2025/08/04(Mon) 08:33:53 [ No.10306 ] |
昨日(日曜日)無事落手しました。今回はミスは一箇所もありませんでした。余計な支出させてしまいすみませんでした。何処かで埋め合わせをさせて頂きます。では報告まで。
2025/07/28(Mon) 05:41:36 [ No.10301 ]
本日結構なお品を有難うございました。
早速頂戴いたしました。 2025/08/01(Fri) 18:02:28 [ No.10305 ] |
今日、ヤマト便でお品が届きました。有難うございます。お気遣い無用なのですが、有難く頂きます。
この夏はこれまでにない猛暑、長野も猛暑が続いているようですね。こちらは、24時間、エアコンを入れっぱなしです。 これからも暑さが続くようですが、ご自愛ください。 写真は梅雨の六月下旬に見た虹です。こんなに凄い虹を見たのは初めてでした。 ![]() 2025/08/01(Fri) 11:30:20 [ No.10303 ] |
最初に何故これ程までにネパールに深入りするようになったかその動機をお話しいたしましょう。偶私が勤めていた長野日大の一期生に志賀高原のホテルジャパン志賀の常務取締役をされていた片桐輝男さんがおりました。そんな関係で、ホテルのエレストラに行ってナンやカレーを食べたりしたものでした。そうこうするうちにネパール人のコックらと親しくなりました。彼らは何年も前から働いていたので日本語がとても上手でした。私は冬山でテントを張ってスキーをするのが趣味でしたので、仕事を終えたネパール人達が私のテントにビールやラーメンを持参し飲んだり食べたり楽しいひと時を過ごしたものでした。そんな折親しくなったブバンパンディさんからネパール行きを勧められたのでした。エベレストはベースきゃわまで行かなければ見えないけれど他の6千メートル以上のヒマラヤならどこからでも見える。特にネパール第二の都市ポカラへ行けば、未だ未踏峰のマチャプチャレ(6993m)をはじめダウラギリ、アンナプルナ、マナスル連峰などが一望できるというのです。それで私は行く気になりました。カトマンズではパンデイさんの家を根城にして歩き回りました。で、これからお話する全ては全て、私が直接体験した事ばかりです。前書きが長くなりましたが本題に入ります。次はパンディさんから直接伺った話です。
最初から下(しも)の話で恐縮ですが、ネパールでは男性が尿意を催した時は最寄りのレストランとか知人の店に寄って小指を立てます。彼らは直ぐ察してトイレを案内してくれます。ところがパンデイさんは路上で警察官に呼び止められたところ、偶々その時パスポートを所持いなかったので近くの派出所の連行され色々詰問されました。不法滞在者かも知れないと疑われたのでしょう。緊張したパンデイさんは尿意を催したもんで小指を立てましたところ「ナニッ彼女を求めて日本に来ただと!!」警察官は激怒したそうです。日本では男性が小指を立てれば、それは彼女を意味するからです。それではネパールで彼女を意味する時はどうするか。右手の人差し指で自分の鼻を指せばよいのです。 私が初めてネパールを訪れた日本の女性をガイドして、カトマンズにやって来た外国人が必ず訪れる外国人街のタメルに連れて行ったところ彼女言うに「本場蜂蜜が欲しいわ」言うんで行きつけのハニーショップへ案内したところ、店の店長ニタニタしたので私はすかさず自分の鼻を指したら「Oh,direi ramro(very beautiful)lady!!」彼女何のことか分からずきょとんとしてました。 さて、次は日本語の「どうぞ」という言葉が全く同じ意味で使われている事実に驚きました。初めてネパールを訪れた時・ことです。バスの車掌さんがバス停で待っている人達に「どうぞ」と言ったのです。それから運転手に発車オーライと言う時も「スタートどうぞ」満員のバスの中で老人の私が立っていると若い男女がさっと立って「どうぞ」言って席を譲ってくれます。毎度それでは気が付いた引けるので「Oh no! I'm young」 周りの人達が皆笑います。 次に日本の新聞とネパールの新聞の一番大きな違いは、日本の新聞には必ず新刊書や週間紙の紹介がされていますがネパールの新聞にはそれが皆無。新聞は舐めるように読んでいるけど皆さんはどこを読んでいるのでしょう。