魔術士見習い走曲

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 ふと我に返ると、雨は相変わらず降り続いているものの、明らかに外がそれだけでなく薄暗くなっていた。どうやら不毛な会話は思いがけず長引いていたらしい。
 その内容と言えば、昔話の形をした互いの話の揚げ足取りに終始し、あまりにも低次元のものだったが、これでも一応話に花が咲いていたと表現は出来るだろう。
「ねえ、ちょっとキング」
「…なんだ?」
「外、大分暗くなってきたけど…いいの? 帰らなくても」
 ここが故郷と言う話なら、家族が彼の帰宅を待っているのではと、珍しく気を回して尋ねたディリーナに、バートンもようやくその事実に気付いたように頷いた。
「ああ…、そうだな。遅くなって困る理由もないが…よく考えたら鍵を閉めて来るのを忘れたような」
「…ッ、ばかっ! そういう事はさっさと思い出しなさいよ!?」
 思いがけない事に慌てて血相を変えるディリーナに対し、バートンはのほほんとした態度を変えずに、すっかり冷め切った茶を一口飲んだ。
「まあ、落ち着けディリーナ」
「あんたがそれを言うなってば!! てか、どうしてあたしの方が慌てなくちゃならないのよ!? あんたはもっと、危機感を持つべきだわ!!」
「お前が勝手に慌てているだけだろう。心配はいらん」
「どうしてっ!!」
「うちに盗られて困るような物はない」
 売り言葉に買い言葉の勢いで噛み付くと、何故か胸を張って彼はきっぱりと言い切った。
「…だからそういう事は早く言いなさいってば……」
 ついでにはっきり言って、今の台詞は威張って言う事でもない事ではない。
 思わず肩から脱力するディリーナを不思議そうに眺めながら、バートンはさて、と立ち上がった。
「それでは帰るとするか。…そういやディリーナ、お前はいつここを発つんだ?」
「へ? ああ、雨が上がれば明日の朝にでも発つけど?」
「そうか。…なら、悪いが今からオレの家にまで来てもらえないか?」
「…どうしてよ?」
 まだ雨は降り続いている。ようやく乾いた足元を、また雨で濡らしたいはずもない。
 一体何の用だと怪訝さを隠さないディリーナに、バートンは真面目な顔で答える。
「薬の礼だ。今回は本気で助かったからな。…お前も一応はストーンマスターだった事を思い出したんだ。オレの石をいくつか譲るから持って行ってくれ」
「へ?」
 言われてディリーナも今更ながら思い出す。
 目の前にいる人物が、ストーンマスターのランク持ちである事を。しかも、記憶が確かなら、ランクDの自分よりずっと格上のランクB辺りだったはずだ。
 ランクD程だと、護身術に毛が生えた程度だが、ランクBともなればその辺りの石からも相応の力を引き出せる能力を有している。
 同時に、魔法力的に未加工な石を術にも使えるものに加工出来る事も意味していた。
「それは願ったりだけど…、いいの? もしかして、それってキングの収入源なんじゃあ……」
 一応は遠慮してみせながらも、明らかに期待に満ちた視線を向けてくるディリーナに、バートンは相変わらずの淡々とした表情で頷いた。
「確かに収入源ではあるが、一つ二つじゃ大した支障にはならん。この辺りは山が近いから『原料』にも事欠かないしな」
「ホント!? じゃあ行く! お供しますよ、何処までも!! 持つべきものは友よねー♪ 実はさー、今までろくな石を仕入れられなくって」
 途端に現金さ丸出しで喜ぶディリーナに、バートンはこういう調子の良さも変わらんな、と別の意味で感心混じりの感想を抱いたが、あえて口にはしなかった。
 トラブル・クイーンと呼ばれていただけあって、いつも騒動の中心にいたディリーナだが、それでも同輩から好意的に見られていたのはこの単純明快さ故である。
 その言動には裏がなく、喜怒哀楽もはっきりしていて、実にわかりやすい性格をしている。だからこそ、失敗しても周囲は『仕方ないな』と受け流せるのだ。
 得と言えば得な性格だが、本人にその自覚がないのは果たした良いのか悪いのか── バートンにはわからなかったが。
(…そう言えば、こいつ確か……)
 そこでバートンは今更ながらに、今まで失念していた事を思い出した。
 それを問いかけようとしたその時、宿の入り口から男女二人組の旅行者が入ってきた事で、その場が幾分騒然としたものになる。
 雨の中を移動していたせいだろう、雨避けの布から滴り落ちる水滴がすぐに床に小さな水たまりを作る。
 ── 雨の中お疲れさまです、お泊りですか?
 入り口で迎えた女将の問いかけに、男の方が一言二言受け答えする声が聞こえてきた。その横で、女の方が濡れた雨避けをばさりと脱ぎ、その容貌が明らかになる。
 柔らかそうな金茶の髪は頭の高い位置でくすんだ赤いリボンで結われ、その毛先はゆるりと波打っている。瞳の色は明るい青。
 身に着けているものは、通気性の良い麻の上着に、皮製の膝丈スカートとありふれていたが、その首や腰に巻かれたベルトには、色とりどりの石や細かい刺繍がなされている。
 それらは全て、見る者が見ればわかる程のそれなりの魔法具だった。
「うわー、見てよキング! あれってかなりの値打ちものよ!?」
「…そうだな」
 あからさまに興味津々のディリーナに対し、バートンの相槌は適当なものだった。
 顔すらもそちらに向けていない。明らかに興味がない様子である。
「はー、やっと人心地ついたわあー」
 だが、やがて聞こえてきた女の声に、彼もそちらに目を向けた。
「…今の声は……」
「どうかした? キング」
「いや…何だか聞き覚えのある声のような気がしてな……だが、まさかそんな偶然が……」
 不思議そうに尋ねるディリーナに答えながら、バートンはその糸目を二人組に向け、しばし考え込んだ。
 ── そして。
「…やっぱりそうか」
 彼にしては珍しく、些(いささ)かうんざりしたような口調で呟く。
 何なんだ、とバートンと二人組を見比べていると、その視線に気付いた女がこちらに目を向けてきた。
 目が合う。
(…あれ?)
 今まで服装に目を取られていて気付かなかったが、その顔には何だか見覚えがある気がした。
 そう思ったのはディリーナの方だけではなかったらしい。
 こちらが目を反らす前に、女が二人のいるテーブルの方へと歩み寄ってきた。
「── あなた達、何処かで会わなかったかしら?」
 怪訝さを隠さない声が尋ねて来る。それはこっちの台詞だと、ディリーナが心の中で呟いた時、先程から渋い表情をしたバートンが口を開いた。
「何処かも何も…同じ教室で授業を受けた仲だろう、ユーラ」
「…!!」
 バートンのその発言に女もディリーナもはっとした表情になり──。
「まさか…『不幸の大王』に『トラブル・クイーン』!?」
「『異世界の住人』じゃない!!」
 同時に叫ぶと、お互いの言葉に眦(まなじり)を吊り上げた。

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