永久

 第一部 闇(くら)き導き神の祈り

ザイン=エルダ(1)

「…アウラッ! いつまで寝てるんだよ、さっさと起きな!!」
「……ッ!?」
 乱暴に身体を包む温もりを奪われて、アウラは反射的にその目を開いた。
 視界に入ったのは、当然のように先程までの砂漠ではなく、薄暗く湿っぽい石造りの部屋。そしてその隅に蹲(うずくま)るようにして寝ていた自分を見下ろす、人間の姿。
「…あ……?」
「何よ、その顔。夢でも見てたの?」
 刺々しい口調で言葉をかけるのは、アウラの世話をしているサマナという名の少女だ。
 アウラより五つばかり年上なのだが、たまたま同じ人買い商人の元にいた為にアウラの世話を押し付けられた経緯があり、そのせいかあまり好意的ではない。
「ホラッ! さっさとしなよ、朝飯食いっぱぐれるだろ!」
「は、はい…ごめんなさい……」
「謝る暇があるなら、手を動かしな」
「う、うん……」
 慌てて身支度を整える。身支度と言っても、簡単に寝乱れた髪を手櫛で整えて、身体に合わない薄汚れた前掛けをつけるだけなのだが。
 自分の事は自分でする、それがここに来てアウラが最初に覚えた── 否、文字通り『叩きこまれた』事だ。
 その事自体は何も悪い事でも難しい事でもないが、現在六歳でしかないアウラにとってはそうも行かなかった。
 どう努力しても、アウラよりずっと年上の、周囲の人間と同じように動けるはずもない。
 案の定、前掛けの紐をうまく結べなくて、それを見ていたサマナを苛立たせた。
「本当にグズなんだから。ほら、貸しな!」
 乱暴にアウラから前掛けの紐を奪うと、力任せにぎゅう、と締め付ける。
 痛みと苦しさに、アウラが思わず身動きするのを無視して腰紐を結び終わると、サマナはばん、とその小さな背中を叩いた。
「行くよ! …ったく、手間がかかる……!」
 言いながらも、さっさと先に立って歩き出してしまう。
 そこでぐずぐずしていれば、また余計に怒らせるとわかっていたので、アウラも慌ててその後に続いた。
 きつく締められた腰紐は苦しく、叩かれた背中も痛んだけれど、それでもそれはほぼ毎日のように繰り返されている出来事だ。
 今更それ位でいちいち泣いたりはもう、しない。
 全能のようだった夢から覚めれば、やはり何時もの現実が待っている。起きれば腹は空くし、食べる為には働かなくてはならない。
 アウラは夢の事も忘れて、始まった今日一日にやるべき事を思い浮かべ、小さくため息をついた。

+ + +

 ザイン=エルダ── それが、アウラが今いる国の名前だ。
 半年程前からその国の住民になっているが、国籍は貰っていない。アウラの身分は他国民奴隷──つまり、形式上は奴隷としての身分を与えられているものの、ザイン=エルダ以外の生まれである為に、国民としての権利は与えられていないという事だ。
 ザイン=エルダは、建国時から厳しい階級制度が敷かれており、奴隷は当然、その最下層に位置する。その中でも、他国民奴隷は最も地位が低い。
 というのも、その大半が戦敗国の出身だからだ。
 アウラが元々いた国は、山間の小さな国だった。国とは名ばかりの、いくつか集落が集まった程度の、貧しい国。
 まだその頃は六歳にもなっていなかったアウラには、今ではもう、その国がなんと呼ばれていたのかすらわからない。
 最初から勝ち目のない戦いだった。戦力、国力、どれをとっても勝るもののない──。
 ザイン=エルダは現在、大陸でも屈指の大国として台頭している国の一つだ。
 実際、その評判に違う事なく、開戦から数月で、呆気なくその小さな国はザイン=エルダの一部になっていた。
 …アウラにも当然、両親はいた。
 けれど、父親は兵士として徴兵されたまま戻らず、母親とは戦いの混乱時に逸(はぐ)れてそのままだ。
 今も時々、夢で思い出すけれど、次第にその輪郭は曖昧になって行く。その内、顔も思い出せなくなるかもしれない。
 両親の安否はまだわからないが、おそらく無事ではないだろうし、もし生きていても再会する事はないだろう、と幼いながらもアウラは漠然と感じていた。
 母親と逸れた後は、混乱の中同じように寄る辺を失った子供を集める人買い商人に『保護』されて、気付けば馬車に押し込められてザイン=エルダに連れて来られた。
 生きているだけでも幸運だ、と人買い商人や同じ馬車に乗っていた年嵩の子供がしたり顔で言っていたけれど、果たして本当にそうなのか疑問に思う。
 その後も、アウラの意志など存在しないかのように── 実際、彼等にとってアウラ達は元手のかからない『商品』であって、『人間』ではなかったのだろうが── サマナと他の数人の子供達と一緒に、今いる場所へと売り払われてしまった。
 …一体、いくらで売れたのかわからない。
 ただ、幼い分非力で、労働力としてはあまり期待出来ないアウラに、それ程の高値はつかなかった事は確かだ。
 下手したら、ただ同然だった可能性もある。そして、当たり前だが、その売上は全て人買い商人の懐へと転がりこみ、アウラ達本人の手には全く入らない。
 アウラを含めた幾人かの少年少女達を買い求めたのは、中年の表情の乏しい女だった。
 身なりはそれ程悪くはなく、灰色の髪をきつく結いこんでいるのが印象的な人物で、神経質そうな感じを受けた。
 実際、その後その印象が正しかった事がわかるのだが、その時はただただ、これから自分がどうなるのか不安なだけだった。


 そして── 荷馬車に乗せられ連れてこられたこの場所で、アウラに待っていたのは戦場を逃げ惑うのとそう変わらない、苛酷な労働の日々だった……。

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