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paddler7j掲示板(pad吉掲示板)




◆ 12月10日(水)→ヤマザキデイリー 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
大事な資料をコピーしに。ついでにぶどうパン他買ってくる。

2025/12/10(Wed) 08:09:54 [ No.10353 ]

◆ 94年から96年までのパド吉の行動記録 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
94年1月6日〜2月13日 志賀高原にてキャンプandスキー。
94年12月29日→淀川、宇治川。寺田屋見学。
95年12月30日→球磨川。2日→知覧特攻平和会館。4月30日→熊本。96年 4月30日→熊本(キヤンプ) 5月 1日→地球塾山小屋訪問、宿泊。3日→肥後昭七郎宅訪問宿泊。12月30日→四万十川(川下りandキヤンプ)
96年3月17日→岐阜日向千本松原(薩摩藩治水工事完成を祝して記念植樹を見学andキヤンプ)
5月13日→ネパール。

2025/12/10(Wed) 07:54:59 [ No.10352 ]

◆ 94年から96年までの行事 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
94年 1月 6日 志賀高原にて野営してスキー。
94年 9月26日 淀川・宇治川 寺田屋見学。
95年12月30日 96年1月 1〜2日 知覧特攻平和会館見学。
96年 3月17日 岐阜県千本松原(薩摩藩士治水工事完成、記念に
植樹)治水神社参拝。
96年5月1日→地球塾山小屋訪問4月30日、3日肥後昭七郎氏宅へ

2025/12/10(Wed) 00:18:58 [ No.10351 ]

◆ 本と林檎有難うございました 投稿者:keiko  引用する 
リンゴ 本日受け取りました。大切にいただきます。
本のお礼が遅くなり申し訳ございませんでした。
どうぞ良いお年をお迎えください。

2025/12/07(Sun) 16:14:28 [ No.10350 ]

◆ いのちのプリズム「痴呆を防ぐ」10より 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
東京浴風会病院の大友英一院長によると、小さな梗塞が13以上出来ると88%の人に痴呆が現れる。大友院長によると短歌を作る人には痴呆が少ない。「外の情報を取り込み、それを歌の形にまとめる。このインプット、アウトプットの作業が脳を使う方法として非常に良い」と見る。開業医には痴呆は少ないという。患者を見て病名や薬の処方を判断し、絶えずアウトプットしているからと説明している。大友院長は「脳の細胞が日々失われても、物を覚えたり思い起こしたりすることでシナプスの働きが活発になり、知的機能を保てる」と考える。その方法として、日記をつけるなど文章を書くこと、短歌、俳句、絵画などの創作活動が適しているという。全くストレスがなく刺激のない生活も脳機能を衰えさせると言われる。適度なストレスを保つことも予防には役立つのではないか」と推測している。

2025/12/01(Mon) 10:12:22 [ No.10349 ]

◆ スグル殿 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
10315から最後までコピーして送って頂けないでしょうか。今までは三鷹市牟礼在住の小松原恵子さんにコピーして送って貰っていたんだけれど、もうできなくなりましたと書いてきました。以前からリュウマチだとは聞いていたけれど多分入院したのではないかと思います。今までのご苦労賃としてりんごを送ったけれど、届いたという返事もきません。今までは必ず返事が来たんだけれどね。多分書ける状況ではないのではないかと思います。今日もお迎えの車に乗ってデイサービスへ行ってきたよ。結構友達も出来て楽しいよ。来春貴君の来日首を長くして待ってます。マーゴシャとユミによろしく。

2025/11/27(Thu) 20:58:56 [ No.10346 ]
◇ Re: スグル殿 投稿者:suguru  引用する 
もう長らく家にプリンターないのと、12月は中旬まで忙しいので、下旬までには送るよう努めます。
あしからず!