従って街には書店がありません。外国人が必ず訪れるタメルの通りには数件あります。日本人も含めて外国人は読み終えた書籍を古本屋に売ってそのお金で土産物を買って帰国するのです。そんなわけで私は古本屋の上得意でした。 そんな訳でネパールの一般家庭には書棚はありません。読まないから必要ないのです。あったとしても小中高の子どもらか達が学校の教科書や参考書の類を並べて置く棚です。知識階級 たとえば私の友人で、名古屋.大学の大学院で博士号を得たスニル・アデカリさん。現在ネパー最難関のトリブバン大学の学長をされている彼の家には立派な書架があります。ところでこの国の子どもらの英語力はすごいです。日本の比ではありません。英語中心で小学校の一年生から初めてます。で年間一万人からない素晴らしい習慣をです長かったななった。その理由が今数年若者たちが海外へ出稼ぎに行ってます。これは国の方針でどんどん外貨を稼いで来て消費せよというわけです。手っ取り早方法は土地を購入して家を建てることです。建築に関わる多くの人が助かります。最近、金を蓄え帰国した若者がぼやいてます。地価も建築費も高騰して困る言うて。ついでにネパール人の為にネパールの悪しき習慣を一つ。それは履物を脱ぎ捨てることです。日本では履物を揃えることは親が厳しく子どもに躾けます。前述したトリブバン大学の学長のお宅では履物をきちんと揃えています。日本での生活が長かったので日本人の履物をきちんと揃える習慣を見ていたのです。ははもう一つ。これは意外と知られていない事実です。ある日の朝、日本の 方が見ていたNHKのニュース。紙幣の原料である楮の生産施設が閉鎖の危機にある。その理由が今ら数年前すなわち2015年の四月に突発したマグニチュード7,8のネパール大地震により、ネパール産の楮が輸出できなくなったという報道でした。この地震の時、私はカトマンズにあたのでよく記憶しております。沢山の家屋が倒壊し人的被害も大きかったです。 最後に我が第二の故郷とも言うべきネパールで特筆すべきことがあります。これは日本にも西洋諸国にもない素晴らしい習慣をです。それは子どもが毎朝両親の前にひざまずきその足に接吻することです。成人して結婚し我が子を持つ年齢になってもです。わが子もそれを見ていますから無言の教育になります。そしてなお素晴らしいことは両親の前では決して飲酒喫煙しないことです。日本では親子で酒を酌み交し、時には意見の衝突で親子で取っ組み合としてせめていうことも。是非ネパールのこの素晴らしい習慣を我々日本人も見習いたいものです。両親の足に接吻するは兎も角としてせめて両親の前では飲酒煙は慎む。このくらいは出来るでしょう期待しています。以上長々と失礼しました。 2025/07/30(Wed) 04:02:36 [ No.10302 ] |
早速に送って下さり厚く御礼申し上げます。「ホタル帰る」という涙なくして読めない本をお送りいたします。実は私は二度、知覧特攻平和会館へ行っております。一度目は四国へカヌーに行った時。二度目はワイフと一緒に屋久島へ行った時にです。知覧特攻平和会館が出来るまでの経過、それもたった一人の女性の弛まざる献身的な努力によってなされたという事実を知りました。これから近くにあるクロネコヤマトの宅急便で送ります。熟読あられんことを。
No10295よく読んだら誤字が何箇所かありました。訂正版をお送り致します。誠に申し訳ありませんが訂正版を送ってください。 2025/07/25(Fri) 12:31:21 [ No.10299 ]
ホタル帰る 受け取りました。
NO.10295 送りました。我が家のプリンターはA4なので掲示板と同じにはできませんでした。悪しからず。 2025/07/26(Sat) 19:43:59 [ No.10300 ] |
今朝のお電話の件 本日発送いたしました。明日には到着すると思います。
2025/07/23(Wed) 19:39:12 [ No.10298 ] |
ポーランド出身のキユリー夫人の生い立ちからノーベル賞受賞に至るまでの経緯を調べてここに書いて欲しいのだけど。直ぐでなくていいです。
2025/07/17(Thu) 07:22:11 [ No.10296 ]
キュリー夫人の生い立ちやらいろいろ、人の書いた文章だけど、リンクここに送ります!
