魔術士見習い走曲

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 キング・オブ・アンフォーチュンの名は、今も不動のものらしい。
 事情を聞いたディリーナは、その認識を確かにした。
「腐った卵って性質(たち)が悪いんだから。子供じゃないんだから、変だと思ったら食べるのをやめなさいよねー」
「うむ、そのようだな。今後は気をつける事にしよう」
 ディリーナの呆れを隠さない言葉に、バートンは真面目な顔で頷く。その変な所で冗談や皮肉が通じない所も健在だった。
 場所は宿の一角。宿泊はせずとも軽い休息が取れるように、と用意してあるテーブルセットの一つで、彼等は向かい合っていた。
 バートンはと言えばまだ髪も乾かず、顔色も良いとは言えないが先程よりは幾分マシになっているような気がする。
 あのまま雨に打たれていたら今度は医者の世話になりかねないと、半ば無理矢理ここまで連れてきたのは正解だったようだ。
 全身ずぶ濡れのバートンを宿の女将と一緒に風呂へと追いやって、その間に手持ちの薬で腹痛に効くものを探し、風呂から出てきたバートンへそれを飲ませたのだが── この分だとちゃんと効いてくれたらしい。
「どう? 少しは楽になった?」
「ああ。…悪いな。世話になった」
「これ位いいわよ。知らない仲でもないしね。…あのまま野垂れ死にとかされたら、夢見が悪いじゃない」
 言いながら思わず行き倒れたバートンの姿を想像してしまい、ディリーナの顔が強張る。彼の場合、実際に在り得そうだから怖い。
 その顔をそんなものかと言わんばかりの顔で見つめ、ようやく少し顔色が戻ったバートンは今更のように尋ねてきた。
「それより、ディリーナ。何故お前がここにいる?」
 それは質問としては妥当なものではあったが、今日出発するつもりでそれなりに装備を整えていたディリーナを前にしては、いささか間の抜けた質問だった。
「何故って…見ればわかるでしょ。旅の途中よ」
「見てわからなかったから尋ねたんだが…そうか、旅か」
 ほう、と一人納得するバートンに苦笑いを返しつつ、ディリーナも負けじと質問を返す。
「そっちこそ、何でこのルーベンにいるのよ?」
「ここはオレの故郷だ。いて不思議はないだろう」
「いや、初耳なんですけど」
「そうか? …そういや、誰にも話した事はなかったかもしれんな」
「…オイオイ」
 相変わらずのマイペースさに、ディリーナは軽い頭痛を覚えた。
 そのまま改めてまじまじとバートンの姿を見る。
 《探求の館》にいる頃からその不幸っぷりは凄まじいの一言だったが、五年経った今、更にその不幸に磨きがかかっているような気がするのは気のせいだろうか。
「それにしても…相変わらずみたいね、キング。不幸と言うか、不運というか……。ねえ、知ってた? 今だから言うけど、あんたの『キング』って『キング・オブ・アンフォーチュン』の略だったって」
 半ば感心しながら、時効だろうと過去のネタばらしをすると、流石にムッとした表情でバートンが言い返してきた。
「ほう、何かと思ったらそういう意味だったのか……。だがな、お前にだけは言われたくないぞ、『クイーン』」
「……ナニソレ」
 聞き覚えのない単語に首を傾げる。どうやら自分の事のようだが、そんな風に呼ばれた事があっただろうか。
 すると珍しく口元に勝ち誇ったようなにやりとした笑みを浮かべ、バートンは先程の仕返しとばかりに言い放った。
「知らなかったのか? お前、他の奴等にそう呼ばれていたんだぞ。ちなみに『トラブル・クイーン』の略だ」
「なにぃー!?」
 そう、彼等二人はお互いに学友達にキング、クイーンと呼ばれていたのだ。
 もっともディリーナに関しては、とても面と向かって言える性格ではなかった為、裏で密かに使われていた呼び名だったが。
 数年経った今、初めて明らかになる事実を前に、二人はそれぞれ不機嫌を絵に書いたような顔になる。
「…キング・オブ・アンフォーチュン、か。否定はしないが、肯定もしたくない呼び名だな」
 ため息混じりのバートンに、ディリーナも力いっぱい頷く。
「あたしだって! あたしの何処がトラブル・クイーンだって言うのよ!?」
 確かにまったく失敗をしなかった訳ではないと思うが、些細(ささい)な失敗は誰にでも付き物のはずである。
 自分だけではない、とむくれるディリーナに、バートンは心底驚いたように呟いた。
「…お前…自覚なかったのか……?」
「失礼ね! あたしがいつ、トラブルを招いたって言うのよ!!」
 呆れ返った目にむきになって突っかかると、バートンは淡々とした口調で語り始める。
「聞きたいのか? たとえば…そう、あれは最初の演習の時だったか」
「…!」
 思いがけない単語にぎくり、となる。
 思い起こすのは、まだ《探求の館》に入って間もない頃の記憶。そう、確かその時──。
「くれぐれも後先を考えずに突っ込んで行くな、と言う教官の指示を無視して、一人行方不明になりかけたのは誰だったかな?」
「はうっ!!」
 ディリーナは精神に、痛恨のダメージを受けた。
 更に追い討ちをかけるように、バートンは遠い目をして呟く。
「あの時はお前が見つかるまでは帰れないと、かなり長い間待たされたな……。あの日の完全に冷め切った夕食の味は今でも忘れられん。暖かな食事のありがたさを知った出来事だった」
「うぐ…た、確かにあの時は迷惑かけたかもしれないけどね! でも子供の頃の事だし……」
「初級魔法力学の講義中、力加減を間違って壁に穴を開けたりもしていたよな。しかも運悪く通行人がいて、見事に吹き飛ばしただろう。…近くの植え込みがクッションになってくれたとは言え、よくぞあれで無傷だったものだと思うぞ」
「ぐはっ」
「それから…確か、魔族分類学の試験中に出てきた……」
「ぎゃあああ!! 思い出させないでよ!! あの時の事はあたしにとっても悪夢なんだからーッ!!」
 雨が静かに降りしきる。
 そんな最中、宿の一角でバートンの淡々とした言葉とディリーナの奇声が交互に繰り返されるという、実に不毛なやり取りが延々と行われたのだった──。