2025/12/01(Mon) 07:30:41 [ No.10348 ]

◆ 昭和の大横綱大鵬の父親も又ウクライナ出身である。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
戦火を避けて北海道に逃れていた父の子であった。今のアオニシキと全く同じ状況であった。歴史は繰り返すとはまさにこのことやね。スーチン殿、教えてくれてありがとう。

2025/11/28(Fri) 07:10:55 [ No.10347 ]

◆ 大鵬の父マルキャン・ボリシコ(1885 - 1960) 投稿者:suguru  引用する 
大鵬は、ウクライナ・ハリコフ市出身の「コサック騎兵」だった父親のたった1枚の写真を大きく引き伸ばし、母の遺影と並べて仏間に飾ったという。

2025/11/26(Wed) 09:17:24 [ No.10345 ]

◆ 日刊スポーツに載った大鵬に関する記事 投稿者:suguru  引用する 
≪ 昭和の大横綱大鵬さん明かした「ウクライナの血は誇り」オデッサに土俵入り銅像、娘達も思いはせ ≫
[2022年4月11日]


hhttps://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/20220410000138 ..... m=referral

2025/11/26(Wed) 09:01:39 [ No.10343 ]
◇ Re: 日刊スポーツに載った大鵬に関する記事 投稿者:suguru  引用する 
オデッサにある横綱大鵬・土俵入りの銅像

写真
by 在日ウクライナ大使館


2025/11/26(Wed) 09:04:20 [ No.10344 ]

◆ 在日ウクライナ大使館のウェブサイトより 投稿者:suguru  引用する 
≪ 大相撲力士、大鵬幸喜の運命 ≫

伝説的な大相撲力士、大鵬幸喜(納谷幸喜)の運命は、最初から過酷だった。困難な時代であった1940年にウクライナ人の父、マルキャン・ボリシコ(ハルキフ州出身)と日本人の母、納谷キヨの間に生まれ、イヴァーンと幸喜と名付けられた。1945年のソ連による樺太侵攻後、父親が逮捕され母親は子供と一緒に北海道へ逃亡。5歳のイヴァーン・ボリシコは納谷幸喜となり、それ以来父親と二度と会うことはなかった。

豆類を市場で売っていた母を手伝い、16歳のころ相撲の練習に招待された。1961年にわずか21歳で歴史上一番若い横綱となった。彼のスポーツ人生において、天皇賜杯で32回優勝し、現在でも数多い若いアスリートのため勤勉、精進と決意の師表となっている。

1971年に相撲を引退し、大鵬部屋を創設。その6年後、脳梗塞で体の左側が麻痺し、不死鳥のように回復できたが、元の力が戻ることはなかった。

晩年の大鵬はウクライナの祖先に興味を持ち、父親は1960年に亡くなったが、2002年大鵬はウクライナを訪問した。ハルキフ州の村で親の家を撮影し、井戸から水を引き、祖先地の土も持って帰った。また、ハルキフ市で相撲の愛好家グループが開催した相撲大会を訪れた。その大会は大鵬幸喜の承諾を得て「大鵬幸喜大会」と名付けられた。大鵬幸喜大会はその後も毎年開催されている。2011年にウクライナのメリット勲章3位を受章した。当年オデサ市の中央で、このウクライナ系の有名横綱の銅像が除幕される。

2025/11/26(Wed) 08:42:33 [ No.10342 ]

◆ 英殿へ、素晴らしい情報おおきに。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
子ども達に「巨人、大鵬、玉子焼き」と言わしめた大横綱の父親がウクライナ人だとは知らなかった。わての手元に、黒岩裕次氏の著書「物語ウクライナの歴史」なる本がある。その中に、こんな記事がある。ロシア帝国支配下のウクライナでは多くの芸術家・学者が輩出した。音楽家としては、「屋根の上のバイオリン弾き」の原作者シャローム・アレイヘムがいる。他にもロシア人のセルゲイ・プロコフィエフが子どもの頃ウクライナ民謡に触れ、それが後の彼のバレー曲「ドニエプルの岸辺で」、オペラ「セミヨン・コトコ、映画音楽「ウクライナ草原のパルチザン達」などに反映されていると言われる。ピアニストにエミール・ギレリス、ダヴィド・オイストラフがいる。科学者・技術者も多士多彩である。以下略。そう言えばわてもウクライナ支援の展覧会を催している。

2025/11/26(Wed) 05:40:39 [ No.10341 ]

