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混沌 〜広がる波紋(3)〜

 会議室── 日頃は滅多に使われなくなっていたそこは、珍しく緊迫した空気に支配されていた。
「…何であんたがここにいるんだよ」
 刺だらけの言葉を投げつけ、少年は先客である青年── ベルゼーラを睨み付けた。
 年はまだ十代前半の、茶の混じった明るい橙色の髪の下、意外な程白い肌の顔に、明らかに不機嫌なものを漂わせている。
「そりゃあ、俺が南方指揮官の一人だからさ。まさか、忘れたのかい? 少年」
 ただでさえ張り詰めた神経を逆撫でするような言葉を返し、ベルゼーラは余裕の笑みを浮かべる。
 それを鋭く睨んだまま、弱冠十三歳の少年は、忘れるもんか、とぶっきらぼうに答えつつ、指定されている自分の席に着く。
 名はマウイ=ノーズ。軍務官を束ねる指揮官の中、現在最年少にしてもっとも新顔の指揮官である。
「問題は、どうして『魔族』のあんたが、王宮の一大事に呼ばれるのかって事だよ、ジジイ」
「おやおや」
 あからさまな挑発を込めた言葉に対し、ベルゼーラは全く無頓着に受け流す。
「随分とはっきり言ってくれる。…その質問の答えは至極単純明解なんだがな」
「何だよ、それは」
 むすっとした顔で問うマウイに、ベルゼーラは薄く笑った。
 要職である指揮官に、敵である魔族の自分がいる事をよく思わない人間は少なくないが、ここまで露骨に敵意を向けられるのは久々である。
 嫌悪を隠せないほど幼いとも言えるが、その真っ直ぐさ故に、ベルゼーラはむしろマウイに好意を抱いていた。
 あえて挑発に乗るのも、いちいち突っかかって来る姿が微笑ましいからである。…もちろん、本人にそんな事は言えないが。
「俺が一番、古株だからさ」
「…っ、そんな、ふざけた理由── っ!!」
 単純な上に、取りようによっては若輩者扱いされたようにも取れる返事に、マウイは思わず音をたてて席を立つ。
 そのまま何か続けようとしたが、それは為されずに終わった。
『…ふざけた理由ではないわ、マウイ。多分、それが一番正しい答えよ』
 緊迫していたその場の雰囲気を解きほぐすような《声》がし、二人は弾かれたように同時に扉の方へ顔を向けた。
 頭の中に直接語りかける声、その持ち主はこの世に一人しかいない。
「…ドネリス」
『久しぶりね、ベルゼーラ。リーにはもう会ったの?』
 入り口で微笑んで立っていたのは、北方指揮官の一人、《土の聖女》と呼ばれるドネリス=エネだった。
 栗色の髪を背に流し、濃緑色の瞳は聖女と呼ばれるに相応しい、優しい輝きがあった。
「…あいにく、まだ会ってないんだ。用件が済んだら顔を見に行こうと思っている」
『そう。無事な姿を見せるだけでもきっと喜ぶわ。年に数回しか顔を合わせないのだもの』
 ベルゼーラの答えに、ドネリスが頷く。その穏やかな微笑みは、見る者を安心させる効果があった。
「ドネリス、早かったんだね」
 一方、 マウイはそれまでの態度を一変させて遅れてきた彼女に笑いかけた。
 マウイとドネリスは同じ北方を担当する指揮官だが、その口調では来るのは別々だったようだ。
「いい所に来てくれたよ。もう、こいつと二人きりでさ。精神衛生上悪いってのに、ここを離れる訳にはいかないし。本当に最悪だったんだ」
 その正直ではあるがあんまりな言い草に、ベルゼーラは苦笑する。反論をするつもりはなかったが、ここまで嫌われるともう笑うしかない。
 ドネリスが自分の席に着くのを待って、ベルゼーラは社交辞令のように近況を尋ねる。
「北方はどうだ?」
『今の所は小康状態を保ってるわね。まあ、北方は元々激戦地の南方に比べれば平和なものだもの。そちらはどう?』
「ああ、相変わらずって所だな、こちらも。どちらかと言うと、目立った動きがないからかえって気になる位だが」
