天 秤 の 

第四章 呪術師ザルーム(2)

 シュッ!!

 鋭く空を切る音と共に、首筋へと刃が迫る。
 細身の剣である。頑丈さはないが柔軟性があり、破壊力に乏しいがその分鋭利さは通常の剣よりも高い拵(こしら)えだ。
 ── 自身の現在の愛刀とは全く正反対の性質を持つそれを、ルウェンは難なく受け止めた。

キィンッ……!

 小さく火花が散る。
 だが、打ち込んできた相手── ミルファは、すぐさま次の手を仕掛けた。
 一度離れたと見せかけて、一気に懐に飛び込み、胴を狙う。一つ一つの動きに無駄がほとんどない。
 それはまるで流れるような一連の動作に見えた。それは初心者なら到底出来ない動きだ。
 だが、そんな動きもルウェンは見越していた。後ろに飛びすざりながらも、突き出された剣をなぎ払う。
 ── 来るとわかっていれば、どんな一撃も対処は難しい事ではない。

 ガギッ!

 今度は耳障りな鈍い音がして、ミルファの剣は弾き飛ばされていた。
 さわ、と西領特有の穏やかな風が吹き抜ける。それを切っ掛けに、ミルファはふ、とため息のような吐息をついた。
「── 参りました」
 剣を弾いたルウェンの剣は、刃を薙ぎ払うのみならず、そのまま逆にミルファの首元を捕えている。
 もしそのまま突き進んでいたら── あるいはルウェンが刃を止める意志がなかったら、おそらく首がなかったに違いない。
 ミルファは地面に転がった剣を拾い上げ、一度剣を鞘に収めた。
「流石に簡単には行きませんね」
 苦笑混じりの言葉に、倣うようにすっかり手に馴染んだ大剣を鞘に収めながら、ルウェンは軽く肩を竦める。
「仮にも剣を預けた騎士が、その主から簡単に一本取られる訳には行きませんよ。それじゃ、何の為の騎士だかわからないでしょう」
 そう言いつつも、ルウェンはミルファに対する認識を少し改めていた。
(── いい太刀筋をしている)
 護身程度という話だったし、何より守られて当然の皇女である。
 剣に振り回されるのがオチでは、と密かに心配していたのだが、それは杞憂(きゆう)に終わり、蓋を開けてみればミルファは持久力こそ流石にないものの、剣の使い方だけを見れば一般の兵士と遜色ない実力を有していた。
 基本はきっちり出来ているし、何より状況判断能力と自己分析能力が並ではない。
 ある状況で、自分がどこまでの力を発揮できるか認識し、そして相手の能力を自分と比較し、適した攻撃を考える。
 無駄な攻撃は仕掛けず、必要最小限の動きで最大の効果を得ようとする。
 …普通は実際の戦闘経験を重ねる内にそうした判断力が身に着くものだが、実戦経験がほとんどない事を考えると、単なる努力の結果とは思えなかった。
(俺とは正反対のタイプだな)
 ルウェンはその場その場の状況で変則的に行動を変える、どちらかというと感性で動くタイプだが、ミルファは状況を冷静に分析し、それに基づいて行動するタイプだ。
 おそらく性格や生活環境の影響もあるだろう。ミルファの立場を考えれば、行動が自ずとそうなるのも頷けた。
 面白い、と不謹慎ながらルウェンは思った。
 実際の所、剣に限らず人に教える事などした事がなく、引き受けたものの果たしてうまくやれるかと思ったが、これなら何とかなりそうだ。
「南領では、どうやって剣を学んだんですか?」
 動きを見るに、独学ではないだろう。そう判断しての問いかけに、ミルファは肩にかかった髪を背に払いながら、叔父に、と答えた。
「叔父というと…南領主様にですか」
 予想外の答えに、ルウェンは思わず目を丸くする。
 普通、姪が剣を学びたいなどと言い出したら反対するものではないだろうか。しかも、皇女である。
 ただでさえ女性が剣を持つなどまだまだ珍しく、同時に学びたいという女性も数少ない。
 そんな考えが読み取れたのか、ミルファは微苦笑を口元に浮かべ、更に付け加えた。
「普通の兵士に任せても、遠慮したり怪我をさせる事を恐れたりして、私が望むような指導は得られないだろう、と。叔父は剣を嗜(たしな)む方でしたから、自ら指導してくれたのです」
「…はー、こういうと失礼ですが……そんな風には見えない方でしたが」
 直接会話を交わした事も数える程だったが、南領主ジュール=アッダ=カドゥリールの姪を見つめる穏やかな目を思い出し、ルウェンはその意外性に思わず嘆息した。
「そうですね。でも南領は、昔から武官を多く輩出して来た土地柄で、今でも剣を学ぶ事は積極的なのですよ」
「あ、そういやそんな話を聞いた事がありますね」
 今でこそ剣を振るう機会があるが、皇帝が乱心するまでは本当に大きな争い事のない平和な時代が長く続いていた。
 結果としてルウェンのような武官は、剣を扱う技量を求められこそすれ、実際に使う事は非常に稀だった程だ。
