|
ベジタリアンの糞の色は黄色いバナナ色で匂いも優しい。 一方、肉食中心主義者の糞の色は黒っぽくて匂いもきつい。
全然話は違うが、今朝の新聞一面にでかでか載っていたが、自民圧勝 単独過半数、女性の総理ニッコニコ。 2026/02/09(Mon) 08:09:57 [ No.10370 ] |
|
今まで誰も行わなかった事を始める。
前代未聞の人生、前代未聞の快挙。 わてが今回出版した本の題名は「パド吉の破天荒人生」。よく見たら表紙の裏に目次が載ってない。こりゃあ欠陥商品や。 2026/02/09(Mon) 07:33:23 [ No.10369 ] |
|
関東長野支店長、三浦氏早々先週の6日に持参。最初嬉しくてページを捲っていたが、ふと気が付いた。こりゃいかん、目次がない!早速今日電話。目次を作って持参して下さいと。一部一部表紙の裏に張らにゃならん。いい仕事だ。丁度いいことに大工の建具屋氏が来て仕事していたので洋間に運んで貰った。昨日のデイサービスへ持参してお世話になっている職員の皆様にプレゼントした。その時点では、まだ目次の欠如に気が付かなかった。わてはバカだ。
2026/02/08(Sun) 17:08:41 [ No.10368 ] |
|
下のNo.10365をコピーして送って下さい。忙しい中度々無理なお願いをして申し訳なし。帰国した折、送料をお支払いします。
2026/02/04(Wed) 07:53:48 [ No.10366 ]
我 任務已完了!
2026/02/06(Fri) 20:19:03 [ No.10367 ] |
|
1月31日の信濃毎日新聞で貴君の、若手社会人が仕事とやりがいを発表する「ルーキー・オブ・ザ・イヤーinLOCAL長野県大会」で大賞を受賞されたとのことおめでとうございます。家族を支えるため毎月送金されているとのこと。偉いですね。あなたのおっしゃる通り逆境こそ頑張る価値があります。愚著「We are the brother countries Japan and Nepal」をお送りいたします。日本にはあなたのように頑張っている人もおります。彼にもあなたの事を話ます。ではお元気で。
2026/02/04(Wed) 07:40:18 [ No.10365 ] |
|
次の文を以下のように認(したため)て私に送って下さい。
〒381-0103 長野市若穂川田2599 伊藤鉄郎(イトウテツロウ)84才 男 TEL 090-4709-0961 「わが青春の想い出と切なる願い」 2026/01/30(Fri) 15:27:00 [ No.10361 ]
はい、了解。
2026/02/02(Mon) 20:54:14 [ No.10363 ]
ご所望の文と、12月下旬から先週土曜の『 中国で短命と長命が共存共栄』までの掲示板のコピーを郵送しました。コピーはそれぞれ二部づつとってあります。1週間前後で着くはず。
2026/02/03(Tue) 15:23:27 [ No.10364 ] |
|
彼ら調査隊は1987年から中国人の西域からシルクロードを調査した。新疆ウイグル自治区のオアシスに住むウイグル族は当時10万人当たりのセンテナリアン(100歳以上の老人)が13.5人と長寿で有名だった。日本は1998年でも10万人当たり8人でしたから、如何にすごい数字か分かる。ところが同じ自治区で放牧生活を営むカザフ族のセンテナリアンは10万人当たり、たったの1.2人。ウイグル族の10分の1にも満たなかった。同じ自治区に住む「二つの民パオと呼れるテントに暮らし、羊を放牧地いる。畑を持たいので、野菜はまったく食べない。放牧している羊の肉や脂は徹底的に利用して脂肪ごと食べ尽くす。そして日常的に飲むお茶は、塩茶かバターロール茶だ。これまで何度もお話してきた最悪の短命コンビ「アブラと塩」を日常的に摂取している上に野菜がないので、塩の害を打ち消すカリュームも摂れない。
