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混沌 〜広がる波紋(2)〜

 ふっ、と包み込んでいた赤い光が消えると、そこはもう先程とは様相を転じた場所だった。
 荒野の戦場ではなく、指揮官の陣営だ。それを確認もせずにルイトルードは口を開く。
「『お嬢』…ねえ。あんたも詐欺だよね」
「喧嘩売ってる? ルイ」
 だったら喜んで買うよ、と言外に述べている台詞と少しばかり物騒に光る暗褐色の瞳に、まさか、首を竦める。
「冗っ談! ナルに喧嘩売る程、命知らずじゃないから」
「ああそう。それは良かった。ぼくも《歩く爆弾》と事を構える気はないからね」
 にっこり笑いつつも、ナルはしれっとそんな事を言い放つ。
 反射的にきっと睨み付けながらも攻撃をしなかったのは、彼女にも多少は理性があるという事の証であろう。
 実際の所、相手がナルやベルゼーラでなければ、今頃消し炭の仲間入りである。
「はいはい、お嬢さん方。じゃれ合うのもその辺にしておいて下さいね。今は一刻も争うんですから」
 そんなとても一刻を争うようにには聞こえない、のんびりとした声を耳にして、二人は同時に声のした方向に目を向け、そして叫んだ。
「「デュヤン!?」」
 そこに立っていたのは黒い髪と瞳を持つ、彼女達よりも一つ年上の、本来ならここにいるはずのない人物だった。
「何で、ここに?」
 純粋に驚くナルとルイトルードに、いつも通りの穏やかな笑顔を向けて、デュヤンは答える。
「伝令として派遣されたんですよ」
「伝令って…、でも、それって政務官の仕事じゃないでしょ?」
 政務官とは戦場で戦う軍務官とは違い、王宮を働く場所とする人々で、主に内政── 事務関係や人事、その他の雑用まで、戦闘以外の全て── を取り仕切る。
 文官と位置づけられるとは言え、その仕事は多岐に渡るが、表立って戦場へ彼等がやって来る事は基本的にない。
 デュヤンはまだ若いものの、そんな政務官の見習い── 補佐である。
 王宮から各地の陣営へ情報を抱えて走る伝令などは、時として危険が伴う事もある為、軍務官に組み込まれた職種であり、そもそも畑違いの仕事だ。
 心底不思議そうなルイトルードに、デュヤンは幾分表情を改める。
「先刻も言っただろう? 一刻を争うと。間に何人も置いて伝えていては、時間がかかるし── ルイはもう知っていると思うけど、今回は事が重過ぎる。知る人間は出来る限り少なくしておきたいからね」
 砕けた口調ながらも、深刻さの漂う言葉にルイトルードは神妙に頷くが、ナルは訳がわからない。
 何か大変な事が起こった事だけは、緊急召集が行なわれた事と、デュヤンの言葉から読み取れたが、実際何が起きたのかまでは皆目見当もつかない。
「…何があったの?」
 ナルが問うと、デュヤンは少し言葉を躊躇(ためら)った後にはっきりと言葉にした。
「── 女王が、崩御されました」
「女王が…!?」
 ようやく合点がいって、ナルはため息と共に呻くような声をあげる。
「何で…よりにもよって、こんな時に……」
「言っても仕方ないですよ。…女王も、人なのだから」
 それは事実だったものの、喪った重さとこれからへの不安が消えるはずもない。
 押し黙る二人に、デュヤンはあえて事務的に話を進めた。
「では伝令を伝えます。…《今から直ちに王宮に帰還し、その後の指示を待つこと。以上の指令において、私、デュヤン=ゾハルの名において拘束力を発動する。ナル=ラーズ、ルイトルード=ナーマ、以上の南方指揮官はその支配を受ける》…急いで下さい。ベルゼーラ殿は一足先にもう行きましたから」
 拘束力を持つ《言霊》を用いて、強制的な帰還を促す。それ程に切羽詰った状況なのだ。
 今更ながらその事実の重さを確かめ、ルイトルードとナルは表情を引き締める。
 再び、今度は王宮へ移動すべくルイトルードが術式を組みかけ── そして中断した。
「デュヤンは? 王宮には戻らないの?」
 伝令としての役目は果たしたはずなのに、共に移動しようとしないデュヤンに目を止めて声をかける。
 その問いかけにデュヤンは頭を振り、初めて緊張した顔を見せた。
「僕はこのまま補佐の仕事に戻るんだよ、ルイ」
「…だから、王宮に戻るんじゃないの?」
 デュヤンの仕事は政務官の補佐、つまり王政務官の見習いといった所である。
 有能である事は確かだが、逆に言えば戦場ではほとんど役立たずなのだ。だが、デュヤンは真剣な顔で首を振る。