◆ 2025年11月25日 きょうの潮流 [赤旗] 投稿者:suguru  引用する 
少年の胸には、あこがれの存在がありました。一世をふうびした大横綱の大鵬。その父親と同じウクライナ出身の力士、安青錦(あおにしき)が優勝杯を抱きました▼「自分の選んだ道に間違いはなかった」。ソ連崩壊後に独立したウクライナで広まったSUMO。ダニーロ・ヤブグシシン少年は、レスリングと並行して土俵に通い、毎日けいこに励んでいたといいます。力士になる夢をふくらませながら▼転機となったのはロシアによる侵略が始まった2022年。徴兵対象となり出国が認められなくなる時期が迫っていた17歳は、相撲でつないだつてを頼って日本へ。関西大相撲部の練習生を経て安治川部屋に入門しました▼翌年の秋場所で初土俵を踏んでからは、持ち前の足腰の強さと低く鋭い出足でスピード出世。新入幕から5場所連続で2桁勝利をあげ、堂々とした勝ちっぷりで今場所の快挙に。大関昇進を確実とし、大先輩の背にまた一歩近づきました▼戦火のなかの祖国に心を痛める日々。一夜明けての優勝会見では、ドイツに避難する両親に電話で報告したら、母親は泣いて言葉にならなかったと話していました。国内外にいるウクライナの人びとにも喜びの声が広がっています▼太平洋戦争で辛苦を味わった大鵬さんは生前「戦争は二度と起こしちゃいけない」と強く語り、若人には「自分自身で進んで努力することによって何かをつくり上げたときの喜び」を感じてほしいと。さらに高みをめざす21歳は、今その言葉をかみしめているはずです。

2025/11/25(Tue) 11:05:35 [ No.10340 ]

◆ 四股名 投稿者:suguru  引用する 
現関西大相撲部コーチの山中新大 (あらた) 氏が2019年、日本で開かれたに世界ジュニア選手権で第3位になった15歳の安青錦 (当時はダニーロ・ヤブグシシン) にトイレで話しかけたのが事の始まり。3位決定戦で敗れ泣き崩れる相手選手のもとに駆け寄るダニーロ君の姿に心打たれたらしい。2年後、ロシアのウクライナ侵攻のとき、安否を気づかうメッセージを送り、実家の両親を説得し、ダニーロ君の日本移住が実現、山中氏の家に2年にわたり同居することとなったわけだから、つくづく人の縁の力はすばらしい!

しこ名「安青錦新大」は、山中氏の名にちなんでいる。

安青錦の両親は2年前にドイツへ移り住み、デュッセルドルフでクリーニング店を経営。安青錦が表彰式の後、祝賀会場へ向かう車の中から電話で報告したら、お母さんもお父さんも泣いていた、とインタビューで明かしているね。

2025/11/25(Tue) 08:18:20 [ No.10339 ]

◆ 日本ビジネスプレス紙の記事 投稿者:suguru  引用する 
"時代を動かした「青い目のウルフ」…ウクライナ出身の安青錦が初優勝、影響は角界だけでなく国際社会や文化面にも"

2025.11.24(月)


 千秋楽の福岡国際センターは、まるで歴史の転換点を目撃する舞台のようだった。本割で大関琴桜を突き破り、優勝決定戦で横綱豊昇龍の懐へ臆せず飛び込んだ21歳の関脇安青錦(あおにしき、安治川部屋=本名ダニーロ・ヤブグシシン)。12勝3敗での初優勝、大関昇進も確実――。

 だが、その事実以上に、土俵上に現れたのは“若き才能”ではなく、ウクライナという国、戦争を経験した世代、そして日本の伝統文化が交錯する象徴そのものだった。


≪ 長いリーチと筋力に頼らない「日本型の相撲」を追求 ≫

 初土俵からわずか14場所――。尊富士に次ぐ史上2位のスピード優勝となった。年6場所制下では、あの白鵬に迫る「年少V」。記録の羅列だけでは、この衝撃の深度は到底測れない。その背景には「能力の早熟」という言葉では片づけられない軌跡がある。

 安青錦ことダニーロ・ヤブグシシンはウクライナ中部ビンニツァで育った。格闘技が生活と密接した土地で、レスリングで鍛えた体幹に加え、7歳のころから相撲にも親しんだ。

 日本の取組映像を食い入るように見つめ、特に貴乃花と朝青龍が全身でぶつかり合った2002年九月場所の一番は、少年の胸に「いつか日本の土俵に立ちたい」という強烈な衝動を刻んだ。

