魔術士見習い走曲

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 宿に戻るにはもう少しほとぼりが冷めてからがいいだろうと、そのままバートンの家へと向かう事になった。
 そもそも、あの場でユーラと遭遇せずともそうするつもりだったので、ディリーナに異存はない。
 雨は相変わらず降ってはいたものの、宿からさほど離れていない場所に彼の家はあり、ディリーナもあまり濡れずに済んだ。
 やがて見えてきた家は、周辺の家々と比べて少々古ぼけた印象だが、石造りのしっかりとしたものだった。
「…ここが?」
「ああ。遠慮せずに中に入ってくれ」
 言いながら、バートンが扉を開く。
 本人が鍵をかけてくるのを忘れたと言っていた通り、思いっきり扉の鍵はかかっておらず、住人と客をあっさりと迎え入れた。
「……」
 足を中へと踏み入れたディリーナは、一瞬目を丸くした後、ぐるりと薄暗い室内を見回した。
「何か言いたそうだな、ディリーナ」
「…いや、あんたの言葉に嘘はなかったと思っただけよ」
 感心を通り越して呆れるほど、バートンの自宅には物と言えるものがろくになかった。
 確かにこれなら、『盗られて困るような物はうちにはない』と断言出来る。必要最小限の調度はあるが、それだけだ。
 窓にはカーテンもかかっていないし、テーブルは当然ながらクロス等で覆われたりはしていない。
 壁にタペストリーや絵が掛かっている様子もなく、灰色の石が剥き出しになっている。見事なまでに生活感に乏しい家だった。
 ふと、自宅を思い出す。決して豊かとは言えなかったが、これに比べれば遥かに文化的な生活だと思う。
(…なるほど、これが『不幸の大王』を育(はぐく)んだ家──)
 そんな風に妙な感心をしているディリーナを残し、バートンは奥の寝室へと入ると、枕元の箱に無造作に入れていた彼の『作品』をいくつか取り出した。
 一見した所、ただのその辺の石のように見える。貴石や半貴石などならば、その特徴的な外見で素人目でもわかるだろうが、ストーンマスターとしての本領はありふれた石にこそ発揮されるのだ。
 ルーベンのように自然の移ろいが穏やかな場所は、満ちる魔法力も同様に穏やかで、そこで採れる石の加工は比較的楽だ。
 だが、その石が持っている最大限の力を引き出せるか否かは、ストーンマスターの能力にかかってくる。
(…ディリーナの性格を考えると、防御よりも攻撃に使える石の方が良さそうだな)
 同じ教室にいただけに、ディリーナのノーコン振りも知っている。
 ディリーナのランクを考え、それなりに攻撃力を持ち、なおかつ多少軌道が外れてもそこそこの威力を発揮するものを選び出す。
「…あれ、キングー?」
 ようやく彼が側にいない事に気づいたのか、隣の部屋から不思議そうな声がする。
 バートンは選び出した石を手近な皮袋に包むと、部屋を後にした。
「何してたの? 昔馴染みとは言え、一応お客さまなんだから放置しないでよねー?」
 むう、とむくれるディリーナを無視して、手にした袋を差し出すと、途端にディリーナの顔が輝いた。相変わらずの単純明快な現金さである。
「え、こんなに? いいの、キング!?」
 袋の中を覗き込みながら、何処か興奮気味に尋ねてくる。
 実際、腹痛の薬の代金にしては少々多い程に石を入れていた。それを商う事で糧を得ているバートンにとって、それなりの痛手だ。
 …それでもディリーナにそれだけの石を譲ったのは、もちろんそれなりに意図があっての事だ。
「…それは、報酬もかねてだ」
「── へっ?」
 バートンの言葉に、間抜けな声を上げて顔を上げる。
 報酬、という表現は通常、仕事をやり終えた場合に出るもので。少々薬を分けてあげたくらいで出て来るものではない。
「…なんの事?」
 訳がわからずに顔を顰(しか)めると、バートンは相変わらずの淡々とした口調で問いかけてきた。
