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paddler7j掲示板(pad吉掲示板)




◆ 愚息スーチン殿 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
噺家の立川談志は自分の戒名を菩提寺の和尚に付けて貰わず自分で付けた。曰く「立川曇黒斎家元勝手居士」。音読するとおもろいね。うんこの臭いがするんやと。それに倣うて貴君はわての戒名を次の如く付けてくれた。蓋し妙なり。「頑鉄始終自分勝手迷惑千万居士」。ずばりそのもので困っちゃう。さて、わてら夫婦は無縁仏と言うては身も蓋もないが菩提寺の和尚は上手いこと言うたもんや。合祀墓だと。そこに入ることになっている。日本に帰国した折にはせいぜいそこに来て呉れ給え。本家の勝さんが案内してくれます。
今6時半を過ぎたところ。食前酒の赤ワインを100cc頂くんや。身元整理もだいぶかたずいた。相撲は大の里の横綱昇進で親方の稀勢の里以来の日本人横綱誕生で日本中沸き返っています。明日は明治神宮参拝、同時に横綱をしめて横綱昇進報告。七月の夏場所が楽しみだ。

2025/05/30(Fri) 17:58:54 [ No.10288 ]
◇ Re: 投稿者:suguru  引用する 
立川談志さんが喉頭がんで死去したのは2011年11月21日のこと。享年75。
「亡くなったことは誰にも言うな」
なにしろ、こういう言いつけだから、弟子たちにも知らされず。

「私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はあ、あれは先頃なくなりました。それでよいです」
54歳で亡くなる1週間前、妻節子に語ったというラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の言葉を思い出す。

話は談志に戻って..
生前自ら決めた戒名「(立川雲黒斎家元勝手居士」)のせいで、納骨を受け入れてくれるお寺が見つかるまでに1年を要したらしい。無宗教を公言していたうえに、戒名が『うんこくさい』じゃ、お寺が怒るのも無理はない。

寺に属する墓に入るには、日本では基本、住職に戒名をつけてもらうのが決まり。談志の『松岡家』先祖代々のお墓も、戒名が戒名なだけに難航し、しかも「坊主は絶対呼ぶな」が談志の遺言とくる(笑)。

本人はきっと墓に入る発想もなかったのだろうけど、親族としては『立川談志』の名で墓を建てようと奔走。ついに文京区に、宗教宗派不問、墓石に何を書こうが自由という寛大な霊園が見つかった。御影石には『立川談志』と彫られ、側面には本人作の戒名が刻まれていて、どなたでも自由にお参りできるらしい。

2025/05/31(Sat) 22:02:00 [ No.10289 ]
◇ Re: 投稿者:suguru  引用する 
画像はX(旧ツイッター)、ゆるキャラ国際政治学者こーたさんより拝借。
東京都文京区、地下鉄南北線東大前駅からすぐの浄心寺にある立川談志墓(というより記念碑)。普通はあるはずの「之墓」が記されていないし、名前は談志自身の手蹟とのこと。


2025/05/31(Sat) 22:37:57 [ No.10290 ]

◆ 世界の登山家かもつとも憧れる国はネパール。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
それは世界の最高峰エベレスト(ネパール語で「豊穣の女神」を意味するサガルマータ(8848m)を頂点としMt.Macalu(8468m)、MT.Dhaulagiri(8167m)、MT.Manasluhimal(8163m)、MT.Annapurna(8091m)が続く。
ついでに言えばエベレストというのはサガルマータが世界の最高峰であると言ったイギリス人の山岳調査官の名前である。

2025/05/30(Fri) 05:08:58 [ No.10287 ]

◆ 読むのに困難な漢字 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
敵(かな)わない/報(し)らせ/旺(さか)ん/雑魚(ざこ)/終日(ひねもす)/別(わか)れの辞意/懐中(ふところ)/階(きざわし)/懐中(ふところ)/要用(いりよう)/心太(ところてん)/惚気(のろけ)/糸瓜(へちま)/浴衣(ゆかた)/資本(もとで)/旺(さか)ん/敵(かな)わない/終日(ひねもす)/氷柱(つらら)/盗汗(ねあせ)/水団(すいとん/労(ねぎら)う/拘泥(こだ)わる/煙管(きせる)/三和土(たたき)/鼾(いびき)/百日紅(さるすべり)/市井(世間)/申(さる)/申(さる)12支の9番目/白湯(さゆ)他に何も混ぜない湯のこと/茶話会(さわかい)くつろいだ懇談会のこと/炊煙(すいえん)(炊事の煙のこと)/西瓜(スイカ)/誰何(すいか)/竹刀(しない)

