Bless You All The Time

喪失 〜払われるべき代償(4)〜

 状況は決して優位ではない。良くて五分五分だ。
 だが── だからと言って、負けるつもりはさらさらなかった。
「── 負けるもんか。あたしはまだ、やりたい事もやらなきゃならない事も、いっぱいあるんだからね……!」
 そして一度深呼吸する。今、この場にいる全ての人間がきっと同じ事を考えているはずだ。
 その思いが、こんな所で消えて良いはずがない。そんな事は許せない──!

「…行っけええええっ!!」

 そしてルイトルードは、一つに集まった不可視の力に一つの命令を下す。
 あまりに強大な力故に、たったそれだけで全身に負担がかかる。身体中に激痛が走り、瞬間、呼吸も出来なくなる。
 人が本来持つ器の何倍もある力を動かすのだ、この後しばらく動けなくなるのは仕方がないだろう。…それは覚悟の上だ。
 全身全霊の命を受けて、力は動き出す。霞む目を必死に見開いて、ルイトルードはその行方を見据える。
 目的は相殺。最初からあの魔力自体をどうこうするつもりはない。
 そんな事をすれば、元々不安定になっているこの場の力が、均衡を失って更に暴走する危険もある。
 これを仕掛けた相手は、その事も恐らく計算した上でこんな手段に出たに違いない。
 恐ろしい相手だ。出来れば、直接会いたくはないと思える程に。
 けれど── ルイトルードは予感を感じていた。そう遠くない日に、再びやり合う日が来るに違いないと。
(…その為にも、まずはここで何とかしないとね……)
 遠のく意識を引き戻す為に、きつく唇を噛み締める。口の中に広がる血の味に顔を顰めつつ、それでもルイトルードは力を支え続けた。

+ + +

「…撤退しろ、今すぐにだ!」
「ベルゼーラ殿、いきなり何を──?」
「急げ…── 死ぬつもりがないのなら、直ちに本営に移動しろ!! いいな!?」
 滅多にないベルゼーラの激昂の声に、副官は首を傾げる。
 戦士としては一流ながらも、魔力を感知する能力のない男には、今、現在起こりつつある異変がわからないのだ。
 軽く舌打ちしながら、ベルゼーラは戦場を駆ける。
 指揮官という立場上、そしてナルやルイトルードと違い、より組織性の強い戦士団を部下に持つが故に、ベルゼーラ自身が最前線に出る事は滅多にない。
 だがそれ故に、彼の姿を見とめた戦士達は何事かと彼に注目した。伝令を走らせるよりもずっと早道だと考えた事は正しかったらしい。
 人と異なり、今の異変に気付いてはいるだろうに、それでも命令に忠実に襲いかかる魔族を受け流しながら彼は叫ぶ。
「すぐに撤退しろ! 緊急事態だ、急げ!!」
 具体的に説明したい所だったが、何しろ時間がない。
 遠く、ここからずっと西の方角で大きな力が蠢(うごめ)く感覚がした。恐らく、この異常事態に気付いたルイトルードとその部下の術士達だろう。
(…流石に動きが早いな)
 内心感心しながらも、彼は走る事をやめなかった。
 あちら側は任せるしかない。最悪でも、南西の方へは被害は最小限で食い止められる。
 問題は── 力の発生した場所、そして魔力に抵抗する手段がほとんどないこちら側だ。
 進めば進むほど、人も魔族の姿も少なくなる。それと同時により強く魔力の存在を感知する。
(…一体、何者だ? これ程までの力── 普通の魔族じゃない)
 魔族の持つ魔力は生命力と等しい。
 つまり、魔力を放出すれば、それだけ身体に負担がかかるのだ。
 力が尽きれば── 人ならば倒れる程度で済むが、魔族なら死に至る。それが人と魔族の大きな相違点だ。
 すなわち…放置すれば南方全てを無に返すだけの力を放出しても、その問題がない程巨大な魔力を有する者がこれを仕掛けたという事になる。
(軍隊長クラスか…それ以上といった所か。だが……)
 かつて自分が属していた場所だからこそ、疑問は募った。
 魔族は人よりも更に細かい階級制度が存在している。
 持って生まれた魔力の大きさでその後の生き方が変わる程、魔力の強さは重要視されているが、同時に特出した魔力の持ち主が生まれる確率も低いのだ。
 逆にそういう者は数少ないが故に、知名度も相対的に高くなる。
 人側に離反したとは言っても、ベルゼーラも魔族だ。そこで過ごした間にそうした存在の名は知るともなしに知っているが──。
(だが、そんな上位魔族が、こんな最前線にまで出てくるなんて考えられない)
 位が高ければ高い程、彼等が自ら戦いの場に出る事はない。
 主に彼等は人で言う政務官的な役目を担い、彼等より下位に属する魔族を統括し、支配するのが役目なのだ。そして、その事を誉れとして感じてさえいる。
 魔族を離れて、十年以上の月日が流れた。
 しかし、十年という月日は人にとっては長くても、その十倍近くの寿命を持つ魔族にとっては、人の一年と大して変わらない。
 そんな短期間に魔族の中に強く流れる、力を絶対視する風潮や選民思想が変わるとはとても思えなかった。
(── ならば、何者がこれを……?)
 確かめずにはいられなかった。
 何故なら──。
(…まさか、あなたなのか……?)
 一つだけ、心当たりがあった。
 南方の大部分を壊滅させるだけの力を有しながら、最前線へと出る事が出来、上級魔族には位置付けられていないばかりか、誰の配下でもない── すなわち『権力』というものから全くの自由である存在を。
 だが、すぐにそんなはずはないと自ら否定する。
 『彼女』はその力故に、魔族の中でも『畏怖』を持って特別視されるような存在だ。そしてその事を自覚もしていた。
 …そんな人物が、自らこんな場所へ軽々しく出て来るはずがない。だが同時に思ってしまう。
 人も魔族も関係なく、その手にかける事が出来るのはかの人しかいない、と。

