永久楽土
第一部 闇(くら)き導き神の祈り
金色の夢(2)
「…どうして、お前がこんな所にいる?」
しかし、まさに地上に激突する刹那。
そんな呟きと共に、落下するその身体は何者かによって再び空中に縫い止められていた── 襟首を掴み上げる、という無造作で乱暴な手段によって。
「── っ!?」
当然の結果、その瞬間に止まったのは驚愕の声ばかりではない。
呼吸を阻害された上に、遥か上空からの落下による重力の影響は凄まじく、アウラの気は一瞬遠のいた。目の前が暗くなり、苦しさよりも混乱がアウラを支配する。
今、自分の身に何が起こっているというのか? 夢の中でまでこんなに苦しい思いをした事など、今まではなかった。こんな、死にそうな思いなんて──。
そのまま意識を手放しそうになった時、アウラを捕まえた人物は再び乱暴な手段によってアウラを正気に返らせた。
すなわち…掴んでいた襟首から、何の予告もなく手を離したのだ。
当然の結果、アウラはその人物の腰辺りの位置から、焼けた金色の砂の上に受身も取れずに倒れ込む。
「…きゃうっ!」
反射的に悲鳴をあげ、そんな自分の声と落下の衝撃でアウラは心の平静を取り戻した。
そろそろと身を起こし、そしてようやく動き出した思考と目はその場で一番の疑問に向かう。
「── だあれ?」
「……」
その人物は男とも女ともつかない姿で、無言のままアウラの前に立っていた。
まったく飾り気のない、その分厚手で丈夫な布を、頭にも身体にも幾重も巻きつけていてまったく身体の線がわからない。
大柄でも小柄でもない、中肉中背の体つきからではまったく判別がつかなかった。
そんな限りなく肌の露出のない姿は、その場所が砂漠である事を考えれば決して不思議なものではなかっただろうが、見渡す限り砂しかないその場所で、荷物という荷物も持っていないのはそうした知識のないアウラにも違和感を感じさせる。
「…旅の、人……?」
それでも乏しい知識から連想した答えを提示してアウラが尋ねると、その人物はやはり肯定も否定もしないまま、すっとその手を持ち上げると地平線の向こうを指し示した。
「──…?」
その意味する事が理解出来ずに首を傾げつつ、アウラの目は唯一光の下に曝されているその人物の手に向かう。
それが強烈な陽光の射す砂漠にありながら、あまりにも白くたおやかであった事、そして目深に被った布と口元を隠す布で表情すらも隠されているせいで、アウラは何となくその人は女の人ではないかと思った。
昔聞いた、遠い国の高貴な身分の女性は人前では顔を隠していたという話を連想したせいかもしれない。
だが女性だと考えると、落下してきた、しかも幼いといっても赤子ではなくそれなりの重さがあるものを片手で止めたというのは、実に驚嘆すべき筋力の持ち主だと言うより他はない。
…否、大の男でも下手をすれば筋を痛めていても不思議ではなかった。
けれどもアウラはまだこれが夢であると信じて疑っていなかったし、実際それは夢に違いなかった。
故に非現実的な出来事を前にしても、まったく疑問に思わず、ただ目の前の人物が助けてくれたのだ、という意識だけが浮かぶばかりだ。
…もし、アウラがあと僅かでも年齢を重ねていたら、もっと別の感想を抱いたかもしれない。
「あ、あの…っ、助けてくれて、ありがとう!」
そう言えばお礼を言っていない事に思い当たり、アウラは慌てて立ちあがり、服についた砂粒を払いつつ、ぺこり、と頭を下げた。
「あの、」
「…この先に進め」
「…え?」
更に何か言い募ろうとするのを遮ったのは、これまた中性的な声であった。
男にしては低くなく、かと言って女にしては低い、そんな印象を抱かせる声音は、しかも感情的な何かが欠片もなかった。
「この先……?」
それでもアウラはその人物が指し示す方角へ、素直に目を向けた。
真っ直ぐに指し示された方角には、やはりアウラの目には地平線しか見えない。見渡す限りの砂ばかりだ。
「向こうに、何があるの?」
「……」
アウラの素朴な質問に、その人は腕を下ろすとほとんど布に隠れて見えない顔をアウラの方へと向けた。
そして布の向こうから静かに語る。
「行けば自ずとわかる。ここはお前のいるべき場所ではない…早々に立ち去れ」
淡々とした言葉は、言葉通りに受け取れば親切が込められているようにも受け取れる。しかし、その素っ気無い口調では、まるでうるさい虫を追い払うような感じも受けた。
否── この人は本当にさっさとここから立ち去らせたいのだ、とアウラは思った。…そういう事は、すぐわかる。
きっと知らない内に、彼女(彼?)の機嫌を損なうような事をしたのだ。心当たりはないけれど、きっと。
「あの、ごめんなさい……」
思わず謝罪の言葉を口にして項垂れるアウラに、その人はただ沈黙だけを返す。
アウラに興味もないし、アウラと話すつもりすらないのだろう。もうすべき事はやってしまったとばかりに、アウラの前に佇(たたず)んでいるだけだった。
(…行こう)
もう一度ぺこりと頭を下げて、アウラは指し示された方向へ歩き出す。
何故だろう、まったく初対面のはずなのに、とてもではないが好意を抱けそうな対応をしてくれている訳でもないのに、その人の機嫌をこれ以上損なってはいけないような気がしてならなかった。