「た、太乙真人サマ……」

 「あ、ごめーん。驚かせちゃったかな?」

 へらへらといつもの笑顔を浮かべ、太乙が口先だけ謝罪する。

 手に工具セットを抱えているところを見ると、どうやら恒例の出張修理サービスで

下界に降りて来たようだ。

 「打神鞭と乾坤圏の出力調整に来たんだけど、キミがせつなそ〜に思案しているのが

見えたからね…つい声をかけちゃったんだ。」

 「はぁ………」

 「で、何を見てたのかな──…と、おや……」

 天化の視線の先の人物をみとめ、太乙はニヤリと人の悪い笑みをつくった。

 「……ふーん、キミも大変だねぇ…」

 「なっ………」

 心の奥底を見透かすような言葉に、天化の首筋がかっと朱に染まる。

正直すぎる反応に、太乙はますます面白げに口元を歪めた。

 その笑みが、如何にも小馬鹿にされたように感じて──大人気ないと思いつつも、

天化はむっとしてそっぽを向く。

 しかし『ぽむぽむ』と肩を叩かれ、仕方なく太乙の方に向き直った。

 「…なにさ。」

 「キミみたいな悩める性少年の為に、今日はいいものを持ってきてるんだよ。」

 そう云って、太乙は工具セットの中から不釣り合いにほど可愛くラッピングされた

小瓶を取り出した。

 「なんすか、これ。」

 「これは私が開発した特殊な薬でね、『願いが叶う』飴なんだっ!」

 訝しげに尋ねると、誇らしげに太乙は胸をはった。

 「これを食べればあら不思議、どんな願いも叶えてくれるんですよ、お客さんっ!」

 まるで悪徳商法の販売員のように、太乙はつらつらと薬の効能をまくしたてる。

だが見る限り、とてもそんな大層な代物には見えない。 形は普通の飴と変わりないし

……いや、色は確かに普通じゃない。

 なんだか薬品を煮詰めたような──そう、『どどめ色』と云う表現がぴったりな色だ。

 あからさまな不審の眼差しに気づかないのか無視してるのか、太乙はTVショッピングの

ノリで天化にそれを勧めた。

 「ホントは代金を取るんだけど、今回は特別に無料でキミに進呈するよっ」

 「遠慮します。」

 即答で(天化にしては珍しく)丁寧に断る。

こんなあやしさ炸裂な劇薬もどきを口にするほど、自分は命知らずじゃない。

 だが太乙は諦めず、長身に物をいわせてジリジリと天化に詰め寄った。

 「まあまあ、そう云わずに───」

 「い─や──さ───っ!!」

 じたばたと暴れる天化の腰を捕まえ、太乙は天化の口を割ろうと無理やり頬を引っ張る。

 しかし、身の危険を感じてなかなか開こうとしない天化に、彼はわざと束縛の手を緩めて

大声で叫んだ。

 「あっ、太公望が天祥君に『ちゅう』してるっ!」

 「え゛っ ?!」

 ぴたりと反抗を止め、天化は茂みの向こうに視線を走らせる。

 驚いて気がそれたその口に、太乙は手にした飴を素早く投げ入れた。

 ごっくんっ!

 「って、ああ───っ!」

 つい騙されて食べてしまい、天化は慌てて飴を吐き出そうとする。

だが既に遅く、飴は食道を通り抜けさっさと胃の中に収まってしまった。

 「あーたっ、何てことするさ───っ!」

 半狂乱になった天化は、相手が師匠と同格の大仙人であることも忘れて掴みかかる。

それをひょいひょいと難無く避け、太乙は素早く止めてあった黄巾力士に逃げ込んだ。

 「あはははははっ。じゃっ、効き目を楽しみにねっ天化クンっ!」

 「できるかっボケ───っ!」

 めいいっぱいの怒声も、黄巾力士の発進音にかき消されて、到底太乙の耳には

届かなかった。

 

 その後──一応警戒はしていたものの、三日、五日…と何の変化の兆候もなかった

ことから、七日目を過ぎる頃にはその時の出来事は天化の記憶から、すっかり抜け

落ちていた…。

 

 

 

 話を聞き終わった太公望は、やっぱり出て来た兄弟子の名前に軽くはない頭痛を覚えた。

 「…それで、太乙のくれた飴を食べたのか 」

 「いや……食べたっつーか、無理やり飲み込まされたっつーか………」

 呆れたように尋ねられて、咄嗟に天化は反論する。

 「だが食ったことは食ったのだろう?」

 「うっ…………」

 念を押すように確認され、しぶしぶ頷く。

 「馬っ鹿じゃのう。あやつと雲中子の作るもんは、たとえ餓死寸前でも食ってはならぬと

道徳に習わなんだのか?」

 「う゛う゛う゛っ───っ」

 痛い所を容赦なくめった切りにされ、天化は言い逃れも出来ず惨めに撃沈した。

流石にきつく言い過ぎたと思ったのか、太公望もそれ以上は追求せずに、コホンと小さく

咳払いをする。

 「まぁ、よいわ。原因さえ判ったのなら、後は騒動の元凶を締め上げて、解毒剤なり何なり

を作らせればよいことじゃ。…楊ゼン。」

 「はい。」

 待ってましたとばかりに、美貌の天才道士が立ち上がる。

 「金光洞に行って、至急太乙をしょっ引いてくるのじゃ。もしトンズラしておるようなら、他の

十二仙どもに応援を頼むがよい。わしの『たっての願い』じゃと云うてな。」

 「わかりました。」

 太公望に向かって優雅に一礼し、楊 は霞のように一瞬でかき消える。

集まった面々もこれで解決とばかりに、各々仕事場へと戻っていった。

 膝の上の天化の頭を撫で、太公望は安心させようとにっこりと微笑む。

 「これでもう安心じゃぞ、天化。」

 「……うん。」

 ホッとしたものの───何処か残念な気持ちを感じつつ、天化は小さく頷いた。

 だが残念ながら、事はそう簡単には収束しなかった。一刻後、戻って来た楊ゼンが手に

していたのは、太乙の研究室に落ちていた

 

  《しばらく旅に出ます。

   行き先はヒ・ミ・ツv 

   御用の方はうちの弟子に言付けといてね。

               ばーい 太乙真人》

 

 という、一枚のじつにふざけた書き置きのみだった。

 「あの馬鹿はっ!!」

激怒した太公望は当初の予定通り、その日のうちに他の十二仙を(あの手この手で)

総動員して、崑崙全域に太乙指名手配網を展開した。

 が、一大捜索網にもかかわらず肝心の太乙の行方は一週間経っても、ようとして

知れなかった。

 


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