↓ hhttps://www.aozora.gr.jp/cards/001429/files/58045_66313.html 2025/07/17(Thu) 21:05:06 [ No.10297 ] |
わが出生の地は東京市千駄ヶ谷、明治神宮の近くであった。戦争酣のそれも敗色濃い昭和19年、小諸町に疎開し小中高時代を過ごした。確か中学を終えた頃、町から市へ昇格したと記憶している。青春の真っ只中で、その頃は父母も健在で私達は男だけの四人兄弟でよく兄弟喧嘩をしたものでした。
一昨年、卒業した第三国民学校、後の野岸小学校を訪れたが昔の木造校舎の面影はなかった。あまりにも立派になり過ぎていて。中学校は今は郊外に移転し、跡地には市民会館が立っている。駅前通りの相生町の駅直ぐ近くには小高い丘があって鹿島神社があった。後に丘が削り取られ鹿島町という名前だけが残った。鹿島神社は小諸城址懐古園の裏手の谷を越えた先に移転され現在に至っている。何時だったかNHKのテレビ番組で、難攻不落の城は熊本城と小諸城である。正面三の門は低い所にありながら城の背面は難攻不落の絶壁になっているというのである。成程そのとうりだ。小諸城の天守閣のあった石垣の上には公孫樹の大木が。下に馬場があって、戦後何年かは草競馬が行われ、娯楽のない時代だったから大勢の見物人で賑わったものである。 恵比寿講ともなれば近在の村から買い出しに来る人々で我が家の前の荒町通りは大変な賑わいだった。賑わいと言えば毎年七月に行われる祇園祭である。子供神輿は一週間前から夕方から夜にかけて担ぐことが許されていた。小諸は13区まであって、中には与良町のように上下(かみしも)2台の神輿を持つ区もあった。何しろ血気盛んな子どもらは喧嘩がしたくてしょうがない。相生町と国道の四つ角には三台も四台も神輿が集まって来て練るから、いつぶつかって喧嘩になるか見ていてはらはら。若い大人衆が汗みどろになって喧嘩にならぬよう押えるのである。ところで喧嘩とはどうやってするのか。前っ歯の担ぎ柱で互いの神輿の軒下を突いて衝撃を与えるのである。というわけで前歯の担ぎ柱の長い方が有利である。従って前歯は出来るだけ背の高い者が、後歯は低い者が担ぐというわけである。 さて、150貫の大人神輿も壮大である。女が担げるような代物ではなく、担ぎ手は重いから「いよっよっ」と気合いを入れて担ぐわけだが遠くで聞いていると「よいよい、よいよい」と言ってるように聞こえる。子供たちは実際そう言いながら担いでいた。 ある年、祭りの当日だったが見物人でごったがえす本町通りで露店商の男が、大人の神輿が触ったというて「馬鹿野郎!」と怒鳴った。神輿は一旦は通り過ぎたが、ひと休みして戻ってきてくだんの露天商の商品を並べた筵の上を神輿を担ぐ若者達が土足で踏んづけて滅茶苦茶にしてしまった。痛快というべきか。いづれにしても浅草辺りの「わっしょい、わっしよい」言うて担いでるあの軽っぽい神輿とは大違い。あれなら女でも担げる。 さて、私の道が開けたのは狭い小諸から県都長野市に越して超して来たことによる。明治学院大学の英文科を終え日体大附属の荏原高校に二年奉職した後、どうせなら出身地に戻ろうと思い現在の長野日大の全身長野中央高校に職を得たことによる。今でこそ県下でも有数の進学校であるが、当時は不良校の代表であった。 思いは尽きない。今でも夢に見るのは当時の事。目が覚めててああ夢で良かったと何度胸をなで下ろした事か。当時私は暴力ならぬ棒力教師で竹刀の折れた棒でどれだけ生徒の背中をひっぱたいたものか。今なら即、教育委員会に訴えられ馘である。時たま開かれた同窓会に招かれ出席したら、昔私に背中を叩かれた者達もいて皆ニコニコ。