 その後も相撲とレスリングを両立しながら、多くの指導者に「驚異的な足腰の強さがある」と評されてきた。レスリング仕込みの低い姿勢から一気に圧をかける攻撃は、相撲にもそのまま応用できる「唯一無二の武器」となっていた。

 実際、今場所の数多くの白星も、この「低い立ち合い」から始まっている。相手の懐に素早く潜り込み、腰の位置を決して高くしないまま相手を前へ押し切る――。その戦い方は外国出身力士としては極めて珍しい。

 長いリーチと筋力に頼らず、むしろ“日本型の相撲”を徹底して学び取った姿勢は、周囲の評価を大きく変えていった。

 だが、ヤブグシシンの人生を最も決定的に変えたのは2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻だった。爆撃の音が響き、街を覆った緊張は未来の設計図を一瞬で書き換えた。家族は身の安全のためドイツへ避難。その中でヤブグシシンは迷わず、「日本に行く」と決断した。


≪ トランクひとつで来日、関西大相撲部員宅にホームステイ ≫

 大学卒業後に挑戦するつもりだった目標を戦争が強制的に前倒しした形だが、ヤブグシシンはそれを“夢をつかむ契機”へと反転させた。家族との相談も「意見を聞く」のではなく、「決断を伝える」に近かったという。

 人生の舵を自らの意思で切るという、その強さが後年のスピード出世の根源となる。

 2022年4月、わずかな荷物だけを持ち単身で来日。2019年に世界ジュニア選手権で初来日した時から親交を深めていた、関西大学相撲部員の山中新大氏の家に身を寄せ、同大学の相撲部で汗を流し、言葉も分からぬままに稽古だけに没頭した。

 この時期、ヤブグシシンのレスリング由来の低い姿勢と足腰の粘りは、指導者たちに驚きをもって受け止められた。普通ならば外国出身力士は体格やリーチへの依存が強いが、ヤブグシシンはその逆だった。

 誰よりも腰が落ち、胸を張り、立ち合いで必ず先に前へ出る。「これはいずれ大成する」と感じさせる要素が来日直後から、すでに整っていたのである。

 その努力が認められ、安治川部屋の門が開き、2023年秋場所で初土俵。以降、ヤブグシシンもとい、安青錦は休む間もなく階段を駆け上がった。

 今場所も千秋楽での琴桜戦、豊昇龍戦を含む多くの取組で、低い立ち合いからの“前圧力”が決め手となった。“押し相撲の正統進化型”とも評せる動きに角界有識者や評論家、多くの好角家たちから「これが本当に外国出身力士なのか」と驚きの声が漏れたほどだ。


≪「千代の富士の出世を思い出す」≫

 安治川親方(元安美錦)は安青錦の吸収力の早さに「教えた瞬間に翌日には習得する。まさに天才」と思わず舌を巻く。兄弟子たちも「稽古終わりに最後まで残っているのは、いつも安青錦」と証言する。技術と語学と文化の吸収――すべてが異様な速度で同時進行していた。

 日本語習得の速度も特筆すべき点だ。来日から2年で通訳も不要となり、複雑な表現も自在に使いこなす。「相撲を理解するには日本語が必要」という信念が、技術向上と語学習得の双方を押し上げていった。

 千秋楽のNHK解説席で、元大関の琴風豪規氏は思わずこう漏らした。
「千代の富士の出世を思い出す」

 これは単なる賛辞ではない。「昭和の大横綱」千代の富士が平幕から頂点へ駆け上がっていったとき、角界は“重力が変わったような速度”を経験した。その既視感を、安青錦の動きに見てしまったのだ。

 安青錦の出世曲線は、千代の富士級の異常な角度を描いている。「令和のウルフ」「青い目のウルフ」という呼称が軽く聞こえないのは今場所の内容が、かつて「昭和の大横綱」も歩んだ出世街道に値したからである。


≪ ウクライナの人々にとって、とてつもなく大きな意味を持つ安青錦の優勝 ≫

 ウクライナ国内で安青錦の賜杯は国中で報じられ「戦火の国に差し込んだ光」と評された。

 ビンニツァの相撲チームで指導したワジャ・ダイアウリ氏はこの日、日本メディアのオンライン取材に応じ、幼い頃からの姿勢の低さ、腰の粘り、そして日本で磨いた突っ張りの技術が、優勝を決定的にしたと感じていると明かしている。