一方、長命のウイグル族はタクラマカン砂漠のオアシスに定住する農耕民。オアシスでは米を充分に収穫できないので、野菜や果物でかさましするようになったのかもしれないが、これはバランス良く栄養が摂れるので非常に良い食べ方だ。世界で一番良い「ごはん」かもしれない。 肉は羊が多いが焼いて油を落として食べる。しかも塩味ではなく香辛料で味付けをしている。またオアシスは川もあるので淡水魚も食べられる。更に乳酸と呼ばれるヨーグルトを毎日飲んでいる。こうした食生活がウイグル族の長寿に貢献しているのだ。我々日本人も見習いたいものだ。 2026/01/31(Sat) 21:10:35 [ No.10362 ] |
|
「わが青春の想い出と切なる願い」
わが出生の地は東京市千駄ヶ谷、明治神宮の近くであった。戦争酣の、それも敗色濃い昭和19年、小諸町に疎開し小中高時代を過ごした。確か中学を終えた頃、町から市に昇格したと記憶している。 一昨年、卒業した第三国民学校、後の野岸小学校を訪れたが昔の木造校舎の面影はなかった。余りにも立派になりすぎていて。中学校は今は郊外に移転し、跡地には市民会館が立っている。駅前通り相生町の駅の直ぐ近くには小高い丘があって鹿島神社が立っていた。後に丘が削り取られ鹿島町という名前だけが残った。鹿島神社は小諸城址懐古園の裏手の谷を越えた先に移転され現在に至っている。 いつだったかNHKのテレビ番組で、難攻不落の城は熊本城と小諸城である。正面三の門は低いところにありながら、城の背面は難攻不落の絶壁になっているというのである。成程その通りだ。小諸城の天守閣があった石垣の上には公孫の大木が。下に馬場があって、戦後何年かは草競馬が行われ娯楽のない時代だったから大勢の見物人で賑わったものである。 恵比寿講ともなれば近在の村から買い出しにくる人々で我が家の前の荒町通りは大変な賑わいだった。賑わいと言えば毎年七月に行われる祇園祭である。子供神輿は一週間前から夕方から夜にかけて担ぐことが許されていた。小諸は13区まであって、中には与良町のように上下二台の神輿を持つ区もあった。何しろ血気盛んな子どもらは喧嘩がしたくてしょうがない。相生町と国道の四つ角には三台も四台も神輿が集まって来て練るからいつぶつかって喧嘩になるか見ていてはらはら。若い大人衆が汗みどろになって喧嘩にならぬよう抑えるのである。 さて、百五十貫の大人の神輿も壮大である。女が担げるような代物ではなく、担ぎ手は重いから「いよっ、よっ」と気合を入れて担ぐわけだが、遠くで聞いていると「よいよい、よいよい」と言っているように聞こえる。子ども達は実際そう言いながら担いでいた。 ある年、祭りの当日だったが見物人でごった返す本町通りで露店商の男が、大人の神輿が触ったというて「馬鹿野郎!」と怒鳴った。神輿は一旦は通り過ぎたが、ひと休みして戻ってきてくだんの露天商の商品を並べた筵の上を神輿を担ぐ若者たちが土足で踏んづけて滅茶苦茶にしてしまった。痛快というべきか。いづれにしても浅草辺りの「わっしょい、わっしよい」言うて担いでるあの軽っぽい神輿とは大違い。あれなら女でも担げる。 さて私は小諸を訪れる度に小諸市住民の考え方の古さを痛感してます。良い例が小海線を走っていた蒸気機関車が今は駐車場の片隅にひっそりと眠っております。それを見た時、私は直ぐ思いました。取り敢えず小諸駅と中込駅の構内に機関車の転車機を復活させ週一回とか月一回とか曜日を決めて客車を引いた蒸気機関車を走らせる。そうすれば全国から鉄道マニアがカメラをぶら下げて集まります。家族連れで列車に乗りたいという人達もいるでしょう。客車を受け入れた中込の商店街も潤うでしょう。 新幹線は要らん言うた為に佐久に持って行かれましたが、佐久市の新幹線駅周辺の発展振りには目を見張ります。新しいビルが次々と建てられ、土地も値上がりしたと地主達は大喜びしているとか。翻って小諸市駅周辺はどうでしょうか。昔のままです。島崎藤村が小諸義塾で教鞭を取っておられた当時の家が何と佐久市に移転されていようとは。進取の気性という点でも佐久市の人達の方が上でしょう。 