「あぁ〜あ…戻っちゃったんだ」

 盗撮用宝貝『覗き見クン』から送られてくる映像に、心底つまらなさそうに太乙は呟いた。

 それでも映写機である水晶球から視線を外そうとはしない。膝を抱き抱え、文句を垂れ

ながらもじっと映像を見つめる。

 同僚のその様子に呆れたように嘆息して、ここ九宮山白鶴洞洞主──普賢真人はそっと

茶を差し出した。

 「…で、どうして道徳の弟子にあんな意地悪したんだい?」

 自らも茶を啜りながら、探るように普賢が尋ねる。

今回の騒動の共犯でありながら、彼は太乙の真意を知らされていない。そろそろ、ちゃんと

教えてくれても良い頃だろう。

 普賢の視線に肩をすくめ、太乙は拗ねた口調で答えた。

 「だぁってさ…、………欲張りなんだよ」

 「───なに?」

 「だからぁ………私たちよりもずっと『いい目』を見てるのに、天化クンってば欲張り過ぎる

んだ」

 聞き分けの無い子供のように頬を膨らませ、上目使いで映像の天化を睨みつける。

 太乙の態度と映像を見比べ、あぁと普賢は納得した。自分たちは長い間、誰よりも

太公望の近くにいた。

それこそ、今彼の側にいる弟子のヒヨッコ道士達が生まれる、ずっとずっと以前から。

 だから『封神計画』に彼が選ばれた時、本当は弟子たちではなく自分自身が直接手助けを

したかった。

彼の側にいて、彼がこれから味わうであろう苦労も喜びも何もかも総て分かち合いたかった。

 けれど十二仙という立場が、それを許してはくれなかった。

本来なら太公望の協力者として最も力になれるであろうその地位が、逆に自分たちを崑崙に

縛り付けた。元始天尊が勝手に取り決めた、彼等の与り知らぬ『約定』によって。

 太乙たちに出来たのは、己の弟子を地上に降ろし太公望を手伝わせること。

ただ、それだけ。

 こうして遥かに遠い雲の上で、不安に苛まれながら見守ることしか出来ない。しかも、直に

見ることは叶わず、こんな無粋な機械を通してでなければ見守ることすらできないのだ。

 それに対して、地上に降りた子供たちはなんと自由なことだろう。

制約に縛られた太乙とは違い、彼等は自由存分、思うままに振る舞うことが出来る。

 太乙が望んでも叶わなかった特権──太公望の側に居て、いつでも彼に触れられる

──を、彼等は『これ見よがし』に行使しているのだ。…本当なら、あれは自分たちの特権

だったはずなのに。

 それが、悔しい。

 でもそれ以上に許せなかったのは、当の太公望が子供たちの態度に寛容なこと。

いや、もっと云うなら好ましく受けとめている事だ。

 「なんで…こんなに楽しそうなのかな」

 口を尖らせ、太乙は水晶球をつつく。

 水晶鏡に送られてくる映像の太公望は、どれも驚くほど生き生きとしていた。

 此処に居た頃の彼は飄々としていて、まったく掴み所がなかった。

昔のように激しい憎悪をさらけ出す事は無くなったが、同時に本心を見せる事も極端に

少なくなった。信頼しているであろう自分たちにさえ、滅多に素の感情を見せたがらない。

 いつも、目の前の自分たちではない何処か遠くを見つめ、太公望のそんな姿を見る度に、

太乙は幾度となくきゅっと胸が締め付けられたものだ。

 それが、どうだろう。

地上に降りてからの彼は、著しい変貌を遂げた。

 自前の良く回る舌先以上にくるくると表情を変え、あるがままに感情を見せる。

もちろんその内の大半は、未熟な仲間たちを効率よく働かせる為の演技だ。

 だが幾つかは、紛れも無い、彼自身の本心なのだ。素の自分をさらけ出す事に躊躇わない

『彼』。

 これを変化と云わずして、何と云うのだろう。

そしてそれは、地上で時を重ねる度に確実に増えてきていた。

 そこへもっての、今回の騒動である。

子供になってしまった天化の為に、太公望は常になく

真摯に腐心していた。他人と拘わることを──情が深まる事によって引き起こされる総ての

ことを意識して避けていた彼が………。

 天化の為に困惑し、怒り、笑う。

彼に向けられた眩しいほどの微笑みは、入門時からずっと太公望を見続けてきた太乙でさえ

殆ど見たことのないものだった。