「同族の事なのにわかんないのか?」
 思いきりばかにしたように、マウイが口を挟む。
 そんなマウイにちらりと視線を投げかけ、ベルゼーラは自嘲気味に薄く笑った。
「…あいつ等の事など、あえてわかりたくもないな」
 吐き捨てるような言葉だった。
 予想外の内に激情を込めたその物言いに、マウイは思わず目を丸くする。
 マウイよりは付き合いの長いドネリスは沈黙したまま、そっとその瞳を伏せた。彼の背景を全て知っている訳ではないが、察するところがあったのだろう。
 自分で喧嘩を売っておきながら、根は素直なマウイはそれ以上は何も言えず、ぎこちない間が生じた、
 その時── 不意に会議室の扉が開き、新たな人物が姿を現した。
「…あれえ?」
 そして意外そうな声をあげる。
「まだ三人しか集まってないんだ? 集合悪いね」
 声の主はまだ何処となく幼さを残している、マウイと同じ位の少女だった。
 大きな灰色の瞳が印象的である。薄茶の真っ直ぐな髪を首の後ろで緩めに結わえ、額に鮮やかな青い布を巻いていた。
「ベルゼ。ルイ達は?」
 無頓着に尋ねてくる。淡々とした物言いは、この少女独特のもので、話を振られたベルゼーラも思わず笑顔になる。
「お前、変わらないな…ルフェル。ルイ達なら後から来るはずだ。お前は一人なのか? イルグの奴は?」
「わかんないよ。置いてきちゃったから」
 あっさりと言い切ると、ルフェル── 本名、ルフェルトナ=リヒロはそのまますたすたと歩き、ベルゼーラの隣の席に腰を下ろした。
 ルフェルのマイペースぶりはいつもの事だったのだが、思わずベルゼーラ達は呆れ果ててしまった。
 そんな東方を守る指揮官の一人は、そんな彼等に気付いているのかいないのか、あくまでも緊張感のない口調でぽつりと漏らした。
「女王…死んだって?」
「あ、ああ…らしいな」
 仕方なく隣の席のベルゼーラが答えると、ルフェルはふう、と小さくため息をつく。
「そっかあ……」
 そしてそのまま頬杖をついて、誰に言うでもなく言葉を重ねた。
「来るべき時が来たって感じだね」
 さらりと言われた台詞だったが、ベルゼーラ達は心の中で全くだ、と同意した。
 女王の余命いくばくもない事は、かなり以前から噂されていた事だ。今まで保ったのは、偏(ひとえ)に治癒術士のフロレスの腕が良かったにすぎない。
 ── だが、いつかは訪れるとわかっていたその時に対する、備えが未だ出来ていないのだ。
 再び沈黙の訪れたその部屋に次に現れたのは、彼等の顔馴染みである、護衛士官のシェイ=ラーズだった。
「各指揮官の方々、多忙な中、集まっていただき申し訳ありません」
 そう言うとシェイは彼等に向かって軽く会釈した。肩より少し上の辺りで切り揃えられた淡灰色の髪が、さらりと涼やかに揺れる。
「本来ならここに来るべきは政務官長様なのですが…今、手が離せない問題が発生していて、政務官の全てが出払っているんです。それで今、現在で一番内情に通じている私が代理として参りました。…早速ですが本題に入らせていただきます」
「ちょっと待った!」
 驚いてマウイが制止の声をあげる。
「まだ半分も来てないじゃないか。進めてもいいの?」
 そう言われて、シェイはその場の面々を見渡した。そして少し考え込んだ後で結論を述べる。
「…確かに全ての方がいらっしゃっているようではありませんが、各地方の指揮官が最低一名いるのなら問題はないかと思います」
「西は?」
 今度はルフェルが口を挟む。
「誰も来てないよ?」
「…西は来ない。何も聞いてないのか、ルフェル?」
「うん。…何かあったの?」
 こくりと頷くルフェルを見て、それでもベルゼーラはそれを口にしていいものか迷った。