話変わって隣接する須坂市にも中野市にも合併せず、独自の方針を貫いた小布施町、栗と葛飾北斎と花の町として広く全国に知られ、春らから秋にかけて観光客が押し寄せ広い駐車場には観光バスが何台も止まっております。先だって与良町の高濱虚子記念館を訪れましたが、観光客はゼロ。街を歩いても人がおりません。小型の車両を走らせ観光で訪れた人達を自由に乗り降りさせている写真を新聞で見ました。小諸市役所の心ある方々も考えたのでしょう。私は思うに荒町通りにある、山吹味噌で知られる酢久商店に停車し買い物と、その素敵な庭園散策を楽しんで貰う。寺院の名前を失念してしまいましたが素晴らしい松の大木が横一面に茂っている寺院の庭。これは最高でしたね。 私の夢は寛永三年落雷によって消失した小諸城の天守閣の再建と蒸気機関車の走行であります。私が小諸城天守閣の再建を希望する会の名簿を持って歩くと皆さん本当に気持ち良く署名して下さいます。いずれこれを小諸市長さんの所へ持参しようと思っております。折角心よくサインしてくださった方々に手紙を出し、幾らでもいいですからご寄付を小諸市役所へ送って下さいという通知を出そうと考えております。事前にこの様な事を係りの人に話して許可を得ておきますが。小諸城が再建された折にはご招待致しますと。こう申し上げる以上は、私も微力ながら招待費用の一部を、と決意しております。そう馬場町の武家屋敷も見学に値するでしょう。 2026/01/26(Mon) 12:34:43 [ No.10360 ] |
|
10351から今日までの分コピーして帰国の折持参して下さい。
2026/01/23(Fri) 11:37:49 [ No.10358 ]
はい、かしこまりました。
帰国するまでにはまだまだ時間あるので、もちろん、それまでにおそらくここに書き込まれるであろう分もコピーして持参します。 2026/01/24(Sat) 20:36:57 [ No.10359 ] |
|
それは小布施町。どの家も庭を開放し自由に散策出来るので、四季の折々に訪れるリピーターも多い。小諸市に提案したい。隣りの佐久市にも上田市にも合併せずに独立路線できた小諸市には見るべき庭園が実に多い。元小諸城士の住宅をはじめ一般町民の宅地もあります。是非、小諸市の市長さんをはじめ改革希望の職員の皆様、栗と葛飾北斎の展示品のある小布施町を訪ねて見てください。小諸の懐古園には、小諸なる古城のほとり雲白くの歌碑と藤村記念館もあります。夏の盛り、子供神輿が練り歩く様をもう一度見に行きたい。牛にひかれて善光寺参りをしたという布引観音へも再訪したい。ああ夢は尽きない。
2026/01/23(Fri) 11:04:19 [ No.10357 ] |
|
最初に何これ程までにネパールに深入りするようになったかその動機をお話しいたしましょう。偶々私が勤めていた長野日大高校の1期生に志賀高原のホテルジャパン志賀の常務取締役をしていた片桐輝男さんがおりました。そんな関係で、ホテルのエスニックレストランに行ってナンやカレーを食べたものでした。そうこうするうちにネパール人のコックらと親しくなりました。彼らは何年も前から働いていたので日本語がとても上手でした。私は冬山でテントを張ってスキーをするのが趣味でしたので、仕事を終えたネパール人達が私のテントにビールやラーメンを持参し飲んだり食べたり楽しいひと時を過ごしたものでした。そんな折親しくなったブバンパンディさんからネパール行きを勧められたのでした。エベレスト(ネパール名、サガルマータ) はベースキヤンプまで行かなければ見えないけれど他の6千メートクラス以上のヒマラヤならどこからでも見える。特にネパール第二の都市ポカラへ行けば、未だ未踏峰のマチャプチャレ(6,993m)をはじめダウラギリ、アンナプルナ、マナスル連峰などが一望できるというのです。それで私は行く気になりました。カトマンズではパンデイさんの家を根城にして歩き回りました。で、これからお話するすべて私が直接体験した事ばかりです。