「…僕はこのまま、西方へ行かなくてはならないんだ」
「西方?」
 思わずルイトルードとナルは顔を見合わせた。西方と言えば、彼等のいる南方と同じく激戦地だ。
 基本的に内政を司る政務官が、たとえ補佐の人間であってもそこへ赴(おもむ)くというのは奇妙な事である。
 それが二人の表情に出ていたのだろう、デュヤンは再び政務官補佐の顔に戻ると、親切にも説明してくれた。
「…いずれ、王宮に戻ればわかる事ですが、西で何かとんでもない異変が起きたようなんです」
「?」
「突然、西方と全く連絡が取れなくなったんですよ」
 もたらされた答えは、二人を驚かせるに十分だった。
「まさか!」
「そんな…シスラ、シスラは? あいつも駄目なの!?」
 西方指揮官の一人を思い浮かべ、ルイトルードは咳き込むように問う。
 ルイとは反属性を有する孤高の少女。
 彼女に一目を置いているルイトルードには、彼女が敵に易々と倒されるとは思えなかったし、生きているのなら何かしら王宮へ事態を伝えるはずである。
 だが、デュヤンは静かに首を振るばかりだ。
「そのシスラ殿も、現在は行方不明なんです。ですから僕はこのまま西方に向かい、現地の状況を確認して来る事になっています。…ともかく、あなた方は早く王宮に向かって下さい。…情報収集は僕達の仕事です。さあ」
「…わかった。ルイ、行こう。西の事は気になるけど、今はまず王宮だよ」
 心許なげなルイトルードを急かして、ナルはデュヤンに頷いて見せる。
 情報収集は確かに政務官の仕事だろうが、現地に直接赴いて調べるのではなく、各地から届いた多岐に渡る情報を分析・整理する事こそが本業のはずだ。
 ── 逆を言えば、今回の伝令のように時間をかけて調べている場合ではない、ということ。
 そして危険だとわかっている地に、見習いにも等しいデュヤンが赴くほど、女王崩御の影響が大きいという事だろう。
 ならば今は、出来るだけ速やかにそれぞれの役割を全うすべきだ。
 ナルの意図に気付いてか、デュヤンは微笑むと小さく何事か呟く。
 彼の左手に魔法陣が浮かび上がった。魔力を持たない者が転移魔法を行使する為のものだ。
「では、僕はこれで」
「うん。そっちも気をつけて」
 あっさりと手を振るナルに対して、ルイトルードは何かを思いついたように早口で言葉を紡いだ。
「デュヤン、西って、もしかして『奴等』の仕業!? だったら──」
 言わんとする所に気付いてか、デュヤンは小さく頷くとその姿を消した。それを傍で見ていたナルは呆れたようにぽつりと漏らす。
「…ルイ、君には思いやりもないの? まあ、…応じる方も問題有りだと思うけどさあ」
「え? だって、情報収集は今回のデュヤンの仕事なんだし、ついでにお願いする位いいんじゃない?」
 ナルの発言に対して、ルイは反発する所か、不思議そうに問い返しした。
 『利用出来るものは何でも有効活用』が当たり前の彼女にとって、ナルの言い草はまったく理解出来ない事だった。
 デュヤンが行く場所が異常事態になる前から危険である事と、彼自身に戦闘能力がないという事は理解しているが、『現地の状況を確認してくる』事と『その原因を探る』事の間に存在する危険性の差を認識していないのだ。
「時と場合を選べって事。…ほら、ちゃっちゃと王宮に行くよっ!!」
 何か言いたげな様子を無視して、ナルは急かした。ルイトルードは結局渋々といった様子で術を発動させる。再びその場に赤い光が生じた。
(デュヤンも気の毒に……。よりにもよって、『こんなの』に惚れるからだよ)
 光は瞬時に広がり、二人を包む。次いで空間が歪んだ。
 そんな最中、ナルは好きな相手の為に未知の敵の情報収集まで請け負った、この世で最も物好きな少年に同情した。
(でも…、望みはありそうだよね)
 そっとルイを覗き見る。
 転移魔法、それも自分以外の人間をも一緒に移動する術はかなり高度なはずなのだが、何の補助も必要とせず、何度も行使している。
 それもそうだ。ルイトルードは普通の術士ではない。この世界に四人しかいない、属性の頂点に立つ者なのだから。
 《火の支配者》《歩く爆弾》── 炎に愛されたこの世で最も危険な少女は、けれども彼が本名を呼んでも怒らない。
 何を毛嫌いしてか、本名を他の人間が口にすれば、それこそ烈火の如く怒るというのに。
 そして。
 知っている限り、このルイトルードが一方的に押しつける訳でもなく、個人的に『お願い』する人間はナルが知る限りでは彼くらいだ。
