Bless You All The Time

封印 〜閉じられた記憶(1)〜

「── なんですって?」
 齎(もたら)された突然の知らせに、クナルは反射的に聞き返していた。
「ルイとベルゼが負傷? ナルに至っては生死不明って…どういう事なの。南方で一体何が起こったというの!」
 鋭い視線と声に、報告を持ってきた政務官は一瞬気圧されて言葉を失った。
 女王崩御に伴い、現在、盲目のメイラに代わり、クナルが王の担う内政的な仕事を執り行っているのだが、その様子は在りし日の女王を彷彿とさせるものだったからだ。
 政務官は若干十五歳である王女を、無意識に支え助ける『庇護』すべき存在だと思っていた自分の身を恥じた。すぐに求められた詳細な説明を口にする。
「南方中央部で広範囲に及ぶ術が展開されたようです」
「…術?」
「はい。戦闘は終了したようですが、強大な力同士がぶつかり合った余波で、調査に跳ぶ事も出来ない為、具体的な事まではわかりませんが……。この戦闘で、術を阻止した南方指揮官の内、術士のルイトルード=ナーマ殿は身体への強い負担の為に現在意識不明、戦士ながらも魔族であられるベルゼーラ殿も、同様に力を消耗し過ぎて身動きもままならない状態のようです」
「……」
「そして、中央部を指揮していたナル=ラーズ殿は術の展開点中心部に居合せたらしく…現在、生死不明となっております」
「── そう」
 つまり、現在南方は指揮官不在にも等しい状況になっているという事だ。
 それ程の術とは一体どんなものだというのか。実際の戦場を知らず、術士でもないクナルには、とてもではないが想像も出来なかった。
 ただわかるのは── 戦況が圧倒的に不利になったという事。
(…ただでさえ西方の指揮官の安否もわからないというのに……南方までもこんな……!)
「…クナル様、いかがいたしますか」
 どうするもこうするもない。
 現在のクナルはあくまでも代理でしかなく、実際的に采配を振るう権利はないのだ。…少なくとも、クナルはそう思っている。
 これ以上とない悪い状況で、指示の遅れは致命的だと頭ではわかっているのに。
「── 少し、考えさせて頂戴」
 結局言えたのはそれだけだった。
 政務官は何か言いたげな顔をしたものの、思う所があったのか、黙って退出してくれた。
(…お姉様に、相談しなくては)
 この数日、王としての仕事を代行してきたが、書類的な処理ならいくらでも一人で出来るというのに、何かを決断する事だけはメイラに相談して決めてきていた。
 将来、メイラが女王となる時は自分が片腕として働くのだ、そう思うからこそ女王代理の仕事をしているのだが、相談する度に決まってメイラはこう言う。

『クナルはどうしたいの?』

 …メイラはあの時のように、自分が女王になる事を望んでいるのだろう。
 そして、切迫している状況の今、新たな指導者としての女王は必要なのだ── 可能ならば、今すぐにでも。
(── でも、嫌。お姉様より上の立場になる事だけは……)
 もし自分が女王の位につけば、姉は今までのようには接してくれなくなるような気がしてならなかった。
 責任のある者として、人々の上に立つ王族に連なる者として、『姉』である前に『臣下』としての立場を貫こうとする…そんな姿が思い浮かぶ。
 そして…それが現実になる可能性は高かった。
 綺麗でたおやかな印象なのに、一度こうだと決めたらやり遂げる、そんな一途さと強さをメイラは持っているのだから。
 子供じみた妄想だと言われれば、返す言葉はない。女王の地位に就いても、メイラはこれまで通りの態度でいてくれる可能性だってあるのだ。
 でも…クナルにとっては、たった一人のかけがえのない『肉親』で、心の拠り所だ。その姉に、他人行儀に振舞われるなど想像するだけでも辛い事だった。
 そして何より、母親と同じ道を歩む事が嫌なのだ。
 母親── 前女王に瓜二つの容姿と力を受け継いだ自分。唯一違うのは、顔も知らない父親から受け継いだ瞳の色だけ。
 そのせいでクナルは母親の愛情を知らずに育った。温もりが欲しい時に、側にいてくれないばかりか、多忙を理由に完全にクナルの存在を無視した。
 今は彼女が自分に冷たく当たった理由も知っているが、だからと言ってその時の心の傷が癒える訳もない。
 …六歳の時、父親違いの姉がいる事を知るまで、クナルは他人に囲まれ一人ぼっちだった。
 王位継承者としての教育を受ける為、そして少し身体が弱かった為に、物心つく頃から離宮で育てられていると聞いて親近感を感じた。
 そして無性に顔を見たくなって──。

