Bless You All The Time
予感 〜忍び寄る影(3)〜
望むだけでは、何も変わらない。
その事に気付いたのは、いくつの時だっただろう?
そんなに昔の事ではなかったような気もするし、物心つく頃には知っていたような気もする。
願いは、それを可能にするだけの『力』がなければ、叶わない。
何かが欲しい、と願う。
それが物質であるのなら、それは口に出しさえすれば大抵は叶うものだった。でも、それが事象である以上、言葉に何の力もない。
そう、必要なのは── 不可能を嘆く事ではなくて、ただ純粋に『力』。
何もかもを変えるには、全てを凌駕する力が必要だった。
(知ってるか? この世界は、元々たった一人の神が創造したものなんだ)
幼い日。昔話代わりに、ベルゼーラが語ってくれた世界創造の物語。
登場人物はたった一人。何の力もない、名もなき少女。
だが、この少女こそ── 今のこの世界を創造する事になる《神》なのだ。
少女は願う。新しい世界の創造を。
少女が生きた世界は、光のない世界だったという。闇の中では大地も荒廃し、植物など当然育たない。
そんな世界を嘆いて、少女はあてもない旅に出る。彼らの間で言い伝えられていた《光》を求めて。
少女は長い長い旅の末、ついに《光》を見出し、そしてそれと融合する事で《神》となる。
《神》の力は、全てを変えた。
《神》が望んだように、世界に光が溢れ、大地は緑に覆われ、恵み豊かな今の世界が新たに生まれたのだ──。
そこで、物語は唐突に終わる。
物語の最後に、《神》となった少女は何かを呟いたという。だが、その言葉は今は謎のまま。
(変な話だけどな、この話の最後を知るものはいないんだ)
人よりも長い時間を生きる魔族には、その創造神話は一般的なものであるらしかった。それでも、彼等ですら知らない。
《神》となった少女が、最後に何を言ったのか。…誰も知らない結末。少女は何を思ったのだろう?
《光》は名を変え、今では《神の眼》の伝承として人々の間でも僅かに残る。
実際、過去に幾度となくその力を求めた文献が残っているが故に、メイラは継承の儀に及べたのだが。
── そして、実際に《神の眼》であるのかはさておき、《光》を呼び出す事は出来た。
…だが、その結果── メイラは視力を失い、願いは叶わなかった。
それだけだ。それだけの話のはずだった。
なのに── 何故か今、気にかかって仕方がない事がある。
それは《神の眼》が禁断のものだと定められた理由。そして── それを受けた者の、末路。
── 神話の少女は、一体どんな最後を迎えたのだろう……?+ + +
光が流れて、そして消えてゆく。空間が歪み、視界は不思議な色彩に染まった。
空間跳躍の術が発動しているのだ。その術を行使するのは若干十四歳の少女── ルフェルトナ。
「…何を考えている、ルフェル?」
黙々と、常と変わらない様子で術を発動させる相方に対して、イルグが不意に尋ねかける。
付き合いはそう長いものではないが、イルグにはルフェルトナが先程から何やら考え込んでいる事はお見通しだった。
イルグの質問を受けて、ちらりと視線を持ち上げ、やがてぽつりと答えが返ってくる。
「…西の事」
大きな印象的な瞳が、イルグを真っ直ぐに見つめる。
「どうして、こんなに対応が遅れたんだと思う? わたしは奴等が現れた時点で、北か…東から援軍を出すべきだったって思うんだけど……」
ほとんど感情を波立たせた事のないルフェルトナの言葉は、内容がいくら切羽詰ったものでも、何処かしらのんびりと聞こえてしまう。
「ま…そうだなあ」
そんな物言いにすっかり慣れていたイルグは、特に気にした様子もなくその瞳をすっと細めた。
「── 『第三の勢力』、か。…確かに、奴等が現れた時の対応は遅かった。けど、その正体は不明だし…女王も死にかけていてそういう状況でもなかっただろ。仕方なかったと思うぞ?」
「…どうして魔族じゃないってわかったんだろう。イルグ、何か知ってる?」
至極不思議そうに尋ねた言葉に、イルグは思わず苦笑を浮かべた。
ルフェルトナの周囲に対する意識が、普通の人間より薄いのはいつもの事だったが、戦略上必要な予備知識すらも感心が薄いというのは困りものである。
「…ルフェル。お前はもうちょっと、外に目を向けた方がいいぞ。仮にも東方の術士団を統括する《風の司》がそれじゃ、あんまりだと思うぜ?」
思わず口をついて出た忠告に、ルフェルトナは少し顔を顰(しか)めた。
「余計なお世話だよ。それより、どうなの。知っているなら、教えてよ」
軽く睨んで催促してくる。どうやら、イルグの言葉はルフェルトナの気にしている部分を刺激したようだった。
自覚があるならまだマシか、と思い、イルグは自分の知る事を語る事にした。もっとも、
「まあ…オレも聞きかじりで詳しくは政務官辺りに聞くしかないんだけどな。実際、あの情報収集能力はすごいし」
と、前置きする事は忘れなかったが。
「…それで?」
イルグの感心したような言葉に、何の感銘も受けた様子もなく、ルフェルトナは先を促した。
