Bless You All The Time
喪失 〜払われるべき代償(2)〜
遠くで派手な爆発音。次いで地響きが伝わってきた。
「まーたやってる」
半ば呆れつつ呟くが、身体は動いたままだ。
言葉を発した次の瞬間、ナルの拳は敵の剣撃を掻い潜り、見事鳩尾(みぞおち)に決まる。
堪えきれずに崩れ落ちるその身体へ容赦なくとどめの蹴りを放って、絶命を確かめるまでもなく目は次の敵を追い求める。
「お嬢、お見事!!」
横からかかったそんな声に、片手だけ挙げて応える。
(…お嬢、か)
小さく苦笑する。
(ぼくはいつまで経っても…『お嬢』なのかなあ)
最前線である南方指揮官になって、一年と半年程。そして一族の頭領となってからは二年。
予想外の方へ自分の運命が動き出した事に驚き惑った、その記憶はまだ残っている。
両親の相次ぐ死── それはあまりにも早過ぎる死だった。
その死の衝撃が去りきれぬ内に、今度は本来その跡を継ぐはずだった姉が、頭領となるとなる道を拒否し、王宮へ留まる事を選んだ。
そして一族の者として人並みには鍛えられてきていたものの、頭領の重みなど知らない自分が頭領を継いだ……。
『頭領は、重い?』
姉── シェイの言葉が耳に甦る。
次期頭領としてナルの名が浮上した時の、尋ねた口調そのままで尋ねられた言葉。
『頭領は重いものよ。背負おうという意志がないのならやめなさい』
元はと言えば、自分の我が儘からそうなったのだから、と頭領になる事を決意した後も、姉は再三自分にそう言い聞かせた。
(…重いよ、すごく)
新たな敵の攻撃をかわし、そのまま足を払う。
(本当は、こんなもの背負いたくなかった)
でも、結局自分は選んだ。頭領として、戦いの矢面に立つ事を。一族の全てを背負う事を。
魔力でもなく、そして他界の力を借りるのでもなく。自らの肉体だけを武器として戦い続けてきた一族── その、頂点に立つ自分。
そんな事、昔は想像だってしていなかった。
…キッ!
鈍い、音。
そしてそこにあった手応えが消える── 敵の首の骨が折れたのだ。
「…ごめんね」
誰にも聞こえないような声で呟く。
本当は誰でも知っている。でも、知らない振りをする、一つの事実。
── 魔族にも、心がある事。大切な何かを守るために闘うのだという事。
人間と── 根本的には何も変わらないのだという事。
でも、認めてしまったら闘えないから。だから、せめて。
(…負けられないんだ)
この命をかけている。
自分は人間で…そして『一族』という大切な家族を背負っているから。だから、負けは許されない。
ふと目を走らせた向こう、幾分離れた場所に、赤い光と青白い光が見えた。他のものとは比べ物にならない大きさと輝きがある。
赤い光は、ルイだ。
ふと、今朝方の開戦前に話した事を思い出す。
ルイは魔族が許せないのだと言っていた。詳しい事情は知らないが、ルイは明らかに大部分の人間のように魔族を憎んでいる。
何の為に闘うのか、と尋ねたナルに、ルイはいつもより神妙な顔で答えたものだった。
魔族が許せない、その憎しみと…大切な『約束』を守る為に闘うのだ、と。
青白い光は、ベルゼーラだ。
魔族でありながら、人間側へ寝返った『裏切り者』── けれど、実際の所、人間側へ与(くみ)する魔族が少なくない事もまた事実だった。
彼を敵対する側へ走らせる、どんな出来事があったのかは定かではないが…彼と会ってから、ナルは魔族も人と同様に怒りもすれば、悲しみもするのだという事を実感として知った。
血どころか種族すらも違うリー=リーアとの睦まじさは、本当の兄妹でない事が不思議な程だ。
…人と魔族は相容れないものではない、といういい例だろう。
魔族を憎むルイと、魔族でありながら人側へついたベルゼーラ。当然、当初は険悪だった(一方的にルイがベルゼーラに敵愾心(てきがいしん)を持っていただけだが)。
でも、共に戦う内にそのわだかまりは消えていった。それはきっと、二人とも魔族を敵だと見なせているからだ。
共に南方を守る同士だが、彼等二人には明らかな戦う理由がある。きっと、他の指揮官にだって。
(でもぼくは──)
魔族を憎む、理由を持たない。
両親は確かに、魔族に殺された。けれど、それは一族にとっては名誉とも言える戦死だ。
一族の誇りを損なわなかった、尊き死。だから憎しみを抱く余地はそこにはなかった。
…確かに、突然の死は大いなる悲しみを連れては来たけれど、それでもナルは一人になった訳ではない。
その頃にはすでに戦場に立ち、まだ王宮に正式には仕官していなかった姉── シェイがいたからだ。
まさかその後、頭領を継がず、戦場ではなく王宮を自らの居場所に定めるなどとは予想もしていなかったが── 王宮行きを打ち明けられた時、ナルは反対しなかった。
一族の多くがシェイの決意を納得しない中、最初から最後まで味方で在り続けた。
何故なら、シェイが決して一族の誇りを忘れた訳ではない事を、ナルにはよくわかっていたからだ。
『全てを見届けて差し上げたい』── そう言った姉の顔が、怖いくらいに真剣だったのを、よく覚えている。
一体『全て』とは何を示していて、『何を』見届けたいと思ったのかまでは教えてはくれなかったけれど。
でも、言葉にしなくても伝わった。
姉は戦場から逃げたのではない。戦う場所を、戦場から王宮へ移すだけなのだ、と。だから── ナルは自らが頭領になろうと思ったのだ。
シェイが、心置きなく王宮へと行けるように……。
(…じゃあ、ぼくは? ぼくは、何の為に戦っているんだろう?)