意外と知られていないのが、ネパールがラフティング天国であるということです。「ラフティング」という言葉自体を知らない人が多い。世界の屋根、ヒマラヤを織りなす7〜8千メートクラスの峰々、無数の渓谷に削って遠くチベットから流れ来るスンコシ川の上〜中流域を1週間かけて8人乗りのゴム製イカダ(ラフト) で途中野営をしながら270Kmを下る旅である。因みに、名古屋〜 長野間が260Kmでこれがラフティングで参加者は英、米、カナダ、ブラジル、エクアドル、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、デンマーク、スエーデンといった国々の青年男女に、日本人ではただ一人60歳の私(当時の年齢)、それに現地ネパール人のガイドら5人をいれて 総勢19名。共通語は英語で、それぞれがお国訛りの英語を早口わでまくし立てるから、長年英語教師をやってきた私にも、最初は何を言ってるのか さっぱり---。それが食事の支度やテントの設営など共通作業をしながら2〜3日が過ぎ、お互心が通じ合うようになると急速に言葉を聴く耳が出来くるから不思議である。深い溪谷部を抜け平坦部に近ずいた最後の二日間は 流れも次第に緩やかになったので、日本から持参したファルト(組立て式の布製カヤック)で下った。ずう体の大きいラフトにとっては大したこともない瀬や落ち込みも、一人乗りたいという人達も用の小さなカヌーにとっては恐ろしく大きく見え緊張の連続であった。それでも日頃キヤンプ生活で私を年寄り扱いしていた人達に、勇猛果敢なパドル捌きを披露したら皆驚いていたので大いに留飲を下げることができた。自慢話はこのくらいにして本題に入ります。次はパンデイさんから伺った話です。 ネパールでは、男性が尿意を催した時、最寄りのレストランなり知人の店に寄って小指を立てます。私もいつもそうしてました。彼らは意を察してトイレを案内してくれます。ところがパンデイさん路上で警察官に呼び止められパスポートの提示を求められました。偶々その時パスポートを所持していなかったので近くの派出へ連行され色々詰問されました。不法滞在者かもしれないと疑がわれたのでしょう。緊張したパンデイさんは尿意を催したもんで小指を立てましたところ「何「んッ彼女を求めて日本に来ただと!!」警察官は激怒したそうです。日本では男性が小指を立てれば、それは彼女を意味する時にはからです。それでは彼女を意味する時はどうするか。右手の人差し指で自分の鼻を指せばよいのです。 私が初めてネパールを訪れた日本の女性をガイドして、カトマンズのタメルの外人街(カトマンズを訪れた外国人が必ず訪れる街)に連れていったところ、そこの店長ニタニタしたので私は自分の鼻を指しましたら「Oh direi ramro (very beautiful)lady!!」彼女は何のことか分からずきょとんとしてました。 さて次は日本語の「どうぞ」という言葉が全く同じ意味で使われている事実に驚きました。初めてネパールを訪れた時のことです。バスの車掌さんがバス停で待っている人達に「どうぞ」と言ったのです。それから運転手に発車オーライと言う時も「スタートどうぞ」満員のバスの中で老人の私がたっ「いますと若い男女がさっと立って「どうぞ」言うて席を譲ってくれます。毎度それでは気が引けるので「Oh,no! I,m young」言うたら周りの人たちが皆笑いました。 次に日本の新聞とネパールの新聞の一番大きな違いは、日本の新聞には必ず新刊書や週刊誌の紹介がされていますが、ネパールの新聞にはそれらが皆無。新聞は舐めるように読んでいるけど皆さんどこを読んでるのでしよう。従って街には書店がありません。外国人が必ず訪れるタメルの通りには数件あります。日本人を含めて外国人は読み終えた書籍を古本屋に売ってそのお金でお土産を買いこんで帰国するのです。私は古本屋の上得意でした。そんなわけでネパールの一般家庭には書棚はありません。読まないから必要ないのです。あったとしても小中高の子どもらが学校の教科書、参考書の類を並べておく棚です。