Bless You All The Time

予感 〜忍び寄る影(4)〜

(どうして、滅びを嘆くの)

 その人は、無邪気に笑ってそう言った。

(どうして、死を恐れるの。どうして、争いを拒むの。どうして、怒るの)

 それは純粋な問いかけだった。まるでその意味がわからずに尋ねているだけのような。そこに、他意も悪意もない。

(どうして、泣くの。どうして、苦しむの。どうして、悩むの)

 答えるべき言葉が見つからない。
 何かを伝えなければならないのに。

(どうして、喜ばないの)

 その人はくすりと小さな笑い声を上げた。

(望んだのはあなたでしょう? なのに…どうして見ない振りをするの? 気付かない振りをするの?)

「…違う……」

(何が違うの。あなたは知っていたくせに。それを手にしたら何が起こるのか…自分の願いが何を引き起こすのか。知っていたくせに── 拒否している)

「知らない…知らない、私は……!!」
 必死に否定するのに、その人は取り合ってくれない。耳すらも貸そうとしなかった。
 残酷な程楽しげに、その顔を近付け、断言する。

(目を背けて何になるの。どう足掻いても、結果は同じ。…だから、あなたは『私』を求めたはず)

「── あなた……!?」
 その人はようやく自分を見た彼女に、目を細めて微笑んだ。その瞳の色は、燃えるような黄金色。
「…そんな……」
 その顔を見た瞬間、絶望に似た感情が襲い掛かる。
 その感情がなんであるのかわかる前に、その人は彼女の心情を見透かしたようにくすくすと笑い声をあげた。
「どうして──!?」
 彼女の叫びは、笑い声に掻き消される。
 答えはない。返るはただ、何かを嘲笑うような笑い声のみ──。

+ + +

 突然、胸騒ぎがした。
(…何?)
 それは不安というよりも、喪失感に近い。じわじわと心を浸食して行く。
 自覚したのと同時に、クナルは走り出していた。
 行かなければ。それだけが心を占める。その感覚には、覚えがあった。そう、それは二年前の──。
「── クナル様!? どうなさいました?」
 途中で横から声がかかる。その声に足を止め、クナルは声の主を探した。確かに今の声は幼馴染の護衛官のものだ。
「シェイ……!?」
 呼びかけた声にも、緊張が露わになる。
 普段のクナルならばそんな事はまずない。それだけの不安が、今、クナルを襲っていた。
「何か、あったんですか?」
 小走りにシェイがやってくるや否や、クナルは反射的に叫んでいた。
「お願い、シェイ。着いて来て!」
「クナル様?」
 面食らって絶句するシェイに、クナルはぎゅっとしがみついた。
 不安で不安で── まるで迷子の子供のように、縋(すが)れる者が欲しかった。そしてそのまま、有無を言わさない口調で告げる。
「すごく、すごく嫌な予感がするの……!! だから…っ、着いて来て! お願い!!」
「ク、クナル様? ともかく、落ち着いて下さい」
 宥めるように、シェイは努めて穏やかにクナルに話し掛けた。
「一体、どうしたと言うんですか」
「わからない……」
 クナルの答えは単純にして明快だった。
 そう── わからないのだ。ただ、不安で怖いだけ。そして、その感覚に身の覚えがあっただけ──。
「でも、怖いの。感じるの。…何か、すごく大切なものがなくなってしまうような…もしかしたら、またお姉様の身に何か起こったのかもしれない!!」
 十五歳という年齢にしては気丈なクナルが、泣きそうな顔で訴える。
 それはとても珍しいもので── それだけに、シェイの緊張も否応もなく高まった。
 クナルは一見、隙がなく年にしては大人びてさえ見える。実際、その決断力はかの女王の娘である事を如実に示してもいた。
 だが── その精神は反面、とても脆い面がある。
 姉に対する、強い依存心と執着心。
 クナルの実の母である女王は、自身の娘には大して興味を示さなかった。
 その上、クナルの持って生まれたその気性の激しさもあって、扱いにくい子供だと世話をする女官達からも一線を引かれたような扱いをされていたのだ。
 それ故にクナルは長いこと愛情に飢えていたのだろう。その飢えを満たしてくれたのが、父親の違う姉── メイラの存在。
 父親が違うせいで、物心つくまで離れて育てられた二人がどのようにして引き合わされたのかは、その頃はまだ王宮へ来ていなかったシェイにはわからない。
 だが、メイラと会った事で、クナルは明らかに変わったのだという。
「…わかりました、御一緒します。今からメイラ様の元へ参りましょう」
「ありがとう、シェイ……!」
 明らかにほっとした表情に安堵しながら、シェイは嗜(たしな)める事を忘れなかった。
「ですが……」
「何?」
「まだ、何かが起こったと断定できた訳ではないでしょう? 先程のような御様子でしたら、逆にメイラ様を驚かせてしまいますよ?」
「あ……」
 その言葉でようやくクナルは自分を取り戻したようだった。慌ててしがみついていた手を離し、少し照れたように微笑む。
「そうね。他にも人目があるし、徒(いたずら)に騒ぐものではないわよね。…でもこの感じは嫌だわ…怖い……」
 どうやっても不安を隠せない様子のクナルの言葉に、シェイも常ならぬ不吉さを感じ取った。
 いや── 本当はずっと前から薄々は感じしていたのだ。二年前のあの日、突然メイラが姿を消した時から。
「私…お姉様がいなくなったらどうしていいかわからなくなるの。だから…確かめに行くのも少し怖い……」
 気弱な言葉を漏らし、クナルの目が潤む。
「クナル様……」
 こんな風にクナルが泣くのを見たのはこれで二度目。やはり最初はメイラが消えた時だった。
(…何なの? この不安は……)
 シェイは無意識に自らの腕を抱き締めていた。理由のわからない、恐怖に似た悪寒が身体の中を駆け抜ける。
(何かが…狂い始めている…そんな気がする……)
 自分の考えに没頭していたシェイの耳に、クナルの言葉が届く。
「…どうして気付かなかったんだろう……。お姉様が《神の眼》を受けようとするなんて……」
「クナル様……」
 きゅっと拳を握り、クナルは呻きにも似た言葉を紡ぐ。
「ベルゼだって、言っていたわ。あれは、危険なものなんだって…最大の禁忌なんだって……!!」

