Bless You All The Time

喪失 〜払われるべき代償(3)〜

「──!?」
 ざわりと、大気が揺らいだ。
 否── 大気が揺らいだように感じられる程に濃密な魔力が、そこに蟠(わだかま)っていたのだ。
 そして、女が小さく何事かを呟くと、それは一点に収束し始める。
「…まさか」
 ぎょっと目を剥いたナルに、女は何処か愉快そうに笑みを浮かべる。それが何処か虚無を漂わせるものである事に、不安感は尚更煽られた。
「みんな…── 今すぐ、転移してっ!!」
 切羽詰ったその叫びに、一族の人々は一瞬困惑した顔をしたものの、やがてその言葉に従い、次々に転移して行く。女はそれを眺めるばかりで、止めようともしない。
 やがてそこには、ナルと女── そして一族の若い男が一人だけ残された。
「お嬢……」
「何してる! 早く転移するんだ!!」
 硬い表情でナルを呼ぶ男を、睨みつけるようにして転移を促す。しかし、男は苦笑を浮かべると、首を横に振った。
「済みません、出来ないんです」
「え…?」
 見れば、彼の左腕は血に塗れ、だらりと下ろされている。目の前の女の仕業か、それとも他の相手か── 筋をやられたのかもしれない。
 転移の呪紋は男の右手に印されている。左手が動かなければ、施された術が展開出来ないのだ。
「ですから、ここは私に任せて、お嬢こそお戻り下さい」
 決意の見える顔で、男は言い、ナルを背に庇うように女との間に分け入ろうとする。
 この男は死ぬ気なのだ── そう感じ取った瞬間、ナルは怒鳴った。
「ばかっ! 何を考えている!?」
「お嬢……」
(── ぼくも何を考えている)
「お前の死を、ぼくが喜ぶと思っているの!?」
(ぼくは何の為にここにいる? 何の為に、今まで闘ってきたんだろう? …一族の為? それとも?)
 言葉とは裏腹の、冷たい思考がナルの内に満ちる。それは今のこの瞬間に、考えるべき事ではないはずだった。けれど──。
 その時、ナルの物思いを遮るように、魔力が収束するその中心部に重力が生じた。