2025/05/29(Thu) 07:03:28 [ No.10286 ]

◆ 愚著「 We are the brother countries Japan and Nepal 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
今改めて読んでみて、愚息が指摘したように所々誤字脱字があるけれど内容的には文句なく素晴らしいと思っている。小生がもし名の通った人物だったらともかくも無名であるが為に無視されたに相違ない。方々宣伝して歩いたが取りあげられなかった。ネパールへ行ったことのある一人物だけが素晴らしい作品だと褒めてくれはった。嬉しくて一冊贈呈したもんや。一般的に文部科学省が奨めている教材を扱っていればよしと考えているに違いない。今日の教育現場を見よ。虐めとそれによる自殺が後を絶たないではないか。翻って世界を見よ。至るところで戦争の名の下に殺し合いが起きている。平和ボケしてる国は日本だけや。わては長いことあほらしいテレビは見ない。日本を手中に入れようと虎視眈々としている国はお隣の中国だけではない。わてらが生きている間はいいだろう。この辺で止めよう。さて現実に戻って、わてに誕生日おめでとうのメールをくださったマーゴシャに感謝、ありがとう。どうかいつまでも元気で活躍して下さい。懐かしい写真を添付して下さったあだかずさん、ありがとうございます。

2025/05/08(Thu) 21:45:28 [ No.10285 ]

◆ 赤レンガ倉庫にて 投稿者:あだかず  引用する 
こちら、今日は爽やかな五月の一日でした。
懐かしい写真を貼ります。これは2005年10月、横浜・赤レンガ倉庫を訪ねた時の写真です。
ロバート・キャパの「戦争写真展」が開かれてました。ネットでみると、今年の3月にも東京都立写真館でも開催されてました。
その後に、ぱど吉さんも訪ねたと聞いてましたね。


2025/05/07(Wed) 20:51:55 [ No.10284 ]

◆ マウゴシャから 投稿者:suguru  引用する 
お祝い ~ !

2025/05/07(Wed) 18:00:38 [ No.10283 ]

◆ 只今閲覧数は10282 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
やっと夫婦二人だけの生活に戻りました。離れていてもわが子が元気で暮らしていると思えば力強いです。お母さんにタブレッ教えてくれたおかげで交流出来てよかったね。
百々川(ドド川)での写真、ババ様早速貴君に送って、それを貴君がわての掲示板に載せてくれたんやね。明日デイサービスセンターヘ行ったら早速大澤さんにわが掲示板見て貰います。

2025/05/07(Wed) 17:28:53 [ No.10282 ]

◆ 写真 投稿者:suguru  引用する 
百々川の鯉のぼりを背によく撮れてる!
あらためて、米寿おめでとう!!!
ますます達者でいてください。


2025/05/07(Wed) 17:24:22 [ No.10281 ]

◆ パド吉さま 投稿者:suguru  引用する 
米寿のお誕生日おめでとう!
いつまでも達者でいてください。

(どうか適度な散歩もお忘れなきよう!)

帰省中は忘れ得ぬ時をありがとうございました。

写真は、町川田神社の拝殿左側の崖の所にいなさる不動明王(関崎の石工、片桐金本治之の作)。小さいのに強そう。
全ての邪を破り、また病気治癒の守護神でもある。


2025/05/07(Wed) 11:57:14 [ No.10278 ]
◇ Re: パド吉さま 投稿者:suguru  引用する 
1本の木から緑と赤の葉っぱが出ている極めて稀有な「イロハモミジ」(ムクロジ科カエデ属の落葉高木)。

旧松代藩・北國脇街道川田宿、パド吉邸にて


2025/05/07(Wed) 12:13:49 [ No.10279 ]
◇ Re: パド吉さま 投稿者:suguru  引用する 
記念撮影、パド吉邸にて

2025/05/07(Wed) 12:28:07 [ No.10280 ]