ある者は仲間に「お前近頃ぶったるんでる。ガンさんに背中をひっぱたいて貰え」私の当時からのあだ名はガン鉄。楽しい一夜でした。 さて、これからが本題であります。私は小諸を訪れる度に小諸市住民の考え方の古さを痛感してます。これまでの慣習に囚われて新しい事を起こそうとしない。良い例が、小海線を走っていた蒸気機関車が今は駐車場の片隅にひっそりと眠っております。それを見た時私は直ぐ思いました。とりあえず小諸駅と中込駅の構内に機関車の転車台を復活させ週一回とか月一回とか曜日を決めて客車を引いた蒸気機関車を走らをせることです。そうすれば全国から鉄道マニアがカメラをぶら下げて集まります。家族連れで列車に乗りたいという人達もいるでしょう。客足を受け入れた中込の商店街も潤うでしょう。 当時の市長が新幹線は要らんと言った為に佐久に持って行かれましたが、佐久市の新幹線駅周辺の発展振りには目を見張ります。新しいビルが次々と建てられ、土地も値上がりしたと地主達は大喜びしているとか。翻って小諸市駅周辺はどうでしょうか。昔のままです。皆さん何を考えているのかと問いたいです。島崎藤村が小諸義塾で教鞭を取っておられた当時の家が何と佐久市に移転されているとは。進取の気性という点でも佐久市の人達の方が上でしょう。話変わって隣接する須坂市にも中野市にも合併せず、独自の方針を貫いた小布施町、栗と葛飾北斎と花の町として広く全国に知られ、春から秋にかけて観光客が押し寄せ広い駐車場には観光バスが何台も止まっております。又各家の庭が開放され観光に訪れた人達は嬉々として見て回るのを楽しみにしています。毎年訪れるリピーターも多いとのこと。私も何度か訪れ実感してます。翻って小諸にも見学しようと思えば見学するにふさわしい場所は幾らでもあります。昔の武家屋敷から、素晴らしい松の樹。(正確な寺院の名前を失念)、私も見学した荒町の小山家の庭園。これらを開放すればなあと思いました。先だって与良町の高濱虚子記念館を訪れましたが観光客はゼロ。町を歩いても人の姿がありません。小諸市でもこれを改善しようと自由に好きな場所で乗り降り出来る車を走らせている写真を見ました。 山吹味噌で有名な酢久商店に停車し買い物とその素敵な庭園散策を楽しんで貰う。 私の夢は寛永三年落雷によって焼失した小諸城天守閣の再建と蒸気機関車の走行であります。序いでながら松代にもお城があったのですが、明治維新の時、重税に喘いできた松代住民がこんな城なんか要らんと言って天守閣を引き倒し燃やしてしまったのです。今になって残念がっております。あの時命を張ってでもそれを防ぐ人がおったらなあと。ですから私が小諸城天守閣の再建を希望する人々の会の名簿を持って歩くと多くの人達が本当に気持ち良く署名して下さいます。これが三冊貯まったら小諸市長さんの所へ持って行こうと思っておりますが、何分にも現在88歳、友人の中には亡くなった人もおり今年も秋の紅葉見がてら行きた考え考えておりますが行けるかどうか。拙い文をお読みくださり厚く御礼申し上げます。 2025/07/14(Mon) 11:22:35 [ No.10295 ] |
先ず昼飯に食べるおにぎり「爆弾」をかう。次に沖縄の塩で作った甘酒と一日の鉄分、野菜入りのパック、バナナ、トマトほか。
2025/06/08(Sun) 12:48:09 [ No.10294 ] |
カルティエ時計代引きをお探しですか?高品質な時計が揃い、本物のような魅力を再現しています。お手頃な価格で贅沢なスタイルを手に入れ、注目を集めること間違いなしです。
2025/06/07(Sat) 12:44:35 [ No.10291 ]
あの世に持って行けない物は不要。
