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混沌 〜広がる波紋(4)〜

「ふうん? って、事は先に新しい王を立ててから前女王の死去を公表するって訳?」
 ルイトルードからの質問に、シェイは頷く。その為に彼等── 各地の指揮官を招集したのだ。
 現在、王位は完全な世襲制ではない。軍事を預かる軍務官と政務を預かる政務官、この二つの責任者達の承認を必要とするのだ。
 それ程に、『王』の背負う重責は重いと言う事だ。
 王となる者に求められているのは、圧倒的なカリスマ性。何が出来ても、人心を掴める者でなければ務まらない。
 この世界において、『王』は人にとっては司令塔であり、心の拠り所でもあるのだ。
 その点に関しては、前女王は申し分のない人物だった。一人の女として幸福であったかは定かではないが──。
「そういう事で、よろしいでしょうか?」
「あたしは別にどうだっていいけど。…で、『どっちなる』の?」
 ルイトルードの何の裏もない言葉に、しかし周囲の空気は確実に凍りついた。
「それは…」
 シェイが思わず口ごもったその時、突然会議室の扉が勢いよくと開いたかと思うと、
「そんな事、お姉様に決まってるでしょうっ! 当たり前じゃない!!」
という少女の怒声が飛び込んできた。
 その声の主── クナルは怒りを隠さず、その一重で切れ長のダークブルーの瞳を吊り上げ、不意の出来事に呆気に取られる彼等を尻目に、大またでルイの方へと歩み寄って来る。
 その所作はどう贔屓目に見ても王女にふさわしいものではなかったが、誰もそれを指摘する事は出来なかった。
「そんな事で、よく指揮官が務まるものね」
「…何…だって?」
 クナルの冷ややかな言葉に、ルイトルードの目に危険な光が宿る。
 並んで睨み合っている姿だけを見れば、ただの友人の喧嘩にも取れたが、その間にある空気はとても喧嘩などと片付けられるものではない。
 当然止めなければならないはずのシェイや周囲の指揮官達も、思わず見守る体勢になってしまう。
 普通の人間ならば恐れる、ルイトルードの眼光を真っ向から受け止め、クナルは命じた。
「あなたのような人間に指揮官など任せるなんて。前女王も見る目がなかったのね。…『しばらく黙っているといいわ』」
「…!?」
 その瞬間、ルイトルードはぎょっと目を見開いた。クナルが言葉を発した瞬間、何か違和感が体の中を走り抜けたのだ。
「…何、を……」
 何かを探すように自分の身体に目を向けたルイトルードは、次の瞬間さっと青ざめていた。
「あたしの、力──!?」
 あまりの事に絶句し、呆然とクナルを見上げる。
 それまで自分の内に満ちていた力が、クナルの言葉を聞いた瞬間に喪失してしまったのだ。
 クナルは勝ち誇ったように微笑み、ルイトルードを見下ろす。その倣岸な表情は、しかし弱冠十五歳の少女でしかないはずの彼女に、不思議と似合うものだった。
 周囲が何が起こったのかわからないままに傍観している横で、ベルゼーラが苦笑顔でようやく口を開く。
「…《言霊》か。まあ、今のはルイにも非はあったが…クナル? やり過ぎじゃないのか?」
「な、なに? 何が起こったの、これ……!?」
 恐慌状態に陥るルイトルードに、元凶であるクナルは冷ややかに言い放つ。
「あなたの力を一時的に封じさせてもらったのよ。…言っておくけれど、王になるのはお姉様よ。決まってるでしょう? …もしも、先刻みたいな事をお姉様の前で言ったら、この程度じゃ許さな──」
「…何をしているの、クナル」
 クナルの言葉に重なった声は、静かだが何処か鋭かった。
 反射的にクナルは身を竦める。そしてゆっくりと声の方へ顔を向けた。
「…お姉様」
 そこに確かに姉の姿を認め、見る間にクナルの顔が蒼白になる。
 扉の所に、いつからいたのかメイラが常にない厳しい表情で立っていた。
 光を失った目を周囲に漂わせ、やがてその目がクナルとルイトルードが立つ辺りに向けられる。
「クナル…言霊を使ったわね?」
 確認する言葉は、否定を許さない。クナルは渋々と自らの異能を使った事を認めた。
「…はい。でも、お姉様…!」
「早く解除なさい」
 普段とは打って変わった有無を言わせない口調。静かな怒りが滲んでいる。
 クナルは俯(うつむ)き、悔しそうに唇を噛み締めたが、やがて納得はいかない様子ながらも姉の言葉を受け入れた。
「…わかりました」
 答えて小さく指を鳴らす。
「あ、戻った!?」
 ルイトルードが思わずといった様子で声を上げる。それを確認してから、メイラは厳しい表情を崩す事無く口を開いた。
「クナル、謝りなさい。あなたのした事は、本来ならとても許されるべき事ではないのだから。…さあ」
 敬愛する姉に言われ、クナルはルイに向き直り、ぶっきらぼうな口調で謝罪した。
「…ごめん、なさい。悪い事を…したわ」
「…は、はあ……」
 自分の身に一体何が起きたのかもわからず、さらに仕える対象であるクナルに謝られて、ルイトルードはどう反応すればよいのかわからずに生返事を返す。
 そんな日頃では到底見られないルイトルードの子供っぽい様子に、周囲は思わず笑みを浮かべた。
 ようやく弛(ゆる)んだその場の空気に安堵したようにメイラも微笑む。
「ルイ、ごめんなさいね。術士にとって、力が奪われるなんて手足をもぎ取られるようなものなのに……。私からも謝ります。どうか許して下さい」
 そう言って深々とメイラが頭を下げた瞬間、思いがけなかった事に当事者達は慌てた。