 風が走る。

 光が舞う。

 熱が生じる。

 ── 臨界点に向かって。

「…お前は、何を思って闘う?」
 緊迫する状況を余所に、不意に女が問い掛ける。
 まるでナルの心を見透かしたようなその言葉に、ナルは目を見開く。
「人は…『みにくい』生物だ」
「…?」
「美醜の事ではないよ。いや、それすらも含んで…人は『みにくい』。だから私は、人という存在が許せない」
 淡々と紡がれる言葉は、ナルには理解出来なかった。
 だが、その闇の瞳に宿った何処か哀しみに似た感情の色に、胸が突かれた気がした。
 そんな目を、以前何処かで見たような気さえしたが、それは一瞬後には消え失せる。
「…お前は、この闘いに、何の意義を見出す?」
「ぼくは──…」
 冷えた瞳に見据えられ、つられるように口を開いたものの、答えるべき言葉は見つからなかった。そして、その沈黙を打ち壊すように、重い地鳴りが始まる。
「お嬢! お早く!!」
 切羽詰まった男の声。考える余地はなかった。
 ほとんど無意識に手は動き、右手に施された術が展開する。
 転移魔法── 簡易な、魔力を持たないものが移動する為の。だからこそ、有効範囲が限られているそれが、光となって形を作る。
 その光の色は── 炎のような、赤。
(そういや、これはルイが施してくれたんだっけ)
 ふと思い出す。当初は別の術士が施してくれていたのが、いつからかルイトルードの手によるものになった。
 今まではその必要がなかった為に、展開した事がなかったが、今更ながらナルはちょっと勿体無い事をしたな、と思う。
(…綺麗)
 赤い光は、形作ると瞬時に発動する。展開した者の意志に沿って、力は動く。
 …女はここに至っても邪魔をしなかった。ただ、ナルの選択を興味深そうに見つめるばかり。
「…お嬢!?」
 ナルが術を発動させた事で、安堵を見せていた男が、その目を見開く。
 気付いたのだ。ナルの手で生じた転移の術が、ナルではなく片手の自由を失った彼に対して働きかけている事を。
「何を…止めて下さ……!」
「ぼくは、頭領だよ」
 男の言葉を遮って、ナルはきっぱりと言いきる。そして…笑う。
「一族の者を犠牲にして生き延びる程、堕ちたくはない。…ごめんね」
 男が絶句し、呆然とした表情のまま姿が消えるのを見送って、ナルは女と向き合う。
「…いいのか?」
 成り行きを見守っていた女がぽつりと問う。
「これであの男は、一生心に癒えない傷を負うぞ?」
 その声は穏やかで、ナルは一瞬相手が敵、しかもかなりの手練である事を忘れた。誘われるように、言葉が零れ落ちる。
「それでも…これが、ぼくの誇りだから」
 答えた言葉に、女の目が細まる。それはまるでナルを推し量ろうとするかのようで、でも決して不快なものではなかった。
「── 誇りの為に命を捨てるか」
「違う」
 地鳴りはすでに耳に痛いほど。なのに、お互いの言葉はちゃんと聞き取れるのが不思議だった。
 先程まで感じていた威圧されるような恐怖は消え、ナルは真っ直ぐに女の目を見つめる。
「ぼくは、誇りの為に── 生きるんだ」
「生きる?」
 面白いものを見たように、女の顔に笑みが浮かんだ。
 事実、今の状況を考えればナルは絶体絶命の危機にいる。それでも『生きる』と言うのは、おそらく不適当に違いなかった。
 けれど…それがナルにとっては正しい言葉だった。
「…では、お前は何の為に闘ってきたのだ? その誇りの為か」
「違う。…目的を、見つける為」
 何故かこの緊急時に、今まであれ程出て来なかった答えがすんなりと言葉になって出てきた。
「そう…ぼくは、生きる目的を見つける為に、今まで闘ってきたんだ。憎しみでもなく、何かを求めていた訳でもなく…ただ、見つける為だけに」
 その言葉に、女の笑みが深くなったようにナルは思った。
 ばかにするでもなく、なるほど、と理解する訳でもないその笑みが、それまで笑っていても何処か感情的なものを感じさせなかったものとは違うような気がして── けれど、それだけだった。
 瞬間、世界は純白に染まる。暴力的な光は、あらゆるものを呑み込み、何処までも広がった。


 そして、静寂が再び訪れた時、そこには何も残っていなかった。

+ + +

 気配を感じ取れたのは、その一瞬前だった。
 今までその存在に気付かなかった事が不思議な程、濃密な魔力の塊が爆発した。否── 果たしてそれは爆発と表現して良いものか。
 それは爆発するというよりは、それの持つ力を損なう事なく、周囲へと広がって行く。飲み尽くし、取り込んで、全てを無に帰す為に。
 人も魔族も、空も大地も、突如生み出された空白に成す術もなく逃げ惑う事しか出来なかった。
 …ごく、一部を除いて。