「先刻は確認を取りそびれてしまったが── お前は確か、マジックハンターのランクも持っていたよな?」
「…『も』って、むしろこっちが本職よ」
 まるでついでのように言われては、マジックハンターとしての立場がない。
 先程までの上機嫌は何処へやら、口をへの字に曲げてあからさまに不機嫌さを示すディリーナを気にした様子もなく、そうかと軽く話を流し、バートンは本題に入る事にした。
「それを見込んで頼みがある。悪いが、滞在を一日延ばしてくれないか?」
「はあ? …何でよ」
「ここから少し山間に入った場所にある、風幻窟と呼ばれる場所に行きたい。個人的に一つ確かめたい事があるんだ。大した距離ではないが…少々道が険しい所もある。ルーベンから大人の足でも片道で一刻はかかる道だ。時間的な余裕を見た方がいいだろう」
「ふうん…って、まだあたしが引き受けるって決まってないんだけど!?」
 そのまま流されそうな所を、慌てて待ったをかける。
「大体、その…ふうげんくつ? に行くのにどうしてあたしの力が必要になるのよ?」
 何となく、嫌な予感を感じるのは何故だろう。
 こういう時の勘は、外れて欲しいのに大抵は当たってくれる。しかして、バートンは当たり前のように言い放った。
「そこは良質の石が出るんだが、中がトラップだらけでな。罠と来たらマジックハンターの十八番だろう」
 バートンの断定的なその言葉に、ディリーナの目は遠くなった。
 その大いなる勘違いは有りがちと言えば有りがちなのだが…当然ながらそれを十八番にするのはマジックハンターではない。
 むしろ、盗掘を行うトレジャーハンターで、はっきり言えば犯罪者である。
「罠解除が得意なのは盗賊よ。闇ギルドにでも頼んだら?」
 冷めた言葉に皮肉と毒を混ぜて答えるものの、不幸の大王はその程度で動揺し、引き下がる人間ではなかった。顔色一つ変えずに言い返す。
「だが、マジックハンターも遺跡に入った時に罠解除くらいするんだろう」
「…そりゃあね。大事なもの、価値があるものほど危険な罠が仕掛けてあったりするし」
 その線引きはそれで利益を得るか得ないか、あるいは公な許可があるか否かだ。
 一応、まっとうに生きてきたと自負しているディリーナにとっては、簡単に頷ける話ではない。
「大体、罠って言うけど落とし穴程度じゃないの?」
 長閑なルーベンの雰囲気からしてその程度だろうと踏んだディリーナだったが、その予想はあっさりと覆された。
「聞く所によると、一番奥まで行こうとした人間で生きて帰って来た者は一握りにも満たないそうだが」
「なんでそんな物騒なものがこんな田舎にあるのよ!?」
「そんな事、オレが知る訳がないだろう」
「それはそうかもしれないけど! でも、そんなものがあったら有名になっていたって不思議じゃないわよ!?」
 ルーベンに向かうにあたって、周辺の情報は当然仕入れてきている。
 ギルド経由だけにその内容は信頼性が高いと思うが、そこにも風幻窟なるものの名称は一つもなかった。
「まさか…遺跡?」
 ── 罠がある、という事はあからさまにそこが人為的な場所である事を示している。
 だが自分で口にしながら、その可能性の低さにディリーナはまさかと心の内で否定する。
 この国が遺跡に関してどういう対応をしているかまではわからないが、ディリーナの故郷では国が直接管理していた。
 誰でも入る事は許されるが、その前に許可を得、さらに何かを発見した場合は報告する義務がある。
 国が動けば、当然ながらそれだけ知名度が上がる。
 そうでなくても、各地の魔術士ギルド間には情報を共有する取り決めがあり、いざとなれば反対側の場所の情報だって手に入るのだ。
 洞窟を利用、あるいは模した遺跡にはディリーナも過去に幾度か入った事があるが、いずれも発見から一月もしない内に世界中に情報が広まった。
 可能性があるとすれば、ごく最近発見された場所だから、という理由が考えられるが、バートンの口調ではルーベンでは結構一般的な場所のようだ。
 という事は──?