 非常に分かり辛いが、好意を持っていると言っても差し支えはないだろう。
「…何? 先刻からにやにや笑って」
「べっつにー」
 笑って誤魔化し、ナルは屈折した好意の示し方しか出来ないルイトルードに聞こえないよう、小声でぽつりと呟いた。
「…あまのじゃく」

+ + +

 物音一つしない部屋。決して広いとは言い難いが、きちんと調度を整えられたそこに二人の人物がいた。
 窓から入ってくる午後の淡い光に不釣合いな、重い沈黙の中佇むのは王女メイラ、そして王宮に仕える治癒術士、フロレス=バールである。
 二人はその場を支配する沈黙が何を意味するのかをわかっていながら── 否、わかっているが故に、それを壊さないように固く押し黙っている。
 彼女達の前に横たわる、冷たい亡骸。それこそ、今までこの世界に生きる人々を率いてきた偉大なる存在が、最後に残したものだった。
 かつては豊かだったその肉体は、同一人物なのか疑う程に痩せ細り、その肌はかさついて土気色になっている。
「…数刻前に、眠るように逝かれました」
 フロレスがようやくその重い口を開いた。
 まだ若い、一見した所二十歳前後のその顔は、疲労の為か幾分窶(やつ)れているように見える。
 その稀な夕暮れを想わせる紫の瞳が、沈痛の色を浮かべていた。
「申し訳ありません、私の力が足りなかったばかりに……」
 俯(うつむ)くフロレスに、メイラは首を振って声をかける。
「気に病まないで。フロレス、あなたはよくやってくれたわ。…今日まで生き延びていた事自体、奇跡のようなものだったのですもの。本当に御苦労様」
「ありがとうございます、でも……」
「もう、何も言わないで。『女王陛下』も、今までずっと戦ってこられて…ようやく休めたのだもの。安らかに眠らせてあげましょう?」
「…メイラ様……」
 メイラが『母』とは呼ばず、敢えて『女王陛下』と呼んだ気持ちを察して、フロレスは胸を痛めた。
 王女メイラと女王── この二人は同じものを求めながら、結局正反対の道を選んだ。ついに歩み寄る事無く。…確かに血の繋がった母娘であるのに。
 その時だ。不意に廊下から静寂を打ち破るような足音が聞こえてきた。
 それはどんどん近付いてくると、彼女達のいる部屋の前で止まる。それと同時に、バンッと勢いよく扉が開かれ、一人の少女が飛び込んできた。
「お姉様っ、ここにいらっしゃったのね!!」
 開口一番にそう叫んだのは、女王のもう一人の娘── クナルである。
「…どうしたの、クナル。騒々しいわ。それに廊下は走るものじゃ……」
 困惑しつつも、姉らしく窘(たしな)めるメイラの言葉を遮って、クナルはメイラの手を取った。
「!?」
「お説教は後で聞きますっ! それより急いで支度して! もう、会議室には何人か来ているのよ!?」
「何……? どうして私が?」
 私は関係ないでしょう、そう言いかけて、メイラは殺気に近いものを感じ取り口を噤(つぐ)んだ。
 しかし時すでに遅く、クナルは怒りの籠もった言葉を紡ぐ。
「…お姉様? 御自分の立場を、理解していらっしゃいますよね?」
 その只ものではない迫力に負け、メイラは反射的に小さくごめんなさいと謝る。
「わかって下さればいいんです。…じゃ、フロレス。お姉様は連れていくから、『女王』の事、よろしくね」
 姉姫とは別の意味で『女王』と呼んで、クナルはメイラを連れて部屋を出て行く。
 一人残されたフロレスは呆気に取られてそれを見送った後、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「…メイラ様も、大変な妹君を持ったものね」
 あれでまだ十五歳と言うのだから末は恐ろしい。
 要職の低年齢化が進んでいる今、年齢よりも大人びた考え方や行動をする者は少なくはない。
 だが、あのつい従いたくなってしまう覇気は、一種の才能だろうとフロレスは思う。
 一歩間違えば独善に走りかねないが── 側にあの『お姉様』がいる限り、クナルに関してはその心配はないだろう。
 クナルの姉・メイラに対する敬慕の深さは、王宮の人間で知らぬ者はいない。
(…シェイも苦労するわね)
 姫君二人の御守り役をしている友人に同情しつつ、フロレスは永久の眠りに就いた女王に最後の術を施した。

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