 だが、遠い昔── まだ、世界が皇帝によって治められていなかった頃は、多くの国々が凌ぎを削りあい、国の内でも外でも戦火の絶える事のない乱世だったという。
 そんな乱れた世界を平定したのが、現在の皇帝の先祖である初代皇帝である。
 その傍らに常に控え、ある時は盾にある時は剣となって助けたとされる人物が、平定後に任された土地が南領だという話を、ルウェンも物心つくかつかないかの頃に寝物語に聞いた覚えがあった。
 故に南領は多く兵士を輩出する土地になった、と。
 騎士が剣を預ける際に述べる口上も、その人物── 剣聖ナイル=リイラ=シルヴァスタが初代皇帝に奏上した言葉が元になったものだと言われている程で、その名を知らない者はおそらくいないだろう。
 初代皇帝の名は残っていないのに、彼の名は今も語り継がれるのは、それだけの働きをしたからだ。
 という事は、その伝説の騎士の直系がジュールであり、その血をミルファもまた継いでいる訳で──。
(…うわー…、なんかすごくないか、それ)
 彼とて幼少の頃は、ナイルの物語に憧れを抱いた口である。その裔(すえ)が目の前にいて、しかも自分が剣の手ほどきをしているのだ。
 何となく、柄にもなく少し感動を覚えてしまう。その感動に水を差すように、ミルファが再び剣の柄に手を向けて構えた。
「それではそろそろ、また始めましょうか」
 確かに無駄話をして時間を潰すのは程ほどにしておかねばならない。ミルファもルウェンも暇な訳ではないのだから。
 彼等がいるのは、先日魔物によって滅ぼされた街・パリル。
 大部分が廃墟となってしまったそこを、再び人が暮らせる状態に復旧する事をミルファは決め、現在その作業中なのだ。
 焼けて朽ち果てた街には、多くの人間の亡骸がそのままになっていた。
 見るのも無残なそれらを一所に集め、丁重に葬る。これは生き延びたパリルの人々も自ら手伝った。
 滅んでしまっても、そこが彼等の故郷に変わりはなく、再びそこを復興したいと望む者も多かった。また彼等に他に行き場がないのも事実だ。
 いつまでも地方神殿に身を寄せる訳には行かない。そこでミルファは出来る限りの事を反乱軍でやろうと取り決めたのだ。
 瓦礫を撤去するだけでも数日かかり、反乱軍はそのままパリルの比較的被害がなかった区画に滞在する形となり、多くの人々が難色を示す中、ミルファもここに留まっていた。
 力仕事では役に立たず、しかも命を狙われている状態で何が出来るのかと周囲は考えたようだが、ミルファはその才能をいかんなく発揮して彼等を唸らせた。
 壊滅したパリルの街をいくつかの区画に分け、その被害状況で優先順位を決定し、兵士達に指示したのだ。
 手当たり次第にやっていたのでは埒(らち)が開かない程にひどい状況だったが、必要最小限の場所に労働力を集中させれば、早くしかも確実に復旧する事が出来ると考えた結果だった。
 全てをやる必要はない。パリルの生き残りで出来る事は残し、彼らだけでは不可能な部分だけを手助けする。
 そうした結果、壊滅から半月が過ぎる今、まだまだ爪痕は残っているものの、重傷者以外は神殿からここへ戻って来れる程になっていた。
 そんな作業の合間での剣の稽古である。ミルファが時間を惜しむのも無理はない。
 だが──。
「…今日は、この辺にしましょう」
「え?」
 突然のルウェンの言葉に、ミルファは軽く目を見開いた。
 手合わせを始めてから、まだ半刻も経っていない。いくら何でも切り上げるには早すぎる。
 だが、怪訝そうなミルファに、ルウェンは小さくため息をついて首を振った。
「止めましょう。どうやら自覚がないようですが、顔色が良くないですよ。どうも集中しきれていないようですしね。真剣を使う以上、無理は出来ません。…怪我をしてからでは遅いですし」
「……」
 図星だったのか、ミルファはきゅっと唇を噛んで視線を下げる。
 実際、ルウェンの言葉に間違いはなかった。
 ルウェンに剣を打ち込みながらも、心の半分は別の事で占められ、精神的な疲れが肉体にも影響を与えつつある。
 非は明らかにミルファにあった。
「…ごめんなさい」
 謝罪を口にすると、ルウェンは困ったように頭を掻いた。
「いや、…謝って欲しい訳ではないんですが。しかし、どうしたんです。体調でも?」
 気遣うような言葉に、ミルファは小さく頭(かぶり)を振った。
 そう、体調が悪い訳ではない。確かに疲れてはいるが、剣を振るうのに支障が出る程でもない。
「大丈夫です。…ただ、ちょっと……」
「…ちょっと?」
「ちょっと、夢見が悪かっただけです。心配は無用です、ルウェン」
 出来るだけ何でもない事のように、努めて軽い口調で答える。
 しかし脳裏に焼きついた悪夢は、そんな努力を嘲笑うかのように再び甦る。

