Bless You All The Time

予感 〜忍び寄る影(2)〜

 会議室に戻ってみると、もう他の人間は本来の場所に戻ったらしく、ルイトルードだけがそこにぽつんと取り残されていた。
 椅子に腰掛けたまま、何処からか調達してきたらしいお茶を呑気に飲んでいる。
「ナル! 何やってたの? 遅いよっ!!」
 入ってきたナルに気付くやいなや、ルイトルードが噛み付くように口を開いた。
「…そこでのんびりお茶してるルイに言われたくないよ。みんなもう戻ったの? ベルゼも?」
「ベルゼーラは何処か行ったけど、他のみんなは帰っていったよ。ベルゼーラもナルも指揮官のくせに自軍を放っておけるなんて信じられないわー」
 大仰に肩を竦めると、自分の事は棚上げにしてルイトルードはお茶を平然と啜(すす)る。ナルは呆れ果ててため息を漏らした。
「…放っておいて一番やばいのはルイの所でしょうが……」
「ん? …何か言った?」
「いや、別にっ」
 耳ざとく視線を投げつけてきたルイトルードをかわすように、ナルは慌てて話題を転じた。
「ベルゼ…どうしたんだろ。リー=リーアにでも会いに行ったのかな?」
 リー=リーアというのは、ベルゼーラが人間側についた時に連れていた人間の少女である。
 ナル達と同じ年頃で、王宮で女官見習いをやっているのだ。どういう経緯かは知らないが、ベルゼーラとは実の兄妹のように仲がよい。
 そんな事を思っていると、ルイトルードが思い出したようにあ、と声をあげた。
「そう言えば、ベルゼーラ、先に戻っておけって言ってた」
「…ルイ。そういう事は忘れないでね」
 相変わらずのマイペースにがくりと肩を落としながら、ナルは帰還を促した。
「じゃあ、ぼく等は戻ろうか。ベルゼのところは結束固いし、本人がそういうなら大丈夫だろうしさ」
「そうね」
 飲み干したカップを机の上に置き、ルイトルードが席を立った。言葉で急かしつつ、ナルはつい余計な一言を漏らす。
「またルイの所の術士が凶行を働いて、一面焼け野原になったら困るしさ」
 その一言に、ルイトルードの眉がぴく、と持ち上がる。しかし無言のまま、椅子を元に戻した。そうしてゆっくりと口を開く。
「…それって、いつの話?」
「へ? …ほら、一月くらい前にさ。あの時、あの辺一体の大地を再生させるの大変だったじゃない。ベルゼなんて魔力使いすぎて倒れそうだったし」
「ああ…そんな事もあったね」
 ふっ、と笑ってルイトルードは遠い目になる。


 ── それからおよそ二日後。
 再び南方で実に王宮三つ分の大地が焼け野原と化し、それまでの類似の出来事の犯人が、まさに南方指揮官ルイトルード=ナーマその人の所業である事が判明するのだが── それはまた別の話である。

+ + +

 累々と転がる── 魂の抜け殻達。
 遠くで、また近くで聞こえる、大地の呻き声。
 空はそれを嘆くかのように血の色に染まり── 薄暮のような微かな光だけを地上に注ぐ。
 山はその形を失い、海は激しく荒れ狂う。
 そんな、まさに地獄のような光景でありながら── 世界は沈黙していた。全てを受け入れ、そして全てを拒絶している。
 その事実に満足したのか── その人は、口元に笑みを浮かべた。
 そして、呟く。

