Bless You All The Time

喪失 〜払われるべき代償(1)〜

 どうして、目を背けるの?
 目をいくら塞いでも、何も変わりはしない。
 ── 望みは、叶う。
 それがどんなに無謀で、途方のないものであろうとも。それがどんなに不可能で、困難極まりないものであったとしても。
 何故なら…それは、『奇跡』だから。
 その代わり、これだけは忘れてはならない。
 大きな力は、時としてそれに見合うだけの代償を必要とする事を。
 一つの奇跡を起こす為に、多くの何かが失われる事があるのだという事を──。


 さあ、よく見て。
 その両の目で、これから起こる全ての事を。
 そして、見届けなさい。
 あなたの望みが引き起こす事を──。

+ + +

 人の気配がした。
 一人…いや、二人だろうか。足早にこちらに向かってやって来ているようだ。
(クナルと…シェイ……?)
 光を失った事で鋭さを増した感覚は、ほぼ正確にその気配の持ち主を識別する。今では何でもない事だが、失明した二年前はこうはいかずに色々と大変だった。
 …自業自得、という言葉を何度噛み締めた事か。
 どうやら、いつの間にか寝入ってしまったようだった。
 ベルゼーラと別れて私室に戻った辺りは覚えているのだが、そこから先が曖昧になっている。
 夢現でメイラは自分のいる状況を考えた。
(確か…ベルゼと話して…それから……)
 しかし、その思考は突然扉の立てた音で中断する。
「お姉様……!!」
「メイラ様!!」
 重なって聞こえた声はまさしくクナルとシェイのものだった。メイラは二人のその切羽詰った様子に目を丸くする。
「何? どうしたの…何かあったの?」
 しかし、そんなメイラの返事に対して、二人の反応はと言えば、ほっと安堵したようにため息をついただけだった。
 メイラは益々困惑を深める。一体二人は何をそんなに慌てていたのだろう?
「クナル? シェイ?」
「あ。ごめんなさい、お姉様」
 怪訝さを隠さないメイラに、慌ててクナルは謝り、すぐ横に歩み寄る。
 そして訳がわからず首を傾げるメイラに、まるで子供の頃のように不意にぎゅっと抱きついた。
「ク、クナル!? …どうしたの、本当に……」
「── 何でもないの。ただ…また、お姉様が私達に黙って消えちゃうんじゃないかって思って……。本当にごめんなさい、驚かせてしまって……」
「……」
 クナルの言葉に、一瞬メイラは言葉を失った。その何も映さない瞳が、微かに見開かれる。
(私が…『消える』……)
 何故だか、その言葉に衝撃を受ける自分がいた。
(私が…消えるとしたら……──)
 しかし、そこまで考えるに至って、メイラははっと我に返った。そして自分が今考えた事に対して、眉を顰(ひそ)める。
(何を考えているの、私は……!?)
 自分自身に対して違和感を感じたのは初めての事だった。
 自分で自分の事がわからない、そんな冷たい恐怖が身体を支配する。けれどもメイラはそれを表に出さず、努めて笑顔を浮かべて見せた。
「もう、クナルは心配性なんだから……」
 そうしなければ、不安に飲み込まれそうだった……。

+ + +

「…これは……」
 デュヤンは言葉を失い、立ち尽くした。
 辿り着いた先、西方── 広大な樹海の入り口に当たるその場所は、デュヤンの想像を遥かに越えた凄惨な状況だった。
 いたる所に転がる死体。怪我人の呻き声が耳につく。漂う微風には、錆びた金属のような生臭い、血の臭いが絡まっている。
 今までに多くはないものの、政務官補佐としていくつかの戦地を見てきたデュヤンでも、目を背けたくなる惨状がそこにあった。
「う、うう……」
 すぐ近くで聞こえたその声で、デュヤンの呪縛は解かれた。
 反射的に声のした方を見れば、腕を砕かれ、腹部に刺し傷を負った男が倒れている。
「大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄り、そっと抱き起こす。医師でないデュヤンの目から見ても、明らかに重症だった。
「しっかり……! すぐに治療を……っ」
 せめて止血だけでもしなければ、と血を抑える為の布代わりを探そうとしたのを、男の声が引きとめた。
「…お前、は?」
 焦点が合わない目がうっすらと開かれ、力ない言葉が男の口から漏れる。
「オレは…どうして……」
「僕は政務官補佐のデュヤン=ゾハルといいます。傷がひどい、もう喋らないで……」
「── シスラ、様が……」
「え?」
 余計な体力を消耗させないように黙らせようとしたデュヤンを無視して、男は必死に言葉を紡いだ。
「早く…捜し…消えたんだ、シスラ…様が……。奴等は…、強い。化けも…っぐっ!」
 言葉の途中で咳き込み、鮮やかな血を吐く。胸元が朱に染まっていく中、男はそれでも話すのをやめようとしなかった。
「たのむ…あの方…まで、何かあったら……」
 男の必死な言葉を、デュヤンは混乱しながらも受け止めた。
 シスラ── その名を、デュヤンはよく知っている。
 シスラ=シード…別名《水の申し子》と称される、西方の術士団の頂点に立つ指揮官の一人。
 連絡が取れなくなった事はわかっていたが、よもや消息が途絶えていたと思ってもいなかった。そして今、男が言った言葉には別の不吉さも同居していた。
 ── あの方にまで何かあったら。
 すなわち、それは別にも同様に『何か』が起こった人物がいるという事だ。文脈と状況から考えて、浮かび上がる人物は一人しかない。
「…もう、三日、だ。水が…呼ぶと…言って……」
「水が、呼ぶ?」
 予想外の言葉に、デュヤンは一瞬状況を忘れて首を傾げた。
 術士にはそれぞれ、属性というものがある。ルイトルードが火の属性を有するように、シスラには水の属性がある。しかも、人並み外れた。
 だが…だからと言って、それぞれの元素に意志が宿るなど聞いた事がないし、到底在り得ないように思える。…常識で考えれば。
 だが、デュヤンはそこで不可能だと言い切る程、無知でもなかった。自身こそ術士ではないが、術士の事は戦士の事よりもわかる。
「…わかりました。後は任せて下さい」
 しっかりと頷いたその言葉に安心したのか、そこで男は意識を失った。ようやく探し当てた布で患部を抑えながら、脈を取る。
 元々は戦士だったらしいその男の脈は、若干弱っていたものの、まだ命の流れがわかる。
 すぐに手当てをすればおそらく大丈夫だろう。腹部の怪我は思いのほか深手だったが、急所は外れている。
 そこまで確認して、デュヤンは一つため息をついた。
「…水、か……」
 姿を消した指揮官、正体の掴めない敵。そして、それに伴う混乱。
 ── 状況は最悪と言えた。

