁっ!》
誰かが、天化を呼んでいる。ああ、これは天祥だ。
天祥が泣きながら呼んでいる。
不思議だ。自分は立って見下ろしているはずなのに、目に映る天祥の顔は自分を見下ろしている。
大粒の涙と鼻水で、その可愛らしい顔はくしゃくしゃに歪んでいた。隣にいる武吉も、
真っ青な顔でなにか叫んでいる。
そうだ。太公望を呼んでいるのだ。
《お師匠さまっ!しつかりしてくださいっ!》
その二人を宥めるように、穏やかな声が間近で聞こえた。
《大丈夫。二人とも気を失っているだけですよ。》
男でも惚れ惚れするような美声…この主は楊ゼンだ。
《天化君が庇ってくれたお陰で、師叔はかすり傷ひとつ負ってません。…天化君のほうは少し打撲が
あるみたいですけど、命に別状はありませんよ。》
《…………ホント?楊ゼンさん。》
《ええ。さ、二人を西岐城へ運びましょう。武吉くん、手伝ってください。》
《はいっ!》
三人の手で天化と太公望は抱き上げられ、孝天犬の背中に乗せられる。
天化も後を追おうとしたが、体はぴくりとも動かない。
(待つさっ!俺っちも―――――)
力いっぱい叫んだが、三人は振り返らない。その間にも、どんどんと遠ざかっていく。
(スースっ!)
「――――――――…っ天化っ!」
「……………あっ…?」
強く肩を掴まれ、我にかえる。
気がつけば、呂望が天化を覗き込んでいた。
その瞳は、どこか不安げに揺らめいている。
「俺っち、いったい……………」
「…うずくまって、震えていた。」
では、さっきの映像は幻だったのか…。いや、違う。
いまだじんと痺れる指先が、体が伝えている。あれは『現実』だ。
おそらく、天化か居た時間の『現在』なのだろう。多分、自分は『戻り』かけていたのだ。
けれどタイミングがずれていて、精神だけしか向こうの時間軸に同調できずに、こうしてまた
こちらに引き戻されたのだろう。
漠然とした不安が天化を襲う。
急がなければ、もう戻れなくなるかもしれない。向こうの時間も、天化がいなくなったからといって
止まっているわけではないのだから。
もし、あの寸前に戻れなかったら自分は…
「…大丈夫か?」
呂望の声に、のろのろと目をあげる。
感情を極力抑えた幼い表情のなかにも、労りと心配する色が見え隠れしていた。
その様子に、天化は少しだけほっとする。
不器用ながらもこうして時折垣間見せる呂望の優しさが、天化は好きだった。
いまも、不安で恐慌状態に陥りかけた天化の心を、宥め落ち着かせてくれた。
大丈夫。きっと自分は大丈夫だから、彼を心配させてはいけない。
「ごめん。スース…」
なにげなく呟いて、はっとする。違う、いまは『呂望』なのだ。
(やばっ……………っ!)
「あっあの…………」
慌てて弁明しようとしたが、もう遅い。
「……………………」
無言のまま、呂望は立ち上がる。冷たい一瞥をくれると、そのまま天化を置いて道府へと踵を返した。
「り、呂望っ…」
追いすがるが、彼は振り向かない。
その背には、静かな拒絶だけが現れていた。