「ふぁ〜、よう寝たのう。」 寝ぼけ眼を何度か擦り、太公望は起き上がった。 傍らでは、天祥が無邪気な顔で安らかな寝息を立てて眠っている。 昨日はいつもより遅くまで『おはなし』をしてやったせいか、まだ目覚める気配はない。 「……んっ………」 子猫のように丸まって眠るその姿に、かすかに相好を綻ばせ、太公望は天祥を起こさぬよう、 忍び足で窓辺に近づき、極力音を立てぬように雨戸を開ける。 窓を開いた途端、朝のぴんと張り詰めた空気が一気に室内に流れ込んだ。 「っ、つめたいのう……」 頬を撫でる風はひんやりとして、やや肌寒く感じられたが、起きぬけの頭を一気に覚醒してくれた。 清廉な空気を、胸いっぱいに吸い込む。 こうすると、『今日も一日頑張ろう』という実に殊勝な気持ちになれる。 それもこれも、この黄家の息子達のおかげだ。 以前は、こんな目覚めのよい朝を迎えることは皆無と云っていいほど無かった。 地上に降りて以来――正確には西岐に腰を落ち着けて以来だが、彼の周囲には次から次に ただでさえ封神計画やら激務で忙しいのに、夜な夜な深夜に夜這いをかけてくる馬鹿者共が そんなときだ。 『俺っちがなんとかしようか?』 と、太公望の苦労を見るに見かねた天化が申し出てきたのは。 『天祥とか天爵が一緒に寝てたらさ、楊ゼンさんたちも無理強いはできないんじゃないかな?』 子供が見てる前でスースにちょっかいかけるほど、あの人達も無節操じゃないっしょ。 そう云って、気前よく(?)二人の弟たちを貸し出してくれたのだ。 天化自身も余裕がある時は当直など買って出てくれて、太公望の安眠の協力をしてくれた。 ここ二カ月くらいは夜這いもなく、快適な睡眠を謳歌している。 お陰で仕事もはかどり、周公旦から殴られる回数も以前よりぐっと激減していた。 (今度、なにか礼をせねばならぬのう…) あの青年が喜びそうなものは何なのか…。 ぼんやりと、そんな事を思案していた時だ。 ドタドタドタ………………… 地を這う地響きとともに、激しい靴音が急ピッチで近づいてくる。 「にょ…………?」 それは部屋の前でぴたりと止まり、次の瞬間黒檀の扉が蹴破らんばかりの勢いで 「太公望さんっっ、たいへんですっっ!!」 「て、天爵……?」 扉の向こうに現れたのは、顔面蒼白と化した黄家の三男坊だった。 「どうしたのだ、いったい……」 普段のおっとりとして温和しい彼から想像出来ぬほど、取り乱している。 そのがくがくっぷりは、高所恐怖症を発病している時の太乙と張るくらい、景気よく震えていた。 「こここここっ、これっ…………」 吃りながら、天爵がぐいっと右腕を突き出す。 その手には、ぐったりと目をまわした四、五歳の幼子が猫の子よろしく引っ掛かっていた。 「おう、これは可愛らしい子じゃのう…」 わけが判らずも、天爵の手から幼子を受け取り、優しく抱き上げる。 なんとなく、誰かに似ているような気もするが… 「ぼうず、名はなんという?」 妙にすわった目でじっとりと太公望を睨み、子供は短く答えた。 「…………天化。」 しばしの沈黙が、二人の間を流れる。 「………………もう一度。」 「だから………黄天化。」 「………………」 「……………………」 「………………年のせいかのう、どうも耳が遠くなった用じゃ。」 「…スースぅ……」 明後日の方向を向いて現実から眼を逸らす太公望を、子供は眦に涙を浮かべながら、 ということは、やはり 「天化なのか……?」 動揺のため裏返った声で再度尋ねると、子供はこくこくと首を振った。 「一体なぜこんな姿に――」 「それは―――」 こっちが聞きたい…そう天化が答えようと、口を開くのを遮るように。 「う〜ん…もお朝ぁ〜?」 呑気な声をあげて、むくりと天祥が目を覚ました。 ぼさぼさの頭をきょろきょろと動かし、眠気の残る瞼を擦る。 「…………?」 その瞳が太公望と天化を見つけ、ぽつりと呟いた。 「たいこ〜ぼ〜、そのちっこいの、なに?」 …………お前の兄貴だよっ!! その場にいた天祥以外の誰もが心の中で、そろって突っ込みをいれた。
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