朝もはよから太師府に呼び付けられた城内の人々は、太公望の膝に鎮座する物体に、

『あぁ、またか』という諦めの思いを、本当にしみじみと痛感した。

 「……………………」

 十数対の視線が、ただ一点に凝縮している。

その瞳の群れには、一様に困惑といくばくかの同情の入り交じった、なんとも複雑な感情が

見え隠れしていた。

 仙人界と関係を持って以来、兄弟が人さらい同然に勧誘されて十年以上音信不通になったり、

外見は大道芸人みたいな愉快な一座に街を破壊されたりと…と、ろくなことがない。

 大概の非常事態には慣れっこになっていた周の面々だったが、流石にこれには開いた口が

塞がらなかった。

 「仙道の仕業ですね。」

 太公望の簡単な状況報告プラスアルファの説明の後。きっぱりとした口調で周公旦は断言した。

 いつもの苦虫を潰した仏頂面が、今日はますますグレードアップしている。こう立て続けに厄介事を

引き起こされては、眦がきつくなるのも当然だ。

 「普通の人間がこんな術を使えるはずがありませんし、子供になる奇病など聞いたことがありません。

これは絶対、仙道の仕業です。」

 仙道たちの迷惑以外何物でもないちょっかいや要らぬお世話の悪夢の数々が甦ったのか、周公旦の

額には十字の青筋がぴくぴくと脈打っている。

 拳を振るって力説する彼を誰が止められるだろうか。実際、此処に居る誰もがはじめから『確実』に

仙人の仕業だと確信していた。

 ただ問題は、どの仙人がこんなしょうもない悪戯を仕掛けたかだ。

 容疑者だけでも、軽く片手の指の数だけいる。

しかも全部身内というか、関係者というところが頭痛の種だ。

 だが、こんな手の込んだ仕掛けが出来る人物としたら、やはりアレとアレの、どちらかでは

ないだろうか…多分。

 「天化、なにか心当たりはないのか?」

 このままぼんやりしていても埒があかないと、太公望は当の被害者に事情聴取を開始する。

 「…心当たり…」

 太公望の言葉を反芻し、天化は(更に小さくなった)自身の記憶回路をフル回転させて検索した。

 「……………あ………」

 暫くの検索時間の後。

 ピンと頭の中に音が響いて、天化はある日の出来事を思い出す。

 でも、あれは十日も前の事だ。…いや、でも…。

 「何かあったのか?」

 顔色の変わった天化を、探るように太公望が窺う。

その意外と真摯な視線に――少し居心地の悪さを感じながら、天化は思い出した事をぽつぽつ話始めた。

 「……えーと、十日くら前の事なんだけど……」

 

 

 

 「待ってよ、たいこーぼーっ!」

 聞こえてきた弟の声に、天化は鍛練の手を止めて顔を上げた。

キョロキョロと声の主を探せば、四つ向こうの垣根の側で弟の天祥が太公望に抱き着いていた。

 「あのねー、さっき――…………」

 頬を紅潮させ瞳をきらきらと輝かせて、弟は太公望に何事かを話している。

太公望の方も表情を緩ませ、天祥の話にじっと耳を傾けていた。

 「……………なんだよっ!」

 「そうか。えらいのう、天祥は。」

 「えへへー…」

 太公望に手放しで褒められ、天祥が可愛らしい頬を染めて笑う。

その頭を、太公望の手袋に覆われた左手が愛しげに優しく撫でた。

 昼下がりの、微笑ましい穏やかな光景。

そう思ったのに、何故か天化の胸は鈍い痛みを訴えた。 太公望が天祥に優しいのは、

別に今に始まったことではなかった。

 彼は、実は子供にめっぽう甘い。

幼少期に大家族で育った為か、年少の者に対してやや過剰とも言える労りを見せることが、

ままある。

 もちろん無闇やたらと甘やかしているわけではないし、締めるときはきちんと締めている。

 それは判っている。判ってはいるが…。

 天化はどうしても納得できなかった。

簡単に云うと、えらくむかついていた。

 どこがどう、と問われても上手く説明出来ない。

だが――

 なにかこう…もやもやとした暗い暗雲が、丁度胃から肺にかけての辺りを圧迫し、彼を

いつになく不機嫌にさせていた。

 何故、こんな気持ちになるのだろう。

天祥に対してあんなに親切に接してくれているのに、

なんで苛立つのだ、自分は。

 そもそも、太公望と天祥のどちらに腹を立てているのだろうか。

 「お困りのようだね。」

 本当に、不意に。

まったく気配のなかった背後から声をかけられ、天化は本気で飛び上がった。

 「うわっ!」

 すぐさま剣を構えようとして――

視界に映った人物を確認し、慌てて剣を引っ込める。

 立っていたのは、よく見知った黒衣の麗人だった。

 


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