Bless You All The Time

予感 〜忍び寄る影(1)〜

 会議室を後にし、王宮の広い廊下を進んでいると、背後から聞き覚えのある声が追いかけてきた。
「姉上! 待って!!」
 おや、とシェイは立ち止まって振り返ると、会議室の方から彼女の年の離れた妹が小走りにやって来ていた。
 淡い灰色の髪と暗褐色の瞳。二人は確かに面差しもよく似ており、王女姉妹に比べると明らかに姉妹だとわかる。
「ナル? どうしたの」
 日頃滅多に顔を合わせる事がない妹に、シェイは怪訝さを隠さずに尋ねかける。
 それを聞いたナルは、追い着いた姉を見上げつつ顔を顰(しか)めた。
「どうしたのって…冷たいな。久しぶりに会った妹にそれはないよ」
 子供っぽく頬を膨らませるナルに思わず笑みを零し、シェイはその肩に手を置いた。
「本当…二月ぶりかしら。背が少し伸びたようね。確かに本当に久しぶりだし、色々聞きたい事もあるけれど…そうも言っていられないでしょ?」
 今回の召集はあまりに急だった。特に南方は激戦地。あまり長い間、指揮官不在というのは望ましくないだろう。
 姉の言いたい事を飲み込んで、ナルは苦笑混じりに肩を竦める。
「まあね。確かに予断は許されないと思うけど…でもちょっと位は平気だよ。姉上だってわかってるでしょ? あいつ等がそんなにヤワじゃないってこと。ぼくがちょっといなくなった位じゃどうって事ないから」
「そうね」
 そこで二人は顔を見合わせて笑った。
 ナルが指揮を取る拳士達は、全て彼女達の一族である。
 もちろん全てが血縁ではないが、彼等にとってはそれも些細な事。その信頼感こそが彼等の強みでもあるのだ。
「…それより、ちょっと聞きたい事があるんだ」
 不意に表情を改めて、ナルが切り出す。
「何?」
 急に真剣な顔になったナルを、シェイは怪訝に思いつつ促す。ナルは僅かに迷いを見せながら、やがて言いにくそうに口を開いた。
「先刻、クナル様は何を言いかけたの? まさか……」
「── ナル。それ以上は口にしないで」
 シェイの目に鋭さが宿る。その気迫に、思わずナルは気圧され口を噤(つぐ)んだ。
「…あなたの想像は正しいわ。でも、いい? それは……」
「わかった。その事は忘れる事にする」
 姉がどんなに、自身が守る王女姉妹を大切に思っているのかを知っているナルは、安心させるように頷いた。
 それを聞いて、シェイの目がふっと和らぐ。
 実の妹だからという理由だけでなく、ナルという少女が一度口にした事は何があっても守り抜く性格だと知っているからだ。
 ── だが、どんなに信頼出来ようと、口が固かろうとも、明言出来ない事はある。ナルが尋ね、クナルが口走りかけた事は、そうした類に属する事だ。
「…ありがとう、ナル」
「いいって。…ねえ、姉上。戻ってくる気はない?」
「あら。もう弱音を吐いているの?」
 何気なく尋ねられた事を、からかい半分で逆に問い返す。するとナルは慌てて否定した。
「ち、違うっ!! そういう意味じゃなくてっ」
 食ってかかるようなナルに、シェイは微笑む。
「…昔、言ったでしょう? 自信がないのならやめなさい、と」
「……」
「頭領を継ぐのは決して義務じゃないのよ。…弱気は心に隙を作る。そんな心構えでは一族は背負えない」
「── わかってる、姉上。そういうんじゃないんだ。ただ…ぼくは半人前だから。時々、何が最善なのかわからなくなるんだ」
 言いながら俯くナルに、シェイは内心首を傾げた。あまりにらしくない言い様だ。
 まるで、迷いがあるような。
「ナル…頭領は、重い?」
 頭領の座を自ら捨てようとは思っていないようだが、確かに何かの拘泥(こうでい)がナルの中にあるように思えた。
「重くないわけないよ」
 苦笑混じりにナルは即答する。けれど、その表情はその事を苦痛にしているものではない。では、何がナルを迷わせているのか──。
 考え込むシェイの心を見透かしたように、ナルはふっと口元に笑みを浮かべると、あっさりとした口調で言い切る。
「だって、ぼくは半人前だしね」
「ナル」
「ぼくはまだ姉上を越えてないし。だから…まだ、頭領を継いだと言っても、中途半端でしかないように思えるんだ」
 真っ直ぐな目をシェイに向け、ナルは言う。
「覚えていてね、姉上。いつか絶対に、越えて見せるから!」
 それだけ言うと、ナルはくるりと背を向けて再び来た方へと駆け出していく。引き止める間もなく、シェイはそのまま妹を見送ってしまった。
(ナル……)
 遠ざかっていく小さな背中。
 まだ、十五歳だ。あの背中に一族の頭領としての責任と、南方指揮官としての責任が乗せられている。…自分がそれを、放棄した為に。
 その事を思うと、シェイは重苦しい気持ちに襲われる。だが、王宮に仕える事だけはどうしても譲れなかった。
 子供の頃から見守ってきた王女達── 特に、メイラを放っておく事など出来なかったから。
 その事は、かつてナルと語り合った事。今更どうこう言うものではない。けれど── 思わずにはいられない。