 ── 滲(にじ)み、広がってゆく、真紅……。

 無意識に手が動き、縋(すが)るように胸元を掴んでいた。
 その様子にルウェンは疑問を深めたが、それ以上突っ込んで聞く事はしなかった。
 話して楽になる事は確かにあるが、ミルファの状態を見るに、聞く方がかえって追い詰める気がしたからだ。
 だが、心配は無用と言われても、これでは心配しない方が無理である。
 ルウェンは小さくミルファに気付かれないようにため息をつくと、ぼそりと呟いた。
「…皺(しわ)になりますよ?」
「え……?」
 不意打ちの言葉に、ミルファが我に返る。
 そこに安心させるように微笑み、ルウェンは自らの胸元を指で示した。
「服。そんな風に掴むと、皺になりませんか?」
「あ……」
 ようやく自分のしている事に気付き、ミルファは掴んでいた手を離した。
「そうね、そうだわ……」
「もしかして癖ですか?」
 いつかもそうしていたのを見た気がして尋ねると、ミルファは頷いた。
 そして首からかけた鎖を引き上げて、そこに下げているものをルウェンに見せる。
 爪半分ほどの小さな石。空の色を映したそれを目にし、ルウェンは目を見開いた。それによく似たものを彼は知っていた。しかし──。
「それって…もしかして聖晶、ですか……?」
 言いながらも、そんなはずがないと自分で思う。
 神官の事など相変わらずよくは知らないが、確か聖晶は神官の資格を持つ者が生れ落ちた時に手にしているという石だったはず。
 皇女ミルファが姉であるティレーマ同様、聖晶を持って生まれたなど聞いた事がない。
 ティレーマが首からかけている淡い桃色の聖晶を思い浮かべながら、ミルファの手にある石を見つめるが、見れば見るほどそれは『本物』のような気がしてならなかった。
 そんなルウェンにミルファはあっさりと答えを口にする。
「聖晶です。…もっとも、当然ながら私の物ではありませんが」
 再び服の中へ仕舞いながら、ミルファは微笑んだ。
 それは初めて見せるミルファの素の表情で、ルウェンは内心驚く。だが、その驚きは出さずにミルファの言葉の続きを待った。
「これはお守りなのです、私にとって。…不安な時に握ると、何故だか心が落ち着く気がして── 気がつくと握るのが癖になっていました」
「誰の、なんですか。あ、その…差支えがあれば答えなくても結構ですが」
 思わず尋ね、慌てて付け加える。今のは流石に無遠慮だった。
 だが、ミルファは特に気にした様子もなく、しばらく考えるとぽつりと答えた。
「…幼馴染、いえ友達です……たった一人の」
 その目は遠い日を懐かしむような光を宿し、手はそっと布の上から聖晶を押さえる。その仕草だけでも、それが単なる友達だとは思えず、ルウェンは思わず尋ねていた。
「もしかして…初恋の人、とかですか」
 口にした後で、しまった、とは思ったが、かつて同様の事を尋ねて何故か怒り出した相手── ソーロンとは異なり、いきなり殴りかかってくるような事はなかった。
 きょとん、と何を言われたかわからないような顔をしてルウェンに目を向け、次いで一瞬にして真っ赤になる。
 からかうつもりで言った訳ではなかったのだが、その反応に思わず『面白い』と思ってしまったのは否定出来ない。しかし、これ程わかりやすいのも珍しいとルウェンはこっそり思った。
「ち、違います……! 何を、一体……ケアンは神官ですよ!? こ、恋心とかそういうのが生まれるはずがないでしょう!!」
 いつも沈着冷静なミルファの取り乱しように、珍しさも手伝ってルウェンは更に図に乗る。
「何を言っているんです、ミルファ様。神官だろうと皇女だろうと、人間には変わりないではないですか。確かに神官は恋愛はご法度と聞きますが、こちらから想う分には何の問題もないのでは? 第一、人を好きになるのに、肩書きや理由が必要ですか」
「そ、それはそうかもしれませんが……!」
 ルウェンのやけに実感のこもった言葉に、ミルファは目を白黒させ── やがて疲れたように俯(うつむ)くと、唸(うな)るように呟く。
「…確かに、ルウェンの言う通りかもしれません」
 死の予感を感じてこんなにも怯えているのは── 友情以上の感情を、ケアンに対して抱いているからなのだろう。
 ただ、本当にそれが恋愛感情なのか、ミルファにはわからなかった。今までそうした事を無意識に避けて通って来ていたからなおの事だ。
 何しろケアンは神官で…しかも、最高権威である主席神官から目をかけられ、『神童』との誉れも高かった。
 正神官になった以降はそのまま大神殿の役職付になるのでは、と言われていた位だ。つまり── 万が一にも、ミルファが抱いた恋が実る可能性はないということ。
 だからずっと、自分の気持ちから目を背けて来た。自覚してしまったら、苦しむのがわかっていたから……。
「その神官は、大神殿に?」
「…ええ、おそらくですが」
 ルウェンは微笑ましそうな笑顔で、きっとまた会えますよと言ってくれるけれど。ミルファは曖昧に微笑む事しか出来なかった。

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