ルイもベルゼも、…そして敬愛する姉も。
みんな何か理由をもって戦っている。理由があるからこそ、戦っている。
では── 自分は?
自分は、自分の為に戦っているだろうか? 自分の目的の為に、何かしているだろうか……?
ここ最近、ふとした拍子に考えてしまう。魔族の命を奪いながら、それが役目だと思いながら──。
「お嬢!!」
すぐ背後で声がした事で我に返る。振り返れば、先程まで同様に魔族と戦っていた男が困惑顔で立っている。
「何? どうかしたの」
「…何か、変です」
男は緊張した面持ちで、周囲に目を走らせながら告げた。言いながらも無造作にも見える動作でぶん、と左腕を振るう。
何かが砕け、潰れるような音と共に、無防備に立ち尽くした彼等に襲いかかる魔族を殴り飛ばした。
「変って、どんな風に」
ナルも負けずに、背後も見ずに回し蹴りを放ち、剣を上段に構えていた魔族の胴を抉(えぐ)り、倒れる所を今度は逆方向から肘を見舞う。
その間にも、男の言わんとする事を理解しようと周囲の気配を探るのは怠らない。
「気配が、読めすぎませんか」
「気配?」
昏倒した魔族に一瞥も与えず、再び男に向きかえると、男はすっきりしない顔で訴えた。
「しかも…何だか、妙に手応えがない気が……」
「……!?」
男が言い終わる前に、ナルの表情が切り替わった。
緊張で強張ったその顔を、男が怪訝そうに見るのも気にせず、口早に告げる。
「今すぐ撤収するよ! 急いで…これは、罠だ!!」
言いながらも、すでにナルの身体は動いていた。男が慌てて続こうとするのを、視線で留まらせる。
今の敵は魔族ではない── 仕掛けているのは確かに魔族だが、彼等を追い詰めるのは他でもない。
『時間』だ。
「後衛にいるみんなにも伝えるんだ! いいね!!」
立ち尽くす男に言い捨てて、ナルは駆ける── 最前線に向かって。+ + +
進むにつれ、男の言わんとしていた事がわかってきた。
襲いかかってくる魔族達。けれど── それは、前線間近にしてはあまりにも手応えがない。
いかにも使い慣れていない様子で大振りしてくる魔族を、擦れ違いざまに足払いをかける。
たったそれだけで無様に大地に転がる様は、ナルの腕前以前に相手の能力が低い証のようですらあった。
(…捨て駒にする気?)
ぞわり、と腕に鳥肌が立った。
一族という集団の中で育ち、それを『家族』として束ねるナルにとって、それはとてもではないが考えも出来ない事だったし、許せる行為でもない。
── 仲間諸共に、敵を倒すなど。
だが、相手側は考えたのだ。恐らく、前線に送られた兵士達は知らないだろう。彼等は味方に捨て駒にされかけているという事を理解しているようには思えなかった。
ナルはきゅ、と唇を噛み締める。込み上げてくるのは、純粋な怒り。
(どうして、こんな事を……!?)