『…クナル? あなた、クナルでしょ?』

 こっそり一人で会いに行ったのはいいものの、離宮の内庭に迷い込み、完全に迷子になってしまった時に声をかけられた。
 蹲(うずくま)って泣いていた自分に手を差し伸べて、自分とは全く似ていない初めて会う姉は笑いかけてくれた。
 …太陽を背に受け、金色の髪が光っていた。向けられた笑顔はとても優しくて。
 会った事も話した事もなかったのに、それだけでクナルはメイラが大好きになった。
(…だから私は、女王になんかならない……)
 何故ならクナルは知っているのだ。
 自分がどんなに『女王』というものに相応しくない人間なのか。自分の理想とする『女王像』に一番遠い在り方しか出来ない事を。
 女王という存在が必要だという事を、理解していながら──。
(私にとって、大事なのはお姉様だけ── 他の人がどうなろうと、胸も痛まない)
 確かに子供の頃に比べて、シェイやベルゼーラといった友人も出来たが、メイラの存在には遠く及ばないのだ。
 …民を第一に考える事の出来ない王は、存在するだけで迷惑だろう。
 だからこそ──。
「…だから、私は女王なんて背負えない……」
 ぽつりと呟いて、クナルは胸に重く圧し掛かる罪悪感を振り切るように執務室を後にした。