 かつての仲間たちも寡黙で誰よりも集中力が高く、勝敗に対する執着が強かったヤブグシシンの原点が「今、日本の土俵で開花した」と語っている。

 戦争で疲弊した国において、こうした快挙は単なるスポーツの話題では済まされない。政治と軍事の暗い影に覆われた国民の心に、久しぶりに“前へ進むエネルギー”を与えたからだ。

 ウクライナの専門家は、安青錦の活躍を「文化の持久力の証明」とする。

 文化の灯が消えず、国が戦争によって断絶していないことの象徴だ。安青錦の快挙は国家がまだ折れていないことを、世界に向けて示す役割を果たしている。


≪ 安青錦の活躍で「土俵」が重層的な意味を持つ空間に ≫

 大相撲は日本文化の象徴であり、国際的な文化交流の“装置”でもある。その中心に戦争によって人生の軌道を変えざるを得なかった外国人青年が立ち、そこで勝ち続けているという構図は国際社会にとっても意味が大きい。

 安青錦の優勝はウクライナのソフトパワーの発信点であり、日本にとっては伝統文化の包容力の証明となったからだ。世界の視点では戦争や移民という由々しき問題に、文化やスポーツの明るい話題が何らかの形で解決の糸口を見出せるヒントにつながったかもしれない。土俵という円形の空間が、ここまで重層的な意味を帯びたのは久しくないだろう。

 優勝後、花道で付け人と抱き合い静かに涙を流した安青錦。付け人の号泣する姿を見て自らも“もらい泣き”した涙は努力の結晶であると同時に戦争が奪ったもの、日本が与えたもの、そのすべてを抱え込んだ21歳の魂の震えだった。大関昇進は既定路線となり、横綱もおそらく射程に入る。

 しかし本当の物語は、この先にこそ重みがある。“青い目のウルフ”は角界の未来だけでなく戦火に揺れる国家の心、文化の継承、国際社会の文脈にまで影響を及ぼしながら、令和の土俵を駆け上がっていく。

2025/11/25(Tue) 06:02:34 [ No.10338 ]

◆ 1月24日の朝日新聞天声人語にこない記事が 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
大相撲中継でつり屋根をよく見れれば、4色の房が垂れ下がっている。赤、白、黒、青。古い日本語では、色の分類はこの四つしかなかったそうだ。歴史に深く根ざす言葉だからか。それぞれに色以外の意味もあるのが面白い。全く関係のない「赤の他人」。見え透いたお世辞は「白々しい」。悪徳代官は「腹黒い」。そして青と言えば若くて技能が未熟だという意味の「青二才」がある。確かに年は若い。だが未熟さとは対局にいる青年が昨日千秋楽を迎えた九州場所に大歓声をよんだ。故郷ウクライナの国旗の色を、しこ名に取り入れた21歳。初優勝を果たした安青錦である。横綱豊昇龍との優勝決定戦ではをうまくいなし、背後に回り込んで横綱をひざまずかせた。本割での大関琴桜戦といい、実に堂々とした勝ちっぷりだった。花道で付け人と抱き合う姿には、こちらもこみあげるものがあった。ロシアが侵攻を始めた2022年、一本の細い糸を辿って、単身で来日した。祖国は今、不利な和平案の受け入れをトランプ大統領に迫られ「歴史上最も困難な時の一つ」(ゼレンスキー大統領)に直面している。今後が気にならぬ筈がなかろう。昨日の土俵入りにはウクライナを代表する向日葵(ひまわり)の化粧まわしをしめていた。大関昇進は確実だろう。来年の今頃は横綱になっているだろう。怪我をせぬよう最大限気を付けて頑張ってほしい。青雲の志を遂げ、平和を取り戻したふるさとに凱旋する。いつか、そんな日が来ることをいのる。それにしても、アメリカのトランプ大統領も、ロシアのプーチン大統領もよろしくない。小国をないがしろにしている。

2025/11/24(Mon) 22:59:38 [ No.10337 ]

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