「──」

 明確な意味が捉えられない、単純なのに複雑なその言葉。
 それは絶対的な力をもって世界中に響き──。

+ + +

「……っ!!」
 メイラはそこで、はっと我に返った。しばらく呆然とした後、ほっと息をつく。
(また、あの幻……)
 以前は眠っている時だけだった。それなのに、最近は昼夜問わずに彼女の元に訪れる。
 世界が死んでゆく夢── もしくは、全てが終わってしまった後かもしれない。
 それが何を意味するのか、メイラにはわからなかった。
 予知なのか、警告なのか。今わかるのは、その幻夢に自分が捕われている時間が確実に長くなっているという事──。
「……」
 思わず、自らを抱きしめる。そうする事で自分の存在を確認するかのように。
(…ばかね。自分が消えてなくなる、なんて……。あの幻は、予知か警告なのよ。それ以外の何だと言うの……)
 自分にそう言い聞かせて安心しようとする。
 全てが死に絶えてしまう未来── それは今の状況ならば、決して起こり得ないものではないから、と。
 しかし不安は消えるどころか、さらに深くメイラの中に根ざす。
(…あの人は、誰なのかしら)
 客観的な視点で見る悪夢。そこには必ずと言っていいほど、一人だけ登場人物がいる。
 一体何者なのか── まるで、世界の破滅を喜ぶように笑う人間。
 何度も見るのに、何故かその顔も性別すらも覚えていられない。
 嫌な予感だけが蟠(わだかま)る。何か取り返しのつかない事が起こるような。── それとも、自らが犯した禁忌故の不安なのだろうか。
 そんな事を、ふと思う。
 全てはたった一つの願いを叶える為。
 その望みは── 争いのない、全ての存在が分け隔てなく、幸福を享受できる世界を築くこと。
 戦争さえなければいいのに── 幼い頃に強く願った思いは、長じた今、明確な願望として形を成した。
 その為ならば、何を失っても何を捨てても構わないと、そう思ったはずだったのに。
 そう…もう、逃げる事もやり直す事も出来はしない。この身にこれから何が起ころうとも。
 もし何かが起こったとして…それがどんなものであれ、自業自得に過ぎないのだから。


 メイラは闇の中で自嘲するように小さく笑った。

+ + +

「メイラ様?」
 尋ねると、リーは小さく首を傾げた。
 小柄な身体によく似合う、短めの栗色の髪がさらりと揺れる。その下にある、思慮深そうな焦げ茶の瞳が、何かを思い起こすように眇(すが)められた。
「…別に、これまで特に変わった御様子ではなかったけど……」
「そうか…悪かったな、変な事を聞いて。俺の気のせいならいいんだ」
 ベルゼーラの些(いささ)か歯切れの悪い言葉に、リーは不思議そうな顔を見せた。
「一体どうしたって言うの、お兄ちゃん? 気になるなら…直接お会いして、話してみたら? 最近は全然お話しする機会とかもないんでしょう?」
 これぞ名案とばかりに提案し、少女はにっこり笑った。
 言われてみれば確かにその通りで、自分が南方指揮官に就いてからというもの、まともに会話していなかった。
 久しぶりに顔を合わせた『妹』を目を細めて見つめ、ベルゼーラはその通りだな、と同意する。
「じゃあ、これから会ってみるとしよう。あまり時間はないが…確かめる事くらいは出来るだろうし……。リー、三日後にまた来る。それまで元気でな。その時は…久しぶりにゆっくり出来るように時間を都合してみるよ」
 その言葉に、リーはぱっと顔を輝かせる。
 人間のリーと魔族のベルゼーラの間に当然血の繋がりはないが、二人の間にあるのは明らかに「家族」と呼べる絆だった。
 東西南北の内、最大の激戦区とも言える南方── つまり最前線の指揮を取る兄の、その強さを信じないわけではないが、それでもやはり不安にはなる。
 次はいつ会えるだろう。生きて、顔を合わせる事は出来るんだろうか?
 実際の戦場をよくは知らないから、余計にそう思う。
 だから、下手したら数ヶ月くらい会えない兄が、用事があるにしても数日後にまたここにやって来るという事は、少女には純粋に嬉しい事だった。
「本当に!? あ、でも…無理だったらいいんだよ。南方が大変なのは、わかっているつもりだから……」 
 慌てて言い添える妹に、ベルゼーラは苦笑を浮かべた。
「大丈夫だ。そう滅多にある事ではないからな。…リー、お前こそ王宮で働いているからって安全とは言えないんだ、気をつけるんだぞ」
「うん」
 心配性にも受け取れる兄の言葉に、くすぐったそうに頷くリーを確認して、ベルゼーラはそこでリーと別れた。
 そのまま、王宮の奥、王族の住居部へと足を進める。目的地はメイラの私室だ。
 普通の人間ならば、そう簡単に入る事を許されない場所だが、ベルゼーラは魔族でありながらそれを許されている数少ない人物の一人だった。
 何故なら、彼は指揮官となる前は王宮で王女二人の教育係の一人だったからだ。
 前女王は、どのような事でも革新的な思想を持っていた。
 それが魔族であるベルゼーラを指揮官という重要な地位へと就く事を許し、さらに次期女王となるであろう二人の王女と深く関わる事を許したのだ。
 魔族を敵としながら── 自分に従属するものには、驚く程寛大な扱いを示した。
 もちろん、そこには様々な思惑もあったのだろうが、ベルゼーラは少なくともその点に関しては前女王に感謝していた。
 その事がなければ、きっと自分はともかく、リーは受け入れる先を失い、まともな生活を送る事は出来なかったに違いなかったのだから。
(…妹、か)