+ + +

「…これは、ほんの始まりに過ぎない」
 不意に耳に届いた言葉は今まで以上に鮮明なもので、メイラは見慣れた闇の中で驚愕した。
 例の白昼夢だ、と頭が理解するのに少し時間がかかった。それ程に現実と夢への切り替えが唐突過ぎたのだ。
「全ては動き出した── あなたの望み通りに」
 その心なしか楽しげな言葉を切っ掛けに、ふっ、視界が変化した。
 闇から── 見渡す限りの荒野へ。生きものの気配のない、荒涼とした風景が何処までも続く。
 それは今までも見た光景だった…が、今までとは完全に異なる部分が存在した。赤い光を背にして、浮かび上がる奇岩の影に。
「もう、何人にも止められはしない。人であろうと、魔族であろうと…ね」
 声の主はすぐに見つかった。岩の上に優雅に腰掛け、こちらを向いている。
 逆光で表情がわからないはずなのに、メイラはその人が嗤っている事が何故かわかった。
「…嬉しそうね」
 いくらかの皮肉をこめて話しかけると、その人は全く気にしないばかりか、愉快と言わんばかりの口調で逆に問い返してきた。
「あなたも嬉しいでしょう? ほら、良く見て…これがいつか訪れる、あなたの望んだ世界の終焉よ」
 あまりにも当り前のように言われ、一瞬返す言葉を失う。
「──…あなたと一緒にしないで」
「一緒するなですって? あなたは嬉しくないとでも?」
「何を喜べと言うの」
「── 決まっているでしょう。あなたの望みが叶う事をよ?」
 心底不思議そうに答える言葉に、眩暈(めまい)を覚えた。
「私は、こんな結末など望んでいない……!」
 こんな── 全てが滅び去ってしまう世界の終わりなど、いつ望んだと言うのだろう。
 するとその人はいきなり岩の上で立ち上がり、両腕を広げてみせた。まるで── 目を反らすな、と言うかのように。
「こんな事など望まなかったですって? …確かに直接は望まなかったかもしれない。でも、心の何処かでわかっていたはずだわ」
 きらり、とその瞬間光を受けてその人の瞳が輝いた。
 その色は── 燃えるような黄金。
「まず、均衡が崩れる。それは避けられない事」
「どうして…!」
「どうして? あなたが望んだのでしょう? …現状の打破を」
「──!? まさか……!」
 その人が言わんとする事に気付き、メイラは絶句する。そんなメイラを、その人は同情するような声音で更に追い詰める。
「…大きな物事を動かすには、それ相応の代償が必要となる。あなたの望みは、人一人の命で贖える類のものではないわ」
「……」
 もはや耳は言葉を通すだけで、意味を受けとめるだけの働きをしていなかった。
 呆然と立ち尽くすメイラを岩の上から見下ろしていたその人は、メイラの様子をしばらく眺めた後、身軽な様子で岩から飛び降りる。
 重さを感じさせない所作だった。そしてそのまま、立ち尽くしたままのメイラの目の前まで歩み寄ってくる。
「…止める事は、出来ないの」
 その足が正面で止まったのを切っ掛けに、メイラの口から喘ぐような言葉が漏れる。
 何処か縋るようなその言葉を受けとめ、その人は少し驚いたようにその目を見開いた。
「止められないの? もう…手遅れなの? …これ以上失う訳には行かない、失いたくない……!!」
「── 無駄よ」
 しかし、メイラの必死の言葉に返ってきたのは、取りつく島もない否定の言葉だった。
「言ったでしょう、もう止められないと」
 その黄金色の瞳を見つめ、メイラは絶望に塗り潰されながらも今更ながらに思った。
 至近距離に寄る事でようやく判別のついた顔。
 ああ本当にこの人は、自分に瓜二つの姿をしている── と。

+ + +

 ふと我に返ると、そこには冷たい沈黙が横たわっていた。
「…私は、信じます。あの子を」
 ぽつり、と聞こえてきたのはシェイの声だった。
 痛みを堪えるような、感情を必死に抑えこんだ固い声音。その声で自分の状況を思い出す。
 ── 丁度シェイと話している時に、南方での異変の知らせが届いたのだ。
 現在指揮官が実質的に不在という、最悪の事態というだけでなく…シェイにとっては血を分けた実の妹が生死不明になったという悲報だ。
 いくら気丈なシェイでも、最悪の知らせがいつ齎されるかという不安と恐怖を、完全に隠せるはずもない。
「あの子は…ナルは、こんな事でどうにかなる子ではありません。きっと…何処かで……っ」
「…シェイ」
 知らせを伝えに来た政務官はすでに退出している。今、この場にはシェイとメイラしかいない。
 感情を抑える必要など何処にもないのだ── そう言おうとした、その矢先。

『代償が必要となる──』

 突然、声が耳に甦った。

『もう止められない』
『無駄よ』

(いいえ── そんな事はない、決して)
 事態は確かに、言われた通りに動き始めている。予想以上に早く。
 次にまた違う『何か』が喪われるのは、時間の問題かもしれなかった。…けれど。
(…これが私の望みを叶える為に必要な代償なのだとしても、許される事ではないわ。だから── 止めてみせる)
 心の内でその決意が固まるのは一瞬の事だった。
 その手段が有効かどうかなど、試してみなければわからない。試して── 無駄に終わった場合、一層事態を悪化させる危険性もあった。
 けれど── 心は決まった。
(これ以上、喪う訳には行かない。その為になら…どんな手でも使うわ)


 ── 南方の大打撃を受けたその直後、西と東から事態を更に切迫させる知らせが届き、王宮内は騒然となった。
 それ故に誰も気付かなかった。
 その騒ぎの中、王女メイラが二年前のように突然その姿を消した事に……。

Back← →Next