知識階級、例えば私の友人で名古屋大学の大学院で博士の学位を取得したスニル・アデカリ氏、現在ネパールで最難関のトリブバン大学の学長の学長をされている彼の家には立派な書棚があり洋書がずらりと並んでいます。 ところがこの国の子どもらの英語力は凄いです。日本の子どもらの比ではありません。それも全て実用英語(colloqual English)中心で小学校の一年生から初めています。で、年間1万人を超す若者たちが海外へ出稼ぎに行ってます。これは国の方針で、どんどん外貨を稼いできて国内で消費せよという訳です。手っ取り早い方法は土1しゅ地を購入して家を建てることです。建築に関わる多くの人が助かります。最近金を蓄え帰国した若者がぼやいてます。地価も建築費も高騰して困る言うて。 ついでにネパール人の悪しき習慣を一つ。それは履物を脱ぎ捨てることです。日本では履物をきちんと揃えることは親が厳しく子どもに躾けます。前述したトリブバン大学の学長のお宅では履物をきちんと揃えています。日本での生活が長かったので、日本人の履物を揃えるマナーを見ていたのです。ついでにもう一つ。彼の後輩であるパウデル・リサブ君、名古屋駅前の日本語学校を優秀な成績で卒業した後、トヨタ系列の企業(太平洋精工株式会社)に勤め日夜研究開発に勤めております。土地付きの中古住宅を購入して暮らしております。永住権を得て税金を納めておりますから半分日本人です。愛妻カルパナさんとの間に三人の子どもに恵まれ、子らは近くの学校に通うてます。ですから日本語は日本人並です。家では両親と ネパール語を喋っております。長期休暇の折にはネパールの両親の元へ連れて行きます。こういうネパール人も日本にはいるのです。 話変わって、ある日の朝、地域の方がNHKのニュースを見ていたら紙幣の原料となる楮(こうぞ)の生産施設が閉鎖の危機にある。その理由が今から数年前、正確には2015の四月に突発したマグニチュード7.8のネパール大地震によりネパール産の楮が全面被害に会い輸出出来なくなり国立印刷局が紙幣の製造に困窮をきたしているというのです。この地震の時私はカトマンズにおりましたのでよく記憶しております。沢山の家屋が倒壊し人的被害も大きかったです。 2026/01/04(Sun) 22:17:31 [ No.10356 ] |
|
現在作成した「パド吉の破天荒人生」の本に、サンプラ・海外スペシャル、熱帯のボルネオ・カヌーツアー(10p)と2005年5月連休Golden week中の岐阜県長良川遠征(2)、最後に2007年1月20〜30日の「ニュージーランドカヌー紀行(4p)を追加して頂くようお願いする。その分多少高くなっても差し支えないと思っている。
2025/12/26(Fri) 18:14:20 [ No.10355 ] |
|
貴君の記事読んで泣けて困った。内容は語るまい。大鵬の父親も又ウクライナ生まれのロシア帝国支配下の出身者だとは。北海道に戦火を逃れて北海道にたどり着き日本人の女性と結婚し彼女の姓、納谷を名乗った。ひと頃子どもの好きな言葉は巨人大鵬玉子焼きであった。
2025/12/19(Fri) 19:37:43 [ No.10354 ] |
|
大事な資料をコピーしに。ついでにぶどうパン他買ってくる。
2025/12/10(Wed) 08:09:54 [ No.10353 ] |
|
94年1月6日〜2月13日 志賀高原にてキャンプandスキー。
94年12月29日→淀川、宇治川。寺田屋見学。 95年12月30日→球磨川。2日→知覧特攻平和会館。4月30日→熊本。96年 4月30日→熊本(キヤンプ) 5月 1日→地球塾山小屋訪問、宿泊。3日→肥後昭七郎宅訪問宿泊。12月30日→四万十川(川下りandキヤンプ) 96年3月17日→岐阜日向千本松原(薩摩藩治水工事完成を祝して記念植樹を見学andキヤンプ) 5月13日→ネパール。 2025/12/10(Wed) 07:54:59 [ No.10352 ] |