天 秤 の 

第五章 皇帝カルガンド(5)

 薬種問屋は何処も大体似たような場所── 少し薄暗い路地や医師の住居の近く── にあるのでわかりやすい。
 三人とも初めて訪れた街ながらも、二人ほど道を聞くだけで無事に辿り着けた。
「それじゃリヴァーナさんと二人で買って来るんで、ルウェンさんはここで待ってて下さいね!」
 ルウェンが物珍しさで周囲を見ている間に、二人で何事か話し合っていたかと思うと、フィルセルがそんな事をにっこりと笑顔で言い放つ。
 ある意味一方的な物言いに、半ば有無を言わさずに連れて来られたルウェンは絶句したが、すぐに自分を取り戻した。
「いや、いきなりここで待てって言われても……」
 そこは家路を急ぐ人などでそれなりに人通りの多い通りに面しているが、一般的な薬種問屋の立地条件に則した、やはり光を避けるような薄暗い場所だった。
 と言うのも、薬草の中でも苔や茸の一種は光を嫌う性質があるからだ。
 そうした物は希少性があり、自然界での採集が難しい物も多い為、人工的に繁殖させる研究を行う者も多い。キーユの薬種問屋の主もそうした者の一人なのだろう。
 そうなると必然的に光を避ける場所に店を出す事になる。昼間でも薄暗い場所だ。夜ともなれば、明かりになるような物なしには足元も危うくなるに違いない。
「本当にここで待っていていいのか? 店までついて行かなくても……」
 今までの道のりを見るにキーユは比較的治安が良いようだし、いきなりならず者に襲われるような危険性はないかもしれない。
 だが、(片方はまだ幼いとは言え)どちらも女性には変わりない。
 年若い女性を薄暗い界隈に送り出して、自分は表で待っていいものだろうか。いや、何となくいけないような気がする。
 そんな義務感に近い感情から尋ねると、それまで黙っていたリヴァーナが代わりに口を開いた。
「心配して下さるのはありがたいですが、大丈夫です。必要なものはもう決まっていますし、さほどお待たせはしません。聞いた話ですとさほど大きな店ではないそうですから、三人で行く程ではないかと思いまして」
「ルウェンさんが縮んでくれるならいいんですけど…無理ですしね?」
 言外にでかい図体でついて来られても困ると言われているようで、正直面白くはない。一方的に荷物持ちにしたかと思えば、今度は邪魔者扱いと来た。
 だがしかし、二人の言う事もわからなくもなかったのでルウェンは譲歩した。
「縮んで堪るか。…わかった、ここで待ってるさ」
 今まで全く縁がなかっただけに、薬種問屋とやらがどんな場所なのか興味はあったものの、そこまで言われてわざわざついて行くほどの情熱もない。
 ルウェンの言葉にリヴァーナとフィルセルは頷き合い、それじゃと言い残して迷いのない足取りで薄闇の奥へと姿を消して行く。
 その様子を見送り、ルウェンは路地の入り口が見える範囲でその周辺を見て回って時間を潰す事にした。
 キーユに入ってから感じていた事だが、商業都市と呼ばれるだけにどちらかと言うと住宅地と言うよりは商家が多いようだ。
 古びた石畳の道は年月で磨耗(まもう)はしているものの頑強で、重い台車にも耐えられるようになっている。これは農村などでは見られない物だ。
 交通手段が陸路のみという違いはあるが、何処となく南領の商業都市セイリェンを彷彿(ほうふつ)とさせる町並みである。
 日が暮れ、流石に店はほとんどが閉まっている。開いているのはこれからが稼ぎ時の酒場や軽食を扱う食料品店位のようだ。
(…そういや、まだ夕飯食ってないんだよなあ……)
 食料品店の看板を眺め、今まですっかり忘れていた事を思い出す。
 野営の準備が終わってから夕食を摂る予定だったのだが、その前に二人に捕まったので食べ損なったのだ。
 おそらくリヴァーナ達もまだだろうが、それなりに労働した後だけに周囲から微かに漂う料理の匂いは空腹に響く。
(……)
 仮にも皇女に剣を預けた身で、こんな所でこそこそと買い食いするのはやはり駄目だろうか。
 いやだがしかし、反乱軍に属する人間ならさておき、キーユにルウェンの顔を知る人間がいる可能性は限りなく低い。
 たとえ買い食いしてる所を見られたって、誰もそれが皇女の騎士とは思うまい。
 そんな本能と職業意識の間で葛藤をしながら、ちらりと路地の方に視線を向ける。…まだ二人が戻って来る様子はない。
(…腹が減ってちゃ力も出ねえし…そうなると二人にも迷惑かけるよな? …よしッ!)
 無理矢理自分を弁護すると、ルウェンは先程から香ばしい匂いを周囲に漂わせている露店の一つに足を向けかけ── そのまま足を止めた。
「…ん?」
 たまたま目を向けた先に、気になる人物を発見したからだ。もっとも、知人だったとか目を惹くような格好をしていたからと言う訳ではない。
 どうやら若い女だ。壁を支えにするように立っていて、どうも気分でも悪いらしい。