 彼にその事を教えてくれた政務官補佐の少年は、異常事態なのだと言っていたのだ。下手に話を大きくしてしまったら困った事になるかもしれない。
 だが、そこでそれまで黙っていたドネリスが静かに口を開いた。
『何があったの? …シェイ』
 明らかに答えを知っていると思われるシェイに話を振る事で、その場は急に緊張した雰囲気になった。
 シェイ自身も迷っているのだろう、途方に暮れたような顔で俯(うつむ)いてしまう。
「…隠していてもどうせわかる事だろう。シェイ、話してくれないか。俺よりお前の方が詳しいだろう?」
「しかし……」
「女王崩御だけでも問題なんだ。これ以上は、と思う気持ちはわからないでもないが…西方指揮官のどちらも不在なんだ。気にするなと言われても、無理と言うものだぞ」
 ベルゼーラの促(うなが)す言葉に、ようやく意を決したようにシェイは顔を上げた。
 と、その時、まるで狙っていたかのように勢いよく扉が開き、一人の青年が飛び込んできた。
「悪ぃっ! 遅くなった!!」
 見た所、十八、九歳といった辺りか。
 童顔のせいで下手すればもっと若く見えるその青年は、ばたばたと慌ただしく自分の席に向かう。
「遅いよ、イルグ」
 彼が席に着くのを見ながらルフェルが注意する。
「済まん、ルフェル…って、あのなあっ! お前がさっさと先に行きやがるからだろうが!! 俺は戦士で、お前みたいに術士じゃないんだぞ!? どうやって自力で東方の果てから王宮まで移動するってんだっ!!」
 それだけ一気にがなると、遅れてきた青年── イルグ=モネト、実は二十三歳── はそこではた、と我に返った。
「あれ、何だ。全然揃ってないじゃんか。西方の奴等と南方のお嬢様方はどうした?」
 髪と同じ闇色の瞳を丸くして、イルグが不思議そうに漏らす。それと同時に、ベルゼーラはちらりと天井の方に目を走らせ、苦笑混じりに呟いた。
「…やっとお出ましか」
 そう言ってベルゼーラは肩を竦める。
 次の刹那、彼等の目前── 巨大なテーブルの上に、二人の少女が降って湧いたように現れた。
「──…ルイ。君って、どうして、こう……」
「いいじゃない。手っ取り早くて」
 額を押さえて嘆くナルに平然と答えて、ルイは全く何の気負いもない様子でテーブルの上をすたすたと歩き、自分の席の所まで行った。
「もしかしてもう始まってた? ごめん、遅れて」
 席に着きながら謝るが、そこに反省の色は見られない。それを呆然と見守っていたシェイは、慌てて自分を取り戻した。
「…ま、まあ、何はともあれ、これで全員揃いましたね。…ナル、早く席に着きなさい」
 その声に、まだテーブルの上で呆然としていたナルがはっと我に返った。
「げっ! 姉上!? ど、何でここにっ!?」
 慌ててテーブルの上から降りるナルを横目で見ながら、シェイは気持ちを切り替えるように一つ咳払いをすると、ゆっくりと口を開いた。
「…では、最初に西方指揮官の不在について説明しましょう。知っている方もいらっしゃるようですが…西方は現在、混戦状態に突入しました。つまり…こちら側からも向こう側からも満足に連絡が取れない状況にあります」
「うわ…タイミング良すぎ。何か、狙っていたみたいじゃんか」
 マウイが幼い顔を顰(しか)めて呟けば、シェイも同意するように頷いた。
「…そこで、今日の本題に入るのですが…御存知の通り、私達の要とも言える女王が崩御なさいました。まだこの事実は公表されていませんが、いづれ明らかになるでしょう。…隠しておける事でもありませんし。これは下手をすれば敵方に有利な情報にもなりかねません。そこで──」
 一度言葉を切り、シェイは暗褐色の瞳でその場にいる人々を見渡した。
「そこで、次期女王の承認をあなた方にいただきたいのです」

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