 ── 王宮で働いているからって安全とは言えないんだ、気をつけるんだぞ……。

 かつて、同じ言葉を言った事を思い出す。そして、それが最後の言葉になった事も。
 ── もう、人間の時間では五十年は昔の事だ。
 感傷を振り切るように頭を振り、ベルゼーラは目を前方に向けた。
「…メイラ?」
 そこには二階へと続く階段が見える。
 その踊り場に探す人物の姿を見つけて、ベルゼーラは今しがたまで自分を絡め取っていた思考を完全に切り離した。
「メイラ、ここにいたのか」
 突然の声に、メイラの身体がびくっと震えた。そして驚きを隠さない顔が、声の方へと向けられる。
「── ベルゼ?」
「ああ、驚かせて済まなかったな。少し、いいか?」
 珍しく歯切れの悪い言葉。その事に気付かない振りをして、メイラは微笑んだ。
「ええ、私は構わないけれど……。でも、いいの? 南方は気の抜けない状況なんでしょう?」
「それなら大丈夫だ。ナルとルイを先に帰した。あの二人ならしばらく任せても大丈夫だろう。俺も…一つだけ確認したらすぐに戻るつもりだ」
 ゆっくりとメイラのいる踊り場へと足を進めながら、ベルゼーラは次の言葉をどう切り出そうかと、躊躇(ちゅうちょ)した。
 その躊躇も、ベルゼーラが何を尋ねようとしているのかもメイラには予想出来たが、敢えてメイラはベルゼーラの言葉を待つ。
「メイラ……」
「何?」
 ベルゼーラは一瞬言葉に詰まり── しかし、すぐに意を決して口を開いた。
 今更、言葉を包み隠してもどうしようもないと思いながら。
「メイラ、お前は…嘘をついたな」
「……」
「お前の目── 俺は、二年前、熱病で失明したのだと聞いた。あの頃は俺も軍をまとめるのに忙しくて、それを鵜呑みにしたが…でも、違ったんだな? 本当は──」
「ええ…嘘よ。私の目が見えなくなったのは、熱病なんかのせいじゃないわ」
 ベルゼーラの言葉を遮るように、メイラは挑むように言い放った。
「メイラ……!!」
「私は── 禁忌を犯した罰を受けたのよ。だから…女王にはふさわしくない。先刻はそう言う訳にはいかなかったけど…でも、いずれ── 特にベルゼにはきっと気付かれるだろうと思っていたわ」
 そう言って、メイラはまっすぐにその目をベルゼーラに向ける。
 見えないはずなのに── 光を失ったその瞳は、以前と変わらないエメラルドの輝きでベルゼーラを惑わせた。
 そこにある堅牢な意志は、ちょっとやそっとでは動かす事は不可能だ。
「…だって、《神の眼》の事を教えてくれたのは、ベルゼ、あなただもの」
 その一言が、全ての答えだった。
「…やはり、そうなのか……。メイラ、どうしてそんな事を?」
 沈鬱な表情で尋ねるベルゼーラに、メイラは小さく笑った。
「どうして? それをあなたが聞くの?」
 軽く肩を竦めて、メイラは歌うように言葉を紡ぐ。
「私の望み── 七歳の頃から変わらない…でも、叶う可能性は皆無だった私の願い。ベルゼ、それをあなたはよく知っているのに?」
「その為に? …それで…《神の眼》を受けたのか……?」
 静かな── けれども緊張を孕んだ声。そこに潜むのが、怒りではない事をメイラは不思議な思いで受け止める。
 初めて引き合わされてから十年──。
 彼は本当に自分を案じてくれている。魔族だとか人間だとか…そういうものなど意味がない証のように。
 でも、譲れない。いや── そういう彼だからこそ、本当の事が言えるのだけれど。
 けれどもう、全ては終わってしまった事なのだ。
「そうよ。── 世界創造の鍵を握る《神の眼》。それを手に出来れば…願いが叶うと思った。私は、誰も傷付かない…憎しみ合い、苦しみばかりを生み出す事のない世界を築きたい。みんなが、幸せになれるように。人も── そして、魔族も」

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