2025/06/08(Sun) 11:08:13 [ No.10293 ] |
サンスクリット語で「豊穣の女神」を意味している。ネパールヒマラヤの中央に、東西約50kmに渡って連なる山である。第1峰8091M(世界第10位の標高)、第二峰7937M、第3峰7550M、第4峰7525M。最も死亡率の高い山は2012年3月の時点で登頂者数191人中死亡者数は61人。
2025/06/08(Sun) 10:56:26 [ No.10292 ] |
それは世界の最高峰エベレスト(ネパール語で「豊穣の女神」を意味するサガルマータ(8848m)を頂点としMt.Macalu(8468m)、MT.Dhaulagiri(8167m)、MT.Manasluhimal(8163m)、MT.Annapurna(8091m)が続く。
ついでに言えばエベレストというのはサガルマータが世界の最高峰であると言ったイギリス人の山岳調査官の名前である。 2025/05/30(Fri) 05:08:58 [ No.10287 ] |
敵(かな)わない/報(し)らせ/旺(さか)ん/雑魚(ざこ)/終日(ひねもす)/別(わか)れの辞意/懐中(ふところ)/階(きざわし)/懐中(ふところ)/要用(いりよう)/心太(ところてん)/惚気(のろけ)/糸瓜(へちま)/浴衣(ゆかた)/資本(もとで)/旺(さか)ん/敵(かな)わない/終日(ひねもす)/氷柱(つらら)/盗汗(ねあせ)/水団(すいとん/労(ねぎら)う/拘泥(こだ)わる/煙管(きせる)/三和土(たたき)/鼾(いびき)/百日紅(さるすべり)/市井(世間)/申(さる)/申(さる)12支の9番目/白湯(さゆ)他に何も混ぜない湯のこと/茶話会(さわかい)くつろいだ懇談会のこと/炊煙(すいえん)(炊事の煙のこと)/西瓜(スイカ)/誰何(すいか)/竹刀(しない)/昼行灯(ひるあんどん)/雲雀(ひばり)/風琴(オルガン)/初音(はつね)/出汁(だし)煮出した汁のこと/雑炊(ぞうすい)/山車(だし)祭礼時に引き歩く車のこと。/施餓鬼(なくなった人の為の供養)/虱(しらみ)/蚤(のみ)/飛蝗(ばった)/濁酒(どぶろく)/手土産(てみやげ)/天井(てんじょう)/永久(とわ)/苗代(なわしろ)/餞(はなむけ)/納豆(なっとう)/鉈(なた)/蜷局(とぐろ)を巻く/向日葵(ひまわり)/鶏冠(とさか/時雨(しぐれ)/氷室(ひむろ)/
2025/05/29(Thu) 07:03:28 [ No.10286 ] |
今改めて読んでみて、愚息が指摘したように所々誤字脱字があるけれど内容的には文句なく素晴らしいと思っている。小生がもし名の通った人物だったらともかくも無名であるが為に無視されたに相違ない。方々宣伝して歩いたが取りあげられなかった。ネパールへ行ったことのある一人物だけが素晴らしい作品だと褒めてくれはった。嬉しくて一冊贈呈したもんや。一般的に文部科学省が奨めている教材を扱っていればよしと考えているに違いない。今日の教育現場を見よ。虐めとそれによる自殺が後を絶たないではないか。翻って世界を見よ。至るところで戦争の名の下に殺し合いが起きている。平和ボケしてる国は日本だけや。わては長いことあほらしいテレビは見ない。日本を手中に入れようと虎視眈々としている国はお隣の中国だけではない。わてらが生きている間はいいだろう。この辺で止めよう。さて現実に戻って、わてに誕生日おめでとうのメールをくださったマーゴシャに感謝、ありがとう。どうかいつまでも元気で活躍して下さい。懐かしい写真を添付して下さったあだかずさん、ありがとうございます。
2025/05/08(Thu) 21:45:28 [ No.10285 ] |