彼女にしてみれば、直接接点がある訳でもない(実際は大ありなのだが)政務官に対してなんの感慨もないし、必要な知識さえ得られればそれでいいのだ。
その事がわかっていたので、イルグの方もあまり気に止めずに続きを口にする。
「…だから、まず魔族が西方及び南方の軍以外と闘っていたという情報を掴んだんだよ」
「同士討ちって事は?」
「ベルゼの証言だと、ありえないそうだ。オレは魔族じゃないからその辺の信憑性はわかんねえけどな。魔族は好戦的ではあるけど、軍単位の争いなんてまずしないって話だ。…まあ、人間と争っていて、内輪揉めなんてやらかすとは思えんが。それに将軍レベルになると、魔王に完全に従属しているから軍自体を勝手に動かすなんて事もないとベルゼも言ってたしな」
その証言と、いくつかの情報によって、『第三の勢力』は名実共に確認されたのだが、ルフェルトナはそこまで聞く前に納得してしまったらしい。
「ふうん……」
と、いまいちわかったのかわからなかったのか、はっきりしない様子で呟き、目的地に辿り着くまで黙り込んでいた。
中央部にある王宮と東方の軍部まで、空間跳躍する場合は若干時間がかかる。
瞬間的に移動出来るのなら苦労はないが、ある程度の質量がある場合、それに比例して時間もかかるというのが、今の所はっきりしている事だった。
ルフェルトナ一人ならば半分以下で済む移動時間も、魔力が使えないイルグがいる為に時間がかかっているのだ。
それがわかっているので、イルグも黙って到着するのを待っていた。
マーブル模様の光と色彩が、やがてゆっくりとまた崩れ始める。着いたか、とイルグが思った矢先、ルフェルトナがぽつりと言葉を漏らした。
「…ベルゼって、魔族に詳しいんだね。魔族みたい」
── いくらルフェルトナの的の外れた言動に慣れていたとはいえ、イルグもこれには言葉を失った。
最前線の戦士団を束ねる、南方指揮官ベルゼーラが魔族である事は、周知の事実である。
まさか、今更…しかも、同じ軍務官として何度も顔を合わせているのにも関わらず、気付いていなかったとは思わなかった。
(お前…奴の何を見ていたんだ……?)
確かに会う機会こそ多くても、直接話す事は少なかったのだろう。
だがしかし、ベルゼーラのあの明らかに人外の容姿に、何の違和感も持たなかったというのは…あんまりと言えば、あんまりであろう。
「おい、ルフェル……」
視界が見慣れた風景にすり替わるのを確認しつつ、イルグが口を開いた時だった。
まるでそこに現れる瞬間を待っていたかのように── 実際、待っていたのかもしれないが── 切羽詰った声が彼の言葉を遮った。
「ルフェルトナ様、イルグ様っ!!」
その声の只ならなさに、反射的に顔を向けると、見覚えのある若い女が血相変えてこちらへと駆け寄ってくる所だった。
(…何かあったのか?)
イルグの中で緊張感が高まる。ルフェルトナも同様に感じたのだろう、神妙な顔で女が辿り着くのを待っている。
「どうした?」
息も絶え絶えになりながら、女が辿り着くや否や尋ねる。時間が惜しかった為だが、それは逆効果だった。
「あのっ、怪我人が…っ、状態がひどくて…その、どうも無理に転移して……」
女はひどく混乱していて、うまく言葉に出来ないようだった。
上がった息を整える事も出来ずに、泣きそうな顔で何とか彼等に状況を説明しようと努力はしている。
だが、それはまったく報われておらず、むしろ混乱に拍車をかけるばかりである。
これは聞き出すだけでも骨が折れそうだ。
瞬間的にそう思ったイルグは、女が落ち着くのを待っていられずにその肩に手を置き、女の目を覗き込む。
その刹那。イルグの瞳が怪しい光を帯びた。
「…大変なのは、よくわかった」
女に言い聞かせるように、殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「落ち着いて…事実を、明確に、話せ」
その言葉を聞いている間に、女の顔から焦りが消えた。まるで先程までとは別人のように、彼女が伝えたかった事を流れるように話し始める。
「…ルフェルトナ様とイルグ様が陣営を離れられてから一刻程して、ここから北東に陣を張る同士から緊急の知らせが届きました。何でも…突然、陣営内に満身創痍の人間が現れたと……。御二人が不在でしたので、オリジ様がそこに向かわれました。先程知らせが届いた所、一人は息を引き取り、もう一人も意識不明の危篤状態との事です。どうやら…襲撃中に無理に転移魔法を使ったらしくて──」
そこまで聞けば十分だった。イルグは唐突に身を離し、少しばかり考え込んだ。
女といえば、まるで夢でも見ていたかのように、きょとんとした顔になる。その事に構わず、イルグは相方を振り返った。
「ルフェル」
その呼びかけと、視線で言いたい事を了解したのだろう、ルフェルトナは頷くとイルグに駆け寄るとさらりと告げた。
「『跳ぶ』よ」
次の瞬間、彼等は突如生じた白光に包まれ── 再びその姿を消していた。