『…争い事は嫌いだ』

 かつて言っていた言葉を思い出す。

『だが── 自ら望んでそれを行うモノは、もっと不快だ』

 そう呟いた瞳は、暗く底が見えなかった。
 月どころか星の輝きすらも失った真の闇夜を想わせるその目は、冷たく凍え、同時に憎悪の炎を滾(たぎ)らせてもいた。
 それでいて── その憎しみは、向けられる先がわからないかのように迷いを感じさせていて。
 …後にも先にも、覚えている限りではあのような目をしていた存在は他にいなかった。
 まさに、“混沌”。あるいは──。
 考えている間にようやく最前線に辿り着く。
 そこにはすでに立って動いている人の方が少ない。…当然だ、あれだけの魔力を前に、術者でもない人間が平然としていられるはずがない。
 魔族の魔力は、人とは相容れない。
 魔族が人の使う術を扱えないように、人はどんなに強力な自然の力を扱えても、魔族の魔力を許容出来ない。すなわち── 強過ぎる魔力は、人を壊す。
「…撤退しろ! 今すぐ、陣営に戻るんだ! …いや、それが無理なら出来るだけここから離れろ!!」
 ちらほら見える部下達に命じると、彼等は一瞬、彼がここにいる事に困惑を見せたものの、事態の異常さに気付いていたのだろう、比較的軽傷の者は怪我人を転移させ、自身は陣営のある方へと移動をし始める。
 それを確認すると、ベルゼーラは更に先へと進む。その背に、一人の剣士が驚いたように声をかけた。
「ベルゼーラ殿!? 何処へ行かれるんですか、もうこの先には──!」
 切羽詰ったその言葉に足を止めて振り返り、彼は安心させるように微笑んだ。
「心配するな。── あれを、何とか食い止めて来る」
「…!」
 ベルゼーラの言葉に青年はその目を見開いて息を飲む。
「西側で術士達が動いている。こちらから多少なり補助をすれば、何とかなるかもしれない。…人には無理だ。今は取り合えず撤退してくれ」
 何か言いかけるのを、畳みかけるような言葉で封じ込め、後はもう振り返る事なく走る。
 そして── 程なくそれは視界に捕えられた。
(…──!)
 今まさに拡散しようとする大きな力を目の当たりにして、ベルゼーラは大きく目を見開いた。
 感じる。
 そこにある力の大きさだけでなく、そこに秘められた属性とは異なる『本質』を。

『──…今度会う時は』

 耳に甦った声は、『彼女』と最後に交わした言葉を繰り返す。

『今度会う時は、敵同士かもしれないな……』

「──…やはりあなたか、アリューシュ……!」
 力の大きさと、その意味する事実に我を失っていたのは、一瞬。

 ダンッ!

 すぐさま物思いを断ち切るかのように、手にした剣を地面に突き刺す。そしてそれを媒介にして、自分の体内を巡る力を放出した。
 考える余地など、今はない。
 何故、どうして── そんな疑問は、今のこの場を切り抜けてから考えても遅くはないはずだ。
 自分に言い聞かせ、ベルゼーラは柄を握る手に力を込める。
 ぶわっ、と周囲は剣から溢れ出た白光によって白く染め上げられて行く。周辺に転がる骸すらも飲み込んで、それは大地へ空へ広がった。
 大きく膨れ上がった彼の魔力は、それでも前方に見える力──『虚無』には遠く及ばない。それを仕掛けたのが、彼の知る人物であれば、なおの事。
 …だが、可能性は無ではない。
(止めてみせる!)
 ベルゼーラはぎり、と奥歯を噛み締め、間もなく襲いかかるだろう衝撃に備える。
 後は自身の力と、今、西側で同じように事態を食い止めようとしている術士達を信じ── いるのかどうかもわからない、『何か』に祈るだけだ。


 …『虚無』はすぐ目の前に迫っていた。

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