+ + +

 感じ取ったと同時に、光の出現点より西側に布陣を敷いていたルイトルードは、一瞬言葉を失って立ち尽くした。
「な…!?」
 指揮官として、今まで幾度となく大きな魔力の放出を目の当たりにしてきたが、今回のような大規模なものは生まれて初めてだった。
 だが、その重大さにすぐさま我に返り、弾かれたように駆け出す。
「ルイ殿、どちらへ!?」
 同じく呆然と立ち尽くしていた副官も、ルイトルードの行動で我に返ると、その背に焦った声をかける。
 ルイトルードは足を止める事はせず、背後に向かって叫ぶ。今はほんの一刹那だって無駄には出来ない。
「クルム、今すぐ伝令を走らせて! あれを止めるよ!!」
「── 了解です!」
 普段からルイの暴走の被害を被っていたが故に、突発的な事態に慣れたいた事が効を奏したのか、副官の立ち直りは早かった。
 ルイトルードの要点だけの言葉から何をどうするのか正確に掴み取り、彼もまた動き出す。
 ── 一刻でも早く。
 その指令はすぐさま伝わり、術士達は戦いをそっちのけで、持てる限りの全ての力を呼び集め、身体の中で練り始める。
 火の力を操る者、風の力を操る者、水の力を操る者、そして大地の力を操る者── その全てが、心を一つにしていた。
 あの魔力の塊をこれ以上拡散させてはならない。
 術を使う身であるが故に、本能的に彼等は気付いていた。
 あの力をそのままにすれば、南方全域が甚大な被害を受けるばかりでなく、最終的には回復不可能な無毛の大地が残されるだろう。
 それは予測というよりは、確実に訪れる結果として彼等は認識していた。
 そうなれば、たとえ戦いに勝利したとしても、人だけでなくあらゆる生き物が生きては行けない。
 元の豊かな大地へ戻すのに、果たしてどれだけの時間と手間がかかるのか、想像も出来なかった。
 それ程の── 力。
 圧倒的とも言えるそれを前にして、しかし彼等は傷付いた者を除いて、一人もその場から立ち去ろうとはしない。
 光が彼等の所に到達する頃には、全ての準備は整っていた。すでに戦っていたはずの魔族の姿はなく、彼等も彼等で戦いよりも自身の身を優先させたのだろう。
「…魔族も、思いきった事をするね……」
 最前線にまで出たルイトルードは、目の前にした力を再確認してぎり、と唇を噛み締める。
 その方角で何があったのか、そこで戦っていたはずの魔族や人間がどうなったのか── 今は考えない。…信じるしか、ない。
 軽く目を閉じ、ふ、と息をつき呼吸を整える。
 目では光としてしか認識できないそれの、正確な内包する魔力を感じ取る。
 とてつもなく大きな力。しかも、火でも風でも水でも大地でもない、反自然もしくは超自然的とも言える純粋な力だけの塊だ。
 《火の支配者》と呼ばれ、火の術士の頂点に立つルイトルードでも、ここまでの物は生み出せないだろう。だが、だからと言って引くつもりは毛頭ない。
「── 炎よ」
 言葉を紡ぐ。
 潜在的に力を有する魔族とは異なり、言葉と術式、そして属性をもって力を行使する者── それが術士。
 魔族にとっては生命力と同義と言われ、意識するだけで行使可能な魔力と違い、人は世界に満ちる力を借りる事で力を生み出す。
 故に…理論的には無限の力を得る事が出来る。
 実際には、人の器では自然の持つ大いなる力を受け入れるには、肉体的と言うよりは精神的な限界がある為、ある程度以上の力を行使する事は不可能なのだが── その代わり、魔族には決して出来ない方法で力を増す事が可能だ。
「…我、汝の祝福を受けし者。我が名において、その属性より解放する。我に宿りし力よ、出でよ」
 ルイトルードの持つ《火》という属性に縛られ、従っていたあらゆる力がその形を失う。そしてその全身から、それは炎を想わせる赤い光となって噴き出した。
 それは瞬く間にその周辺に広がって行く。広がるにつれ、その光は赤い色を失い、白へ、そして無色へと変化する。
 それを切っ掛けに、他の術士も一斉に力を解放した。
 赤、緑、青、そして── 白。それらは溶け合い、混じり合い、一つの巨大な力の塊となる。
 属性に縛られている状態ならば、互いに反発もしくは相殺し合うそれらも、属性という形から解放された今、同じ『力』として一つになる事が可能だった。
 それは火であり、風であり、水であり、また大地でもあると同時に、そのいづれでもない純粋な力。術によって抽出された、人だからこそ生み出せる力の凝集体。
 それは、迫り来る魔力にも負けずとも劣らないだけの力を有していた。
(こっちも、伊達や酔狂でこの最前線で戦ってる訳じゃないんだよ)
 ルイトルードの左右色の異なる瞳が、凄みを増して光る。その口元に生来の不敵な笑みが浮かんだ。

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