+ + +

 バートンとディリーナが、一風変わった方法で旧交を温めていた頃。ルーベンの入り口に到着した、二人組の旅人がいた。
 一人は男、一人は女── どちらもまだ若い。十代後半といった印象だ。
「やっとルーベンに着いたね、ユーラ」
「そうね、デリル。ああ…早いところ宿を取って、着替えたいわあ」
 女── ユーラという名前らしい── の不快さを隠さない声に、デリルと呼ばれた男は苦笑を浮かべた。
 確かに今までの道中で、雨具を身に着けていない足元がずぶ濡れになっている。だが、一度宿に行って身支度を整えた所で、また外に出れば同じ事を繰り返すだけだ。
「気持ちはわかるけど、どうせ雨に濡れるなら先に情報収集をした方がいい。確かここには魔術士ギルドはなかったはずだけど、二つ程商人ギルドがあったはずだよ」
「えー…?」
 一度不満げな声を上げたユーラだったが、彼の言葉の正しさを理解したのか、渋々と頷いた。
「仕方ないわね、我慢するわ……」
 不満を隠しきれずに唇を尖らせるユーラの肩を軽く叩き、デリルは微笑む。
「マジックハントの基本は一に正確な情報収集、二に迅速な行動、なんだろ?」
「…そうよ。今回もサポートよろしく頼みます、魔術師さん」
「頼まれなくても。大事なユーラには傷一つつけさせやしないさ」
 きっぱりとした言葉に、ユーラは諦め混じりながらも、雨避けに被った撥水(はっすい)効果を持つ布を持ち上げ、自分を見下ろす青年にようやく笑顔を見せる。
 今回の仕事は当たれば大きな山になる。他に奪われる訳には行かない理由が、彼等にはあった。
「大好きよ、デリル。…絶対に成功させましょうね」
「もちろんだよ、ユーラ」
 そして二人は微笑み合う。
 そのまましばし、二人の世界に突入した彼等は、明らかに他の通行人を邪魔していたが、誰もが彼等を見なかった事にして立ち去ってゆく。
 この手のバカップルに余計な口を利いた所で、良い事が起きない事を賢い彼等は知っていたからだ。

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