 膨らんだ下腹部を庇うようにしている── 見るからに妊婦だった。それも、おそらくは臨月間近の。
 何かの買出しなのかもしれないが、夕暮れの薄闇の中、飲み屋も軒を連ねるような場所にその姿は雰囲気的に何処か不似合いだ。
 胃は空腹を訴えているが、気分の悪そうな妊婦を前にして食欲を優先出来るほど、ルウェンの神経は図太くなかった。
 人通りは少なく、その様子に気付いているのはルウェンだけの可能性も高い。
(…リヴァーナを呼びに行くべきか?)
 出産などは医師の管轄だ。専門であるリヴァーナなら、適した対応をしてくれるに違いない。万が一、産気づいてでもいたら大事である。
 問題は呼びに行っているその間に妊婦が倒れてしまわないかという事だ。距離的には遠くはないが、その間は目を離す事になる。
 しばし悩み、ルウェンはまず女性の安全の確保を優先する事にした。
 丁度酒場の近くで、店の従業員らしい人間が忙しそうに店の外に椅子やらテーブルなどを出している。外でも飲食出来るようにしているらしい。
(あの椅子を一つ借りるか)
 まだ酒場が込み合う時刻でもないし、それくらいは融通してもらえるだろう。
 あんな風に壁に寄りかかっているよりは、椅子に腰掛けた方が負担はないに違いない。取りあえずの落ち着き先を決めた所で、問題の妊婦の方へと足を向ける。
 流石に見も知らぬ男に突然声をかけられたら驚かせてしまうだろう。さて、どう声をかけていいものか──。
 そんな事を悩んでいると、不意にぐらりと目の前の体が傾いだ。
「!!!?」
 考える余裕などなく、反射的にルウェンは動いていた。
 おそらく、ここまで必死になって走った事は数える程しかないだろう。
 先日の西領でミルファが魔物に襲われる事を危惧した、あの時以来ではなかろうか。
 それほどの全力疾走の甲斐あって、地面に倒れる前に何とかその腕を捕まえて身体を支える事に成功した。
(ま、間に合った…!?)
 安堵すると同時に一気に冷や汗が噴き出す。
「だ、大丈夫か!?」
 顔を覗き込むと、完全に蒼白になった顔が僅かに持ち上がった。かろうじて意識はあるらしいが、答える余裕はないらしい。
 僅かに遅れて異変に気付いたらしい周囲の人間も駆け寄って来る。
「どうしたんですか!?」
「どうやら具合が悪いらしいんだ。休めるような場所は?」
「あ、はい! こちらに!!」
 酒場の従業員達がすぐさま椅子を持って来る。そこに何とか座らせた所で、ようやく女性が口を開いた。
「ご、ごめんな…さい……。ご迷惑、を……」
 今にも消え入りそうな、細い細い声。
 苦しげなのに、それでも申し訳なさそうに言葉を紡ぐ様子に、その人となりがわかるようだった。
 ルウェンは少しでも安心させるように、ゆっくりとした口調を心がけて話しかけた。
「大丈夫だ、そんな事は気にしなくていい。丁度、知り合いの医師が近くにいる。今から呼んで来るからもう少し辛抱してくれ」
 その言葉に小さく頷くのを確認し、ルウェンは周囲の人々に目を向けた。
「医師を呼んでくる。それまでこの人の事を頼んでいいか?」
「あ、はい……!」
 酒場の主人らしい年配の男が請合う。この場は任せても大丈夫だろうと思っていると、淡々とした声が響いた。
「その必要はありません」
 振り返ると、買い物を終えたらしい大きな包みを抱えたリヴァーナとフィルセルの姿がそこにあった。まさに救いの神だ。
「リヴァーナ、丁度いい所に! 実は……」
「大体の事は診ればわかりますから結構です。取り合えずこれを」
 状況を説明しようとした言葉をばっさりと斬り捨て、絶句したルウェンにリヴァーナは当たり前のように抱えていた包みを押し付けた。
 一体何が入っているのか、見た目は小さいのに異様に重い。
「この方の知人はいませんか? 家人がいるのなら知らせなければ」
 女性の脈を取りながら、リヴァーナが問いかける。
 その淡々とした物言いが、何故かものすごく心強く感じるのは気のせいだろうか。
 医師がいる事で落ち着いたのか、従業員達はお互いに顔を見合わせながら考え込むような顔になる。すぐにわからない所を見ると、おそらくこの付近の住人ではないのだろう。
 こんな身重の身体で何故こんな所まで来たのか──。
 その時、女性がか細い声で何事か呟いた。
「…? これですか?」
 その言葉を聞き取ったリヴァーナが地面に落ちていた小さな包みを拾い上げる。リヴァーナの問いかけに、女性は弱々しくも頷いた。
「どうしたんだ? 彼女は何て?」
「…どうやらここには届け物に来たようです。セイに、と言っていますが……」
「セイ?」
 女性の身元を明らかにする手がかりだろうが、それだけではわかる事はあまりにも少ない。
 人名らしいその言葉に一同が首を傾げていると、考え込んでいた従業員の一人があっと声をあげた。

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