 いや、双子のように寄り添ってきた普賢でさえも、容易には引き出せ無かった太公望の

『心』。

 あの道徳の弟子は、それを易々と引き出しておきながら──の立つ事に──幸運に気づきも

しない。

 それが、とても悔しくて……

そして、とても羨ましかった。

 つまりは、そういう事なのだ。

 「………つまり、やきもちなんだね」

 「うっ…」

 ため息まじりに図星を鋭く指摘され、太乙は益々むくれた。

 「だから、望ちゃんに一番気に掛けられている天化クンに意地悪したんだ」

 ぐさり、と。

普賢の何げない一言を装った言葉の刃が、太乙の心臓を寸分の狂いも無く直撃する。

 「で、結果として恋敵を増やしてしまった、と」

 「  ぅぅぅ〜〜〜〜っっ」

 もっとも痛い所を無遠慮につつかれ、ついに太乙は泣き出した。

 「そっ、そんなに苛めなくてもいいじゃないか〜」

 涙目で睨みつけると、少女と見まごう同僚は花の微笑を浮かべてキツい一言をかます。

 「キミがおまぬけさんなのがいけないんでしょ」

 「…………………………」
 よりによって恋敵本人に再自覚させて、あまつさえ告白までさせてしまうとはね。

 のんびりとした物言いに隠された怜悧な刺に、黒衣の麗人は身をちぢこませた。

 「僕なら、もっと上手くやるね」

 邪気を感じさせない口調が、ますます太乙の繊細な(と自分で思っている)心に深く突き

刺さる。

すっかりへこんで撃沈した彼へ更なる追い打ちをかけるように、普賢は鼻でせせら笑った。

 が、不意に笑い声がぴたりと止む。

普賢の色素の薄い瞳が、きらりと剣呑な光を宿して意味ありげに光った。

 「…まぁ、望ちゃんの心配事も無くなったことだし、そろそろ始めようかな。」

 「…?始めるって…なにを?」

 きょとんと振り向いた太乙の問いに、普賢はにっこりと極上の笑顔をふりまいた。

 「んっ、お・し・お・き 」

 口元だけに笑みを浮かべ、狂気の色に染まった普賢の双眸が太乙の痩身を射貫いた。

 「ひっ…」

 ひくっ、と太乙の喉がひしゃげた蛙のような泣き声を漏らす。

 「僕、前々から云ってたよね…望ちゃんを悲しませる者は、誰であろうと許さないって……」

 ゴゴゴゴコ…という効果音を背中にしょって、一歩また一歩と普賢が近づいてくる。

その手に携えられた大極符印のディスプレイには、『核融合or原子分解?』という文字が

はっきりくっきり大文字で映し出されていた。

 「何のために望ちゃんに嘘をつくなんて心苦しい真似までして、キミを匿ったと思ってる
んだい?」

 「な……なんで…かな?……」

 痛いほど判りきっているくせに、おもわずボケてみる。

これだから太公望に『色モノ仙人』って馬鹿にされるのかも……と、生命の危機に本気で遭遇中

にも拘わらず、太乙は自分に突っ込みを入れた。

 「もちろん、僕の手でこころゆくまで仕置くために決まってるよ。」

 きっぱりと普賢が言い切る。

 「ひっ…………」

 遅まきながらも逃亡しようと、震える脚で太乙はこけつまろびつ扉へ駆け寄った。

だが扉は外側から堅く閂を掛けられ、どれほど引っ張ってもびくともしない。

 蒼白になった太乙の耳に、生暖かい吐息が触れた。

 「大丈夫、次の楊ゼンよりは軽目に済ましてあげるからね」

 甘く、蕩けるような優しい囁きが耳を擽る。

けれどその言葉が伝える恐怖に、太乙の歯はカチカチと不協和音を鳴らした。

 振り返ってはいけない。そう思うのに、理性の警告に反して身体が後方へと反転する。

 極限の恐怖に半ば失神しかけの太乙の瞳に映ったのは、壮絶なまでに美しい普賢真人の

悪魔の如き微笑みだった。

 「ひぃぃぃぃいいいいいいい─────っ!」

 絹を引き裂くようなかん高い絶叫が、道府内あますところなく轟く。そしてその悲鳴は、夜が

明けるまで間断なく続いた。

 その夜、白鶴洞の門下生たちは明け方近くまで、師父が産み出す恐怖で一睡も出来なかった

という。
 
 

 


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