◆ パド吉のエッセイ集 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
屋久島への旅(2010.8.21〜29)
わが青春の思い出
GrumiのHindu Templeへの贈り物
インド紀行(2016.10.5〜10.1
スイスのライン川下りにチヤレンジ

2025/05/07(Wed) 10:09:04 [ No.10277 ]

◆ 小松原さん 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
早速に送って頂きありがとうございました。

2025/05/07(Wed) 09:42:40 [ No.10276 ]

◆ 小松原恵子さん 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
誠に申し訳ありませんが、No.10264と10272〜10273をコピーして送って下さい。pictureは不要です。

2025/04/30(Wed) 10:46:03 [ No.10274 ]
◇ Re: 小松原恵子さん 投稿者:keiko  引用する 
本日 午後宅急便で送ります。

2025/04/30(Wed) 12:17:53 [ No.10275 ]

◆ サガルマータ 投稿者:suguru  引用する 
チベット人のいう〈チョモランマChomolungma〉(中国表記で珠穆朗瑪峰)の名は,〈大地の女神〉〈世界の母神〉の意という。

ネパール人は〈サガルマーターSagarmatha〉(サンスクリットに由来する語で〈大空の頭〉〈世界の頂上〉の意)と呼ぶ。標高については65年,A.ウォーらが6観測点によって,平均値8840mを発表,長い間これが採用されていた。…

出典:
株式会社平凡社 世界大百科事典(旧版)

2025/04/23(Wed) 09:46:04 [ No.10273 ]

◆ エベレストを世界最高峰になったと名前の由来 投稿者:suguru  引用する 
ジョージ・エヴェレストは1790年に、ウェールズの中部にあるポウィスで生まれました。ジョージは陸軍士官学校で学び、数学が得意で、特に測量で使う三角法の勉強に優れていたそうです。このジョージが、その後エベレストの存在に大きな影響を及ぼすのです。

ジョージは士官学校を卒業すると、1818年にイギリスの植民地であったインドへ向かいい、イギリス東インド会社のインド測量局で働くことになりました。インド測量局では、三角法を用いたインドの測量を始め、ジョージは主任助手に任命されたのでした。

その任務の中で、ジョージ・エベレストは能力を発揮しました。計器をより使えるように多くの改良や変更を加えたり、故障しても本国に送り返すことなく自分の手で直したりしていました。


インドの南岸からヒマラヤ山麓までの三角測量は、とても負荷の高い仕事でした。簡単な計器や経緯儀(水平および垂直を測定する計測器)を用いた原始的な方法で、25年もの長期間を要するものでした。

ジョージ・エベレストや仲間たちは、砂漠やジャングルの中を何マイルも歩いて測量を何年も続けました。険しい地形は測量を困難にし、厳しい気候もジョージたちの動きを大きく妨げました。

とうとう、ジョージが病気になってしまい測量を中断せざるを得ないこともありました。しかし、ジョージは強い決意と意志をもって回復し、測量に戻りました。


ジョージ・エベレストは、1830年には測量局の長官に、1833年には測量局の部長も兼務するようになるなど、測量の前線で活躍しました。ジョージは測量を終えて、1843年に長官の職を公認のアンドリュー・スコット・ウォーに譲り、退任しました。


ウォー長官の時は、ヒマラヤ山脈の計測が行われ、そこで注目された山が「ピーク15」と呼ばれていた山でした。1852年に行われた測量で世界最高峰であることが発見され(8840m)、当時世界最高峰と認められていたカンチュンジュンガの8582mよりも高いと報告され、1856年に世界最高峰に認定されたのです。

1865年にジョージ・エベレスト卿の功績がたたたえられ、彼の名前にちなんだ「エベレスト」という名前が付けられたのです。


しかし、ジョージ・エベレストは、現地の名前「デヴァドゥンガ」などを尊重したいという考えをもっており、自分の名前が使われることを快く思っていなかったそうです。
また、ジョージ・エベレストは、測量は遠くで行われていたため、まじかでエベレストを見たこともなかったらしいです。


出典: hhttps://www.rekishiwales.com/entry/everest#google_vignette

2025/04/23(Wed) 08:58:06 [ No.10272 ]

◆ 雅子叔母の作品 投稿者:suguru  引用する 
「醍醐寺の桜」

2025/04/23(Wed) 08:31:25 [ No.10271 ]

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