「そんな、あなたは何も悪くないのに!」
「お姉様に責任はありません! そんな事なさらないで!!」
 ルイとクナルがほとんど同時に叫んだ所で、メイラは顔を上げにっこりと笑った。
 それだけで、ルイとクナル以外の人間も、彼女が何の為に頭を下げたのかに思い至る。
 緊迫していた空気がなくなり、ルイもクナルもこれ以上喧嘩は出来ない雰囲気になっている。実際、見事とも言える場の収め方だった。
「…じゃあ、本題に入りましょうか」
 穏やかに促すそこに、先程までの厳しさは微塵(みじん)も感じられない。
 どちらかと言えば激しい気性の妹に比べ、姉であるメイラは血が繋がっているとは思えない程にたおやかな印象がある。
 だが、その芯は流石に女王の娘であると思える程に、しっかりとしたものだった。
「話し合う必要はありません、お姉様」
 心底姉に心酔するクナルは熱っぽい口調で訴える。彼女にしてみれば、姉よりも立場が上になる事は絶対に避けたかったのだ。
 黄金の髪にエメラルドの瞳のメイラと、栗色の髪にダークブルーの瞳のクナルは、姉妹ではあるが外見からしてあまり似ていない。事実、父親が違うのだ。
 いや── むしろそれを言うなら、メイラが女王に似ていないと言うべきなのだろう。つい先程この世のものではなくなった、偉大なる『女王』に。
 そしてクナルはといえば、当の女王にそっくりなのだ。外見も気性も── そして持って生まれた能力までも。
 クナルはその事実を幼少時から嫌悪していた。いっそ、憎んでいると言ってもいい。
 だからこそ、王位を継ぐつもりはさらさらなかったのだ。だが──。
「そんな事ないわ」
 メイラはやんわりと言い、そしてきっぱりと告げた。
「私に王位を継ぐ意志はありません」
 その言葉に、クナルを始め、その場にいた人々はぎょっと目を剥いた。
 実際、それは予想される言葉ではあったのだが、メイラの口からはっきりと言われるとやはり重みが違ってくる。
「…認めません!」
 反射的にクナルが悲鳴じみた声を上げた。
「そんなの…そんな事、認めません……!!」
「クナル…」
「── 理由は? …俺達はともかくとして、クナルを納得させるだけの理由があるのか?」
 ベルゼーラからの静かな問いに、メイラは俯き── やがて意を決したような顔で口を開く。
「…私より、クナルの方が『女王』に近い── だからです」
「どうして? 《言霊》の力が一緒だから!? …私は、そんな理由認めません! 絶対に…納得出来ない!!」
 《伝令》に用いられる拘束力を持つ言葉──。
 本来なら特殊な発音が必要となるそれを、生まれつきそうした技術を必要とせずに、ただ少し意識を変えるだけで行使可能な人間が稀に存在し、前女王はその数少ない一人だった。
 そしてクナルもその能力を受け継いでいた。遺伝では受け継がれる事のない、能力を。
 それ故に王宮内でも外でも、クナルを王にと求める者も少なくない。だが、クナル自身がそれを嫌悪している為、誰も表立って口にしないだけなのだ。
 その理由を、誰よりも口にして欲しくない、敬愛する姉の口からは聞きたくなかった。
「違うわ、クナル。言霊の力なんて関係ないのよ」
 必死に言い募るクナルを宥(なだ)めるように、メイラは言葉を紡ぐ。
「あなたは『女王』と存在が近いの。かの人の支配力、遺志── それを、あなたなら継げるかもしれない。民もあなたならかつての王を重ねて、安心もするでしょう。でも…私には出来ないの。在り方が違いすぎるから」
 淡々とした言葉には、ただ言い繕うような色はなかった。
 ただ事実を口にしている、そんな感じさえあった。しかし、クナルには到底それは納得の行く事ではない。
「でも…っ! 誰よりも人々の事に心を砕いているのはお姉様だわ!! だって、お姉様は《神の──!」
 その場の勢いで思わず漏らしかけた言葉を、クナルは慌てて口を押さえる事で押し止めた。
「…神の?」
 すぐ横で聞きとがめたナルが怪訝そうに首を傾げ、それをシェイが鋭い視線で制する。そしてそのまま取り繕うように口を開いた。
「クナル様、メイラ様。もっとお二人でよく話し合われた方が良いのでは?」
「シェイ……」
「お二人の意見がこのまま平行線を辿るのなら、これ以上指揮官の方々を拘束するのは差し障りがあるでしょう。…取り合えず、今日はこれで解散し、後日結論を出したらどうでしょう?」
「…それはいつ頃?」
 と、それまでまるで無関心の様子だったルフェルトナが口を挟む。
「今、何日後って決めてくれたら、後で慌てて召集する必要はなくなると思うけど。それに色々裏工作して陣営を抜けやすくも出来ると思うし」
「…ルフェル。お前、そんな知恵、いつつけたんだ?」
「うるさいな。黙っててよ、イルグ」
 驚く同僚を一蹴して、ルフェルはその大きな灰色の瞳を、シェイと立ち尽くす二人の王女に向ける。
「…そう、ですね。他の方々はどうです?」
 ルフェルトナの提案は確かに正論だった。シェイは誰も反論のない事を確かめ、それからメイラに尋ねた。
「どうなさいますか?」
「ルフェルの言う通りだと思うわ。そうね── では、二日ばかり時間を貰うわ。三日後にまたここで。…クナル、いいわね?」
「…ええ。お姉様がそう言うなら」
 仕方なさそうに納得するクナルの言葉に頷き、シェイはそこに集った人々に解散を告げた。

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