進めば進むほど、ピリピリと何かが肌を刺激する。
立ちこめる危険な空気── 死臭にも似た、不吉な気配。
「…みんな、今すぐ撤収して! ここから退避するんだ…早く!!」
人と魔族が入り乱れる中を、ナルは叫ぶ。
戦いの中、突然上がったその声に、動揺の声がそこここで漏れる。
だが、それを発したのがナルだと認識したからか、すぐにあちらこちらで転移魔法が発動する光が生じた。
── 頭領の命令は、絶対。
その不文律を築いてくれた、父を含めた今までの歴代の頭領にナルは感謝する。
もしそれがなかったら、自分より経験のある者は年若い頭領の命令に、すぐに従ってくれたかわかったものではない。
「…急いで!」
祈るような気持ちで叫びながら、ナルは戦場を駆ける。
一見した所、幼さすら残した少女にすぎないナルに、当然の事ながら魔族は狙いを定めてくる。それを鮮やかに捌(さば)きながら、一族の姿を求めて動く。
(どうか…間に合って)
撤収がかかっている事に、相手はいつ気付くだろう? そんな事を考える。
そして、気付いた時── この罠を発動させる事をやめてくれればいいと思う。巻きこまれる大部分が、味方である魔族だという事に気付いてくれれば、と。
── しかし、一方でナルは気付いている。
そんな事に思い至ってくれる者ならば、最初からこんな攻撃を仕掛けてはこないだろうという事を。
「…お嬢!」
三人の魔族を一時に倒して、一息ついた所に、一族の女が駆け寄ってくる。
「お嬢は、転移されないのですか?」
気遣わしげな言葉に、ナルは笑って見せる。
「一族の頭が最初に戻ったら、恥だよ?」
その笑顔と言葉に、女の表情も幾分和らぐ。だが、すぐに表情を引き締めたかと思うと、女は神妙な顔で切り出した。
「おそらく、この先にあと数人いるはずです。先程の声が届いているかもわかりません。わたしが行って伝えますので、お嬢は……」
「だーかーらっ!」
女の言葉を遮って、ナルはきっぱりと言い放つ。その瞬間、ナルが見せた気迫に女は気圧されたように口篭もってしまう。
「…頭領の言葉は、一族の意志。絶対のものだよ」
「…で、ですが……」
「いいから、先に戻って。ぼくが行くよ…これは命令だからね?」
最後の言葉は茶化すように言って、ナルは再び駆け出した。その背に女が焦ったように言葉を投げかける。
「…お嬢!!」
何処か悲鳴のようなそれを振りきって、ナルはさらに先へと進む。
その辺りになると、敵の姿も味方の姿もまばらになり、代わりに生き絶えた死体の数の方が多くなる。
その大地に転がる死体を踏まないように移動しながら、ナルは移動していない一族の姿を探す。
── やがて、遠くに目的に数人の姿を見つけるのと、今まで気付かなかった事が不思議な程の、強大な魔力を感じるのは同時だった。
「…何、これ……?」
思わず呟くと、一族の一人がナルに気付いて振り返った。
「お嬢……!」
その顔にあるのは、明らかに緊張と── そして恐れだ。だが、それを恥ずべき事だとはナルには思えない。
何故なら、ナル自身、そこに満ちる力に畏怖の感情を抱いたからだ。
そこに、一体何処にいたのか、新たな魔族が襲いかかってくる。先程までと同様に、反射的に応じて── ナルは僅かに目を開く。
(…こいつは、違う……!)
横凪ぎに払われた剣先を避けて後へと飛んだはずなのに、服が切り裂かれる。まるで鎌鼬でも生じたかのような、鮮やかな切り口。
明らかに、今までの付け焼き刃で襲ってきた魔族とはレベルが違った。
「お嬢!?」
「…来るな!」
加勢をしようとする一族に、ナルは牽制をかける。そんなナルに、敵は薄く微笑んだ。
「お前は、これに気付いたのか」
「…?」
放たれた言葉は柔らかなアルト。長く、緩く波打つ灰色の髪を、結わえる事なく風になびかせ、『女』は何処か満足そうにナルを見つめる。
その瞳は── 底の見えない、闇の黒。
「これって…何だよ」
薄々、それがこの場に満ちる魔力だとわかりつつも、ナルは問い掛ける。魔族の女は謎めいた微笑を浮かべるだけで、答えない。
術士でないナルですら感知する程の強大な魔力が、そこにある。それこそが罠だとわかるものの、術士でない為にナルにはそれが何かわからない。
この場にいるのがベルゼーラやルイであったなら、何かしらの答えを得ただろうが、ナルは戦士だ。
力の有無を感知しても、目に見えないそれが何を形作ろうとしているのかまでは理解する事は不可能に違いなかった。
「一体、何が目的なんだ!?」
鋭く睨みつけるナルに、女は涼しい顔でようやく答えらしいものを口にする。しかし──。
「…すぐに、知れる」
それが、合図だった。