+ + +

 視界が開けて、まず最初に感じたのは血の臭いだった。それも── 死臭だ。
 肌を通してその事がわかる。戦場に漂う、死神の残り香…それと同じだ。
「…ルフェル、戻ってきたのか……。イルグ殿も……」
 突如現れた彼等を迎えたのは、線の細さを感じさせる、戦場にはあまり似つかわしくない雰囲気をもつ少年だった。
 一見した所、十六、七歳ほどで、服装からおそらく術士である事が感じられた。
 色素の薄いその瞳に深刻な翳りを見つけ、二人の顔に新たな緊張が走る。
「オリジ…怪我人はどうなった?」
 イルグの言葉に、少年── 東方の術士で、ルフェルトナの副官であるオリジ=エネは小さく頭を振り、ぽつりと呟く。
「残る一人も……」
「……」
「そうか……」
 言葉を失う二人に、オリジも沈痛な表情で俯(うつむ)く。そしてしばらくそうしていたかと思うと、やがて意を決したように再び顔を上げた。
「ルフェル、イルグ殿。二人に確認して欲しい事があります」
「……?」
「何だ、オリジ」
「二人の内、一人は西方の戦士だという事は手に施された転移用の魔法陣でわかったんですが…もう一人が問題なんです。どうも、そちらが転移魔法を使ったようで手がかりもない。その上…僕は面識がないし、その人もここに現れた時点でもう意識がなくて、確かめる事も出来なかったんですが…もしかしたら」
「…!! ルフェル!?」
 オリジの言葉が終わる前に、普段ならマイペース一直線のルフェルトナが先に動いた。奥へと走り出したルフェルトナを、残る二人も慌てて追いかける。
「どうしたんだよ、ルフェル!?」
「── 冗談じゃ、ない……!!」
「…ルフェル?」
 追いかけてきたイルグの言葉に、ルフェルトナは今までにない切羽詰った声で唸(うな)るように口走る。
 そこには常にない焦りの感情があり、イルグもオリジも無意識に顔を強張らせた。
 ルフェルトナは《風の司》── 周囲にある大気から、一早く何かを掴んだのかもしれない。
 一足先に目的地へと辿り着いたルフェルトナが、そのままの勢いで天幕に飛び込む。
 釣られるように遅れて飛び込んだイルグは、飛び込んだままの状態で立ち尽くすルフェルトナに、危うくぶつかりかけて踏鞴(たたら)を踏んだ。
「っぶねーなっ! こんな所で…──!?」
 そこで、イルグの言葉は途切れた。
 目前に二つの寝台が置かれている。どちらも急いで設(しつら)えたと思われる簡素なものだったが、問題はその上に横たわるものだ。
 一目で明らかに息をしていないとわかる、二つの亡骸がそこに安置されていた。
 その一つは二十代中頃の、見覚えのない男。そしてもう一つは……。
「…何で……」
 呆然とルフェルが呟く。それはイルグも口にこそださなかったが同じ思いだった。
 血の気が失せた、白い顔。それよりもさらに白い髪。どちらかと言うと女顔で、とても剣を振るって闘う戦士には見えない風貌だ。
 その硬く閉じられた目── そこにかつては、血のような真紅の瞳があったの事を彼等は知っていた。
 …だからこそ、二人は立ち尽くす事しか出来ない。
「…ライック……」
 そこに眠るのはまさに彼等の同僚── 彼等の守る東方とは正反対の西方にいるはずの人物。戦士を束ねる指揮官の片割れ、ライック=バールだった。
 その稀な姿を見間違えるはずもなく、それ故にそれが間違いである事も信じられない。
 重い沈黙が横たわる中、彼等は涙も流す事も嘆く事も出来ないまま、ただ口を閉ざす事しか出来なかった──。

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