 これぞという答えが見つからずに首を傾げるディリーナに、バートンはあっさりと真相を告げた。
「風幻窟は元・山賊の根城跡だ」
「…── は?」
 まったく予想外の答えに、一瞬頭の中が真っ白になった。
「…さんぞく、ってあの山賊?」
 思わず確認を取ると、バートンは淡々と肯定した。
「他にどの山賊があるのかオレは知らないが、人を襲う山賊だな」
 確かに今でも各地に山賊が出没するし、このルーベン付近にもいたとしてまったく不思議ではないのだが。
 …この枯れた印象のある旧友の口から出ると、何となく現実味を感じないのは何故だろう。
「跡地、って事は…捕まったってこと?」
「らしいな。その頃オレは《探求の館》にいたから、詳細は知らないんだ。話によれば、かなり規模の大きい賊だったらしく、被害も相当のものだったそうだが」
「なるほどね…それで罠だらけか」
 という事は、それだけ財宝やら何かを隠していた可能性がある訳で。
「ひょっとして…奥まで行こうとしたのって、トレジャーハンター?」
「かもしれんな。結局、大した物は見つからなかったらしいが」
「…それじゃ表立っては情報も流れないわよねえ……」
 盗品関係は魔術士ギルドの管轄ではない。ようやくそれなりに納得した所で、ディリーナは表情を改めた。
「危険なのはわかったし、知らない仲でもないから手伝ってあげたいのも山々だけどね。やっぱり受けられないわよ。ここに魔術士ギルドがあれば話は違うんだけどねー」
 そうすれば、ルーベンの魔術士ギルドと仮契約を申請して仕事を受ける事が出来る。
 ちなみにギルドを介さなかった場合の罰則は、資格を剥奪された上に所属するギルドからの永久追放である。
 …流石にこんな所で路頭に迷う気はない。
「…どういう事だ?」
「あたしのマジックハンターのランクはCなのよ。つまり……」
「── なるほど、個人的に仕事を受けられない訳か」
 その辺りの事情は知っていたのか、あっさり納得するとバートンは腕を組み少し考え込む。
 難しい顔をしてしばし沈黙した後、思い出したように口を開いた彼から出たのは、ディリーナがまったく予想もしない言葉だった。
「じゃあ、ユーラに頼んでみよう」
「そう、ユー…はああ!?」
 思いがけない所で出てきた名前に、ディリーナがぎょっと目を見開く。
「ちょっと待った、なんでここでその名前が出て来るのよ!?」
「決まっているだろう。ユーラもマジックハンターだからだ」
 極々当たり前のように告げられた事実に、ディリーナは後頭部を殴られるような衝撃を覚えた。
「…嘘っ、それ本当!?」
「こんな事で嘘をついて、オレに何の得があるんだ」
「だ、だって…ユーラって確か魔術師志望じゃなかったっけ?」
 少なくとも、同時期の認定試験は受けていない。それがまさか同じマジックハンターになっているとは。
 そんな驚きを隠さないディリーナに対し、バートンは何処までも淡々としていた。
 そのまま更なる追い討ちをかけてくる。
「途中で転向したんだろう。確かランクBだったはずだが?」
「…ッ!!?」
 ズガン、と更に精神的なダメージを受け、ディリーナは言葉もなく座り込んだ。
(ま、負けた…!!)
 負けたくないと思っていた相手だけにその衝撃は計り知れなかった。
 だがすぐに待てよ、と思い返す。
 確かに今のランクはCだが、本当ならばランクBまで受ける気でいたのだ。両親の急死により帰郷を余儀なくされなければ── いや、そうでなくても今は(不本意ながら)ランクB並みの実力は確実にある。
(そうよ…まだ、完全に負けちゃいないわ…!!)
 ごう、とディリーナの瞳に不屈の炎が灯る。
 がばりと立ち上がった勢いをそのままに、目の前で見守っていたバートンへ、ビシッとその指を突きつけた。
「…キング!!」
「なんだ」
 その異様なまでの立ち直りの早さに少々気圧されつつバートンが促すと、興奮冷めやらぬ様子でディリーナは宣言した。
「さっきの話── 受けるわ!!」

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