+ + +

 陣営へ戻る道の途中で、『土』を司る彼女はふと立ち止まった。
 微かにその目を見開き、そして何かを見定めようとするかのように周囲に視線を走らせる。
「ドネリス? どうかしたの?」
 マウイの声に我に返ると、ドネリスは何事もなかったかのように微笑んだ。
『何でもないわ、マウイ』
 今のは気のせいだったのだろうと、ドネリスは無理矢理自分を納得させようとした。
 しかし、マウイはさながら戦場にいる時のような真剣な目をドネリスに向け、きっぱりと否定した。
「嘘だね、それは」
『…マウイ……』
「今、何か感じたんだろ? オレに隠す事ないよ」
 その言葉は、隠し事を非難するというよりは、彼自身も何かを感じたような言い方だった。
 ドネリスはしらを切り通す事は諦め、代わりに尋ねる。
『マウイも何か感じたの?』
 ドネリスの問いに、マウイはこくりと頷くと中空に目を向けた。
「先刻…一瞬だったけど。オレとドネリスの感じ方は違うかもしれないけど、なんか変だった」
『マウイはどんな感じだったの?』
「── 世界が、軋んだ」
 その表現に、ドネリスは目を見張った。
 ドネリスが感じるのはあくまでも大地の力。大きく揺らいだと思ったそれが、よもや空間全てに起こったものだとは思わなかったのだ。
 思わず絶句するドネリスに気付いた様子もなく、マウイはその時の感覚を思い浮か
べるように言葉を重ねる。
「《界境》も、何だか…ぶれたような感じだった。うまく言えないけど」
 《界境》とは、世界と世界の間にある一種の異世界のようなものと言われていた。
 その概念は一般的でなく、マウイが属する極限られた一族だけに伝わるもので、ドネリスもその詳細は知らない。
 ただそれが「ぶれた」という事はこの世界だけでなくその周辺までも影響を受けたという事ではないか、という考えには及んだ。
『そう……』
 そこで初めて、ドネリスの顔に隠しようのない翳りが過ぎった。困惑を隠せず、目を伏せて大地を見つめたまま、ぽつりと呟く。
『何かが…動き出しているというのかしら。目に見えない…私達の預かり知れない場所で』
「ドネリス……」
 心配そうにマウイが名を呼ぶ。それに微苦笑で応えて、ドネリスは再び足を進め始めた。慌ててマウイもそれに倣う。
『…今は戻りましょう、マウイ。あれだけでは全く何なのか掴めないし……。でも…とても不吉な── 嫌な予感がするわ』


 世界が『軋んだ』日。
 それが何を意味していたのか── それに気付いた者は誰一人いなかった。

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