 もし、あの時自分が頭領となる道さえ選べば、あの妹はこの幼さで頭領の重責を背負う事にはならなかったのではないかと──。
 いや、戦いの最中にあって年齢というものは今ではあまり意味がない。
 どんなに年若くても、能力さえあれば戦場に狩り出される。そうでなくても、戦いが厳しさを増す中で、人類全体の平均年齢は明らかに低下しているのだ。
 戦場での平均寿命は、三十そこそこ。その年齢まで生き延びるという事自体、能力が優れている証とも言えた。
 だから── 若いという事だけを理由にするのは、おそらく誤りだろう。
 自分は、王女姉妹とはまた違った情で、あの妹を庇護したいと何処かで思っている。まだ、他愛のない時代を引き摺っている。
 それは一人の戦士として、指揮官として必死に毎日を戦い、そして生きるナルに対して、失礼というものに違いない。
「…『お姉様』は何処も大変ね」
 不意にそんな笑いを滲(にじ)ませた声が飛んでくる。
 驚いて声の方を見ると、いつからそこにいたのか、友人の治癒術士がひっそりと立っていた。
 金髪に紫水晶の瞳という、一見派手な外見にそぐわず、フロレスという人物は常に何処か控えめだ。敢えて存在感を出していないようにも思える程に。
(今…気配を掴めなかった……)
 その事実に驚きを隠せず、シェイはまじまじとフロレスの顔を見てしまう。
 いくら現役を離れて久しいとはいえ、仮にも護衛官である。
 人の気配には敏感な自分が── そして今現在、南方の指揮官であるナルですらも気付かないなど、あまり考えられない事だ。
「何? 顔に何かついてる?」
 穏やかな微笑を浮かべて、フロレスが茶化すような口調で尋ねてくる。シェイは慌てて内心の動揺を隠し、微笑み返す。
「いいえ。何でもないわ…そうだ、今からあなたの所に行くつもりだったのよ。ちょっとナルに捕まっていたけれど」
「誰か怪我でもしたの?」
 職業柄そんな事を連想したのか、フロレスが表情を改める。その反応に、シェイは先ほど一瞬考えてしまった最悪の想像を気のせいだと片付けた。
 女王延命の為に治癒術士として最大限の努力を払ってきた姿を、間近で見てきたのだ。
 確かに王宮へやって来るまでの経緯はほとんど知らないが、彼女が── 間諜であるはずがない。
「違うわ。…女王決定が三日後になったのよ。女王の遺体の維持は出来るかしら」
「ああ…そういう事。嫌ね、誰に聞いているの? 任せておいて。三日だろうが、一月だろうが保たせてみせるわ」
 余裕の笑みで応え、フロレスは鮮やかにウィンクしてみせた。
 言葉だけ聞けば驕っているとも取られかねないが、死体の防腐維持は生命維持に比べれば格段に楽に違いないかった。
「そうだったわね。これは失礼したわ」
 わざと呆れたように言って、シェイはくすりと笑いを漏らす。
 フロレスの実力はよくわかっている。難病で死期間近と言われた女王を、奇跡的としか言えない長さで生き長らえさせたのだから。
「そうだわ。私も聞きたい事があるのよ」
 ふと思い出したように、フロレスが話題を転じる。
「ライックを知らない? 東西南北、全ての指揮官に召集がかかったって聞いたんだけど……」
 その言葉で、シェイは現実を思い出した。
「それが……」
 つい言葉を濁す。そんな常らしくない様子にか、フロレスが怪訝そうな顔になった。
 その目を真っ直ぐに見る事が出来ないままに、シェイは搾(しぼ)り出すように言葉を紡いだ。
「…── 今回、西はライックもシスラも戻っていないわ」
「…な、に? どういう事……?」
 シェイの言葉に滲んだ不安感を敏感に感じ取ってか、フロレスの顔色が変わる。
 当たり障りのな部分だけを話そうかと思ったものの、フロレスもまったく無関係でない事を思い出し、結局わかっている範囲で全てを話す事をシェイは選んだ。
「西方は、混戦状態に突入したそうなの。指揮官は二人とも…今、現在も安否の確認が出来ていないわ。政務官達が必死に戦況を探っている最中だけれど──」
「…そう」
 シェイの言葉を遮るように、ぽつりとフロレスは言葉を漏らした。
 血の気が失せた顔。フロレスと西方の指揮官・ライックは夫婦で、彼女がどんなに夫の事を深く想っているのかを知っているシェイは、それ以上の言葉を紡ぐ事も出来なかった。
 フロレスはしばらく考え込むように黙り込み── やがて顔を上げると、シェイにぎこちない笑みを浮かべて見せた。
「ありがとう、教えてくれて」
「フロレス……」
 強がるような笑顔に、何も言えなくなる。
「私なら大丈夫。あの人はそう簡単にどうにかなる人じゃないもの。だから…平気よ。── じゃあ、私は戻るわね。…もし、何か情報が入ったら知らせてくれる?」
「ええ…もちろんよ」
 ぎこちなさの残る笑顔のまま、フロレスはそのまま背を向けて歩いていく。それを見送りながら、シェイは固く拳を握り締めた。
(こんな時に何も出来ないなんて……)
 女王の死に対しても、友人の不安に対しても──。
 その事実が、どうしようもなく歯痒かった。

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